学位論文要旨



No 123079
著者(漢字) 韓,載香
著者(英字)
著者(カナ) ハン,ジェヒャン
標題(和) 「在日企業」の産業経済史 : その社会的基盤とダイナミズム
標題(洋)
報告番号 123079
報告番号 甲23079
学位授与日 2007.10.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第224号
研究科 経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 谷本,雅之
 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 教授 新宅,純二郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文の課題は、在日韓国朝鮮人が所有、経営する企業とそれらが織り成す諸産業のダイナミックな変化について、戦後50年にわたる歴史的特徴を明らかにし、日本の産業構造における在日韓国朝鮮人の諸産業の位置取りを提示することである。このような課題を明らかにすることによって、本論文では、次のような問題提起に即して、従来の研究に新しい論点を付け加えることを試みる。

第1に、在日韓国朝鮮人の経済活動に関して一方では停滞的、他方では革新的とする先行研究を、歴史的視点から全体のなかに位置づけることによって、再評価する。

第2に、マイノリティ経済を対象とした理論研究の分析方法に対して、歴史的視点の有効性を示すことである。

第3に、「在日朝鮮人社会」に関する社会史的分析の近年の成果に、本論文の経済実態に関する分析を対置することによって、戦後期における議論を深める。

本論文は、経営資源の調達に関わるコミュニティの機能に着眼し、第1部では情報と産業実態を対象として、第II部ではそうした産業活動を支えた資金提供者として民族金融機関に焦点を当てて、それぞれ分析を行った。

第I部においては、在日の産業構造の特徴を検討し、情報に関連するコミュニティの機能による産業構造の変化のメカニズムに関する仮説を提示した。

第1章では、在日の伝統的な集住地域の京阪神における産業構造に注目して、その構造的特徴と歴史的変化を明らかにした。終戦直後の大阪および、高度成長が終了した1970年代半ばの近畿地域における在日産業の構造的な特徴は、製造業や土木工事業、屑鉄卸売業、飲食店、パチンコ産業などの幾つかの産業に集中したことであった。その後の歴史的な変化に注目すると、新しく金融業や不動産業が加わり、土木工事業やパチンコ産業への集中度を一層高めながら、全般的に非製造業化が進んだ。その変化の特徴は、スピードの速さにあった。

第2章では、地場産業の京都繊維産業を取り上げ、この産業が在日の主要産業として形成され、成長していく際にコミュニティがどのように機能したかを考察した。繊維産業が主要産業になるプロセスは、コミュニティが、起業を実現するための具体的な手段(需要動向の情報、技術、共同経営)を提供したことにより、在日の繊維産業への参入の実現が容易になり、参入が民族的範囲で広がっていったことである。しかし、成長段階では、追加的な経営資源の調達において得意先との関係や一般金融機関との取引などが重要となり、参入の段階でみられたコミュニティの機能は相対的に小さくなった。繊維産業が斜陽化すると、同産業における在日企業は、コミュニティ内から提供されたビジネスチャンス(代表的にパチンコ産業)に関わる情報によって、斜陽化した産業からの退出を促されることになった。こうした促された退出と参入が、在日産業構造の速い変化をもたらしたと考えられる。

第3章では、パチンコ産業を取り上げ、在日が戦後どのようにこの産業に関与することになり、何故在日の主要産業になりえたのかについて考察した。在日がパチンコ産業に関与する初期条件は、1950年代前半のパチンコブーム期のときに作られた。ブーム終焉の要因が暴力団とのつながりへの取締に関連していたため、パチンコ産業に対するマイナスの社会的イメージが作り出され、その後、非在日企業の参入が制限されることとなった。そうした社会環境のなかで、初期条件を基盤にしたコミュニティの情報伝播機能に促されて、パチンコ産業の成長段階において在日が積極的に参入していった。在日がパチンコ産業に参入する契機は、新規参入のケースに加えて、斜陽化する産業からの転業、ビジネスチャンスを掴むための多角化の一環としての投資などであった。こうした複合的な理由が、成長産業としてのパチンコ産業への激しい参入を生み出し、在日にとってパチンコ産業の重要度が高まっていった。全国市場をもつパチンコ産業は、地場産業がもつ情報生産・伝播の地域性に制限されることなく、全国レベルで在日としての主要産業になった。非在日の参入が制限されるなかで、パチンコ産業の発展において在日は実態的な担い手となり、在日コミュニティはパチンコホールを簇生させるインキュベータ的な機能を果たした。

