学位論文要旨



No 123049
著者(漢字) 光宗,倫彦
著者(英字)
著者(カナ) ミツムネ,ノリヒコ
標題(和) 数値流体力学解析による波動型人工心臓ポンプの最適設計
標題(洋)
報告番号 123049
報告番号 甲23049
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6666号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 鎮西,恒雄
 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 講師 磯山,隆
 東北大学 教授 井街,宏
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

人工心臓は当初,生体心臓の模倣を目指した容積型ポンプの研究開発が進められた.しかし体内埋込が可能となるほどの小型化は困難であったため,小型化が可能な回転型ポンプの研究開発へと移行していった.しかし、回転型ポンプは原理的に流速補助に優れているが圧力補助が十分ではなく,全置換人工心臓への適用に問題があった.

波動型人工心臓ポンプ(波動ポンプ)は上記の問題を解決するため,1992年阿部らにより考案された1,波動ポンプはFig.1に示す構造をしており,ディスクが歳差揺動運動を行うことによりディスク・ハウジング間の最狭窄部が流入口から流出口へ移動し,血液の駆出を行う(Fig.2).本ポンプは原理的に容積型ポンプであり,回転型ポンプに近い構造のため小型化が可能である.

ポンプ設計段階では,高効率化だけでなく,血液適合性の向上が重要な目標となる.特にポンプ内のせん断応力の曝露による血球破壊(溶血)はポンプ作動初期段階において問題となる.経験的に溶血はディスク・ハウジングの間隔(クリアランス)を大きくすることにより減少するが,逆にクリアランス領域での逆流が増加し性能は低下すると考えられる.このようにポンプ性能と溶血にはトレードオフが存在するため,ポンプの数値シミュレーションを行い,それぞれの指標について評価し,設計にフィードバックすることが有効であると考えられる.

本研究では,上下面・側面クリアランス(Fig.3)を設計パラメーターとして,数値流体力学(Computational Fluid Dynamics;CFD)解析により拍出特性・溶血特性を評価し,波動ポンプの最適設計を行うことを目的とした.

2.波動型人工心臓ポンプの拍出特性

2-1.CFD解析

(A)モデルの検討

左心補助用途の波動ポンプを対象としてモデル化を行った.Fig.4に示したように最も単純なモデルAからより現実に近づけたモデルCまで3モデルを作成し,検討を行った.

(B)計算格子の生成

ディスクが歳差揺動運動を行う波動ポンプではディスクの位相ごとに流れの状態が変化するため,非定常解析が必要である.そこで,ディスクの位相を2度ごと移動させた計180個のモデルを生成し,CFDソフトウェア(CFX-10.0, Ansys, Inc. PAUSA)に順に読み込ませることにより非定常解析を行った.計算格子にはFig.5に示したような規則正しく並んだ構造格子を用いることにより,格子移動や設計変更を容易にモデルに反映させることが可能となった.

(C)条件定義

移動した計算格子を順に読み込ませるだけではディスク運動による流体の移動を表現できないため,ディスク上の各節点の移動速度をディスクの境界条件として与えた.流出入口の境界条件には,流入口に0mmHg,流出口に100mmHgの静圧を与えた.他の境界条件は滑りなしの壁とした.また作動流体として非圧縮性ニュートン流体と仮定した血液を想定し,密度1,060kg/m3,動粘度3.5mPasを設定した.

(D)シミュレーション

計算を安定させるため,ディスクの位相0度の格子を用いて定常計算を行い,その結果を初期条件として用いた.その後位相が2度ごと移動した格子を順に読み込ませ,前の時間ステップにおける計算結果で物理量を補間しながら非定常計算を行った.計算はモデルAで360ステップ(2周期),モデルB・Cで450ステップ(2,5周期)行った.

現在の波動ポンプは上下面・側面クリアランスとも0,5mmで設計されているため,一方のクリアランスを0.5mmに固定し他方を0.1mmから1.0mmまで変更した9モデルを作成した.各モデルについて差圧100mmHg・回転数1,500rpmの条件下での流量を算出し,各クリアランスが拍出特性に与える影響を評価した.

2-2.拍出特性計測実験

解析の妥当性を検証するため,模擬循環回路を用いて解析と同条件で計測実験を行った.計測用に,アクリルにて各クリアランスを0.3mmから1.0mmまで変更した5組のポンプハウジングを作製し(Fig.6),シャフト・ディスクを組み付け,計測を行った.

2-3.結果

Fig.7・Fig.8に上下面・側面クリアランスがポンプ性能に与える影響を示す.結果より,クリアランスを大きくするとポンプ性能が低下することが分かった.また,側面クリアランスの方がポンプ性能に与える影響が大きいことが分かった.また解析結果と計測結果は定性的に同様の傾向を示し,モデルを現実的にするほど計測結果に近い結果を得た.

