学位論文要旨



No 123058
著者(漢字) 加賀美,弥生
著者(英字)
著者(カナ) カガミ,ヤヨイ
標題(和) オルガネラ遺伝学を中心としたヒラアオノリの有性生殖過程に関する研究
標題(洋) Studies on the sexual reproduction process in Ulva compressa focused on organelle genetics
報告番号 123058
報告番号 甲23058
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第325号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 准教授 園池,公毅
内容要旨 要旨を表示する

序論

Correns(1909)とBaur(1909)が高等植物での非メンデル遺伝を記載して以来,多くの植物種で葉緑体DNA(cpDNA)の母性あるいは両性遺伝が報告されてきた.生殖様式には,同形配偶,異形配偶,卵生殖があり,同形配偶が最も原始的で,卵生殖が最も進んだタイプとみなされている.同形配偶の緑藻クラミドモナスでは,cpDNAは交配型プラス(mt+)親から遺伝し (Sager and Lane 1972),接合子の形成後に交配型マイナス(mt-)親に由来する葉緑体核様体が選択的に消失することが示されている(Kuroiwa et al. 1982) .一方で,異形配偶の緑藻ハネモやツユノイト,卵生殖のシャジクモでは,配偶子形成過程で雄性配偶子の葉緑体核様体が消失し,母性遺伝となる(Kuroiwa et al. 1991, Lee et al. 2002, Sun et al. 1988).このことから,生殖様式が同形から異形へと進化する過程で,次世代へcpDNAを伝える側の交配型と異形配偶での雌性配偶子に相関があることが示唆される.しかし,緑藻において交配型とcpDNAの遺伝との連鎖が確かめられている種は,いくつかのクラミドモナス属とVolvox carteriのみである.

ヒラアオノリはアオサ属(Ulva)の緑藻で,シオグサ型の同形世代交代をする(図1).有性生殖には,相補的交配型の+と-株の混合が必要であり,ヘテロタリックである.アオサ属の有性生殖様式は同形配偶性だが,種によっては異形配偶化の傾向があることが知られており,同形配偶から異形配偶への中間段階にいると考えられる.

本研究では,ヒラアオノリUlva compressaのゲノムサイズを定量するとともに,雌雄生殖細胞分化とcpDNA遺伝の関係を明らかにしたいと考えた.

結果と考察

1. レーザースキャニングサイトメトリーによるゲノムサイズの定量

ヒラアオノリのゲノムサイズを定量するため,簡便かつ信頼性の高い手法としてレーザースキャニングサイトメーター法を用いた.愛媛系統MGEC-1配偶子の核をヨウ化プロピジウムで染色し,蛍光量を測定した.ゲノムサイズ既知の酵母(1C = 13.4 Mbp),シロイヌナズナ(1C = 157 Mbp)と比較し,そのゲノムサイズを算定した結果135 ± 7 Mbpであった.この値はアオサ属のなかで最も小さく,DNAレベルでの解析にも有用な材料であると考えられる.

2. 配偶子の雌雄性

本研究で調べたヒラアオノリの配偶体3系統6株の由来を図2に示す.交配型は長崎大学藻類学研究室で,次のようにして決定された.採集したヒラアオノリが放出した遊走細胞を単離して培養し,葉状体から放出された配偶子を光学顕微鏡下で混ぜ合わせ,接合の有無によって2つの性を区別する.このとき,愛媛系統のMGEC-1の配偶子の交配型をプラス(mt+),MGEC-2をマイナス(mt-)と定めた.以降,この二株の配偶子と混ぜ合わせたとき,MGEC-1と接合する配偶子の交配型がmt-,MGEC-2と接合する交配型がmt+となる.長崎系統はMGEC-3がmt+,MGEC-4がmt-,岩手系統はMGEC-5がmt+,MGEC-6がmt-と決定された.

配偶子の鞭毛基部から細胞後方までの長さを長軸,最大幅を短軸として大きさを測定した.体積を近似したところ3系統6株の細胞体積の大きさは以下の順となった.

株 名 :MGEC-6>MGEC-1>MGEC-5>MGEC-3>MGEC-4>MGEC-2

体 積 :19.8 μm3>18.6 μm3>17.0 μm3>13.5 μm3>11.2 μm3>10.1 μm3

交配型 :mt->mt+>mt+>mt+>mt->mt-

上記の表から,ヒラアオノリにおいて,配偶子の大きさの違いによる雄,雌という呼称は,交配型を識別する適切な指標ではないことがわかる.

