学位論文要旨



No 123045
著者(漢字) 吉田,直樹
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,ナオキ
標題(和) 運動制御における階層間変換と上肢リハビリテーション
標題(洋)
報告番号 123045
報告番号 甲23045
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6662号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 教授 神崎,亮平
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 准教授 井野,秀一
 東京大学 准教授 広田,光一
 東京大学 准教授 鎮西,恒雄
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、上肢の運動をいくつかの階層に分けて考え、その階層間の変換に伴う運動制御の問題のうちリハビリテーション(以下、「リハビリ」と略す)に重要ないくつかの部分について、主に工学的な手法を用いて問題を解決あるいは新知見を獲得した研究について述べたものである。

リハビリの方法は現在でも経験的に積み重ねられてきたものが主流であり、近年は科学的な見地からの見直しが必要とされている。一方でバイオメカニクスやロボティクスなどの工学分野では、科学的な立場からの運動およびその制御の研究が進んでいる。筆者は、作業療法士としてリハビリの臨床業務を行う一方で工学についても教育・研究の機会を得たことから、工学的な手法をリハビリに生かす方法を模索してきた。とくに作業療法士は上肢のリハビリを多く担当し、上肢リハビリでは下肢などの他の部位と比べて運動制御の重要性が高い。そこで、運動制御の観点から上肢運動とその障害を整理し、リハビリに重要な問題のうち工学的手法を用いることで解決可能な部分を選択し、その部分の解決を図ることを試みた。

運動要素の分類として解剖学や臨床医学では、肩・上腕・肘などの「部位」による分i類や、骨・筋・神経などの「器官」による分類がよく用いられる。しかし本論文では、運動制御およびリハビリの観点から、上肢運動の要素を神経系・筋張力・関節トルク・関節角度・手先位置などに分類し、それらを「階層」と捉えた。このような観点からみると、通常のリハビリにおいて単一階層内の評価や訓練の方法はある程度確立されているのに対し、階層間の変換の部分に未解決の問題や情報の不足が多いと考えられた。

本論文の研究の目的は、上肢運動のリハビリを運動制御における階層間変換の観点から整理し、重要と考えられる具体的ないくつかの間題の解決を図ることである。そのために、まず上位から下位へ至る階層に沿って現状の上肢リハビリの問題を整理し、さらに、階層間変換の問題のうち、現状のロボット工学などの分野における解析・設計理論を直接応用できない課題であること、ヒトあるいはリハビリ対象者個人の固有の問題として解決すべき課題であることに絞り込んだ上で、4つ異なるタイプの変換に関するサブテーマ(第3-6章の各章に対応)についての研究を行った。

本論文の構成と各章の内容について説明する。本論文は、7つの章で構成されている。

第1章では、本研究の背景と目的について述べた。

第2章では、本論文で用いる上肢運動の階層化について説明し、それに基づいて上肢リハビリに関係する諸問題を整理した。はじめに、手先位置を制御するために必要な運動は、筋張力・関節トルク・関節角度・手先位置といった階層を単位として分割できることを示した。まず、各階層における障害の評価および訓練の方法を紹介し、単一階層内のリハビリ方法には問題が少ないことを説明した。続いて、各階層間の変換の問題を取り上げ、どの部分がリハビリにおいて重要な問題となっているのかを整理し、階層間の制御や情報変換の重要性を指摘した。章の終わりに、以下の各章で示した研究がそれぞれどの部分の問題解決を目指したものであるかを説明した。

第3章では、「筋張力と関節角度の変換」の観点から、機能的電気刺激による肘関節角度制御について行った研究について述べた。はじめに機能的電気刺激について説明し、その問題点をあげた。次に、新たに考案した機能的電気刺激の制御方法として、神経系の機能に類似するニューラルネットワークの学習能力を利用することを提案した。具体的には、擬似的に構成した対象上肢の逆ダイナミクスモデルを利用する3種類の方法を説明した。コンピュータシミュレーションで、これらの方法によって健常な腕と異常反射のある腕の制御が共に可能であることを示し、続いて、被験者(健常者と障害者)の制御実験を行った。これらの結果から、ここで考案した方法によって機能的電気刺激の問題の一部が解決可能であり、また実際に臨床応用の可能性があることを示した。