コミュニティ内に蓄積された産業関連の情報が経営資源となり、在日の起業が実現するためには資金問題が解決されなければならなかった。第II部においては、在日の民族金融機関の役割に光を当てて在日の金融問題について検討した。

第4章では、コミュニティ性を保持する民族金融機関の全国展開のあり方に注目し、日本の信用組合制度を背景にした設立過程を検討した。在日コミュニティにおいては、民族団体の取組と政治的な背景があったために、産業経済が未熟な段階にあったにもかかわらず、民族金融機関の全国的な設立が実現された。ただし、民族金融機関のあり方の特徴は、南北対立を反映して各都道府県別に規模の小さい2つの信用組合が設立されたことであった。そのため、民族金融機関において、地域の在日人口規模に規定された金融力の格差の大きい重層的な構造を生み出した。民族金融機関は設立初期に経営的に自立することは難しく、韓国系の民族金融機関にとって、韓国政府による支援金は必要不可欠なものであった。

第5章では、代表的な4つの民族金融機関を取り上げ、長期にわたる経営の特徴を検討した。民族金融機関は、1950年代の設立初期段階では、安定的な預金獲得ができず、借用金に依存した苦しい運営を経験した。資金源泉としての預金は、1960年代後半以降安定的な運営基盤となった。在日の最大の集住地域である大阪の場合には、2つの民族金融機関ができたことが競争を促し、潜在的な在日を掘り起こす効果をもたらした。このような競争によって民族金融機関の成長が促されたのである。

第6章では、地域別に朝鮮総連系の民族金融機関と韓国系のそれとの競争という視点から、在日に対してどのような金融サービスが提供されたかを明らかにした。民族金融機関が提供する金利は、一方では、在日コミュニティの人口規模と、地域内に2つの民族金融機関ができたことによって、競争が組合員の奪い合いのかたちで表れ、預金基盤と運営における零細性を助長した。それらの地域では、在日企業の競争力に繋がる低金利資金の提供ができなかった。他方では、大阪のように、競争が潜在的な在日の発掘を通して市場拡大につながり、一般の信用組合に比べて低金利の資金を提供することも、可能であった。

第7章では、在日企業の取引金融機関の構造的特徴と、歴史的変化の動向について分析した。製造業と土木工事業においては一般金融機関との取引、飲食店や不動産、屑鉄卸売業などにおいては民族金融機関との取引、パチンコ産業においては両方との取引、の傾向が強かった。在日企業の成長段階に即してみると、どの産業においても特に初期段階において民族金融機関が果たす役割が大きいが、成長していくにつれて、一般金融機関との取引傾向が強まることが明らかになった。その際、次の2つの傾向がみられた。零細な民族金融機関は、在日企業の成長に伴った資金需要規模に対応することが困難で、代表的な民族金融機関に比べてより早い段階で一般金融機関と取引する必要があった。それに対して、代表的な民族金融機関は、在日企業の成長段階に相応する資金需要の量的拡大に対してより長期的に対応することができた。

以上の在日産業経済における特徴、つまり産業構造における主体的な選択によるダイナミックな変化という事実発見と評価を踏まえて、先行研究に対して次のような論点を付け加えた。

第1に、在日の産業経済に関する既存の対極的な見解、殆どが零細中小企業である在日企業の停滞性と脆弱性を強調する見方と、革新的な企業者活動を重視する見方に対して、本論文の位置関係である。

本論文が在日の産業経済に関して、サービス化に対する能動的な対応の結果としての速い変化という歴史的動態を付け加えたことにより、先行研究が明らかにした変化の乏しさを部分的な現象と評価することができる。在日産業経済のダイナミズムの要点は、コミュニティが退出をどのように促し、どのように新しいビジネスチャンスを与えたかにかかわっていた。在日の産業構造のダイナミックな変化は、中小零細企業の参入と退出によってもたらされたものであり、在日の革新的企業活動は、在日コミュニティ全体の産業活動からみれば、部分的なものにとどまった。