3. 接合後の葉緑体核様体の挙動

MGEC-1とMGEC-2を掛け合わせて,接合子を取り出し,接合直後から6時間後まで,1時間ごとに固定して, DAPIでDNAを染色し,葉緑体核様体の挙動を蛍光顕微鏡で観察した.

接合2時間後では9割がハート型をしており,すべての接合子で両親由来の葉緑体に核様体が観察された.接合3時間後では約4割,4時間後では6割,5時間目以降では8割近くの接合子が球状へと変化した.接合3時間から5時間までは,下記の例外を除き,両親由来の葉緑体が別々に観察されたすべての接合子で,両親由来の葉緑体に核様体の蛍光が観察された.接合子が球状になると両親由来の葉緑体が重なり,核様体の消失が起こっているのかを判断できない個体が増加することから,接合5時間目以降の葉緑体核様体の挙動の観察は困難だと考えられた. mt-由来と考えられる葉緑体核様体の蛍光が消失している接合子は接合3時間目と4時間目に2例のみ観察された.また,MGEC-1 × MGEC-6では,片親の葉緑体核様体が消失している接合子は観察されなかった.そこで,葉緑体DNAの遺伝様式を,遺伝マーカーを用いて確かめることにした.

4.マイクロサテライトマーカーの単離

ヒラアオノリは,接合に寄与しなかった配偶子が単為発生により葉状体を形成するため,単為発生による個体と,交配による個体を区別する方法が必要となる.そこで,種内での系統関係の解析にも広く用いられているマイクロサテライトマーカーを探索した.

正の走光性によって配偶子を濃縮し,ゲノミックDNAを抽出した後,アガロースゲルからの切り出し用キットでDNAを精製し,共生細菌と多糖を除去した.得られたゲノミックDNAを制限酵素で切断して,リンカーにつなぎ, (CA)15, (CT)15, (CAG)10, (CAT)10の4種のプローブを用いた選択的ハイブリダイゼーションによって富マイクロサテライトライブラリを作成した.

コロニーハイブリダイゼーションでのスクリーニングを経て,繰り返し単位が7以上のマイクロサテライトを含む配列を20箇所単離した.このうち9箇所で特異的プライマーによる増幅が見られた.さらに,このうちの4遺伝子座では,2つのマイクロサテライトにはさまれた領域が欠失したことによると考えられる,系統間・系統内での多型が見られた.この多型を利用して愛媛・長崎系統と岩手系統を識別する核マーカーを作製した.

5.葉緑体遺伝マーカーの単離

ヒラアオノリの葉緑体遺伝様式を明らかにするために,cpDNAの多型を用いた葉緑体遺伝マーカーの作製を試みた.全葉緑体ゲノム配列が公開されている種の中で,最も近縁のPseudendoclonium akinetumの遺伝子配置を参照し,psbE-psaM, petD-accD遺伝子群に注目した.遺伝子上に縮重プライマーを設計し,PCR断片の配列を決定して,各系統間での多型を調べた.

psbE-psaM遺伝子群では,岩手系統のpsbF-psbL遺伝子間領域が,愛媛・長崎系統に比べて24 bp長かった.この24 bpは葉緑体のゲノム再編にかかわるとされるSDR(Short dispersed repeat)様の構造をしていた. petD- accD遺伝子群には5箇所の多型があり,そのうち,clpP遺伝子内での同義置換により岩手系統にはStyI制限酵素サイトがあった.これらの多型により愛媛・長崎系統と岩手系統の葉緑体遺伝子型がPCRとPCR-RFLPにより識別できる.

6.遺伝マーカーによる胞子体葉緑体遺伝子型の同定

得られた遺伝マーカーを用いて,cpDNAの最終的な遺伝様式を確かめた.配偶子の交配型にもとづいて,MGEC-1の配偶子(mt+;愛媛系統)とMGEC-6の配偶子(mt-;岩手系統)を,MGEC-5の配偶子(mt+;岩手系統)とMGEC-2の配偶子(mt-;愛媛系統)を混合した.負の走光性を用いて回収した接合子を培養し,葉状体の一部を切り取ってDNAを抽出した.

