学位論文要旨



No 122967
著者(漢字) 飯田,晃子
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,アキコ
標題(和) 斑晶ガラス包有物研究による富士火山のマグマ供給系
標題(洋) Magma plumbing system of Fuji volcano inferred from melt inclusion study
報告番号 122967
報告番号 甲22967
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5088号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 安田,敦
 産業技術総合研究所 研究グループ長 篠原,宏志
 東京大学 准教授 中井,俊一
 東京大学 教授 中田,節也
 東京大学 教授 藤井,敏嗣
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

マグマ中の揮発性成分の溶解度は圧力依存性が強い.したがって,マグマの上昇や下降といった圧力変化を伴うプロセスを捉えるには,マグマ中の揮発性成分量を調べることが最適である.これと主成分元素組成や斑晶組成を組み合わせて議論することによって,分化や混合といった単純なマグマプロセスだけではなく,圧力スケールの入った詳細なマグマプロセスが明らかにできる可能性がある.この際に重要となるのが,揮発性成分としてH20に加えてCO2の量を精度よく決定することである.CO2はマグマへの溶解特性がH20とは大きく異なる上,マグマ中に無視できない量が含まれているため,マグマのおかれた圧力を決定する際の重要な手がかりとなりうる.そこで本研究では,噴火前のマグマの揮発性成分量を保持している可能性が高い斑晶ガラス包有物に着目して,従来よりも高い精度と確度でH20,CO2量を測定した.さらに,これらとガラス包有物の主成分元素変化や斑晶組成変化を組み合わせることによって,噴火前のマグマプロセスについて詳細な検討を行った.

研究対象としては,富士火山の864年噴火の噴出物である長尾山スコリアを選んだ.この噴火は,富士火山の典型的な玄武岩質マグマを噴出した大規模噴火の1つである.噴火は,富士山の北西山腹の割れ目から少量の溶岩(氷穴溶岩)が流出し,続いて長尾山スコリアを噴出してスコリア丘(長尾山)を形成した.その後,大量の溶岩流(青木ヶ原溶岩)が流出した.富士火山では,1つの未分化マグマに由来する程度の異なる結晶分化や,分化マグマと未分化マグマ同士の内部マグマ混合などが生じていると考えられているが,噴出物の全岩化学組成の変化は非常に小さいため,噴火前のマグマの挙動や供給系について噴出物の組成や鉱物学的研究から詳細な議論を行うには限界がある.そこで,本研究では,噴出物中の斑晶ガラス包有物の主成分元素のみならず揮発性成分分析も行い,より詳細な議論を試みる.

2.試料&分析方法

分析試料には,富士火山864年噴火の長尾山スコリア噴出物を用いた.スコリアを砕き,ガラス包有物を含むかんらん石,斜長石,斜方輝石,単斜輝石の中からクラックが無くガラス包有物が完全に斑晶中に包有されているもののみを選別した.ガラス包有物の主元素組成及びS,C1濃度はEPMAを用いて,H20とCO2濃度は真空顕微FTIRで測定を行った.また,石基ガラスとガラス包有物のホスト斑晶の主元素組成についても,EPMAを用いて測定した.

3.結果

かんらん石のガラス包有物の組成は,噴出物の全岩化学組成(FeO*/MgO=2 .1,K20=0.7wt.%)よりも未分化な組成(FeO*/MgO=1 .6,K2O=0.6wt.%)のものから,石基組成(FeO*/MgO=2.3,K20=0.9wt.%)よりも分化した組成(FeO*/MgO=3 .4,K20ニ1.3wt.%))のものまで認められた.一方,斜長石や輝石のガラス包有物は分化した組成(FeO*/MgO=2 .4~3.7)のものしか認められず,これらはかんらん石のガラス包有物の分化した組成とほぼ同じである.そこで,組成範囲が広く,オーバーグロースの補正計算を行ったかんらん石のガラス包有物に着目した.最も未分化な組成のガラス包有物は最も揮発性成分に富む(e.g.,H2O=3.6wt.%,CO2=460ppm).K20の増加に対して,H20は急激に減少し,その後,ほぼ一定の値(1wt.%)をとる.このうち,H20に富む組成のもの(>1.6wt.%)は,H20-CO2図上ではH20:CO2比が1:1のガスと平衡な曲線付近にプロットされる.一方,分化した組成のガラス包有物は,H20に乏しいけれども(約1wt.%)有意にCO2に富み(100 -300ppm) ,それらはH20-CO2図上でCO2軸にほぼ平行にプロットされる.

