学位論文要旨



No 123072
著者(漢字) 三木,ひろみ
著者(英字)
著者(カナ) ミキ,ヒロミ
標題(和) ダイオキシン受容体による脂肪細胞分化抑制作用機構の解明
標題(洋)
報告番号 123072
報告番号 甲23072
学位授与日 2007.10.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3227号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 後藤,由季子
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序論

脂肪細胞は、間葉系幹細胞から前駆脂肪細胞を経て分化する。脂肪細胞は油滴の貯蔵に加え、様々な分泌タンパクを産生し、糖、脂質代謝などの恒常性維持に深く関与することが知られている。従って、その分化促進と機能亢進の分子機構の解明は、脂肪細胞を介在する代謝性疾患の分子機構を理解する上で重要であると考えられている。これら脂肪細胞分化及び機能制御段階において、一連の転写因子群は中心的な役割を果たしている事が知られている。分化制御を促進及び抑制する転写制御及び転写因子に関する研究が行われ、受容体型転写因子ダイオキシン受容体AhRの重要性が指摘されてきた。AhRは、リガンド結合依存的に細胞質から核内に移行してパートナーであるArnt とヘテロダイマーを形成し、標的遺伝子の転写制御を行う。

受容体型転写因子を介した遺伝子発現転写制御には、DNA結合性転写因子と多様な転写共役因子複合体群の協調的かつ段階的な作用による標的遺伝子特異的なクロマチン構造変換が必須である。転写共役因子複合体の機能としては、ATP依存的なクロマチンリモデリング、ヒストンの共有結合修飾、基本転写装置のリクルート等の役割が証明されている。中でも、ヒストン修飾酵素複合体によるN末端領域の残基特異的な共有結合修飾は、転写活性化状態・抑制状態の形成・維持において重要な役割を担っている。特に、ヒストンH3及びH4のアセチル化及びH3-K4番目のリジン(H3-K4)のメチル化は、クロマチン構造を弛緩させ遺伝子発現に促進的に働くと考えられている。一方、H3-K9、H3-K27のメチル化はクロマチンを凝縮させ、遺伝子発現に抑制的に働く。

これら修飾酵素群であるヒストンアセチル化酵素群(HAT)やヒストンメチル化酵素群(HMT)等は、単独ではなく複合体として機能すると考えられている。こうした複合体中には、酵素活性を有しないアダプター型の構成因子としてNCoR、SMRTやCoREST等が知られており、これら因子は複合体構成、転写因子選択性やリガンド依存性結合を規定している。H3K27メチル化酵素複合体であるポリコーム関連因子複合体群 (PcG複合体) は、構成成分の違いにより基質特異性が異なることが知られている。このように転写共役因子複合体の機能を解明する上で、組織特異性や標的遺伝子選択性を規定する複合体鍵構成成分の同定は必須であると考えられる。

これら転写共役因子複合体群によるクロマチン構造変換は、細胞分化過程における細胞種特異的遺伝子発現の不可逆的な形成・維持においても重要な役割を果たすと考えられている。しかしながら、分化制御に関るDNA結合性転写因子に関しては多くの報告がされている一方、その情報伝達を仲介することで分化制御を司る組織特異的な転写共役因子複合体群については不明な点が多い。

AhRが脂肪細胞分化抑制することから、分化制御におけるAhR転写抑制能が推察されるが、既知のAhR相互作用因子のみでは説明がつかず、その分子機構の詳細は不明である。そこで本研究では、AhRの脂肪細胞分化抑制制御を司る組織特異的な新規転写共役因子複合体を生化学的手法を用いて同定することを試みた。

第二章 活性型AhRによる脂肪細胞分化抑制作用

はじめに、間葉系幹細胞におけるAhRリガンド3-Methylcholanthrene (3MC) の脂肪細胞分化抑制効果を検討した。マウス骨髄由来間葉系幹細胞ST2及びマウス初代骨髄間葉系幹細胞を用いたin vivo系において、3MCが脂肪細胞分化誘導剤であるチアゾリジン誘導体Troglitazone (Tro) 添加による脂肪細胞分化能を抑制することを見出した。次に、AhRの脂肪細胞分化制御の作用点について検討した結果、リガンドにより活性化されたAhR (活性型AhR) は、脂肪細胞分化制御遺伝子 (PPARγ、C/EPBα) 及びインシュリン感受性に関連する分化マーカー遺伝子 (GLUT4、 LPL、aP2) のmRNA発現を抑制することが明らかにした。さらに、レポーターアッセイにより、活性型AhRはコンセンサスXRE配列を含むPPARγ及びGLUT4遺伝子プロモーターの転写活性を抑制することを見出した。従って、AhRは標的遺伝子プロモーターを介して転写抑制能を発揮することが示唆された。

