学位論文要旨



No 123060
著者(漢字) 小牧,加奈絵
著者(英字)
著者(カナ) コマキ,カナエ
標題(和) 降下式音響ドップラー流速計(LADCP)を用いた北太平洋の深層循環の研究
標題(洋) Study of deep ocean circulations in the North Pacific using lowered acoustic Doppler current profiler (LADCP)
報告番号 123060
報告番号 甲23060
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第327号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川辺,正樹
 東京大学 教授 川幡,穂高
 東京大学 准教授 小松,輝久
 東京大学 准教授 道田,豊
 東京大学 准教授 藤尾,伸三
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

北太平洋には、南極周極流から分岐した深層循環流が、南太平洋を経由して西岸沿いに流入している。この深層循環流は、北大西洋起源の北大西洋深層水の特徴をもつ下部南極周極水を運び、3500m以深を流れている(図1左)。その上層の約2000-3500m深(深層上部)を、やはり南極周極流から分岐した深層循環流が、上部南極周極水を運びながら南太平洋を反時計回りに循環して北太平洋の西岸に流入している(図1右)。ここでは、前者を下部深層循環流、後者を上部深層循環流と呼ぶ。下部深層循環流は北東太平洋海盆に流入し、そこに集まった下部南極周極水は、北太平洋北東部で酸素を消費しケイ酸塩を得て北太平洋深層水となって深層上部を南方および西方に広がる(図1右)。このように、深層循環は、北太平洋でオーバーターンして地球規模の循環を形成しており、熱などの輸送を通して地球環境に大きな影響を与えていると考えられている。

その深層循環を理解するには、正確な循環の流路や流量を知る必要がある。下部深層循環流の流路は、南極域から北緯約35度までの北西太平洋海域については比較的よく調べられているが、それより北方の海域および北東太平洋海盆についてはわからない点が多い。本研究では、LADCPを使って北太平洋の深層循環流を調べた。LADCPは音波を海中に発射し、海流に流されている物質に当たって反射してきた音波の周波数のドップラーシフトから流速を測定する測器である。Conductivity temperature depth profiler(CTD)のフレームにつけ、CTDとともに船から昇降させて流速を連続的に測定することができる。しかし、これまでのデータ処理方法では、深層や中緯度域では流速に大きな誤差が生じる。本研究では、LADCPで測る流速と音波の反射強度データの関係を調べ、反射強度をパラメータとして使って流速を補正する方法を考案した。さらに、反射強度データが水塊分析に利用できることを示した。そして、北太平洋で観測したLADCP流速と反射強度データにこれらの方法を使い、深層循環流の流路と流速分布を明らかにした。

2.LADCPによる流速データの補正方法

LADCPデータで流速を評価するための標準的な方法は、データに有意な誤差のないことを前提としており、反射強度の落ちる深層までのキャストでは良い結果を出さない。そこで、本章では、LADCPを海底近くまで降ろしてとった流速データを補正する方法を提案した。まずLADCPデータによる流速の鉛直シアを解析し,鉛直シアの上下キャストでの差(誤差の指標)が音波の反射強度と相関の高いことを示した。このように,反射強度が流速シアの誤差の大小を表すことから,流速シアの補正に反射強度を使用した。この点が,本方法の特徴である。手順は次の通りである。低品質データを除去し,流速シアを積分して流速の鉛直分布を求め,100~800 dbar深の船底ADCP流速に合わせる。その流速がLADCP海底流速(ボトムトラック流速)に合うように,反射強度と誤差の関係を用いて流速シアを補正する。この方法は,海底までのLADCPキャストの全深度で反射強度が比較的高い(本解析では75 dB以上)場合に有効である。流速値には1~2 cm s(-1)の誤差を含むが,ケイ酸塩の分布と矛盾しない深層流が得られた。

