学位論文要旨



No 123027
著者(漢字) 稲葉,薫
著者(英字)
著者(カナ) イナバ,カオル
標題(和) 地圏水・熱循環系の統合モデリングに関する研究
標題(洋)
報告番号 123027
報告番号 甲23027
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6644号
研究科 工学系研究科
専攻 地球システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 登坂,博行
 東京大学 教授 藤田,豊久
 東京大学 教授 佐藤,光三
 東京大学 准教授 徳永,朋祥
 東京大学 講師 定木,淳
内容要旨 要旨を表示する

水の循環系は主に太陽からの日射と地球の重力を駆動力とする,質量としての水の移動とそれに伴うエネルギーの移動現象から成り,地表面領域では降雨雪,表面流出(河川,湖),地下浸透/流出,蒸発散の各物理現象から構成される.

近年,人間活動の大規模化により地球温暖化が懸念されると同時に,森林などの自然生態系の減少,都市への人口集中・都市域の拡大による雨水の不浸透域の拡大,河川・湖沼の汚濁,地下水位低下,湧水の枯渇,地下水汚染などが顕在化し,さらにヒートアイランドや都市型水害などが発生する状況がある.

このような状況から,都市域から郊外・山間部までの流域総合管理が必要であることが指摘されている.流域総合管理を実施する場合,流域内の自然環境や人間活動,市民の利害を総合的に判断し合意を得ることが重要となるが,流域全体の観測を密に精度良く行うことは不可能であり,人間の経験・知識のみでも全体系の把握は容易ではない.そこで,科学的・工学的観点からは,数理的手法により流域の水・熱循環プロセスを適切にモデル化し,様々な時間・空間スケールにおけるプロセス間の相互作用などを考慮しながら評価する手法の開発が非常に重要になるものと考えられる

本研究では,このような観点に立ち,物質としての水や溶質の動きを扱う既存の水循環モデルの発展形として,地圏における熱輸送に関わる物理過程を包含した地圏水・熱循環モデルの開発を行った.

本研究の内容は以下のようにまとめられる.

(1) 地圏水・熱循環モデルには,降雨,降雪による水・熱の入力,地表面熱収支,表面流出および表面流出に伴う熱の移流・拡散,地下流体流動および地下流体流動に伴う熱の移流・拡散,地表および地下水中の溶存物質の移流・拡散,気・液・固相温度の非平衡状態および相間熱交換,積雪および融雪といった様々な物理過程を考慮して行った.

(2) これらの物理過程を表現するための状態量は,(1)気圧(地上の気圧/地下の気相圧力),(2)水飽和度(地上での水深/は地下水飽和度),(3)溶存物質濃度,(4)積雪深,(5)水温,(6)気温(気温/地下気相温度),(7)固相温度(雪温度/地下固相温度)である.

(3) 上記7変数を用い,(1)水相の物質収支式,(2)気相の物質収支式,(3)溶存物質の物質収支式,(4)雪の物質収支式,(5)水相の熱収支式,(6)気相の熱収支式,(7)雪/地下固相の熱収支式,の7つの方程式を構成し,同時陰的差分解法により解くシミュレータを開発した.

(4) 開発したシミュレータの動作確認および算出値の妥当性を検討するため,種々の数値実験を行い,モデルや計算結果の妥当性の検討を行った.簡単な条件下の理論解と数値解の一致を確認すると共に,フィールド条件を模した簡易一次元モデルに,地表面の気象変動や地下に飽和流動・不飽和流動が生じる場合まで多数のケーススタディを行った結果,報告されている観測値や水文学的知見とと定量的あるいは定性的に合致する出力が得られ,定式化の適切性が確認された.また,地表熱収支と地下不飽和状態を含むモデルにより気・液・固相の温度を分離した効果に関し検討した結果,相間熱交換係数の導入により各相温度が一致する場合から各相が独立した温度を持つ場合まで柔軟に対応できることが示された.

(5) 地表面における降雨浸透過程を模擬した一次元室内実験を行い計測データを得る共に,シミュレータによる実験値再現性の検討を行った.実験では,一次元鉛直不飽和浸透時の水の流動・熱移動の様子を計測するため,発泡スチロール断熱カラム内に砂,或いは砂と礫を充填し,上部から降雨状に一定温度の注水,および冷水・温水を交互に供給して,試料内部の多数の点の温度変化,および底部流出量経時変化を計測した. 計測結果を再現するため,2次元円筒座標系モデルを作成し上下および周辺の境界条件,試料等の水理・熱物性を全て反映させて解析を行ったところ,(1)透水試験時の累積流出量曲線を良好に再現する水理特性(絶対浸透率,相対浸透率,毛管圧力)が同定可能であり,(2)多点温度計測値を砂試料,礫混じり砂試料ともに良好な再現が可能であり,(3)礫混じり砂試料の場合には,相間熱交換係数が砂試料の場合より小さめの値が良い再現性を有すること,が判明した.このことから,本モデルの実験スケールでの定量的な再現性が確認され,温度分離型モデルの有効性も認められた.

(6) フィールドスケールでの鉛直2次元モデルおよび3次元モデルによる解の妥当性評価,パフォーマンスチェックを行った.その結果,東濃地域を対象とした小断面鉛直2次元モデル,流域スケール鉛直2次元断面モデルの計算結果は,既存観測値と整合的であり,地表から地下の温度分布の季節変動の様子も妥当な結果を得た.また,河川を含む3次元モデルの試行計算では,地表面温度分布や顕熱・潜熱移動量分布なども,一般的知見と整合的な結果が得られることが確認された.

