学位論文要旨



No 123062
著者(漢字) 丹羽,由佳理
著者(英字)
著者(カナ) ニワ,ユカリ
標題(和) 建造環境のデザイン教育に関する研究 : 設計課題を資料として
標題(洋)
報告番号 123062
報告番号 甲23062
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第329号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 教授 北澤,猛
 東京大学 教授 内藤,廣
 東京大学 准教授 村松,伸
 東京大学 准教授 清家,剛
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的

本研究は、これからのデザイン教育の展望を描くための基礎的研究として位置づけている。未来のデザイン教育については、学会誌において数々のビジョンが議論され、日本建築学会では「設計教育のあり方についての提言(2003)」が提示された。しかしながら、この提言は現時点の問題を踏まえて未来に対する展望を述べているものであり、過去のデザイン教育がどのように変容してきたか、という点は全く熟慮されていない。また、デザイン教育の要である『設計課題』については、全く述べられていない。

本研究の目的は二つある。第一の目的は過去のデザイン教育がどのように行われてきたかを明確にすることであり、第二の目的は現在のデザイン教育の拡がり、取り組み、問題点を把握することである。

デザイン教育に対する問題意識

本論に入る前に、建造環境のデザイン教育に対する問題意識を3つ示した。本研究では、膨大な数の設計課題を調査対象としているため、一貫した評価軸が必要であると考えた。

1.異なる専門分野を意識しているか

従来のような蛸壺教育では、デザインの守備範囲があまりにも狭い。建築は、土木や都市、造園、プロダクトデザインなど隣接する学問領域と繋がっており、それぞれが人を取り巻く環境を創造してる構成要素としての役割を担っている。しかしながら、従来のデザイン教育では隣接する領域に対する意識は極めて低い。与えられた区画のみを設計対象とし、それ以外の区画に対してはほとんど語られることはないのではないだろうか。

2.地球環境問題に貢献しているか

地球環境問題が盛んに議論されている現代、デザイン教育においてもこの問題を無視できなくなった。地球環境問題を背景として、災害に強い建築、環境問題、サスティナブル、コンバージョンなど新たな課題に応える必要性が高まり、より専門的な知識・技術が求められるようになった。従来のデザイン教育では、100%に極めて近い割合で、建設することだけを目的としている。建築学科では、施設を建設するためのデザイン教育であり、土木学科では、橋や高速道路などの土木建造物を構造的に成立させるためのデザイン教育である。こうした建設系学科のデザイン教育は、地球環境問題を境として変わっていくべきである。例えば、提出図面の形式からも地球環境問題に無関心な状況が分かる。建築学科の設計課題では、配置図(1/500)や平面図(1/100)、断面図2枚、立面図4枚、などという図面を求めているが、これでは環境を管理し、維持、改善することを提案することができない。このような解答を表現させるための体制は、教官側が考え尽くさなければならない。また、建物や土木建造物の構造的仕組みは理解させていても、空気の流れや、温度の分布、エネルギー効率について理解するための教育は十分ではない。たとえ講義で行っていても、デザイン教育とは完全に切り離している場合が多いと考えられる。

3.問題意識を与えているか

設計課題の内容は、先端的であるべきである。設計課題は、訓練型の課題と、問題解決型の課題の二つに分けることができるだろう。訓練型の課題では、基礎的なテクニックを習得するための課題である。比較的低年次で教育されており、年度によって課題内容を変える必要はない。スケール感を養う、表現技法を学ぶ、建築的発想を身につける、という目的に適している。一方、問題解決型の課題は、現代の問題を提起し、デザインによる解決策を考えるための課題である。訓練型の課題とは異なり、課題内容は毎年変わることもあり、教官ひとりひとりが抱いている意識や思想をダイレクトに知ることができる。課題を毎年変えることで、より現実的な都市の状態を把握することができる。大学におけるデザイン教育は、専門的な知識や専門的な表現技法、専門的なスケール感を養うための訓練であると言われてきた。確かに、他の分野の専門家と協働制作するときには自分のスキルを十分発揮しなければならないので、訓練型の演習は必要不可欠な基礎的教育である。しかし、設計課題は常に時代の動きを反映し、問題意識を与えることが必要である。

