学位論文要旨



No 122988
著者(漢字) 大井,昌弘
著者(英字)
著者(カナ) オオイ,マサヒロ
標題(和) 建築物の地震損傷度評価手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 122988
報告番号 甲22988
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6605号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高田,毅士
 東京大学 教授 久保,哲夫
 東京大学 教授 桑村,仁
 東京大学 教授 纐纈,一起
 東京大学 教授 中埜,良昭
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

地震損傷度曲線とは,構造物や機器などを対象に地震動による損傷の発生確率を評価したもので,確率論的信頼性(構造信頼性)理論を適用して解析的に評価される.地震被害推定で利用される被害関数は,地震動と被害の発生率との関係を示したものであり,地震損傷度曲線とほぼ同義のものと考えられる.地震損傷度曲線は本来であれば,個別施設に対して評価されるものであるが,対象を建物群としても,その集合に対する作用の確率分布と許容の確率分布を捉えることができれば,地震損傷度曲線の定義を当てはめることが可能である.このとき,地震損傷度曲線は,地震動の大きさに応じた建物群の被害発生確率を意味するものとなり,地震被害推定に有用な情報となる.

被害関数は,多くの場合,過去の地震被害データに基づいて作成されているが,地震被害データは量的にも質的にも十分なものとはいえない.このような状況において,強引に記述統計的な手法を用いることは評価精度を低下させるのみならず,不適切な結論に導く恐れがある.地震被害データの不足を補うという意味では,確率論的に構成される地震損傷度曲線の評価法を参照することが必要である.

被害関数に関する代表的な既往研究の共通点は,まず再現波や観測波から求めた地震動強さと建物の被害率との関係において第一次近似的な関係式を求め,地震動強さの面的分布を推定している.次に,得られた推定地震動と建物の被害率との関係から被害関数を作成している.したがって,地震動の推定手法が異なれば,この結果とは異なる被害関数が得られることになる.

本研究では,より明確な枠組みによる建物の地震損傷度評価手法を示すことに主眼を置くこととし,地震被害推定に用いる被害関数を建物群の地震損傷度曲線として捉え,構造信頼性に立脚した手法の開発を行うものとする.統計的手法と解析的手法の両者を適用することによって,両手法相互の不完全性を補いつつ,建物群の地震損傷度曲線の精度向上を行う.統計的手法では,地震被害データの統計処理における推定地震動の不確定性を低減させるために,建物被害率の相互関係を用いて地震損傷度曲線の評価を行う.また,解析的手法では,構造信頼性理論に基づいた数値解析手法を用いて,応答・耐力の確率分布から地震損傷度曲線の評価を行う.

2.構造物の地震損傷度評価手法

原子力発電所を対象とした確率論的安全性評価手法の開発に関して文献調査を行い,地震による構造物の損傷を確率論的に評価する方法論について整理した.確率論的な地震損傷度評価手法では,作用が耐力を超過する事象を損傷として捉え,作用や耐力の不確定性を確率によって表現することで損傷確率を算定するものである.建物の被害関数を建物群に対する地震損傷度曲線として捉えることにより,不確定要因の作用を明確化にした構成を持つ関数として表現できることがわかった.

地方自治体の地震被害想定報告書に関する調査では,震源の設定,地震動の推定,建物被害の推定という基本的な流れを有しているが,その方法は多様であり相互比較は困難であること,被害関数に関しても地震動強さの指標が異なるものも多く,また建物分類や被害の定義も同一でないことがわかった.また,地震被害想定に関する類型化では,地震応答解析により被害率を推定する方法が存在したが,確率論的安全性評価手法における解析的手法と比較すると構造物の固有周期のみに不確定性を考慮したものであり,確率論的手法と呼べるほどのものではなかった.

地震動の推定や建物被害関数の設定では,それぞれ様々な方法が用いられているため,その評価結果も一貫性のないものとなっており,建物被害関数と地震動推定手法との関連があまり意識されていないことがわかった.建物の被害推定では,地震動と被害率との関係を示す被害関数を用いるため,地震動推定を含め首尾一貫した手法が必要である.