以上から,本研究で開発したモデリング手法は地圏の水・熱循環の全体系を追跡する上で有用な技術となる可能性が示された.今後さらに実用性を高めるためには,様々な実測値との比較を通してモデルの妥当性確認や改良を行う必要があるが,都市熱環境や地中熱利用評価など比較的局所の解析であれば現在でも適用可能と考えられる.

さらに適用性を高めるためには以下の検討事項が考えられる.

・積雪/融雪過程にかかわる数理モデルの検証を,基礎的な実験およびフィールドデータを用いて行うこと.

・河川流量変化や河川水温のモニタリング等の観測結果を用いた適用性検討を行い,温度をトレーサーとして地下水理構造を推定する手法の確立に資する.また,溶質循環,土壌汚染,地下水汚染の解明に対し,温度を考慮した解析の有効性を検討すること.

・大規模フィールドシミュレーションでは計算負荷の低減を図る必要がある.未知量の見直しや並列化など,ソフト面,ハード面での改良を行うこと.

審査要旨 要旨を表示する

近年,人間活動に伴うと考えられる地球温暖化の懸念と共に,それにより引き起こされる世界的スケールから生活圏流域スケールの水問題(水資源の不足,水災害の増加,水汚染・水環境の悪化)の深刻化が指摘されている.実際にわが国においても,集中豪雨による洪水氾濫の増大傾向や,夏の高温化,都市域ヒートアイランド現象などが報じられ,その対策が始められている.

このような状況を踏まえ,稲葉氏は地圏(生活圏陸域)における流域を単位とする水管理(ウオーターマネジメント)の重要性を指摘し,流域現象を科学的・工学的観点から評価・予測し行政の対策や市民の判断に供するための先進的数理手法の開発を行っている.

具体的には,物質としての水の動きを追跡する従来型水循環系シミュレーションモデル(河川流出モデルや地下水流動を含んだモデル)の発展形として,太陽輻射・大気環境の変動を含めて物質およびエネルギーの3次元移動現象を追跡する「地圏水・熱循環モデル」の開発がテーマとなっている.これは,温度情報を追跡し利用することで,多様な流域熱環境問題の評価に役立てようとするものである.

論文では,まず地圏における水・熱循環系に起きる現象の包括的な定式化方法が提案されている.筆者のモデルには,(1)輻射による熱の入力(太陽輻射,長波放射),(2)降雨・降雪による水・熱の入力,(3)地表面での熱収支(長波放射,顕熱・潜熱移動),(4)河川流出およびそれに伴う熱の移流・拡散,(5)地下2相流体流動およびそれに伴う熱の移流・拡散,(6)溶存物質の移流・拡散,などが考慮されている.定式化においては,地表上面の植被層を考慮した2層モデルの導入,気・液・固相の熱的非平衡状態を前提とした各相温度分離モデルの導入を行い,状態量として,(1)気圧(地上の気圧/地下の気相圧力),(2)水飽和度(地上での水深/は地下水飽和度),(3)溶存物質濃度,(4)積雪深,(5)水温,(6)気温(気温/地下気相温度),(7)固相温度(雪温度/地下固相温度)を採用している.これら7変数を用いて,(1)水相の物質収支式,(2)気相の物質収支式,(3)溶存物質の物質収支式,(4)雪の物質収支式,(5)水相の熱収支式,(6)気相の熱収支式,(7)雪/地下固相の熱収支式を構成し,全体を同時に解く新しいシミュレータの開発を行っている.

次に,開発したシミュレータの動作確認および算出値の妥当性が種々の数値実験から検討されている.具体的には,簡単な条件下の理論解と数値解の一致を確認すると共に,フィールド条件を模した鉛直一次元モデルに地表面の気象変動や地下に飽和流動・不和流動が生じる場合まで多数の設定を行い,計算結果と既存観測値や水文学的知見とを比較している.その結果,開発したモデルが全てにおいて定量的あるいは定性的に適切な結果を算出でき,また,気・液・固相温度分離モデルが地表及び地下の流れの表現に置いて幅広い適用性を有することを示している.

筆者はさらに室内実験を行い,その結果とシミュレータの再現性の比較を行っている.実験では,鉛直円筒カラムを用い,地表への降雨入力と地下浸透過程を模した冷・温水浸透実験を行い,媒体各点の温度変化,下方流出量の時間変化を計測している.再現計算では,用いた装置の形状や境界条件を忠実に表現する円筒座標系の2次元離散モデルを作成し,砂礫・水・空気・断熱材などの一般的物性値を組み合わせて計算が行われている.その結果,(1)入力に対応した流出量計測値の経時変化が良く再現され,2相流動が適切にモデル化されていること,(2)試料複数点の温度変化計測値の十分良い再現性が得られること,(3)試料が砂と砂礫の場合に相間熱交換係数が異なり,温度分離モデルが適切な表現性を有すること,が結論されている.

最後に,フィールドスケールの鉛直2次元モデルおよび3次元モデルによる解の妥当性評価,およびパフォーマンスチェックが行われている.水文観測値のある地域における2次元鉛直小断面,および流域スケール断面モデルの計算結果は,既存の観測結果と定性的に整合し,また河川を含む3次元モデルの試行計算でも地表や地下の水分分布,温度分布,熱移動量の分布などに妥当な結果が得られることが確認されている.

以上のように,本研究では水循環システムにおける複雑な水・熱移動の定式化が行われ,開発された統合モデリング手法の適用性が数値実験,室内実験,フィールドスケール計算の各段階で検証されている.既に都市熱環境や地中熱利用評価など比較的局所の解析には適用可能と考えられているが,今後,現象再現性のさらなる確認や計算の高速化などの実用性を高めることにより,流域全体の水管理行政などの先進的評価技術として活用されるものと大いに期待される所である

以上の内容から,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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