学位論文要旨



No 123039
著者(漢字) 南雲,亮
著者(英字)
著者(カナ) ナグモ,リョウ
標題(和) 計算化学的手法を利用したゼオライト膜性能推算法に関する研究
標題(洋)
報告番号 123039
報告番号 甲23039
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6656号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中尾,真一
 東京大学 教授 大久保,達也
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 准教授 牛山,浩
内容要旨 要旨を表示する

ゼオライトは、ナノオーダーの規則的な細孔を有する無機材料であり、細孔径よりも小さな分子のみを選択的に透過する『分子ふるい』の作用を発現するため、省エネルギーな環境配慮型の膜分離プロセスへの応用が期待されている。その代表例は、炭化水素混合系分離への応用である。ブタンやヘキサンなどの脂肪族炭化水素分離や、キシレンなど芳香族炭化水素の異性体混合系分離は、石油化学・石油精製の分野からも大きな注目を集めている。一方で、こうした分離プロセスの実用化を目指す上では、スケールアップの観点から、プロセスの性能を指標づける各種物性値の推算が不可欠となる。とりわけ、ナノ細孔内ゲスト分子の『拡散係数』は、分離膜の透過選択性能を直接決定づける重要な物性値であり、その高精度な推算が強く求められている。

ゲスト分子の拡散係数の大規模推算を目指した既往の研究に関しては、枚挙に暇がない。例えば、分子動力学(MD)法に代表される計算化学的手法を駆使することで、無機ゲスト分子や直鎖アルカン分子を対象に、系統的な定量が進められてきた。しかしながら、MD法による拡散係数の定量が、事実上不可能な系も数多い。一般に細孔内拡散係数は、『活性化拡散』の傾向を示し、高温から低温にかけ、急激に減少する。従って、温度の低下とともに、拡散係数の定量は困難を極める。にもかかわらず、現在の計算機性能では、定量可能な拡散係数が、およそ10-11 m2/s以上のオーダーに限定されてしまう。仮に、高温でのMD計算から、低温でのいわゆる『遅い』拡散係数が予測可能ならば、系統的な拡散係数の予測の実現も、強い現実味を帯びる。同時に、こうした拡散係数の予測法が確立すれば、ナノ細孔膜が本来発揮する透過選択性能の大規模推算に向け、その端緒を開く。

こうした背景に基づいて、本論文は、ナノ細孔内ゲスト分子の『遅い』拡散現象に的を絞り、拡散係数の高精度な予測法の開発を進めることとした。とりわけ、各種の計算化学的手法を駆使しながら、『遷移状態理論(TST)』のナノ細孔内拡散現象への導入を進めた。その結果、古典統計力学理論に基づく自由エネルギーの温度依存性に関する理論式をTSTに組み込むことで、10-14 m2/sオーダーを示すような、極めて『遅い』拡散係数に対しても、確度の高い理論的な予測を達成するに至った。

こうした一連の成果を踏まえつつ、本論文は、ナノ細孔内の輸送現象論に基づいて、ゼオライト膜性能をコンビナトリアルに推算する方法論を提案した。『遅い』拡散現象に対してこの推算法を適用した結果、従来型の推算法の定量限界と比較して、4-5桁程度も低いオーダーの物性値を得ることに成功した。

以上に示す通り、これら一連の成果は、本論文で提案する膜性能推算法が、既存の方法論の適用範囲を大幅に拡大することを示すものである。よって今後、あらゆるゲスト-ホスト系への本推算法の応用が、強く期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「計算化学的手法を利用したゼオライト膜性能推算法に関する研究」と題し、全7章から構成されている。主に古典統計力学の立場から、ゼオライト細孔内ゲスト分子の拡散係数や透過係数を理論的に予測するための方法論を提案している。

第1章は緒論であり、本論文の背景、先行研究との関連性および本研究の目的が述べられている。まず、既往の研究を例に、ゼオライト膜性能の近年の大幅な向上に言及して、計算化学的手法による性能推算を目指す意義を明確に示している。続いて、推算法の開発を進める上で克服すべき諸課題を列挙している。特に解決すべきは、現状の計算機性能ではシミュレートが困難な、ナノ細孔内ゲスト分子の『遅い拡散』現象の追跡をいかにして実現するか、この点にあることを強調している。