3.LADCPによる反射強度の空間特性、動物プランクトンや粒子との関係、そして水塊分析への適用方法

LADCPで計測する音波の反射強度が、深層では、北緯35度以北の亜寒帯域で大きく、北緯30度以南の亜熱帯域で小さく、赤道近くで増大するという緯度依存性をもつことを示し(図2)、反射強度の緯度による違いは沈降粒子の量の違いによることを示唆した。反射強度の各緯度での平均からの偏差は、下部南極周極水では小さく、溶存酸素と相反する特性を示した。さらに、反射強度偏差は北太平洋中層水でも小さく、これらの水塊のトレーサーとして使用できる可能性が示された。特に、北太平洋の深層下部に流入してくる下部南極周極水は、周囲の水との混合によって溶存酸素や塩分などの水塊特性がぼやけているので、反射強度偏差が小さい(つまり、音波を反射する物質を少ししかもたない)という特徴は、水塊特性を表す一つの要素として水塊分析に大いに役立つ。

4.北太平洋における深層循環の流路と構造

LADCPでとった流速と反射強度のデータを使って北太平洋の深層循環流を調べた。メラネシア海盆ソロモン海膨の北東斜面を通る上部深層循環流は、水深約3500mの斜面上を流れる100km以上の幅をもつ反流によって西側と東側の二つの流速コアに分けられ、それぞれ水深約3000mと4000mの斜面上に位置していた。反流の運ぶ海水の反射強度は非常に強く、赤道域から運ばれてきたことを示唆している。これらの観測結果は、東カロリン海盆南端の東向き赤道深層流が、反射強度の高い赤道域の海水を運びながら海底斜面に沿ってメラネシア海盆を反流として流れていたことを示唆している。

また、亜寒帯域では、天皇海山列のメインギャップ(39゜N, 170゜E)を通る東向き深層流の存在が係留測流によって知られている。メインギャップの中央部でとったCTD/LADCPデータによると、深さ5400mで最大流速10 cm s-1をもつ東向き流が存在し、そこでの海水は、メインギャップ以南の深層水と同様に、高酸素、低反射強度で特徴づけられる。この観測結果により、深層循環の東側分枝流にのって北太平洋を北上してきた下部南極周極水の一部がメインギャップを通って北東太平洋海盆に流入することが結論された。さらに、北東太平洋海盆でのCTD/LADCP観測により、流入した深層循環流がヘス海膨の北側斜面に沿ってほぼ38゜Nを東向きに流れることが示された。こうして、下部南極周極水が北東太平洋海盆に流入するひとつの経路が明らかになった(図3)。

図1:右図は、太平洋深さ約4000mの溶存酸素(ml l-1)と下部深層循環流の流路(矢印).左図は、深さ約3000mの溶存酸素(ml l-1)と上部深層循環流の推定流路(青矢印)と北太平洋深層水の広がり(赤矢印).

図2:北太平洋におけるLADCP観測得られた深さ3000 dbarの反射強度の値(dB)の緯度分布.グレー線は、平均値を示す.

図3:北太平洋深層の流路の模式図.赤は、本研究のLADCP流速と反射強度データの解析から明らかになった流路.黒とオレンジは先行研究による流路を示し、オレンジの流路は本研究の反射強度データからも新たに確かめられた.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり,第1章と第5章はそれぞれ論文全体の導入と結論であり,第2章~第4章に,降下式音響ドップラー流速計(LADCP)を用いた北太平洋の深層循環に関する本論が書かれている。

