学位論文要旨



No 123064
著者(漢字) 諏訪,仁
著者(英字)
著者(カナ) スワ,ヒトシ
標題(和) 兵庫県南部地震における地震被害データを用いた建物の地震リスク評価法に関する研究
標題(洋)
報告番号 123064
報告番号 甲23064
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第331号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神田,順
 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 東京大学 教授 高田,毅士
 東京大学 教授 中埜,良昭
 東京大学 准教授 丸山,祐造
内容要旨 要旨を表示する

日本は、世界的に見ても地震の多発地域に位置しており、建物のみならず都市が持続的な発展をするためには、建物の耐震安全性が重要となる。建物の耐震安全性は、建設地周辺で将来発生する地震の規模,震源特性,伝播特性,地盤特性を考慮した地震動強さ,地震入力に対する建物応答と耐力の関係から求められる地震損傷度など、さまざまな要素を総合的に評価しなければならない。しかし、現状ではこれらの要素を全て確定的に評価することは難しく、確率論的評価法が有効となる。建物の供用期間中に地震被害が生じると、補修費用が必要となるため、建物の耐震安全性は地震リスクと密接に関係している。建物の地震リスクは、建設地の地震ハザードと建物の地震損失の両者に基づき評価されるが、地震ハザード評価法は既にさまざまな形で提案されている。このため、本論文では、とくに建物の地震損失評価法を対象に、1995年1月17日の兵庫県南部地震における地震被害データを活用して、RC造建物の損傷クライテリアの設定、建築設備の被害率曲線の作成、建物の補修費用ならびに補修期間の評価を行い、建物の地震リスク評価法を構築する。つぎに、離間距離による相関性を考慮したポートフォリオ地震リスク評価法を提案し、効用関数を用いた地震保険料について検討する。本論文は、1章~8章で構成されており、1章では既往研究の整理と本研究の位置付けを行い、8章では結論を述べている。このとき、2章~7章の内容を要約すると、以下のようになる。

2章では、兵庫県南部地震における地震被害データを用いて作成されたRC造建物の被害率曲線に基づき、被害率曲線を再現できるようにRC造建物の損傷クライテリアを評価した。RC造建物を基礎固定のせん断質点系にモデル化し、構造耐震指標の統計値を用いてRC造建物群モデルをモンテカルロ法により作成する。兵庫県南部地震における強震記録に対して、RC造建物群モデルを対象に地震応答解析を行い、応答層間変形角の分布を求める。RC造建物の損傷指標として限界層間変形角を採用し、限界層間変形角の分布も対数正規分布でモデル化し、両者の関係から信頼性理論に基づき損傷確率を計算した。このとき、兵庫県南部地震におけるRC造建物の被害率曲線から求められる被害率と、解析的に求められた損傷確率を等値することにより、限界層間変形角の中央値と対数標準偏差を評価した。この結果、限界層間変形角の中央値は、建築年代や建物階数により若干異なるが、小破で1/53~1/41,中破で1/24~1/14,大破で1/20~1/12であることを示した。一方、限界層間変形角の対数標準偏差は、建築年代や建物階数により異なり、0.18~0.79程度となった。RC造建物の被害率曲線を再現するよう求められた限界層間変形角の中央値は、構造実験から得られる値と比較して大きい、すなわち限界層間変形角の中央値を過大評価している。この原因として、RC造建物群モデルを対象に地震応答解析を行う際に、建物と地盤との相互作用による入力低減効果が考慮されていないことや、RC造建物の耐力には耐力評価式では十分に考慮されていない余力があること、などが考えられる。しかし、求められた損傷クライテリアは、兵庫県南部地震におけるRC造建物の被害率曲線を再現している点において、限定的ではあるがRC造建物の地震損傷度評価に用いることができる。ただし、これらの損傷クライテリアは、兵庫県南部地震以外の地震被害に対して検証されておらず、他の地震被害への適用可能性は今後の検討課題である。

3章では、地震後においても機能性が要求される建築設備を対象に、兵庫県南部地震で被災した156棟の建物に対する建築設備の地震被害データを用いて、その耐震性能を被害率曲線に基づき検討した。建築年,構造形式,建物階数の相違が被害率曲線に与える影響を評価すると、建築年別では、軽微な被害では建築年による差異はあまり見られないが、重大な被害では、全ての建築設備に対して、1983年以降の中央値が1982年以前よりも大きくなっている。構造形式別では、RC造建物よりもS造建物の中央値が小さく、S造建物の方が建築設備の被害が発生しやすい傾向が見られる。建物階数別では、全般的に建物階数が増えるにつれて、被害率曲線の中央値が減少する傾向がある。これは、兵庫県南部地震における建物被害では、地震動の卓越周期により、一般的に階数の高い建物ほど被害が大きかったことに対応していると考えられる。