第2章では、膜性能推算法を開発する上での基礎となる、ナノ細孔内ゲスト分子の輸送現象論を詳述している。さらに、これらの諸理論に基づき、計算化学的手法から、ゲスト分子の拡散係数を計算した結果を示している。これにより、計算化学的手法をナノ細孔内輸送現象に対して適用する意義を実証しているが、本章の計算対象は、従来の方法論による追跡が十分可能な時間オーダーに含まれる拡散系である。すなわち、『遅い拡散』現象ではなく、『速い拡散』の系を対象としているに過ぎない。従って、本章を基盤としながらも、次章以降では、『遅い拡散』現象への適用範囲の拡大を図るべき必要性を論じている。

第3章では、『遅い拡散』現象における拡散係数の定量法としても近年有望視されている、『遷移状態理論(TST)』を詳述している。TSTは既に、細孔内ゲスト分子の濃度が均一な『自己拡散現象』において、その有用性を幅広く発揮しているが、本章の前半でも、ゼオライト細孔内の自己拡散現象を対象に、拡散係数や熱力学的諸量の計算結果を示している。これにより、TSTを用いる利点を論じた上で、本章の後半では、ゲスト分子の濃度が必ずしも均一ではない『輸送拡散現象』においても、TSTが大きな威力を発揮する可能性を示している。従って、本章の結果は、輸送拡散現象の高精度かつ系統的なモデリングの実現に向け、その端緒を開くものである。

第4章では、ナノ細孔内ゲスト分子の『遅い』自己拡散現象を対象として、拡散速度の予測を実現する方法論を提案している。具体的には、古典統計力学に基づき、自由エネルギーの温度依存性を予測するアプローチである。その予測結果をTSTに組み込むことで、『遅い拡散』現象においても、拡散速度の高精度な予測を達成した結果を、系統的に示している。本論文では、これら一連の成果を、次章以降で拡散係数や輸送定数を定量する際の、根幹をなすものとして位置づけている。

第5章では、第4章で既述した方法論に基づき、細孔内ゲスト分子の自己拡散係数の予測結果を提示している。これら一連の結果は、従来は定量が不可能だと考えられていた『遅い拡散』系においても、高精度かつ系統的な自己拡散係数の推算が実現することを示すものである。

第6章では、第4章で既述した方法論を活用し、細孔内ゲスト分子の輸送拡散係数の定量を行っている。この結果を、第2章に詳述した輸送現象論に適用することで、ゼオライト膜性能を推算している。本章に示す結果は、『遅い拡散』現象の範疇に含まれるような系においても、輸送現象論および古典統計力学理論を駆使することで、ゼオライト膜性能の推算が実現することを示すものである。

第7章では、本論文の研究成果を総括し、その意義を明確に位置づけている。その上で、本論文の研究成果を基盤としながら、当該分野における将来的な展望を俯瞰している。

以上に示す通り、本論文は、『ナノ細孔内ゲスト分子の輸送現象』を対象として、拡散係数および輸送定数の高速推算をいかにして達成すべきか、この一点に的を絞り、論を展開している。その結果、従来型の方法論と比較した場合、4-5桁程度も低いオーダーの拡散係数や輸送定数に対しても、系統的な推算を実現した。これら一連の結果は、本論文で提案する予測法の適用範囲が、『遅い拡散』現象の時間オーダーまでも、十分に内包する事実を示している。これは、古典統計力学に基づく分子レベルの挙動解析から、ナノ細孔内ゲスト分子の拡散係数や透過流束など、プロセス設計の指針として不可欠な物性値の予測を達成したことを意味する。換言すれば、本論文で提案する推算法は、分子・原子レベルでのミクロな情報を、工学的重要度の高いマクロな物性値へと、ボトムアップで変換する方法論の具体例である。従って、『ミクロ』と『マクロ』を有機的に体系化する『化学システム工学』の概念の具体化にも、幅広く貢献するアプローチとして位置づけられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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