学位論文要旨



No 123012
著者(漢字) 木村,啓志
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,ヒロシ
標題(和) オンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイスに関する研究
標題(洋)
報告番号 123012
報告番号 甲23012
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6629号
研究科 工学系研究科
専攻 環境海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,輝夫
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 佐久,間一郎
 東京大学 准教授 酒井,康行
 東京大学 准教授 竹内,昌治
 東京大学 准教授 大武,美保子
内容要旨 要旨を表示する

本研究における課題は,細胞培養とその機能解析のためのマイクロデバイスの開発である.ヒト細胞そのものを対象とした機能解析は動物実験の代替法として広く利用されるようになり,特に薬剤スクリーニングにおいては,動物実験の前段階として有効なツールとなりつつある.近年では培養環境をより生体内に近づけるためにカルチャーディッシュなどの静地培養系からマイクロデバイスを応用した灌流培養系の研究が行われている.しかし,従来のマイクロデバイスを用いた灌流培養系は,送液システムを外部に持つため培養液の体積が大きくなる傾向があり,薬物や細胞が出す代謝物・シグナル伝達物質などが希釈されてしまう欠点があった.また,細胞の動態検出のために蛍光顕微鏡などの大がかりな装置を必要とすることから,マイクロデバイスに期待されている「並列化」が困難である.細胞機能解析のためのプラットフォームを考える場合,細胞の状態を良好に維持するための機能とその動態を測定するための機能が必要であり,これらのデバイスへの集積化が求められる.

そこで本研究では,細胞機能解析のためのプラットフォームとして,送液システムを内蔵することで培養液体積の極小化を図り,培養環境の恒常性と薬物やシグナル伝達物質の高濃度化の両者を実現する灌流型細胞培養マイクロデバイスの開発を目的とした.また,細胞動態をオンラインで測定可能な蛍光測定システムも構築し,これをデバイスに設置することで測定機能の集積化を実現する.本論文では特に,上記の要求を満たすオンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイスの開発と,これを用いた細胞機能解析への応用について論じた.オンチップ灌流型培養マイクロデバイス内でヒト臓器のモデル組織を単・共培養しつつ,各々の臓器細胞の目的物質に合わせた測定機能をデバイス内に配置し,様々な物質の吸収や代謝などの細胞活性をオンライン測定することで,ヒトにおける薬物応答のモデル実験系や,履歴を考慮した長期の代謝応答評価といったマルチフェーズの薬物応答試験に対応できるプラットフォームが実現できると考えられる.

開発したオンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイスは,膜型臓器細胞の極性輸送能測定や異種臓器細胞の共培養を実現するために半透膜によって仕切られた2つの独立したコンパートメントを有しており,それぞれのコンパートメントは細胞培養部位,培養液を灌流するための回転型マイクロポンプ,それらを繋げるマイクロ流路,光ファイバを取り付けるためのファイバ挿入部,内部溶液を操作するための溶液交換口から構成される(図 1).

デバイスの材料には酸素透過性の高いPDMS(polydimethylsiloxane)を用いた.上側のコンパートメント(以下,頂端膜側)では半透膜上で細胞が培養され,下側のコンパートメント(以下,基底膜側)ではPDMS表面上で培養される.細胞の代謝物測定を想定し,デバイス内の培養液を細胞数に対して生理的な体積比,なおかつ最低限に押さえることで測定感度の向上を実現する.内蔵されている磁気駆動式回転型マイクロポンプは,ポンプチャンバと回転子によって構成され,ポンプチャンバの中央に設置されている軸を中心に回転子が回転することによって,ポンプチャンバの入り口側から出口側に向かって溶液が掻き出される灌流システムとなっている.この回転子は磁性体であり,デバイス下部に設置したスターラモータによって回転駆動される.また,本デバイスはオンラインでの蛍光測定を実現するために,光ファイバを用いた蛍光測定機能の集積化がなされている.これにより培養液中に分泌された様々な代謝物などの物質量変化が測定可能である.製作したオンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイスを図 2に示す.

本論文では,開発したオンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイスを用いて,まず,オンチップ灌流が細胞培養に与える影響の検討を行った.本デバイスは送液システムをデバイス内部に組み込むことで培養液体積の極小化が実現されており,培養環境の恒常性と薬物などの化学物質やシグナル伝達物質の高濃度化を実現しているため,外部ポンプを利用している既存の灌流系の欠点を解決するものと考えられる.本デバイスを用いてオンチップ灌流がヒト肝癌由来のHep-G2細胞に与える影響を調べるために灌流の無し・有りの各条件における細胞形態や活性の比較を行った.