調査のまとめ

先に述べた2つの目的を果たすために、以下の調査を行った。まず、第一の目的に対して、東大工学部建築学科、土木工学科(現社会基盤学科)、都市工学科の設計課題、計553課題を調査対象とした。収集できた課題は、東大建築学科では1965年-2005年、東大土木工学科では1998年-2005年、東大都市工学科では1964年-2005年である。建築学科の課題年度は、建築学発展史第7期に対応している。収集することができなかった課題に関しては、過去の卒業生へインタビューを行い、当時の課題内容やデザイン教育の実態について明らかにした。土木工学科については、約10年間の課題については収集することができなかった。このような課題に関しては、景観研究室の篠原修教授へインタビューを行った。東大都市工学科については、学科設立期から現在に至るまでである。

第二の目的に対して、デザイン教育が取り巻く状況を文献調査から明らかにし、欧州のと日本のデザイン教育を調査した。欧州の4大学、日本の16大学の設計課題、計92課題を対象とした。調査の内容は、デザイン教育の体制、設計課題の内容、インタビュー調査である。課題年度は、欧州で2004年-2005年、日本では2004年-2006年である。インタビュー対象者は、欧州の教官4名と日本の教官14名、日本人留学生20名である。

結論

第2章では、東大建設系3学科を対象として設計課題の歴史的検証を行った。以下に、第2章から明らかになったことを示す。

【1】異なる学問領域を意識しているか。―建築学科の設計課題では、異なる専門分野への意識は極めて低い。設計趣旨を分析すると、建築以外の専門分野に関する記述は全くない。蛸壺のなかに納まった状態である。しかしながら、1980年代になると「都市の構成要素としての建築」という言葉が頻繁に使われるようになる。これにより、建築は都市の一部である、という認識が与えられた。土木工学科では、橋の構造デザインは継続して行われているが、近年では土木と都市と建築を総合的に捉える課題が出題されている。「建築と都市と土木の融合」と明記されており、守衛所や駅前ターミナルの構成、広場、道路計画までを守備範囲としている。「トータルデザイン」という言葉が盛んに使われるようになった。都市工学科は、そもそも建築学科と土木工学科から分離融合した学科である。学科設立期の設計課題は、、「土木、建築の両分野と異なる分野であるということを意識させる」ことを目的としながら、大きなスケールから小さなスケールまで扱っていた。しかし調査・解析系の課題の割合が拡大するなど課題の内容が大きく変容したため、異なる専門分野への意識は低下していったと考えられる。

【2】地球環境問題に貢献しているか。-建築学科では、課題趣旨において、「環境」という言葉の使用頻度は急激に増加している。1970年頃は敷地の周辺環境という意味として使われていた言葉が、1985年以降になると地球環境問題に関わる意味が加わり、その結果「環境」という言葉が急速に増加したと考えられる。近年の課題では地球環境問題を扱った課題も出題されている。『エコロジカルハウス』や、『災害対応可能都市』は地球環境問題をテーマとした課題設計である。土木工学科では、地球環境問題に関する課題は出題されていない。環境という意味は、土木建造物だけではなく建築や都市全体を含んだ環境として使われている。全ての課題が建設を目的とした課題であるが、白紙に新しい建造物を建設するのではなく、既存にある橋や歩道橋を対象として調査を行う。都市工学科でも、地球環境問題に関わる課題は出題されていない。調査・解析系の課題を除けば、「住宅地設計」や「即日設計」、「地区の計画」、「都市基本計画」などが計画・設計系の課題であるが、これらのほとんどは地球環境問題について触れていない。詳細な設計条件が明記されていて、その条件をクリアすることが課題の目的とされている。