さらに、多分化能を持つ間葉系幹細胞株であるST2細胞において、活性型AhRによる脂肪細胞分化阻害が他の細胞系列への転換ではないことを明らかにした。

第三章 AhR結合性転写共役因子SARAの同定

次に、活性型AhRによる転写抑制制御を担う転写共役因子の同定を生化学的に試みるため、AhRのC末端の転写活性化領域 (AD) の一部 である [AhR-AD(N)] に相互作用する因子をST2細胞の核抽出液から精製し、TOF/MSにより同定した。その結果、AhRの二量体パートナー分子Arntを同定したことから、本ベイトは相互作用因子同定に有効と判断した。さらに、既知の転写共役抑制因子NCoRとSMRT、ヒストンメチル化修飾酵素Ezh2、G9a及び新規の機能未知因子SARA (Silencer of AhR and Adipogenesis)/mKIAA1193 を同定した。SARAは、既知の転写共役抑制因子に保存され蛋白間相互作用に関るELM2/SANTドメインを有しており、転写共役抑制因子としての機能が推察されたことから、以降、この因子に着目した解析を行った。

まず、RT-PCR法により、SARAの発現はマウス各組織において様々な組織で発現しているが、特に脂肪組織での高発現が認められた。次に、SARAとAhRとの結合様式について免疫沈降法とGST-pulldownにより検討したところ、これら因子はin vitroで直接結合し、細胞内で3MC依存的に相互作用が増強することが明らかとなった。さらにレポーターアッセイにより、SARAはAhRの3MC依存的な転写活性を顕著に抑制することを見出した。一方、他の幾つかの転写因子への転写活性化能には影響を与えないことから、SARAの転写抑制効果はAhR選択的であると考えられた。また、HDAC阻害剤存在下においてSARAの転写抑制効果は解除されないことから、SARAはHDAC非依存的な転写抑制複合体を形成する可能性が考えられた。

第四章 AhR/SARA複合体の機能解析

SARAが形成する転写共役抑制複合体と転写抑制機構を検討した。SARAのELM2ドメインをベイトに用いた精製サンプルをグリセロール密度勾配法によりサイズ分画を行った結果、約600KDa付近にSARA複合体を検出した。さらに、複合体構成成分を同定した結果、PcGの一種であるPRC2の主要構成成分Ezh2、Suz12、Eed1を同定した。さらに、機能未知のポリコーム関連因子Epc1、SCM1を同定した。

SARAがH3K27のHMTであるEzh2を含むPRC2様複合体を形成することから、ヒストン修飾活性能についてin vivoで検討した結果、SARAはEzh2と同様、H3K27ジメチル化を亢進することが明らかになった。さらに、ChIPアッセイを行ったところ、GLUT4等の遺伝子プロモーター上でH3K27のメチル化修飾は3MC依存的に誘導された。また、これらプロモーター上でAhRのリクルートも認められ、AhR/SARA複合体がH3K27修飾を誘導することでこれら遺伝子の転写抑制制御を担っている可能性が示唆された。実際、レポーターアッセイにおいて、SARAとEzh2は、AhRによる標的遺伝子GLUT4、PPARγの3MC依存的な転写抑制能を亢進した。従って、AhR/SARA複合体が標的遺伝子上で、実際、複合体を形成し、ヒストン修飾酵素活性を誘導することにより転写抑制制御を仲介することが示唆された。

最後に、ST2細胞においてSARA遺伝子をノックダウンしたところ、脂肪細胞分化制御マーカー遺伝子GLUT4遺伝子発現の3MC依存的な減弱が解除された。従って、SARAはAhRのリガンド依存的な脂肪細胞分化制御において必須の役割を担っていることが明らかとなった。

第五章 総合討論

本研究では、脂肪細胞分化抑制制御におけるAhRの転写抑制機構を解明することを目的に、新規AhR相互作用転写共役抑制因子を探索し、SARAを同定した。AhRによる脂肪細胞分化抑制機構の一端は、SARAを含むPRC2様複合体によるヒストンメチル化修飾を介した標的遺伝子の発現抑制であることを見出した。