4.考察

最も未分化なガラス包有物の組成を初期マグマ組成と仮定して,より分化したガラス包有物の主成分元素組成変化を結晶分化で導けるか検討した.その結果,分化条件(圧力,メルト中の含水量)や分化程度の異なる3つのマグマバッチを仮定することで,初期マグマ組成からの主に斜長石やかんらん石,単斜輝石,斜方輝石を分別する結晶分化作用によって,観察されるすべてのガラス包有物組成を説明できた.興味深いことに,分化した組成のガラス包有物は,低圧かつ低含水量での分化が示唆される一方で,これらには有意にCO2の溶存が認められた.このように,主成分元素組成変化からは浅所で脱ガスしたマグマからの分化が示唆されるにも関らず,低圧で溶解度が非常に小さいCO2の溶存が有意に認められるということは,単純な上昇に伴う脱ガスや結晶分化では説明できない.そこで,ある初期組成のマグマの様々なプロセス(減圧脱ガス,結晶化,CO2ガスの付加など)における揮発性成分(H20,CO2)の挙動について考察し,特にCO2に富むマグマを作りうる幾つかのプロセスについてガラス包有物の分析値を満足するためのマグマ組成や供給ガス組成,そしてそのガスの供給源について検討を行った.この際,初期組成のマグマの揮発性成分量(H20=3.5wt.%,CO2=600ppm以上)は,最も未分化なガラス包有物の組成に基づき,与えている.検討の結果,浅所で脱ガス・分化した後にドレインバックしてできたそれぞれの不飽和マグマバッチに,マグマを伴わないCO2に富むガスのみの供給を考えた場合にのみ,観察された事象を説明できることが明らかになった.

ところで,鉱物学的研究に基づく過去の研究では,864年噴火のマグマはマグマ混合による産物であると解釈されてきた(高橋・他,1999;佐藤・他,1999).ガラス包有物の主成分元素組成変化は分析値の変動が大きく,これらの組成変化がマグマ混合により形成されたものである可能性も完全に否定はできない.そこで,揮発性成分も考慮して,ガラス包有物がマグマ混合の過程で形成されたものかどうか検討を行った.ある初期組成のマグマから生じた異なる単成分のマグマ混合時に生じうるH20-CO2のバリエーションについて,未分化・揮発性成分に富む気相飽和マグマと分化・揮発性成分に乏しい気相不飽和マグマとのマグマ混合を仮定したいくつかの場合について,観察されたガラス包有物を満たすものがえられるか計算を行った.しかしながら,このときの揮発性成分から見積った混合比と主成分元素組成から見積った混合比とは大きく異なる結果となり,観察とは矛盾することから,ガラス包有物の組成変化がマグマ混合によって形成されたものではないと結論付けた.

〈モデル〉

以上を総合して,864年噴火について次のモデルを提案した.少なくとも3つのマグマバッチが浅所(深度はそれぞれわずかに異なる,20MPa,~15MPa)へ脱ガスしながら上昇し,そこで分化する(分化程度はそれぞれ異なる).その後,脱ガス・分化したマグマはそれぞれ異なる深度ヘドレインバックし,停滞する(>160MPa,>120MPa,60MPa).ドレインバックによって気相不飽和になったマグマには,深部に停滞する親マグマ溜りから放出されたCO2に富む組成(mol比H201(H20+CO2)=~55)のガスのみが供給される.その結果,マグマは揮発性成分に富む組成に変化する.多くのガラス包有物においてH20に乏しいにも関らず,比較的高いCO2量が認められたことは,ガス供給の影響を受けてCO2に富む組成に変化したマグマ中でガラス包有物の捕獲が行なわれたことを示している.その後,噴火直前の段階において、3つのマグマバッチは,同じ親マグマから新たに注入された未分化マグマによって混合し,噴火に至ったものと考えられる.

5.まとめ

マグマプロセスを議論する上では,マグマ中に溶存しているCO2量の決定が必要不可欠である.今回,高い精度でCO2量を測定し,マグマ中の揮発性成分量の変化や主元素組成変化,斑晶組成を組み合わせて議論することにより,単にマグマの脱ガスや結晶分化,マグマ混合だけでなく,ドレインバックしたマグマにCO2に富むガスのみの供給があったという,これまで知られていなかった複雑なマグマプロセスを圧力スケールの入った形で詳細に明らかにすることができた.その結果,富士火山864年噴火では,マグマのドレインバックおよびマグマを伴わない深部からのCO2に富むガスのみの供給が重要な役割を担ったことを初めて明らかにすることができた.また,これまでに指摘されていたマグマの上昇に伴う脱ガスや結晶分化,未分化マグマの混合といったマグマプロセスに対して,圧力スケールを入れることができた.さらに,CO2に富むガスの供給源をいう形で,深部のマグマ溜りの存在とその深度について,初めて物質科学的に明らかにすることに成功した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,岩石学的手法を用いて富士火山864年長尾山スコリア噴火時のマグマの挙動を論じたものである.通常の岩石学的検討に加えて,ガラス包有物中に保持されている水や二酸化炭素といった揮発性成分量変化と主元素組成変化を詳細に調べることによって,ドレインバックやガスの供給といった噴火前のマグマの複雑な挙動を,圧力スケールの入った形で初めて明らかにすることができたという点で,理学博士の学位にふさわしい内容である.