【3】問題意識を与えているか。-建築学科では、ビルディングタイプ別の課題を順次こなしていくというスタイルが主流であった。このような課題では、問題意識が与えられていることはない。専門性を高めるための訓練型の課題である。しかし1995年にスタジオ課題が取り入れられたことにより、設計課題に問題意識が与えられるようになった。各教官が抱いている問題意識が、直接設計課題に投影さえるようになった。土木工学科では、橋の構造デザインなど訓練的な課題も行っているが、一方で問題意識を与えた課題も出題している。特に、都市全体の問題として建築、都市、土木の繋がりの無さを主張している。都市工学科では、調査・解析系の課題は、ほとんど問題意識を与えていない。

第3章では、欧州と日本のデザイン教育を調査し、デザイン教育の新しい取組みと問題点について整理した。

【1】異なる専門分野を意識しているか。-環境デザイン重視型では、建築、都市、ランドスケープ、まちづくりなどを含めた課題プログラムとしている。また、SFC(慶應義塾大学湘南キャンパス)では、建築、都市デザイン、ランドスケープデザインの専門家をめざす学生のために開講される総合的演習科目がある。「建築、都市デザイン、ランドスケープデザインの専門家をめざす学生のための総合演習」は、都市環境のコンテクスト分析を基礎に、建築、都市、ランドスケープデザインの融合について学ぶという内容である。しかし、異専門分野融合型の大学では、異なる専門家どうしが融合し合っていながらも、設計課題の内容では大きな特徴が見られなかった。

【2】地球環境問題に貢献しているか。-環境工学とデザイン教育を結びつけた試みが行われている。特に、経済学や社会学、農学など異なる専門分野のなかに建築学が存在している異専門分野融合型ではその試みが盛んである。日大生物資源学科の糸長による『エコロジカルデザイン演習』や、武蔵工大の宿谷による『建築環境と感覚情報に関する実験演習』などである。かつては工学部建築学科で環境工学を担当していた教官が、異分野専門型の学科に所属することにより、新しいカリキュラムが必要となった。建築学を背負っていかなければならないので、各教官の意識がより明確に現れるようになり、全く新しい課題が考案されている。また、建設を目的としない課題も出題されている。奈良女子の宮城による『既存の環境資源をとりいれた交流の場』では建設を目的としない、と明記されている。インタビューにより「具体的な空間像は提示しなければいけないが、既存にある環境資源を保全しながら、創造的に活用するためにはどうしたらいいか?という課題を与えている。」という意見を聞くことができた。

【3】問題意識を与えているか。-これまで、大学のデザイン教育で出題される課題のほとんどは、ビルディングタイプ別であった。このような課題は、施設のよって異なる設計手法を習得するための訓練型の設計課題と言える。このような訓練型の課題でも、社会的状況や問題意識を取り込んだ課題が増えている。例えば、琉球大環境建設工学科の福嶋による『ニューヨークテロ事件の反省を踏まえた複合オフィスの提案』という課題や、『都市とコラボレイトする複合施設』などは、施設設計を対象としながらも、問題意識が与えられている。それぞれ、オフィスや複合施設といった施設設計を対象としながらも、実社会で起こっている問題をテーマとしている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、5章から構成されている。第1章「序論」で背景、目的、既往研究、方法について述べている。環境についての関心の高まりと政治経済のグローバライゼーションのなか、教育や専門家の活動も大きく変化してきているとして、居住環境に関わる建築、都市、土木など、建設系学科と呼ばれる分野の教育活動なかでもデザイン教育を取り上げている。研究の目的は二つあり、第一は、大学における建設系デザイン(設計)教育の成り立ちを明らかにすることである。建築、土木、都市という建造環境を構成する主たる三つの専門領域を対象として、それぞれの学科が扱ってきたデザインの対象、目指してきた方向について探る。第二は、進行中のデザイン教育の改革に焦点をあて、現状とその方向性を示すことである。