転写共役抑制因子複合体には、NCoRやCoREST等の組織特異性や標的遺伝子選択性を規定するアダプター型因子を主要構成因子として有する複合体が知られている。一方、PcG複合体中には、構成因子としてアダプター型因子の存在が確認されておらず、哺乳類における標的遺伝子プロモーター上への特異的なPcG複合体のリクルートに関して、その詳細は不明であった。本研究の結果から、SARAはPcG複合体中で、DNA結合性転写因子との結合を介して標的遺伝子特異性を決定する組織特異的なアダプター型構成因子として機能する可能性が推察された。以上の知見から、遺伝子発現の転写制御において、転写共役因子複合体中のアダプター型構成因子は酵素活性構成成分が作用する標的遺伝子の選択性を決定し、細胞分化等の生物現象を規定する鍵因子であると推察した。

以上、本研究では、DNA結合性転写因子とPcG複合体の相互作用を仲介する新たなクラスの転写共役因子SARAの同定に成功し、AhRの脂肪細胞分化抑制機構の一端を組織特異的転写共役因子複合体レベルで明確化した。

審査要旨 要旨を表示する

脂肪細胞は、糖、脂質代謝等の恒常性維持に深く関与することが知られている。従って、その分化促進と機能亢進の分子機構の解明は、脂肪細胞を介在する代謝性疾患の分子機構を理解する上で重要であると考えられている。リガンド依存性転写因子であるダイオキシン受容体(AhR)のリガンドが、脂肪細胞分化抑制効果が指摘されてきたが、その作用点は不明である。本研究では、細胞特異的なAhR転写共役因子複合体を生化学的に同定・解析することにより、AhRリガンドによる脂肪細胞分化抑制制御機構の分子メカニズムの一端を解明することを試みている。

第二章では、第一章の序論に続き、AhRリガンドの脂肪細胞分化への効果を調べている。マウス骨髄由来間葉系幹細胞ST2及びマウス初代骨髄間葉系幹細胞を用いたin vitro系において、AhRリガンド3-Methylcholanthrene(3MC)が脂肪細胞分化誘導剤Troglitazone添加による脂肪細胞分化抑制効果を発揮することを示した。また、3MCは、脂肪細胞分化制御遺伝子 (PPARγ、C/EPBα) 及びインシュリン感受性に関連する分化マーカー遺伝子 (GLUT4、 LPL、aP2) のmRNA発現を抑制することを示した。さらに、活性型AhRはコンセンサスXRE配列を含むPPARγ及びGLUT4遺伝子プロモーターの転写活性を抑制した。従って、AhRは標的遺伝子プロモーターを介して転写抑制能を発揮することを明らかにしている。

第三章では、活性型AhRによる転写抑制制御を担う転写共役因子の同定を試みている。具体的には、AhRのC末端の転写活性化領域に相互作用する因子をST2細胞の核抽出液から精製し、TOF/MSにより同定した。その結果、既知の転写共役抑制因子NCoRとSMRT、ヒストンメチル化修飾酵素Ezh2、G9a及び新規の機能未知因子SARA (Silencer of AhR and Adipogenesis)/mKIAA1193を同定した。SARAは、既知の転写共役抑制因子に保存され蛋白間相互作用に関るELM2/SANTドメインを有し、転写共役抑制因子としての機能が推察された。そこでSARAに着目し、まずRT-PCR法によりSARAの発現をマウス各組織において調べたところ、SARAは様々な組織で発現しているが、特に脂肪組織で高発現することを明らかにした。SARAは、AhRとin vitroで直接結合し、細胞内では3MC依存的に相互作用が増強することを示した。さらに、SARAはAhRの転写活性化能を顕著に抑制すること、また、SARAの転写抑制効果がAhR選択的であることを示した。

第四章では、SARAが形成する転写共役抑制複合体と転写抑制機構を解析している。SARAのELM2ドメインをベイトに用いた精製サンプルを用いてグリセロール密度勾配遠心を行い、SARAを含む単一の複合体を検出した。また、SARA複合体構成成分を同定し、ポリコーム型複合体であるヒストンメチル化修飾酵素PRC2の主要構成成分Ezh2、Suz12、Eed1及びポリコーム関連遺伝子産物Epc1、SCM1を同定した。さらに、PRC2様のSARA複合体は、標的遺伝子プロモーター上で複合体を形成し、ヒストン修飾酵素活性を誘導することにより転写抑制制御を仲介することを示した。最後に、SARA遺伝子をノックダウンすることで、SARAがAhRのリガンド依存的な脂肪細胞分化制御において必須の役割を担っていることを明らかにしている。

本論文では、AhRとポリコーム型複合体の相互作用を仲介する新たなクラスの転写共役因子SARAの同定に成功し、AhRの脂肪細胞分化抑制機構の一端を組織特異的転写共役因子複合体レベルで明確化している。この成果は、AhRを介した遺伝子発現制御を伴う代謝制御及び細胞分化制御機構の理解に大きく貢献するものと期待される。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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