4章では、兵庫県南部地震で被災した27棟の建物を対象に、建物の補修費用について統計的分析を行った。新築費用に対する工事別の補修費用の平均値は、被災度レベルにほぼ関係なく、仕上げ工事費で約0.3,設備工事費で約0.2ならびに躯体工事費で約0.1程度であることがわかった。また、工事別の補修費用の変動係数を比較すると、設備工事費が大きくて小破で約1.8、中破で約1.5程度となっている。つぎに、構造形式や建物用途による工事別の補修費用について検討した。構造形式では、小破と中破の躯体工事費は、RC造建物よりもS造建物の方が安く、これは、小破のS造建物では主要な構造部分に被害が生じていないことに対応している。一方、小破と中破の設備工事費は、RC造建物よりもS造建物の方が高くなり、RC造建物よりもS造建物の方が地震被害を受けやすいことが考えられる。また、建物用途では、各工事別の補修費用に有為な差異は見られないことを確認した。さらに、最尤法により補修費用の分布を回帰すると、建物全体では、ほぼ全ての工事種類に対して対数正規分布の適合性が良いが、構造形式別ではガンマ分布の方が適合性の良い工事種類の多いことがわかった。

5章では、兵庫県南部地震で被災した62棟の建物を対象に建物の補修期間を調査し、まず、兵庫県南部地震における地表面最大速度と建物の補修期間の関係を評価した。しかし、地表面最大速度と補修期間の関係はバラツキが大きく、地表面最大速度のみの指標を用いて建物補修期間を予測することは難しいことを確認した。このため、建物階数,延べ床面積,構造形式,建物用途と補修期間の関係について検討した。建物階数と補修期間には、明確な関係は見られない。延べ床面積と補修期間の関係は、バラツキがあるものの新築建物の施工期間と同様に、延べ床面積が大きくなるに従い補修期間も漸増する傾向がある。延べ床面積と補修期間の関係にバラツキが見られる原因として、同一の被災度でも建物の破壊形式が異なることや、補修工事よりも業務を優先させた事例があることなど、が考えられる。また、構造形式の相違による補修期間の差異は少ない。一方、事務所の補修期間は、集合住宅よりも長くなる傾向があり、住人の生活を考慮して優先的に復旧工事を行ったと考えられる。以上の検討結果をもとに、建物用途(事務所,集合住宅ならびにその他)別に、延べ床面積を用いて建物の補修期間を予測すると、地震被害データと回帰式との残差が小さくなることを示した。

6章では、2章~5章で得られた成果に基づき、建物の地震リスク評価法を構築した。まず、建物の地震応答解析を行い、2章で求められたRC造建物を対象とした損傷クライテリアに基づき、各層の地震損傷度曲線を評価する。4章で求められた建物の補修費用を用いて、地震損傷度曲線から計算される損傷確率に補修費用を乗じて建物の地震損失曲線を評価する。さらに、5章で求められた建物の補修期間を設定し、建物の地震補修期間曲線を提案した。また、RC造10階の建物を対象に、地震リスクの評価例を示した。

7章では、地震リスクのバラツキを低減させる一手法として、ポートフォリオを対象とした地震リスクに着目し、相関性を考慮したポートフォリオの地震リスク評価法を構築した。地表面最大速度の推定に伴う不確定要因を、震源特性,伝播特性,地盤特性に分離し、2地点間における地表面最大速度の相関性を、震源特性を完全相関,伝播特性を2地点間における離間距離による相関係数,地盤特性を独立にモデル化した。ここで、離間距離による相関係数の相違が、ポートフォリオを対象とした地震リスク評価に与える影響を検討するため、離間距離の相関係数が独立と完全相関の場合についても検討した。10棟のRC造建物を、ケース1(東京周辺),ケース2(首都圏周辺),ケース3(全国)で配置したとき、離間距離による相関係数を設定したポートフォリオの地震リスク曲線は、全てのケースにおいて、独立の地震リスク曲線とほぼ一致していることを確認した。一方、離間距離によるバラツキの減少が期待できない完全相関の場合でも、離間距離による相関性を設定した場合との差異は少ないことを示した。つぎに、地震リスク対策としてリスク転嫁に着目し、保険会社のリスク回避の傾向を効用関数を用いてモデル化し、効用関数に基づいた地震保険料の評価法を構築した。効用関数の係数が大きくなるに従い地震保険料も高くなるが、全てのケースおいてポートフォリオの地震保険料は、個別建物のそれよりも低くなることを示した。従って、年損失期待値まわりのバラツキが小さいほど地震保険料が安くなる傾向は、効用関数を用いた手法で定量的に説明できる。地震リスク曲線を用いて効用関数と年超過確率の関係を求めると、ポートフォリオと同一の効用を得るためには、個別建物では年超過確率をより小さく(すなわち、安全率を高く)設定する必要があることを示した。