本実験の低密度播種培養実験結果から,マイクロデバイス内でオンチップ灌流培養を行うことで,静置培養系や外部の送液システムを利用した灌流培養系では得ることが難しかったHep-G2細胞のスフェロイド形状を得ることができた(図 3 a)).また,アルブミン分泌などの一連の細胞活性測定の結果(図 3 b))から,オンチップ灌流培養を行った細胞群の方が有意に高活性であることが示された.一般的に,肝細胞は3次元的なスフェロイドを構築することにより2次元的に培養された場合に比べて代謝機能などが向上することが知られており,言い換えればスフェロイドが得られる培養環境は細胞からみればより生体内に近い環境であろうと推測できる.従来,Hep-G2細胞のスフェロイドを得るためには,培養基板に設けた穴の中で培養しつつ基板を揺動するなどの外力を加えるなどの工夫が必要であった.これに対して本デバイスでは,なんら外力を加えることなく,かつ特殊な穴構造を作ることなく,低密度で播種しオンチップ灌流培養を行うことで平坦な基板上でのHep-G2細胞のスフェロイド形成を実現している.これは本デバイスが特徴として掲げる,様々な代謝物やシグナル伝達物質の高濃度化によってHep-G2細胞間の相互作用が強化にされ,スフェロイド化への何らかの機能発現が誘発された結果ではないか,と考えられる.本実験により生体内環境の模擬によって細胞組織に生体内の形態を再現させることが可能なことが示唆された.

つづいて,人体内膜型臓器の中でも薬物などの化学物質の吸収・代謝という非常に重要な役割を担い,薬物動態などに大きな影響を与える小腸に着目し,2-コンパートメントを有するオンチップ灌流型培養マイクロデバイスを用いたヒトの小腸モデル構築とその輸送能測定について論じた.

半透膜により仕切られることで2つの独立したコンパートメントを有する本デバイスは,それぞれのコンパートメントを頂端膜側と基底膜側として機能させることができる.小腸の上皮細胞にはP-glycoprotein (P-gp)と呼ばれる薬物トランスポーターが発現しており,このP-gpは吸収途中の薬物を細胞外にくみ出すポンプの働きがある.従って,薬品や食料品開発において,物質が小腸を通過する際の代謝と排出状況を網羅的に解析する必要がある.本研究ではデバイスの頂端膜側コンパートメントの半透膜上で小腸モデル細胞(Caco-2)を培養することで小腸モデルを構築し,P-gpの基質として代表的なrhodamine 123を用いて小腸モデルの能動輸送能の評価を行った.両コンパートメントに10 μMのrhodamine 123を添加した後の濃度変化を内蔵の蛍光測定機能を用いて行った測定結果を図 4に示す.rhodamine 123が基底膜側から頂端膜側のコンパートメントへ輸送されている様子がわかる.この結果から,本研究で提案した光ファイバを用いた測定機能の信頼性を示唆すると共に,小腸モデルの輸送能評価からカルチャーインサートを用いた既存の実験系では困難であった高感度でかつ連続的なオンライン測定の実現を示唆した.

本デバイスを細胞機能解析のプラットフォームとしての位置付けを考える場合,単種細胞の動態だけではなく,異種の臓器細胞間の相互作用を調べるために複数種の細胞を同時に培養する必要がある.そこで,本デバイスを用いて共培養の実現可能であるかを検討するために,上下のコンパートメントを利用して小腸・肝臓モデルを構築した.小腸モデル細胞を頂端膜側,肝臓モデル細胞を基底膜側で培養することで,生体内における吸収→代謝の経路を模擬することに成功した.また,同時に行ったいくつかの項目における単培養と共培養の比較から,共培養を行った肝細胞の活性が有意に向上することが示唆された(図 5はアルブミン分泌活性の向上の結果).

以上の結果から,本研究において開発を行った2-コンパートメントを有するオンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイスを用いることによって,生体内環境の模擬と様々な種類の細胞の動態評価の実現,並びに細胞間の相互作用の観測が可能であるという知見を得た.特に,回転型マイクロポンプを内蔵することで,細胞数と培養液体積の割合を生理的なものとし,細胞自身の機能の上昇を促したばかりか,細胞間の相互作用の影響測定や定量化を可能とした.現在のところ蛍光観察は細胞機能解析においてもっとも効果的で有用であると考えられており,本デバイスの応用性も示唆した.

動物実験を行わずに個体レベルでの薬物毒性を評価するためには,個別の細胞機能解析試験から得られる生物学的な情報を適切な生理学的毒物動力学(PBTK, Physiologically Based Toxicokinetics)モデルにて個体レベルに積み上げることが考えられる.このようなアプローチは,従来の動物試験では必ずしも明確でなかった毒性発現メカニズムに基づいた影響評価に必然的に結びつくであろうと考えられているが,各パラメータの調査・設定などが必要であり,このような事例にもオンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイスを応用することができると考えられる.

以上のことから本デバイスは,細胞機能解析のプラットフォームとして広く医学,創薬,生命科学の分野に寄与していくものと考えられる.

