学位論文要旨



No 123059
著者(漢字) 林,立平
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,リッペイ
標題(和) 哺乳類ミトコンドリア翻訳因子の転写制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 123059
報告番号 甲23059
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第326号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 准教授 津本,浩平
 東京大学 准教授 富田,耕造
 東京大学 准教授 田口,英樹
内容要旨 要旨を表示する

背景

ミトコンドリアは、酸化的リン酸化によってATPを産生し、脂質合成、アポトーシスの制御などに関わる細胞内器官である。ミトコンドリアには独自の蛋白質合成系が存在し、電子伝達系の一部のサブユニットを合成する。ミトコンドリアの蛋白質合成に用いられるribosomal RNA、transfer RNAはミトコンドリアゲノムにコードされており、翻訳因子、リボソーム蛋白質は核ゲノムにコードされている。ミトコンドリアゲノム、核ゲノムの変異によってtransfer RNA、リボソームの機能異常、翻訳因子の蛋白質量の減少が見られ、ミトコンドリア脳筋症や言語習得前難聴、致死性肝障害などを引き起こす。これらの疾患の発症機構を解明し、治療につなげるためには、ミトコンドリアの蛋白質合成の分子機構や、翻訳因子の遺伝子発現制御機構を明らかにすることが重要である。本論文では、蛋白質合成に必須の遺伝子である翻訳開始因子initiation factor 2遺伝子に関してプロモーター解析を行ない、転写に関わる転写因子を同定することを目指した。続いて、同定した転写因子がどのようにミトコンドリア翻訳因子の転写調節を行なっているかについて調べていくことにした。

実験結果

1. NRF-2はhuman mitochondrial translation initiation factor 2 (hIF2mt)遺伝子の転写を促進する。

核ゲノムにコードされるhIF2mt遺伝子の転写開始点の上流約1.6kbを用い、hIF2mtの転写促進に必要な領域(プロモーター領域)を決定した。hIF2mt遺伝子上流配列を段階的に削ってluciferase遺伝子の上流に組み込んだプラスミドを調製し、HEK293T細胞に導入する実験を行なった(reporter assay)。その結果、91塩基上流から6塩基下流の領域(-91/+6)でhIF2mt遺伝子の転写に十分であること、また、-91/-54、-54/-41が転写促進に必要であることが分かった。

次にhIF2mtプロモーター中で転写促進に寄与するシスエレメントを同定することを試みた。IF2mtの転写開始点付近の塩基配列は、哺乳類で保存性が高く、転写因子nuclear respiratory factor 2 (NRF-2)の推定認識配列が高度に保存されていた。HEK293T細胞の核抽出液と、competitor DNA、NRF-2の二つのサブユニット(α: DNAに直接結合する、β/ν: αに結合し、転写促進に必須。同一の遺伝子座から発現し、択一的スプライシングによってC末の数十アミノ酸のみが異なる。)に対する抗体を用いたEMSAを行ない、NRF-2が-79/-70、-52/-44の二箇所に配列特異的に結合することを明らかにした。また、reporter assayを用いて、二つのNRF-2結合部位がhIF2mtプロモーターの転写活性に必要であること、NRF-2がhIF2mtプロモーターの転写を促進することが分かった。

さらに、ChIP assayを行ない、NRF-2がHEK293T細胞内でhIF2mt遺伝子の転写開始点近傍に特異的に結合していることを明らかにした。また、ヒト全ゲノム遺伝子の推定転写開始点近傍の塩基配列を調べたin silico解析から、NRF-2の認識配列がミトコンドリアの蛋白質合成に関わる遺伝子の転写開始点近傍に高頻度で見られることが分かった。このことから、NRF-2はミトコンドリア翻訳因子遺伝子の転写に広く関与することが示唆された。

2. NRF-2を介したミトコンドリア翻訳因子遺伝子の転写調節機構

NRF-2が細胞又は組織のエネルギー需要に応じて、ミトコンドリア翻訳因子などの酸化的リン酸化に関わる遺伝子の転写をどのように制御しているかは殆ど理解されていない。NRF-2α、NRF-2β/νは哺乳動物の殆どの組織で発現しているが、NRF-2の転写促進に必須なサブユニットβ/νは、組織間で発現量比が異なり、ミトコンドリア含有量が多い組織ではNRF-2βの割合が高く、ミトコンドリア含有量の少ない組織ではNRF-2βの割合が高いことが知られる。NRF-2βの方がNRF-2νよりも転写促進活性が高く、NRF-2β/νの使い分けによって組織間でのミトコンドリア翻訳因子の発現量が調節されていると考えられる。ところが、NRF-2β/νで転写促進活性に差が見られる原因は分かっておらず、本論文で調べていくことにした。