第4章では、「筋張力と関節トルク間の変換」の観点から、肩関節に関与する多数の筋の作用(トルクベクトル方向)を筋電図と手先力の計測に基づいて推定した研究について述べた。第3章での機能的電気刺激実験では、単軸関節である肘関節を対象としたので、筋の作用の問題を回避できた。しかし、多軸関節の制御を考える際には、各筋の作用とその姿勢依存性の定量的な情報が必要になる。本章の研究は肩関節周囲筋についてそれを明らかにした。はじめに、これまでの人体解剖などに基づく研究について説明し、その問題点をあげた。次に、新たに考案した、数理モデルに基づくトルクベクトル推定の方法を説明した。その方法で実際に4名の被験者のそれぞれ11部位の肩周囲筋のトルクベクトル方向を様々な肢位において推定した。実測された肩関節トルクと、利用した数理モデルによって再構成された肩トルクが良く一致することから、モデルの推定精度の高さを示した。推定された肩トルクと、先行研究の結果とを比較し、それぞれの方法の特徴などを検討した。

第5章では、「関節角度と手先位置間の変換」の観点から、手先位置と上肢肢位範囲の関係を調べた研究について述べた。これは、対象者の手先位置を制御するタイプの訓練装置(リハビリロボットなど)の関節運動訓練への応用を目指した研究である。第4章では、上肢は一定の肢位に固定した状態で手先力を発生する課題を用いたが、本章では逆に、力は問題にせず、肢位の変化範囲を問題にした。はじめに、ロボットリハビリ装置を中心とした上肢訓練装置の現状について述べ、手先位置制御型の装置で関節運動訓練を行う場合には手先位置と肢位範囲の関係を調べることが重要であることを説明した。その関係を数値的に求めるために、冗長自由度の概念を基に、任意の1つの手先位置に対して対応する肢位範囲を計算する方法を考案した。その方法によって、手先の到達可能範囲全体からサンプリングした224の手先位置それぞれに対する肢位範囲を求めた。関節の可制御性の1つの指標として許容率と名付けた値を用いて、全手先位置に関する全関節の全体的な特性を調べた。各関節の許容率を全手先位置について計算し、全関節の許容率の頻度分布を示した。その結果、関節の自由度ごとに制御のしやすさが大きく異なることが示唆された。

第6章では、「階層間変換における要素間の協調」という観点から、多指を同時に操作して短いカパルスを発生させる際の各指間の協調性の時間的変化について調べた研究について述べた。始めに、冗長性問題と要素間の協調(シナジー)について述べ、協調性を定量化する手法としてUncontrolled Manifold (UCM)解析について説明した。この解析方法を用いて、音刺激に素早く反応して短時間のカパルスを発生させる課題と、自己ペースで同様のカパルスを発生させる課題における、各指間の協調性の変化を比較した。はじめ、若年者に対して実験を行ったところ、自己ペースの場合にはカパルスの発生に先立って協調性に変化が起こる現象(予測的な協調性変化)が明らかになった。ついで、健常老年者に対して同様の実験を行ったところ、若年者と比較して一般的なパフォーマンス指標(パルスの大きさや反応時間など)には有意差が無いにもかかわらず、予測的な協調性変化には違いがみられた。予測的な協調性を調べることで、パフォーマンス指標には現れない運動制御上の特性を計測できる可能性が示唆された。

第7章では、本論文の結論、本研究の成果の応用の可能性、今後の課題について述べた。

本論文の第3~6章の4つのサブテーマについての研究から、次のような結果が得られた。1つめは、機能的電気刺激による肘関節の角度制御の研究結果である。個々の対象者の腕の特性を、ニューラルネットワークによる逆ダイナミクスモデルを用いて制御する方法を考案し、肘の関節運動を再建できることを示した。2つめは、肩周囲筋のトルクベクトル方向の研究結果である。筋電図と関節トルクから数理的なモデルに基づく推定方法を考案し、自由度が大きいため扱いのむずかしい肩関節において、周囲筋のトルクベクトル方向の推定ができることを示した。3つめは、手先位置と上肢肢位範囲の関係についての研究結果である。具体的な目標として手先位置制御型のリハビリ装置への応用を想定し、リーチ範囲全域にわたる手先位置に対応したそれぞれの関節の制御のしやすさの指標を得ることができた。4つめは、要素間の協調性の研究結果である。多指制御課題における実験結果を、UCM解析を利用して解析することによって、協調性に予測的な変動が現れる現象およびそれに対する若年者と高齢者の相違を明らかにした。

以上の結果から、上肢運動を階層間変換の観点から見ることでリハビリにおける問題を整理することができ、階層間変換に関わるいくつかの具体的な課題が解決できたことが示された。ここで取り上げられた階層間変換の問題はそれぞれ具体的なリハビリ上の課題に結びつけられている点、開発した計測・解析・推定などの方法は侵害的な部分を含まず、全て個別の対象者に関して応用可能な点から、本研究の結果は上肢リハビリに有用な新たな手段と情報をもたらしたものと結論に至った。