研究の方法としては、第一の目的のために、東京大学工学部の建築学科、土木工学科(現・社会基盤学科)、都市工学科各学科で過去に出題された設計課題を今回初めて収集整理し、あわせて卒業生と現職教員へのインタビューをおこない、これを第一次資料とし定性的に分析している。デザイン教育は演習を舞台に行われ、教員が提示する課題に学生が設計案で答える形で行われるので、課題書には教員が学生に習得してほしいことが集約的に表現されていると考えられる。資料収集は建築学科では1969年まで、土木工学科では1998年まで、都市工学科では1964年まで遡っている。第二の目的を達成するためには、EUの体制下教育改革の進む欧州の4大学と過去10~15年の間に教育改革を行った国内の16大学を対象として、同じく設計課題の分析と現職の設計担当教員へのインタビューを行っている。

第2章「デザイン教育の発展と設計課題の役割」では、近代日本における建設系学科の沿革を整理し、建築系学科、土木系学科、都市系学科のデザイン教育の起源について示すと同時に、近年の大学教育の改革を、大学教育の再編成、地球環境問題への取り組み、国際化への対応を明らかにしている。

第3章「東大建設系3学科を対象とした設計課題の歴史的分析」では、東大建設系3学科の設計課題の比較分析をしている。その結果は具体的である。設計対象にいついては、建築では、小規模な建築施設から大規模でかつ建築種別に順次こなす方法が長く続いたが、「スタジオ課題」開始された1996年ころから多様性が増している。土木においては、いわゆるデザイン教育が始まるのは1998年になってからであり、景観研究室が担う科目のなかで設計課題が出題されている。主に駅とその周辺、橋、歩道橋、駅舎、架構などの土木施設が中心であるが、2000年以降は建築や都市を総合的に捉える内容も出題され始めている。都市では、1970年頃年次進行や課題の組み合わせが組織化され、以降あまり大きな変化をすることなく継続している。課題内容でみると、建築においては、1990年頃までは敷地内部だけを意識していたが、次第に敷地の周辺に対する意識が高まってゆく変化が読み取れる。都市工では、調査・分析の演習を目的とした課題の割合が高い。設計条件の項目と内容では、建築では、敷地、規模に関する設計条件は多いが、コスト、施工性、エネルギーに関してはほとんど無関心であるし、将来予測を含めた時間軸も、計画や亊業の主体、利用者などもほとんど与えられない。都市では、発想重視の提案よりも、資料、予測結果に基づいた工学的に合理的な解答が期待されている。また、建築と違って、計画主体と事業主体の設定も与えられる。

第4章「欧州と日本の大学を対象としたデザイン教育の動向調査」では、現在進行の大学開学の事例が広範囲に収集されている。欧州でも日本でも、「環境」という言葉が頻繁に使われており、教育の理念や設計課題のなかに取り入れられていること、「環境」を軸に、建築、都市、ランドスケープなど異なる分野を融合させる統合的デザイン教育も多くの大学で実施されている。しかしながら、これらの試みが全て十分成功している訳ではなく、環境というキーワードの理解すら共有されているとは限らないことを指摘している。そのほか、社会との積極なつながりを設計課題に取り入れようとする試みが出てきている。一方、分野別縦割り教育から横断的教育へという間口の広い環境デザインへの大きな流れの中で、従来の学科の枠より更に専門特化した教育プログラムが出現していることも報告されている。

第5章は結論である。

本論文のようなテーマの探求には、研究者に実務や教育の現場に通暁することが求められ、若い筆者には荷が重く随所に不十分な記述も認められる。しかしながら、大学における設計教育法というほとんど手つかずの分野を開拓し、数々の貴重な知見を得た意義は大きく、また収集した資料は貴重であり、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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