図 1 オンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイス模式図

図 2 オンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイス

図 3 オンチップ灌流が細胞へ与える影響の考察;a) オンチップ灌流培養9日目におけるスフェロイドの様子,b)オンチップ灌流無し,有りにおけるアルブミン分泌活性

図 4 小腸モデルの輸送による各コンパートメントのrhodamine123の濃度変化

図 5 共培養実験におけるアルブミン分泌活性

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ヒト由来細胞の機能解析プラットフォームを実現するための細胞培養マイクロデバイスを扱ったものである。具体的には、灌流培養による安定した培養環境の実現と、物質の吸収や代謝など、培養細胞の活性をオンライン測定することを目的として、複数のコンパートメントを有し、灌流系や測定系を集積化したオンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイスを開発し、その基本機能の確認と有用性の検証を試みたものである。

開発したデバイスは、半透膜によって仕切られた2つの独立したコンパートメント構造を有し、膜型臓器による物質輸送の測定や異種臓器細胞の共培養を行うことが可能である。それぞれのコンパートメントには、培養液を灌流するための磁気駆動式回転型マイクロポンプと蛍光検出が可能となる光ファイバの取り付け部が集積され、培養環境の恒常性と細胞動態のオンライン測定を同時に実現する構造となっている。

開発したデバイスの基本性能を確かめるため、オンチップ灌流培養系と既存の静置培養系の比較を行い、肝細胞のアルブミン分泌活性がオンチップ灌流培養下において向上するとともに、培養細胞が3次元的な構造(スフェロイド様構造)をとりうることが示された。また、デバイスに集積化された蛍光測定機能によって、半透膜上に形成した小腸膜の能動輸送能をオンライン計測することにも成功した。さらに当該デバイス上の2つのコンパートメント内に、それぞれ異なる臓器由来の細胞を導入し、共培養することも試みている。半透膜上側のコンパートメントでは小腸細胞を、下側では肝細胞を培養することにより、生体内での吸収と代謝の解析を行おうとするもので、体内での毒性影響モデルへの応用へと発展させている。具体的には、小腸による吸収率が異なる2つの毒性物質を用いて小腸細胞と肝細胞を共培養する場合と、肝細胞のみを単培養する場合とを比較し、肝細胞に現われる毒性の違いを観察した。実験の結果から小腸による吸収率が高い毒性物質については共培養と単培養において毒性の違いはみられなかったものの、吸収率が低い毒性物質の場合には単培養にくらべ共培養における毒性の方が低くなることが明らかになった。このことはすなわち、デバイス内での共培養系を用いることにより、標的臓器細胞のみの毒性暴露では予測困難な現象の再現が可能であることを示している。

本論文の第1章では、動物実験の問題点と細胞機能解析の意義、既存の細胞機能解析方法における問題点、マイクロデバイスの細胞培養への応用の意義等、研究の背景を論じている。また、細胞培養や機能解析のためのマイクロデバイスについての既往の知見をまとめ、研究の目的が述べられている。

第2章では、細胞機能解析プラットフォームに求められる要件を整理し、その要件を満足するようなマイクロデバイスを提案している。微細加工技術を応用した当該デバイスの製作法を示すとともに、製作したデバイスの基礎機能の検証を行っている。

第3章では、オンチップ灌流培養環境が細胞へ与える影響について検討するとともに、培養細胞の活性について既存の静置培養との比較を行い、少量の培養液をチップ上のみで灌流することが、培養細胞に良好な影響を与えることを確認している。

第4章では、デバイス内部の半透膜上に小腸モデルを構築し、デバイスに集積された検出機能を用いて、小腸モデル組織による物質の極性能動輸送を連続的に計測する方法とその結果を示している。

第5章では、異なる臓器由来の細胞からなる共培養系としての性能を検討すると共に、各臓器間の相互関係によって起こりうる毒性影響を再現する試みについて述べられている。これによって、単一の臓器由来細胞のみを用いた実験系では再現できない現象をとらえることに成功しており、異種臓器由来細胞を用いた毒性評価モデルの可能性を示している。

最後に第6章においては本論文のまとめと、今後の展開の一つとしてヒトを想定した吸収代謝シミュレータ実現への展望が述べられている。

以上のように、本論文は、いまだに未知の領域が多い臓器細胞の動的な挙動や、異種細胞間の相互作用を解明するためのプラットフォームとして2-コンパートメントを有するオンチップ灌流型細胞培養マイクロデバイスを開発し、既存の培養系では困難であった生体内環境の模擬や細胞動態の評価、並びに細胞間相互作用の観測を可能とするような方法について論じたものである。本論文によってもたらされた知見や技術は、広く医学、創薬、生命科学の分野に寄与しうるような技術基盤を与えるものであり、工学に資するところがきわめて大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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