核マーカーによる検査の結果(図3a),MGEC-1 × MGEC-6では44個体中42個体が,MGEC-5 × MGEC-2では50個体中38個体が胞子体であることが確かめられた.MGEC-1 × MGEC-6の子孫の葉緑体遺伝子型を,psbF-psbL遺伝子間領域のPCR解析と,petD-accD遺伝子間領域のPCR-RFLP解析で調べた.すべての子孫で,mt+として用いた愛媛系統と同じバンドパターンを示した(図3b,c左). MGEC-1 × MGEC-6の相反交雑であるMGEC-5 × MGEC-2でも,子孫の葉緑体遺伝子型はmt+として用いた岩手系統と同じパターンを示した(図3b,c右).本結果をまとめると以下のとおりである.

株 名 :MGEC-1 × MGEC-6→ MGEC-1MGEC-5 × MGEC-2 → MGEC-5

体 積 :18.6 μm3 < 19.8 μm3→ small17.0 μm3 > 10.1 μm3 → large

交配型 :mt+ × mt- → mt+mt+ × mt- → mt+

このことから,cpDNAは片方の親から受け継がれ,それは配偶子の大きさではなく交配型に依存することが明らかになった. cpDNAの遺伝は交配型を決定付ける要素であり,本研究では,Chlamydomonas reinhardtiiでの定義に従って、ヒラアオノリの交配型を,mt+が「葉緑体DNAを子孫へ伝える側」,mt-が「伝えない側」と定義した.また,光学顕微鏡による接合子の観察結果と,遺伝マーカーの結果を合わせると,片親側の葉緑体核様体の蛍光が消失していた接合子では, C. reinhardtii同様に,mt-親の葉緑体核様体が接合子の中で能動的に消化されていたと考えられる.

結論

本研究では,ヒラアオノリのオルガネラ遺伝を中心に,以下のことを明らかにした.

1)ヒラアオノリのゲノムサイズは135 Mbpでアオサ属の中では最小である.

2)マイクロサテライトライブラリから,9個のマイクロサテライト遺伝子座を単離した.そのうち,系統間で2つのマイクロサテライト間の配列が欠失している遺伝子座があった.

3)葉緑体遺伝子群の解析から,PCRとPCR-RFLPによって遺伝子型を区別できる2箇所の葉緑体遺伝マーカーを作製した.

4)接合の有無によって区別される遺伝的な交配型と,cpDNAが遺伝する側の交配型は連鎖していた.したがって,cpDNAの遺伝様式により交配型を定義づけることができる.本研究では,mt+を「cpDNAを子孫へ伝える側」,mt-を「伝えない側」と定義した.

5)配偶子の異形化の傾向と交配型との対応関係は,愛媛系統でmt+配偶子がやや大きい傾向が見られたが,岩手系統ではそのような傾向は見られなかった.

配偶子の異形化の方向性と,交配型との対応関係は,現段階では結論付けられない.今後多くの系統や,配偶子の異形化が見られる近縁のアオサ属等で検証していく必要がある.

発表論文1)Kagami, Y., Fujishita, M., Matsuyama-Serisawa, K., Yamamoto, M., Kuwano, K., Saga, N. and Kawano, S. (2005) The DNA content of Ulva compressa (Ulvales, Chlorophyta) nuclei determined with laser scanning cytometry. Phycol. Res. 53; 77-83.2)Kagami, Y., Arai, T., Mogi, Y., Kuwano, K. and Kawano, S. (2007) Development of microsatellite markers in the green algae Ulva compressa (Chlorophyta). Mol. Ecol. Notes submitted.3)Kagami, Y., Mogi, Y., Arai, T., Yamamoto, M., Kuwano, K. and Kawano, S. (2007) Sexuality and uniparental inheritance of chloroplast DNA in the isogamous green alga Ulva compressa (Ulvophyceae). J. Phycol. submitted.

図1 ヒラアオノリの生活環

図2 本研究で用いた株と由来

図3 胞子体の遺伝子型の検出.上段に掛け合わせた株名と交配型を示す.左カラムのmt+と mt-は親配偶体.(a)細胞核のマーカー.上段:愛媛・岩手系統共通領域でのPCR.下段:愛媛系統特異的プライマーを用いたPCR.(b)葉緑体のpsbF-psbL遺伝子間領域.(c)葉緑体のpetD-accD 遺伝子間領域のPCR-RFLP.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章はレーザースキャニングサイトメトリーによるゲノムサイズの定量、第2章はマイクロサテライト遺伝子座の単離、第3章は葉緑体ゲノムの多型を用いた葉緑体遺伝マーカーの作製と、葉緑体遺伝様式の解析、接合子の葉緑体核様体の蛍光顕微鏡観察について述べられている。

