学位論文要旨



No 123076
著者(漢字) 竇,心浩
著者(英字)
著者(カナ) トウ,シンコウ
標題(和) 中国高等教育の大衆化と教育機会の地域間格差
標題(洋)
報告番号 123076
報告番号 甲23076
学位授与日 2007.10.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第133号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 教授 山本,清
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学 教授 小川,正人
 東京大学 准教授 本田,由紀
内容要旨 要旨を表示する

1990年代から2000年代にかけての経済成長を背景に中国の高等教育は急速な拡大を遂げた。しかし他方で、高等教育の大衆化は中国社会に様々な問題をもたらしてきた。その中でもとくに重要なのは高等教育における機会均等の問題である。本研究では、高等教育機会の地域間格差問題に注目し、高等教育の大衆化の過程の中でそれがどのように変容してきたのか、またそこにどのようなメカニズムが働いていたのかを、理論的・実証的に検討することを目的とする。これを通じて、市場化による高等教育の大衆化がもつ基本的な問題を明らかにし、また政府の役割を再考する基礎を形成したい。

本論文は序章、おもにマクロ指標を用いて機会均等性とその変動を分析した第1部(1-3章)、その制度的・政策的な背景を分析した第2部(4-6章)、および終章から構成されている。

序章ではまず、中国においては中央政府・地方政府が各地に大学を設立しているが、政府の指導によって各大学の入学者は中国各地方(省)に割り当てられる(「地域別募集計画」)こと、これによって政府は完全に地域間の教育機会の配分を統制できることになるが、実態としては地域間の格差が生じていることを述べた。また先行研究の検討を通じて、中国においてはデータを用いた実証分析の蓄積が少ないこと、また従来の政府による強力な統制が弛緩するにしたがって中央政府、地方政府、個別大学の各レベルでの政策・行動の相互作用が重要になっているにもかかわらず、その実証的な把握が少ないことを指摘した。

第1部(1-3章)では、おもにマクロ指標を用いて中国における高等教育の機会均等の状態と、その近年における変動を分析した。

第1章においてはまず分析の基本として、高等教育機会の均等性の理論的な背景と、その計測に用いる指標の性質を理論的に検討した。一般に所得配分の不均等性の尺度としては、標準偏差、変動係数、ジニ係数などが用いられる。しかし後2者は、就学率などすでに比率化された指標に用いられた場合には、就学率が上昇するときに必然的に低下する性質をもっており、教育機会の均等性の分析には不適当であることを数学的に示した。他方で、就学行動の経済モデルに基づいた均等性の一つの尺度として「ロジット弾力性」を用いる可能性があることを示した。さらにこれらの尺度を用いて中国の1992年と2001年における出身省別の就学率の分布とその変化を分析した。これによれば、いずれの時点でも就学率には一人あたりGDPと重要な相関があること、標準偏差を尺度とすればこの2時点間において明らかに機会の配分は不均等化したこと、しかしロジット弾力性はあまり変わっていないことが示された。これは拡大による就学率の変化が基本的には経済的な変数によって説明されること、それが不可避的に不均等化をもたらしたことを意味する。

第2章ではさらに、地域間格差を、地域特性、および大学の属性別の観点から詳細に分析した。中国の経済発展については沿海地域と内陸部の格差が通常指摘される。しかし、30省を4つのグループに分けて分析してみると、高等教育の大衆化につれて、グループ間だけでなく、各グループの内部でも格差が広がっていることが分かった。また一般に中央政府が所管する一部の名門大学への進学については通常、経済的な要因より学生の持つ資質が大きな要因となり、したがってより均等であると考えられている。しかしこうした大学への地域別の進学率のみをとって分析しても、高等教育全般にみられる格差が、より鮮明にみられることが明らかになった。高等教育機会の質における地域間格差は、量的格差と大きく異なるものではないことが明らかになった。

以上二つの章では、各省出身者の進学率の格差を分析の対象としたが、第3章では各省における高等教育の学生収容力を分析した。計画経済時代には大学の設置はさまざまな要因によって決定されたが、基本的には東部の経済先進地域、各地域ブロックの中心都市の所在する省などに集中する傾向があった。しかもその後、市場経済の移行にともなって、経済発展水準と大学収容力の高い省ほど収容率の増幅が大きかった。各省の大学収容力の増加を、大学数 (18歳人口1万人当)の増加と、1大学当たり入学定員、の二つの要因に分解すると、経済発展の著しい省はこの二つの要因のいずれにおいても増加量が高かった。

第2部(第4-6章)においては、以上に述べたマクロ的な変化の背後にある、政策的・制度的な要因とその変化を分析した。

第4章においてはまず、中国政府の高等教育政策において、高等教育の発展がどのように計画されていたのか、またそこで機会均等はどのように位置づけられていたのかを、おもに政策文書を用いて分析した。市場経済の移行期において、中国の中央政府は「経済成長」と「社会福祉」という2つの目標の間で、明らかに「経済成長」に傾いた政策をとった。これは高等教育においても色濃くあらわれ、政府は、各地域の発展水準や実際の能力に応じて教育発展の到達目標を設定する、「不均衡的発展」政策をとった。また財政上も中央政府は限られた高等教育予算を特定の大学に重点配分し、高等教育全体の量的拡大を、基本的に地方政府と大学自身の努力に任せている。また、市場化や分権化の影響で、中央政府が利用できる権力資源も少なくなっている。結果として、高等教育機会の地域間格差に対する中央政府が指導する、地域別募集計画の基盤が弱まっていることを明らかにした。