今後、本研究の一連の成果を利用することによって、より理論的で効率的な上肢リハビリを実現できることを実証し、さらにはヒトとの親和性や協調性の高いロボット技術への応用などを考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、上肢の運動をいくつかの階層に分けて考え、その階層間の変換に伴う運動制御の問題のうちリハビリテーション(以下、「リハビリ」)に重要ないくつかの部分について、主に工学的な手法を用いて問題を解決あるいは新知見を獲得した研究について述べたものである。

リハビリの方法は現在でも経験的に積み重ねられてきたものが主流であり、近年は科学的な見地からの見直しが必要とされている。一方でバイオメカニクスやロボティクスなどの工学分野では、科学的な立場からの運動とその制御の研究が進んでいる。ここでは運動制御の観点から上肢運動とその障害を整理し、リハビリに重要な問題のうち工学的手法を用いることで解決可能な部分を選択し、その部分の解決を図ることが試みられている。

運動要素の分類としては「部位」や「器官」による分類がよく用いられるが、本論文では、上肢運動の要素を神経系・筋張力・関節トルク・関節角度・手先位置などに分類し、それらを「階層」と捉えている。通常のリハビリにおいて単一階層内の評価や訓練の方法はある程度確立されているのに対し、階層間の変換の部分に未解決の問題や情報の不足が多いことが述べられている。階層間変換の問題のうち、現状のロボット工学などの分野における解析・設計理論を直接応用できない課題、かつ、ヒトあるいはリハビリ対象者個人の固有の問題として解決すべき課題である、4つ異なるタイプの変換に関するサブテーマの研究について述べている。

本論文は7章で構成されている。

第1章では、本研究の背景と目的について述べている。

第2章では、本論文で用いる上肢運動の階層化について説明し、それに基づいて上肢リハビリに関係する問題を整理している。階層構造モデルの説明につづき、各階層における障害の評価および訓練の方法を紹介し、各階層間の変換に関してリハビリにおいて重要な問題となっている部分を指摘している。

第3章では、「筋張力と関節角度の変換」の観点から、機能的電気刺激による肘関節角度制御の研究について述べている。人工ニューラルネットワークを用いて対象上肢の逆ダイナミクスモデルを構成する制御方法を考案し、実験した。コンピュータシミュレーションで健常な腕と異常反射のある腕の制御が共に可能であることを示し、続いて、被験者(健常者と障害者)の肘関節運動制御の実験結果から、この方法によって機能的電気刺激の問題の一部が解決可能であり、臨床応用の可能性があることを示している。

第4章では、「筋張力と関節トルク間の変換」の観点から、肩関節に関与する多数の筋の作用(トルクベクトル方向)を筋電図と手先力の計測に基づいて推定した研究について述べている。新たに考案した数理モデルに基づくトルクベクトル推定の方法を用いて、4名の被験者のそれぞれ11部位の肩周囲筋のトルクベクトル方向を様々な肢位において精度良く推定できること、およびその結果が示されている。

第5章では、「関節角度と手先位置間の変換」の観点から、手先位置と上肢肢位範囲の関係を調べた研究について述べている。この関係を数値的に求めるために、冗長自由度の概念を基に、任意の1つの手先位置に対して対応する肢位範囲を計算する方法を考案して、手先の到達可能範囲全体からサンプリングした224の手先位置それぞれに対する肢位範囲を求めている。さらに全手先位置に関する全関節の可制御性に関する全体的な特性を調べている。

第6章では、「階層間変換における要素間の協調」という観点から、多指を同時に操作して短い力パルスを発生させる際の各指間の協調性の時間的変化について調べた研究について述べている。音刺激に素早く反応する条件と自己ペース条件の2条件で、各指間の協調性の変化を比較している。若年者群の実験結果から、自己ペースの場合には力パルスの発生に先立って協調性に変化が起こる現象を示し、健常老年者群の実験結果との比較から、一般的なパフォーマンス指標には群間に有意差が無いにもかかわらず、予測的な協調性変化には違いがあることを示している。

第7章では、本論文の結論、本研究の成果の応用の可能性、今後の課題について述べている。

以上のように、本論文では、上肢運動を階層間変換の観点から見ることでリハビリにおける問題を整理することができ、階層間変換に関わるいくつかの具体的な課題が解決できたことが示されている。ここで取り上げられた階層間変換の問題はそれぞれ具体的なリハビリ上の課題に結びつけられている点、開発した計測・解析・推定などの方法は侵害的な部分を含まず、全て個別の対象者に関して応用可能な点から、本研究の結果は上肢リハビリに有用な新たな手段と情報をもたらしたものである。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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