2-4考察

解析結果と計測結果に差がある要因としては,モデルと実際の波動ポンプとのディスク・流出入ポートの形状が異なるためである考えられる(Fig.9).

3.波動型人工心臓ポンプの溶血特性

3-1.ポンプ駆動条件の決定

溶血量の評価にはモデルCを用いた.溶血評価を行うためには流量・差圧一定となる各ポンプの駆動条件を導出する必要がある.本研究では,差圧100mmHg・回転数1,500rpmの条件下で上下面・側面クリアランスがともに0.5mmのポンプが拍出する流量と同等の流量を拍出可能な各ポンプの回転数条件を導出した.

3-2.溶血量の予測

Giersiepenらが提案した血球破壊とせん断応力・曝露時間との関係を示したモデル2を基に微小時間Δtk(t-tk-tk-1)[s]における赤血球損傷率を以下の式(3.1)により算出した.

ただし,τ(tk-1)[Pa]は時刻tk-1におけるせん断応力値である.本研究では4を時間ステップ幅とし,式(3.2)により流体領域の各要素における応カテンソルを単軸応力に変換し,さらに式(3.3)により全流体領域の体積平均せん断応力を算出し,式(3.1)に代入した.

時刻らまでの蓄積血球損傷量は以下の式(3.4)により算出し.

各ポンプについて1周期にわたる蓄積血球損傷量Dcycleを計算し,以下の式(3.5)のようにモーター回転数Nr・流量9により予測溶血量EIHを正規化した.

3-3.溶血試験

解析の妥当性を検証するため,ウシ血液を用いて溶血試験を行った.計測実験(2-2)と同様に各クリアランスを0.3mmから0.7mmまで変更したポンプを作製し,ポンプごとに血液を交換して試験を行った.溶血量NIH[g/100L]は以下の式(3.6)で算出した.

ただし,ΔfHbは遊離ヘモグロビンの時間増加量[g/L],Vは模擬循環回路中に充填された血液量[L],伍はヘマトクリット[%],Qは循環血液流量[L/min],7は循環時間[min]である.

3-4.結果

Fig.10に各ポンプにおいて差圧・流量一定となるモーター回転数のグラフを示す.結果より,クリアランスを広げるほどモーター回転数を高くなることが分かった.また,Fig.11・Fig.12に上下面・側面クリアランスが溶血に与える影響を示す.結果より,上下面クリアランスを大きくするほど溶血は減少し,逆に側面クリアランスを大きくするほど溶血は増加することが分かった.

3-5.考察

Fig.13に5つのポンプモデルの1周期のせん断応力履歴を示す.波動ポンプはディスクを境として上下で位相が180度ずれている構造であるため,ディスク運動の1/2周期のせん断応力履歴となると考えられるがそのような傾向は見られなかったため,計算が完全には収束していないと考えられる.

4.波動型人工心臓ポンプの最適設計

4-1.クリアランスが溶血に与える影響

クリアランスを小さくするほど溶血が増加するのは狭い領域を流れる高せん断のJet流によると考えられ,逆に大きくするほど溶血が増加するのは逆流とそれを押し戻そうとする順流との衝突によると考えられる.これをせん断速度分布・流速分布により検証した.

4-2.上下面におけるせん断速度分布

Fig.14にディスク上面におけるせん断速度分布を示す.結果より,上下面クリアランスを小さくするほどせん断速度の速い領域が広くなり,逆に大きくするとせん断速度の速い領域が狭くなることが分かった.一方,側面クリアランスを小さくしてもせん断速度の速い領域の広さはあまり変化がなく,逆に大きくするとせん断速度の速い領域が広くなることが分かった.

4-3.側面における流速分布

Fig.15に側面クリアランス領域における各ポンプの流速分布を示す.結果より,側面クリアランスを小さくするほど流速は遅くなり,逆に大きくするほど流速が速くなることが分かった.

5.結論

波動型人工心臓ポンプの最適設計を目的として,上下面・側面クリアランスが拍出特性・溶血特性に与える影響の評価をCFD解析により行った.その結果,側面クリアランスを小さくすることにより,ポンプ性能を向上させ,かつ溶血を低下させることができる最適設計ポンプとなることが分かった.