また,建物群を対象とした地震損傷度曲線の評価において考慮すべき不確定要因を抽出分類した.不確定要因は,地震動推定に関わるもの,建物の応答推定に関わるもの,建物群の強度推定に関わるものに大きくは分類され,それぞれいくつかの不確定要因に分解した.統計的手法と解析的手法において作用する不確定性が異なることを示し,両手法を利用して地震損傷度曲線を評価すべきことを提案した.

3.統計的手法における地震損傷度評価

兵庫県南部地震の地震被害データを用いて,建築物に対する統計的地震損傷度評価を行った.地震被害データに関する不確定要因の一つである統計的不確定性の低減を目的として,二項尤度を用いた曲線のフィティングや層別統計を用いたデータポイントの表現を導入した.その際,被害レベル(一部損壊,半壊,全壊)の発生確率を条件付確率という観点から評価した.段階的な被害レベルを考慮するとすれば,条件付確率として捉えるほうが確率論的には好ましい.特に,地震被害の発生をイベントツリーモデルに展開する場合は,これらの条件付確率がイベントツリーの分岐確率に対応することになる.今後,地震リスク評価へ発展を目指す際には,この条件付確率が重要である.

また,大きな不確定要因となる推定地震動の影響を排除するため,建物被害率の相互関係に着目した検討を行い,異なる定義を用いた被害率間において明確な建物被害率の相互関係があることを示した.さらに,兵庫県南部地震以外の地震に対して建物被害率の相互関係を適用し,その有用性を確認した.

4.木造建物の解析的地震損傷度評価

木造建物を模する地震応答モデルを作成して,50波の地震波形によるモンテカルロシミュレーションの結果から木造建物の応答確率の評価を行った.

統計的手法では,使用する地震被害データの制約や推定地震動の不確定性の影響を強く受けるのに対して,解析的手法では,地震動指標の選択や応答・耐力の中央値推定に有効である.応答を適切に表現できる地震動指標としては,統計的手法でも利用された最大速度が利用可能であることが明らかになった.また,地震損傷度曲線の形状としては,対数正規分布が適切であることを確認した.

応答解析手法の精度の向上は,数多くの振動実験を行い,その応答の再現性を検討することにより可能である.また,地震被害をもたらす地震動に関しては,近年の高密度な地震観測網により多くの情報が得られるものと期待できる.ある場所における地震動が判明すれば,実被害率と解析的に得られる被害率の比較によって,解析的手法の精度評価を行うことができる.応答解析手法の精度の向上や存在建物の応答特性の詳細な調査等が十分に実行されると,解析的手法のみによる地震損傷度曲線の評価も可能となり,地震被害推定の精度が飛躍的に向上することが期待できる.

5.まとめ

地震損傷度曲線の評価において,統計的手法と解析的手法は,互いに双方の欠点を補う方法として位置付けられる.解析的手法では,構造物に大きな地震動が入力した場合についても検討できるため,建物群の地震損傷度曲線の評価では,両者を併用することが望ましい.

審査要旨 要旨を表示する

地震損傷度曲線とは,建築・土木構造物や機器などを対象に地震動強さが与えられたときの条件付損傷確率を示しており,構造信頼性理論により解析的に評価される.一方,地震被害推定で利用される被害関数は地震損傷度曲線と同義のものと考えられる.被害関数は,多くの場合,過去の地震被害データに基づいて作成されているが,実際の地震被害データは質・量的に十分なものとはいえない.このような状況において,強引に記述統計的手法を用いることは評価精度を低下させるのみならず不適切な結論に導く恐れがあり,確率論的に演繹される地震損傷度曲線の評価結果も併用することが肝要である.

被害関数算定のための既往研究では,まず再現波や観測波から求めた地震動強さと建物被害率との関係において第一次近似的な関係式を求め,地震動強さの面的分布を推定している.次に,得られた推定地震動と建物被害率との関係から被害関数を構築しており,地震動の推定手法が異なれば,異なる被害関数が得られるという問題点が指摘されている.