2-1. NRF-2βはNRF-2νよりも核内に局在する効率が高いために転写促進活性が高くなる。

NRF-2βとNRF-2νで相互作用する転写補因子が異なるために、転写促進活性に差が見られるのではないかと仮説を立て、tandem affinity purification法(TAP法)を用いて、NRF-2β/νと相互作用する細胞内因子を探索した。NRF-2βのN末にFLAGタグをC末にprotein Aタグを付加したconstructを作製し、HEK293T細胞に発現させてTAPを行なったが、有意に相互作用する因子は同定できなかった。

ところが、TAPの条件検討を行なう過程で、HEK293T細胞の細胞分画を行なうと、NRF-2βに比べてNRF-2νでは核画分に含まれる割合が低いことを見出した。そこで、NRF-2β/νの転写促進活性の違いは核に局在する効率の違いを反映しているのではないかと考え、NRF-2αとNRF-2βにSV40 T-antigen由来の核移行シグナル(NLS)を付加して核内局在を促進させるconstructを作製し、reporter assayを行なって転写促進活性を比較したところ、NRF-2β/νで差が見られなくなることが分かった。また、これまでの報告からも、GAL4-DNA binding domain (GAL4-DBD)融合蛋白質の転写促進活性を調べた場合、NRF-2β/νに差が見られないことが示されている。GAL4-DBD融合蛋白質は顕著に核に局在する。SV40 T-antigen由来NLSまたはGAL4-DBDで核内局在を促進すると、NRF-2β/νの転写促進活性に差が見られなくなることから、NRF-2β/νの転写促進活性の差は核に局在する効率が異なることを反映しており、核内でのNRF-2β/νの転写促進活性はほぼ同じであることが示唆された。

2-2. NRF-2αβ/ανはimportin-α:importin-βによって核に運ばれる。

NRF-2β/νの核内局在に違いを生じさせる原因は何であるか?またNRF-2は、神経細胞を活性化させる刺激を与えると細胞質から核内に蓄積し、cytochrome c oxidase subunit遺伝子の転写を促進することが知られる。このことから、NRF-2の核内輸送制御は細胞のエネルギー需要の変化に応答する手段の一つであると考えられる。これらの背景から、NRF-2αβ/ανの核内輸送機構を明らかにしたいと考えた。

NRF-2α、NRF-2β/νの欠損変異体と部位特異的変異体の細胞内局在を調べる実験から、NRF-2α、NRF-2β/νそれぞれの核移行シグナルを同定した(NRF-2α: Ets domain、320/454、NRF-2β/ν: 311/321)。界面活性剤で細胞膜を破砕して、外から加えるGFP融合蛋白質の核内局在を調べる実験(in vitro nuclear import assay)から、NRF-2α単独での核内輸送はNRF-2βを加えると阻害されること、NRF-2αβは蛋白質の核内輸送因子の一つであるimportin-α:importin-β複合体によって核に運ばれることが分かった。また、NRF-2βの核移行シグナルに変異を導入した変異体を細胞内で発現させるとNRF-2αの核内輸送が阻害されることから、NRF-2αβの核内輸送はNRF-2βの核移行シグナルに依存することが分かった。一方で、NRF-2ανもNRF-2αβと同様にimportin-α:importin-βと結合することと、in vitro nuclear import assayでGFP-NRF-2νとGFP-NRF-2βはほぼ同程度の効率で核に運ばれたことから、少なくともin vitroでは、NRF-2αβ/ανの核内輸送効率に差は見られないことが分かった。

結語

hIF2mt遺伝子のプロモーター解析を行ない、転写因子NRF-2がhIF2mt遺伝子の転写を促進することを明らかにした。NRF-2は転写促進活性の異なるβ/νサブユニットの発現量比を変えることでミトコンドリア翻訳因子遺伝子の転写量を調節することが知られる。細胞内局在を調べる実験からNRF-2βはNRF-2νよりも核に局在する効率が高いこと、そのために転写を促進する活性が高くなることが分かった。これにより、NRF-2を介したミトコンドリア翻訳因子遺伝子の転写調節メカニズムの一端が明らかになった。