参考文献1.阿部裕輔ら.新しい小型容積型連続流血液ポンプ: Precessional Displacement Pump (PDP). 人工臓器,VoL22 (3), PP. 683-8, 1993.2. M Giersiepen et al. Estimation of shear stress related blood damage in heart valve prostheses-in vitro comparison of 25 aortic valves.Int J Artif Organs,Vol.13(5),pp.300-6,1990.
審査要旨 要旨を表示する

学位請求論文に対する審査は平成19年8月3日に東京大学にて東京大学 鎮西恒雄 准教授、伊福部達 教授、満渕邦彦 教授、磯山隆 講師、東北大学 井街宏 教授によって行われた.学位請求論文の提出者 光宗倫彦 が約1時間にわたって学位請求論文の内容を発表した後,審査委員が学位請求論文の内容及び関連事項について質問と討議を行い,学位請求論文の内容と提出者の学識とを審査した.学位請求論文は「数値流体力学解析による波動型人工心臓ポンプの最適設計」と題し,5章からなる.

第1章は序論であり,人工心臓開発の歴史と問題点,本研究で対象とした波動ポンプ,および人工心臓ポンプの数値流体力学(CFD)解析について述べている.波動ポンプはポンプ内部の移動体であるディスクが歳差揺動運動という独自の運動を行うことにより血液を駆出する.原理的には容積型ポンプであるため圧力補助性能に優れ,また回転型ポンプに近い構造であるため小型化が可能であり,それぞれのポンプの欠点を補完するポンプである.血液ポンプ設計段階では高効率化だけでなく,血液適合性の向上が重要な設計目標となる.ディスクとポンプハウジングとの間隔(クリアランス)を大きくすることにより血球破壊である溶血は減少するが,拍出性能は低下する.このように拍出性能と溶血性能にはトレードオフが存在するため,本研究では上下面・側面クリアランスを設計パラメーターとして拍出性能・溶血性能をCFD解析により評価し,波動ポンプの最適設計を行うことを目的とした.ポンプ内部の移動体が単純な回転運動を行う回転型ポンプでは,移動体と流体との境界条件として回転数を定義することにより,ポンプ作用のCFDシミュレーションを行うことが可能であるが,波動ポンプはディスクが歳差揺動運動という複雑な運動を行うため移動の式が複雑となり計算時間が膨大となるため,新たなCFD解析手法の開発が必要である.

第2章では波動ポンプの拍出性能評価について述べている.新しいCFD解析手法として,ディスクの位相を2度ごと移動させた180個の計算格子を予め作成し,CFDソフトウェアに順に読み込んで物理量を補間する方法を開発した.さらに計算格子に規則正しく並んだ構造格子を用いることにより,格子の移動や設計変更を容易にモデルに反映させることが可能となった.現状の設計値である上下面・側面クリアランスが0.5mmを基準として,一方のクリアランスを固定し,他方を0.1mmから1.0mmまで変更した9つの設計モデルについて,流出入口差圧100mmHg・モーター回転数1,500rpmで一定の条件下での流量を算出し,クリアランスが拍出性能に与える影響を評価した.また,解析の妥当性を検証するため,解析と同条件で計測実験を行った.実験は一方のクリアランスを0.5mmに固定し,他方を0.3mmから1.0mmまで変更した5つの設計について行った.結果より,クリアランスを大きくすると拍出性能は低下し,また側面クリアランスの方が拍出性能に与える影響が大きいことが分かった.この傾向は計測結果と一致しており,解析の妥当性が示された.

第3章では波動ポンプの溶血性能評価について述べている.溶血評価に必要な流出入口差圧・流量が一定となる各ポンプのモーター回転数を導出し,その回転数条件で計算を行った後,血球破壊とせん断応力・曝露時間との関係を示したモデルを基に予測溶血量を算出した.また解析の妥当性を検証するため,ウシ血液を用いて溶血試験を行い,標準溶血指標を求めた.実験は,各クリアランスを0.3mmから0.7mmまで変更した5つの設計モデルで行った.結果より,上下面クリアランスを大きくすると溶血量が減少し,また側面クリアランスを大きくすると溶血量が増加することが分かった.この傾向は溶血試験結果とほぼ一致していた.

第4章では波動ポンプの最適設計と題し,上下面クリアランスを小さくするほど溶血が増加する要因,側面クリアランスを大きくするほど溶血が増加する要因についてそれぞれ仮説を立て,せん断速度分布・流速分布により検証し,波動ポンプ内における溶血の要因について詳細に考察を行った.

第5章は結論として,拍出性能を向上させかつ溶血を低減することができるため,側面クリアランスを小さくすることで最適設計ポンプとなることが分かったと述べている.

本論文において開発したCFD解析手法は,従来研究開発されてきた容積型ポンプ・回転型ポンプの解析に適用される手法では解析が困難であった波動ポンプのような動作原理の複雑なポンプに対して適用可能であることが示された.したがって,血液ポンプ設計の自由度を大幅に向上させることができ,医工学の分野に大きく貢献していると認められる.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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