海産の大型緑色藻類であるアオサ属(Ulva)は、有性生殖において、相補的交配型の+と-株の混合が必要であり、ヘテロタリックである。有性生殖様式は同形配偶性だが、種によっては異形配偶化の傾向があることが知られており、同形配偶から異形配偶への中間段階にいると考えられている。本論文提出者の加賀美弥生はアオサ属の一種Ulva compressa(ヒラアオノリ)を用いて、配偶子の異形化の程度は、系統によって異なっており、配偶子の相対的な大きさの違いによる性の区別は、交配型の差異を表わす確実な指標とはならないこと、葉緑体DNA(cpDNA)は交配型に依存して片親遺伝することを明らかにした。このことは、配偶子の大小によらず、cpDNAの遺伝によって性を定義できることを示しており、雌雄性の進化を解明するうえで極めて重要な知見である。

第1章ではヒラアオノリのゲノムサイズを、レーザースキャニングサイトメーター法を用いて調べている。愛媛系統MGEC-1配偶子の核と、ゲノムサイズが既知の酵母とシロイヌナズナの核を、ヨウ化プロピジウムで染色し蛍光量を比較することで測定した。ヒラアオノリのゲノムサイズは135 Mbpで、ゲノムサイズが既知のアオサ属のなかで最も小さいことが示された。

第2章ではマイクロサテライトマーカーを単離している。(CA)15, (CT)15, (CAG)10, (CAT)10の4種のオリゴヌクレオチドを用いた選択的ハイブリダイゼーションによって、富マイクロサテライトライブラリを作成した。コロニーハイブリダイゼーションでのスクリーニングを経て、マイクロサテライトを含む配列を単離し、9個のマイクロサテライト遺伝子座を得た。続いて、愛媛、長崎、岩手で採集された6株の配偶体について多型を調べた。4遺伝子座では、マイクロサテライト長のみでなく、2箇所のマイクロサテライトにはさまれた配列の有無による、系統間・系統内での多型が見られた。得られたマイクロサテライト遺伝子座には多様性があり、遺伝学的解析に有用であることが示唆された。

第3章では、愛媛と岩手で採集された、それぞれ相反する交配型の配偶体:愛媛由来のMGEC-1 (mating-type plus, mt+) と MGEC-2 (mating-type minus, mt-)、岩手由来のMGEC-5 (mt+) とMGEC-6 (mt-を用いて、配偶子の雌雄性と葉緑体遺伝様式について調べている。これらの相対的な配偶子の大きさ(細胞の体積)はそれらの交配型に対応しておらず、MGEC-6 > MGEC-1 > MGEC-5 > MGEC-2であった。次に、葉緑体ゲノムの遺伝子群を標的としたPCR法によって、愛媛系統と岩手系統を識別する2つのマーカーを見つけた。二つの系統間で配偶子を掛け合せ(MGEC-1 × MGEC-6 と MGEC-2 × MGEC-5)、マイクロサテライト遺伝子座での多型を利用した核マーカーによる検査を行って、それぞれ42個体、38個体が胞子体であることを確認した。胞子体の葉緑体遺伝子型を調べると、どちらの掛け合わせでも、mt+配偶子と同じパターンを示した。このことから、cpDNAは片方の親から受け継がれ、それは配偶子の大きさではなく交配型に依存することがわかった。Chlamydomonas reinhardtiiの定義に従って、ヒラアオノリの交配型は、mt+が「葉緑体DNAを子孫へ伝える側」、mt-が「伝えない側」と定義された。続いて、MGEC-1とMGEC-2を掛け合わせて、接合直後から6時間後まで、1時間ごとに接合子を回収し、DNA特異的蛍光色素DAPIでDNAを染色して、葉緑体核様体の挙動を蛍光顕微鏡で観察した。その結果、接合後3-4時間後の、6%の接合子で、mt-の配偶子に由来するcpDNAが消失していた。遺伝マーカーの結果と、光学顕微鏡による接合子の観察結果から、mt-配偶子のcpDNAの選択的な消化が、cpDNAの片親遺伝をもたらしている可能性が示唆された。

なお、本論文第1章は、藤下まり子、芹澤(松山)和世、山本真紀、桑野和可、嵯峨直恆、河野重行との共同研究、第2章は、新井達、茂木祐子、桑野和可、河野重行との共同研究、第3章は、茂木祐子、新井達、山本真望、桑野和可、河野重行との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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