第5章においてはさらに、1992年と2001年の「学生募集計画」の実際の再分配機能を分析した。この期間にはおいては、各省の学生収容力は大きく拡大したが、とくに多くの経済的に進んだ省においては拡大の幅がきわめて大きく、学生募集計画による他省からの学生への割り当ての割合は同じとしても、量の上では当該省の出身者が拡大してきたことが明らかになった。またさらに、中央所管大学と地方に移管された元中央所管大学が地元の省に割り当てる定員の割合も上昇している。また他省への割り当ての分布も、近隣の省や高発展省に偏る傾向がある。

第6章ではさらにこうした学生募集計画の偏りが生じる過程を、地方政府や大学でのインタビュー調査などに基づいて分析した。経済的先進省の政府は一般に省内の大学収容力の拡大に積極的であり、とくに地方所管大学の設置拡大を計画的に進めている。また地方移管大学だけでなく、省内に立地する中央所管大学に対しても、当該省の出身者により多くの定員を割当てることを求め、そのために補助金を与えることも少なくない。大学の側からみれば、中央所管大学は一般に入学者の質を保つために定員の拡大に積極的でなく、各省への割り当てを決める場合には、入学希望者の質、定員割当先の省までの距離、中央政府の関係政策の三つの要因を考慮して決定する。結果として比較的に経済発展段階の低い省からの受け入れが拡大することはない。地方所管大学については、基本的に当該省の出身者あるいは近隣の出身者が優先されることになる。こうした形で、学生募集計画自体は残存しているものの、一部の経済的先進省出身者の高等教育機会は大幅に増加するのである。

終章においては、以上の中国の状況と対比して、日本の1960年以降の県別大学進学率の分布とその変化を分析した。これによって日本においても1960年代の高等教育拡大にともなって、県別の格差が大きく拡大したことを明らかにした。格差は1970年代後半に一時縮小したが、それは政府による拡張抑制政策によってもたらされたと考えられることを指摘した。

こうした分析に基づいて、以下の点を結論とした。(1)高等教育の大衆化は、高等教育機会の平等化をもたらすことが一般に期待される傾向があるが、需要供給の両面において経済的な要因が主要な動因となる限り、むしろ不可避的に不均等化を生む。(2)中国においては、大衆化にともなってこうした意味での不均等化が進む背景が生じたのに加えて、計画経済体制下において地域間格差を抑制する機能をもっていた「地域別学生募集」制度がその機能を脆弱化させ、経済的な要因がより明確に進学機会の分布に反映するようになった結果、上述の不均等化の傾向が明確にあらわれるようになっている。(3)同様の傾向は日本の1960年代から70年代中頃の高等教育の急速な拡大の時代にもみられたが、1970年代後半以降には政策的な介入によって不均等性は一時抑制された。中国においても今後、機会の不均等化に対する政策が問われることになる。

審査要旨 要旨を表示する

経済発展にともなって高等教育進学率が飛躍的に上昇している中国では、地域的な高等教育機会の格差の拡大が大きな問題となっている。高等教育の大衆化の半面で進学機会の均等性はどのように変化してきたのか、その変化はどのように説明できるのか、そしてそうした変化はどのような要因によってもたらされてきたのか。本論文はそうした問題に、地域(省)別の進学率を分析することによって実証的に答えようとするものである。

論文は全部で九つの章からなっている。序章では関連する既存研究を概観し、本論文の課題を設定している。第1章では分析の基礎として、地域間の大学進学率の均等性を計測する指標としてジニ係数などの理論的特性を検討し、標準偏差が最も適当であることを論証したうえで、1992年から2001年の高等教育拡大期において不均等性が増大したことを示している。続く第2章では1992年時点での高等教育機会の均等性を、大学の収容力の分布と、その全国的再配分の二つの要因にわけて分析した。さらに第3章では、1991年と2002年の地域別進学率の決定構造を比較したうえで、全国的再配分の機能には大きな変化がないものの、高い経済発展を遂げた省が公立大学を多く設置する政策をとったために、収容力の分布が変化し、これが結果として大学進学機会の不均等化をもたらしたことを示した。

第5-7章は上述の変化をもたらした社会的・政治的要因を分析している。第5章では中央政府の公文書等をもとに、社会主義の基本としての均等性への志向と、市場化にともなう地方分権化の志向との間で政策が揺れ動いてきたことを示した。さらに第6章ではいくつかの省でのケーススタディをもとに地方政府が、なぜ、またどのような形で自省出身者の進学率を拡大させてきたかを分析し、また第7章では大学がこうした中でどのような行動を行っているかを分析している。終章はこうした分析のまとめと、日本との比較、そして将来の分析課題にあてられている。

こうした分析の結果、本研究は1992年から2001年の間に進学機会の地域的な分布は不均等化したこと、その主な原因は市場経済下において地域間の経済水準の格差が増大し、それが大学の収容能力の格差をもたらしたことにあること、そして政治的にみれば中央政府は地域間の均等性への志向を捨てたわけではないとしても、地方分権化によって不均等化の進行を拒むことができないこと、を示すものである。とくに後半の社会的・政治的要因の分析に体系性を欠く部分があることが指摘されたが、公表された統計資料の少ない中国の高等教育機会について、理論的な基礎を明確にしたうえで、体系的な分析をおこなった点は高く評価された。このような観点から博士(教育学)の論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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