LADCPは音波を海中に発射し,海流に流されている物質に当たって反射してきた音波の周波数ドップラーシフトから流速を測定する器械であり,電気伝導度・水温・深度計(CTD)のフレームに付けて船から昇降させ,鉛直方向に連続的な水平流速データをとる。20世紀の終わりから広く使われ始めた新型の流速計であるが,反射強度の弱い深層や低中緯度域では良いデータが取れないという欠点がある。そこで,第2章では,LADCPで測定した流速の鉛直シア(流速の鉛直勾配)の誤差と音波の反射強度の関係を調べ,これらの相関が高く反射強度が流速シアの誤差の大小を表すことを示し,反射強度を使った流速シアの補正方法を提案した。補正の手順は次の通りである。まず,LADCPのデータから低品質データを除去し,流速の鉛直シアを積分して流速の鉛直プロファイルを求め,100~800dbar深の船底ADCP流速に合わせることで全層の流速値を得る。そして,最深層での流速が,海底からの反射波を使って求めたLADCP海底流速(ボトムトラック流速)に一致するように,反射強度と誤差の関係を用いて流速シアを補正する。この方法は,LADCPを海底近くまで降ろしたキャストで全深度での反射強度が比較的高い(本解析では75dB以上)場合に有効である。流速値には1~2 cm s(-1)の誤差を含むが,ケイ酸塩の分布と矛盾しない深層流が得られ,有効性が示された。

第3章では,海中で音波を反射する物質について議論し,LADCPで測られる反射強度の空間特性の原因を探った。LADCPでの音波の反射強度は,3000m以深では12゜~30゜Nの亜熱帯域でほぼ一様に小さく,その北側と南側で増大する。すなわち,30゜Nから35゜Nにかけて急激に増大して35゜N以北の亜寒帯域で非常に大きくなり,一方,12゜Nから南向きには漸増する。このような深層での緯度変化は,海中の沈降粒子の南北分布によるものと結論された。反射強度への沈降粒子の寄与は全層で同程度であるが,動物プランクトンの寄与は表層で大きい。そのため,3000mより浅くなるにつれて動物プランクトンの重要性が増す。そこで,動物プランクトンとLADCPの同時観測を行い,1000m以浅では動物プランクトン,特に1mm以下の小さな動物プランクトンの寄与の大きいことを明らかにした。さらに,各緯度での反射強度が5dBほどの幅をもってばらつくことに注目し,各緯度での平均からの偏差が,南太平洋から流入してくる下部南極周極水では小さく,低温,高塩,高酸素,低栄養塩で特徴づけられる下部南極周極水が,さらに低反射強度という特徴を持つことを明らかにし,水塊のもつ特性のひとつとして反射強度が使えることを示した。

第4章では,第2章で考案したLADCP流速の補正方法と第3章で水塊分析への有用性を示した反射強度を使い,深層循環流の流路と構造を明らかにした。3500m以深の深層下部を北上する深層循環流の一部は,39゜N,170゜Eにある天皇海山列のメインギャップを通って北西太平洋海盆から北東太平洋海盆に流入する。この流れが太平洋低緯度域で二本に分岐した深層循環流の東側分枝流から分かれた流れであり,メインギャップの5400m深で10 cm s(-1) に達する東向きの流速コアをもって北東太平洋海盆に入り,ヘス海膨の北側斜面沿いにほぼ38゜Nを東向きに流れて165゜Wに達することを明らかにした。また,東マリアナ海盆を北上する深層循環流の西側分枝流について,"半分がマリアナ海溝に沿って南方に戻り,残りの半分が北西太平洋海盆に入る"という以前の研究結果を,低反射強度という特性を追跡することで確認した。さらに,深さ2000~3500mの深層上部を南太平洋から北上してくる上部深層循環流について,メラネシア海盆のソロモン海膨北東斜面での構造を明らかにした。すなわち,上部深層循環流は,水深約3500mの斜面上を100km以上の幅を持って流れる反流によって西側と東側の流速コアに分けられ,それぞれ水深約3000mと4000mの斜面上に位置している。そして,反流の運ぶ水が非常に高い反射強度を持つことから,東向きの赤道深層流が反射強度の高い赤道域の海水を運びながら海底斜面に沿ってメラネシア海盆を反流として流れていると推測した。

なお,本論文の第2章及び第4章の一部は,川辺正樹との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって,博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/24339