また、NRF-2β/νの核局在効率の違いを明らかにするためにNRF-2αβ/ανの核内輸送経路を調べた。NRF-22αβ/ανの核内輸送はNRF-2β/νのNLSに依存し、NRF-22αβ/ανはimportin-α:importin-βによって核に運ばれることを明らかにした。しかし、in vitroではNRF-22αβ/ανの輸送効率に差が見られていない。今後の研究で、細胞内でNRF-2β/νの核内局在効率に違いを生じさせる原因を解明し、NRF-2を介したミトコンドリア翻訳因子遺伝子の転写調節機構が更に詳細に明らかにされることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなり、第1章はヒトミトコンドリア翻訳開始因子IF2 (hIF2mt) の転写促進に必要な因子NRF-2を同定した内容について、第2章はNRF-2の転写促進に必要なβ/νサブユニットが、核に局在する効率が異なるために転写促進活性に差が生じることを示し、そのメカニズムを明らかにすべく、NRF-2の核内輸送機構の解析を行なった内容について述べられている。

第1章では、まず、哺乳類ミトコンドリア翻訳因子の一つ、hIF2mt遺伝子について、レポーターアッセイによって転写促進に必要なゲノム領域(プロモーター領域)を決定した。ゲルシフトアッセイとクロマチン免疫沈降の実験を行ない、in vitro及びin vivoでNRF-2がプロモーター領域に特異的に結合することを示した。また、レポーターアッセイによってNRF-2結合部位がhIF2mt遺伝子の転写促進に必要であることを明らかにした。これまで、hIF2mtを含むいくつかのミトコンドリア翻訳因子で転写開始点近傍にNRF-2の推定認識部位が存在することが知られていたが、本論文で、それが転写促進に必要であり、in vivoでNRF-2が転写に関与していることを初めて実証した。また、in silico解析によって、NRF-2の認識配列がミトコンドリア翻訳因子遺伝子の転写開始点近傍に高頻度で出現することを明らかにした。この結果は、NRF-2がミトコンドリア翻訳因子の転写に広く関与することを意味している。

NRF-2は、DNAに結合するαサブユニットと転写促進に必要なβ/νサブユニットで構成される。β/νサブユニットは、ミトコンドリア含量の異なる組織で存在量比が異なることが知られ、β/νの発現量比の調節は、ミトコンドリア蛋白質の発現量を調節するメカニズムの一つであると考えられている。第2章では、NRF-2によるミトコンドリア翻訳因子の転写調節機構の一例として、β/νサブユニットの差異に着目して解析を行なっている。Reporter plasmidとβ/νサブユニットを培養細胞にco-transfectionする実験から、βサブユニットの方がνサブユニットよりも転写を促進する活性が高いことが示されているが、そのメカニズムは明らかにされていない。本論文では、βサブユニットの方がνサブユニットよりも核に局在する効率が高いことを見出した。また、νサブユニットに既知の核移行シグナルを付加して核局在の効率を高くするβサブユニットと同程度の転写促進活性を持つことを示した。これまで、β/νサブユニットは共通の領域に核移行シグナルが存在することが示唆されており、転写促進活性の差はβ/νの核内での違いに起因すると考えられてきたが、本論文ではそれを否定し、β/νの核局在効率の違いを反映していることを明らかにした。

β/νサブユニットの核局在効率の違いを明らかにするために、第2章ではさらに、NRF-2α、NRF-2β/νの核内輸送の分子機構について解析を行なっている。それぞれのサブユニットの欠損変異体と部位特異的変異体の細胞内局在を調べる実験と、in vitro核移行の実験から、αサブユニットとβ/νサブユニットは単独でも核に運ばれるが、αサブユニットとβ/νサブユニットが複合体を形成した場合、αβ/ανの核内輸送はβ/νサブユニットに依存することを示した。NRF-2αはEts domainと呼ばれるDNA結合ドメインを持つ転写因子ファミリーに属している。多くの場合、核内輸送はEts protein自身に委ねられるが、NRF-2の場合はEts proteinとは異なるサブユニットに委ねられるという特異なメカニズムが明らかにされた。このことの生理的意義は、転写促進活性を持つαβ/αν複合体のみが核に運ばれることを保証することと、β/νサブユニットの核局在効率の違いを生み出すことができることにあると考えられる。本論文では、β/νサブユニットは共通の核移行シグナルを持ち、共にimportin-α:importin-βによって核に運ばれることを示した。細胞内でβ/νサブユニットの核局在効率の差を生み出す仕組みを明らかにすることが今後の課題である。

本論文は、哺乳類ミトコンドリア翻訳因子の転写にNRF-2が関与していることを明確にしたことと、NRF-2がサブユニット間での細胞内局在の違いを利用して転写調節を行なっていることを初めて示し、NRF-2による転写調節機構に新しい側面を付け加えたことが評価される。

なお、本論文第1章は、米国東カロライナ大学、Mary Farwell博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/24338