こうした背景の下,大井昌弘君は,より明確な規範に立って建物の地震損傷度評価手法を構築することに主眼を置き,地震被害推定に用いる被害関数を建物群の地震損傷度曲線として捉えた上で,構造信頼性に立脚した地震損傷度曲線評価手法の確立を提案している.具体には,統計的手法と解析的手法の両者を併用することによって,両手法のもつ不完全性を相互に補いつつ,地震損傷度曲線の精度向上を図ることが可能となる.統計的手法では,地震被害データの統計処理における推定地震動の不確定性を低減させるために,建物被害率の相互関係を用いて地震損傷度曲線の評価を行う.また,解析的手法では,構造信頼性理論に基づいた数値解析手法を援用して,応答・耐力の確率分布から地震損傷度曲線のより精緻な評価を行うことになる.

次に,大井君は、被害関数が実際に使われている事例を地方自治体の地震被害想定報告書を中心に調査し,それらの現状を把握した.そこでは,震源の設定,地震動の推定,建物被害の推定という基本的共通の流れを有しているものの,評価方法は多様で相互比較は困難であること,被害関数を表現する地震動強さ指標も同じではなく,また,建物分類や被害の定義も異なることが指摘された.また,各自治体で行われている評価手法や結果は一貫性のないものとなっており,建物被害関数と地震動推定手法との関わりが重要であるが,建物の被害推定では,地震動と被害率との関係を示す被害関数を用いるため,地震動推定を含めた一貫した手法が必要であることを示した.

一方で,建物群を対象とした地震損傷度曲線の評価において考慮すべき不確定要因を抽出分類した.不確定要因は,地震動推定に関わるもの,建物の応答推定に関わるもの,建物群の強度推定に関わるものに大きくは分類され,それぞれいくつかの不確定要因に分解した.統計的手法と解析的手法において作用する不確定性が異なることを示し,両手法を併用して地震損傷度曲線を評価すべきことを提案している.

ここで,大井君は,兵庫県南部地震の地震被害データを用いて建築物に対する統計的地震損傷度評価を行った.地震被害データに関する不確定要因の一つである統計的不確定性の低減を目的として,二項尤度を用いた曲線の近似や層別統計を用いたデータポイントの表現を導入して精度の高い結果が得られる工夫を行った.その際,被害レベル(一部損壊,半壊,全壊)の発生確率を条件付確率という観点から評価した.段階的な被害レベルを考慮するとすれば,条件付確率として捉えるほうが確率論的には好ましい.今後,地震リスク評価へ発展を目指す際には,この条件付確率が重要である.

また,大きな不確定要因となる推定地震動の精度の影響を排除するため,建物被害率の相互関係に着目した検討を行い,異なる定義を用いた被害率間において明確な建物被害率間の一定の関係があることを示した.さらに,兵庫県南部地震以外の地震に対して建物被害率間の関係を適用し,その有用性を確認した.

最後に,提案した手法の妥当性と実用性を確認するために,木造建物を対象に地震損傷度評価を解析的に行った.木造建物の地震応答モデルを作成して,50波の地震波形によるモンテカルロシミュレーション結果から木造建物の応答確率の解析的評価を行った.統計的手法では,使用する地震被害データの制約や推定地震動の不確定性の影響を強く受けるのに対して,解析的手法では,地震動指標の選択や応答・耐力の中央値推定に有効である.応答を適切に表現できる地震動指標としては,統計的手法でも利用された最大速度が利用可能であり,地震損傷度曲線の形状としては,対数正規分布が適切であることを確認した.

応答解析手法の精度の向上は,数多くの振動実験を行い,その応答の再現性を検討することにより可能である.また,地震被害をもたらす地震動に関しては,近年の高密度な地震観測網により多くの情報が得られるものと期待できる.ある場所における地震動が判明すれば,実被害率と解析的に得られる被害率の比較によって,解析的手法の精度評価を行うことができる.応答解析手法の精度の向上や存在建物の応答特性の詳細な調査等が十分に実行されると,解析的手法のみによる地震損傷度曲線の評価も可能となり,地震被害推定の精度が飛躍的に向上することが期待できる.

本研究のまとめとして,地震損傷度曲線の評価において実被害データに基づく統計的手法と解析的手法は,互いに双方の欠点を補う方法として位置付けられる.解析的手法では,構造物に仮想的な地震動が入力した場合についても検討できるため,建物群の地震損傷度曲線の評価では,両者を併用することが望ましい.最後に、本研究の今後の研究課題を抽出した.

以上により,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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