論文は六章からなる.第一章はイントロダクションであり,マグマの挙動を圧力スケール入りで議論するためには揮発性成分量,特に二酸化炭素の正確な測定が重要なこと,加えて噴火前のマグマの組成を保持しているガラス包有物の分析が最適なことを,先行研究の紹介とともに述べている.第二章では,富士火山864年長尾山スコリア噴火のあらましとこの噴火に関する先行研究を簡単に紹介している.第三章,第四章では,実際の分析手法とその結果を述べている.斑晶組織や斑晶および液の主元素組成の分析といった従来の岩石学的手法に加えて,ガラス包有物中の水,二酸化炭素,塩素,硫黄といった揮発性成分についても詳細な分析を行なっている.中でも,水と二酸化炭素の定量については,真空FTIRやレーザー共焦点顕微鏡の利用といった新技術の導入を積極的に行ない,従来よりも微小な試料について高い精度と分解能をもつデータの提出に成功しており,これまで知られていなかった,低圧下で分化した主元素組成であるにもかかわらず有意に二酸化炭素濃度が高いガラス包有物の存在を見いだすことにつながった.この分析技術は高く評価できるものである.第五章では,富士火山において想定されるマグマの移動の様々な場合について,マグマ中の水と二酸化炭素濃度にどのような変化が期待されるのかを詳細にまとめた上で,第四章で示した長尾山スコリア中のガラス包有物が示す特異な組成上の特徴と一致するマグマの挙動の条件を様々な視点から検討している.その結果,一旦浅所に上昇したマグマがドレインバックしたことや,ドレインバックの最中やその後のある深さでの滞留中に深部のマグマに由来するガスのみの供給があったこと,異なるマグマバッチで進化を遂げたマグマが最終的には深部から上昇したマグマと混合し噴火に到ったことなど,噴火前のマグマの挙動について重要な新たな知見を得ている.第六章では,簡潔に結論をまとめている.

本研究の最大の功績は,噴出物に含まれる斑晶ガラス包有物中の揮発性成分の綿密な分析によって,上昇や下降といった噴火前のマグマの挙動やそれに対する火山ガス供給についての情報を,従来の岩石学的手法からは得られなかった圧力精度で明らかにした点である.ガラス包有物中の揮発性成分の濃度分布から,噴火の中途にガスだけが供給されるイベントがあったことの直接的証拠を見いだしたことや,不飽和マグマに対するガス供給によってマグマ中の揮発性成分濃度がどのように変化するのかを詳しく議論した点は大いに評価出来る.石基組織や斑晶組織の解析さらには前後の噴火の噴出物の解析を通じてモデルに時間軸を与えるという課題がまだ残されてはいるものの,本研究が示した岩石学的モデルは噴火前の様々な現象が起きたであろう深度についても具体的な圧力値を与えることに成功しており,火山学にとって重要な意義を持つ.このモデルについては,今後様々な視点から検証してゆく必要があろう.また,観察される噴出物の組成変動が分化の結果なのか混合の結果なのかという判別しにくい問題に対しても,主元素組成と揮発性成分組成を組み合わせて議論することによって評価する手法を導いており,今後の同様な研究にとって道標となりうる内容である.

本研究の対象は864年長尾山スコリア噴火という限定されたものであるが,本研究で示された技法や考え方は,国内外の様々な火山噴火噴出物の解析に適用可能で'ある.圧力スケールの入った岩石学的モデルは,現在活動中の火山においては,地震活動や地殻変動といった地球物理観測によって検証可能であり,今後広く応用されて火山学の発展につながるものと期待出来る.

なお,本論文の第三一第五章の一部は,藤井敏嗣・安田敦との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行なったもので,論文提出者の寄与が十分と判断した.

以上のことから,本論文は博士(理学)の学位授与にふさわしい内容であるいうことで審査委員全員の意見が一致した.

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