本論文では、1995年1月17日の兵庫県南部地震における地震被害データを利用して、確率論的アプローチにより建物の地震損失評価法を構築した。従って、地震損失評価法の適用範囲は限定されるが、研究成果は建物の地震リスク評価法に有効活用されるものと期待する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「兵庫県南部地震における地震被害データを用いた建物の地震リスク評価法に関する研究」と題し、実際の地震被害データを整理分析し、RC構造物の被害、建築設備の被害、被害建物の補修費用、補修期間について、リスク評価のためのモデルを構築し、それらに基づき、地震損失曲線により地震リスク評価を試みたものである。さらに、複数地点における地震リスク評価としてポートフォリオの損失分布の評価を実施し、地震保険料の考察も行ったうえで、一連の地震リスク評価法としての提案を行ったもので、被害データをRC構造物の非線形性を考慮した解析的なモデルを通して解釈する試みに加え、さまざまな被害情報を確率的モデルを介してリスク評価に応用し、地震リスク評価法の実用性を示したものとして評価できる。

第1章では、既往研究を概括し、被害率曲線の評価において被害統計のみによるモデル化と解析的評価よる場合の比較検証が行われていないことを指摘し、また、設備被害や補修費用、補修期間の評価が不十分であることを本研究の動機付けとしている。

第2章では、兵庫県南部地震における既往のRC造建物の被害率曲線を整理分析し、RC造建物群モデルに対する地震応答計算を組み合わせ、被害率曲線を再現できるようにRC造建物の損傷クライテリアを評価している。すなわち、兵庫県南部地震で観測された地震動群を用いて複数のRC造建物モデルを対象に地震応答解析を行い、RC造建物群モデルの応答層間変形角の中央値と対数標準偏差を計算し、その結果がRC造建物の統計的に得られた被害率曲線を再現できるように、限界層間変形角の中央値と対数標準偏差を推定することでモデルを構築している。

第3章では、兵庫県南部地震で被災した156棟の建物に対する建築設備の地震被害データを用いて、建築設備の耐震性能を被害率曲線に基づき評価している。兵庫県南部地震おける地表面最大速度の面的推定を行い、地表面最大速度と建築設備の被害結果の関係を利用して、二項分布を用いた最尤法により、地表面最大速度を地震動指標とした建築設備の被害率曲線を作成した上で、建物の建築年,構造形式,建物階数の相違による被害率曲線の中央値への影響や、RC造建物の被害率曲線と建築設備の被害率曲線との相互比較を行っている。

第4章では、兵庫県南部地震で被災した27棟の建物を対象に、建物ごとに工事別の補修費用を詳細に分析し、構造形式や建物用途に対して工事別の補修費用を評価している。さらに、補修費用の分布を確率分布を用いて回帰し、補修費用のバラツキを考慮した地震損失評価法を提案している。

第5章では、兵庫県南部地震で被災した62棟の建物に対してその補修期間を調査し、兵庫県南部地震における面的な最大速度分布と建物の補修期間の関係や、建物階数,延べ床面積,構造形式,建物用途と補修期間の関係についても検討している。

第6章では、2章で求められたRC造建物を対象とした損傷クライテリアに基づき、各層の地震損傷度曲線を作成し、4章で求められた建物の補修費用を用いて、地震損傷度曲線から計算される損傷確率に補修費用を乗じて建物の地震損失曲線を評価している。さらに、5章の成果をもとに、建物の地震補修期間曲線を提案し、これらの結果に基づき、建物の地震リスク曲線ならびに建物の地震補修期間リスク曲線を評価している。

第7章では、地震リスクのバラツキを低減させる一手法として、ポートフォリオを対象とした地震リスクに着目し、相関性を考慮したポートフォリオの地震リスク評価法を実施している。さらに、地震リスク対策としてリスク転嫁に着目し、保険会社のリスク回避の傾向を効用関数を用いてモデル化し、効用関数に基づいた地震保険料の評価法を構築して、個別建物とポートフォリオを対象に地震保険料を計算して、ポートフォリオの効果を確認している。さらに、地震リスク曲線を用いて効用関数と年超過確率の関係を求め、両者の関係についても評価している。

第8章では、2章~7章の研究成果をまとめ、今後の検討課題を示している。

以上、本論文はRC構造物の被害率分布を解析モデルを介して評価することを始め、実際のデータに基づき、設備被害、補修期間、補修費用といった地震被害の損失を総括的にとらえて、実用性を意図したリスク評価法としてとりまとめたものであり、地震リスクの社会的認知や、社会資産としてのストック評価に極めて有効であり、社会文化環境学の発展に貴重な貢献をなしている。よって、博士(環境学)の学位を授与できるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/24341