第2に、社会学者を中心として理論研究では、マイノリティのダイナミズムを、文化・情報などの資源から構造的に説明する。本論文では、時間とともに在日コミュニティ内に蓄積される情報などの資源が産業活動を可能にする具体的な基盤となり、産業のダイナミズムを作り出した側面を明らかにした。歴史的所産としての情報蓄積というコミュニティの機能を付加したことによって、「移民集団」の経済活動を分析する視角をより豊かにすることが可能であると考える。

以上の考察を踏まえて、第3に、在日韓国朝鮮人社会について、戦後在日の産業活動の歴史として次のように描くことができる。在日社会は新しい移民による集団規模の成長は乏しかった。それゆえマイノリティ社会が人口成長の停滞などによって活力を失い凝集力を失っていくという可能性は、たしかに否定できない。しかし、開かれた市場に積極的に進出していくことによって自らマイノリティという閉ざされた社会集団の殻を打破していくとき、コミュニティの機能は重要な役割を果たした。開かれた市場におけるマイノリティ産業の成長の結果、一般社会との関係が深まったとはいえ、その関係の深まりが同時にコミュニティの産業経済を底上げして活力を生み出しうるから、コミュニティとの関連が弱くなったわけではなかった。産業経済の発展がコミュニティの再結集をもたらしたからである。こうした両面性を含みこんだ成長の論理の連鎖的結果が生み出したダイナミズムが、戦後50年の在日産業経済の歴史であったのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文の課題は、在日韓国朝鮮人(在日)が所有、経営する企業が展開する諸産業のダイナミックな変化について、第二次大戦後の50年にわたる歴史的変化の特徴を明らかにし、そのような変化をもたらした要因を析出することである。このような課題は、戦後の在日に関する分裂した歴史像(一方では停滞的、他方では革新的)を再検討するなどの実証的な意義をもつとともに、マイノリティ経済を対象とした社会学を含めた幅の広い研究のなかで提起されている分析方法に対して、歴史的視点の有効性を示すという意欲的な試みの一環として設定されている。

本論文は、以下のように序章と終章と、2部7章からなる本論から構成されている。

序章 研究課題と接近方法

第1部産業実態分析

第1章戦後の在日韓国朝鮮人経済の産業動態

第2章京都繊維産業における在日韓国朝鮮人企業のダイナミズム

第3章パチンコ産業の在日企業

第II部金融機関分析

第4章民族金融機関の全国展開

第5章民族金融機関の資金基盤と経営:代表的民族金融機関の戦後経営史第6章1970年代における民族金融機関の金融サービス

第6章1970年代における民族金融機関 : 民族金融機関の役割と限界

第7章在日企業の取引金融機関:民族金融機関の役割と限界

終章戦後における在日産業経済のダイナミズム

まず、序章では、アメリカにおける民族マイノリティ経済に関する研究を利用しつつ、この分野でどのような研究がこれまで展開し、どのような論点が明らかにされてきたかを主としてLvan Lightの研究に依拠して紹介する。著者が特に注目しているのは、閉ざされた市場を想定することがマイノリティ企業の活動の全体をカバーし得ない点である。これは、マイノリティ経済の内部にのみ市場基盤を持つことをenclave economy論が前提にしていることに対する批判として、提示される論点である。このような批判は、Lightがマイノリティ企業の活発な起業活動の基盤として、市場ではなく、固有な民族的資源が提供する経営資源を強調していることに重なるが、著者はこのLightの議論にも付け加えるべき論点があるとする。すなわち、民族的資源には、文化的な要因もふくめて母国で1形成されて持ち込まれた要素と、事後的にアメリカ社会で形成された要素との区別が必要だという点である。このような批判的な視点に立って、著者は事後的に形成された民族的資源を、マイノリティ企業のダイナミックな発展をもたらす要因として重視するとともに、そのようなコミュニティの役割が、産業の盛衰とともに生じる市場のあり方の変化に対応しつつ、起業段階と成長段階では異なるのではないかという仮説を設定して、在日企業の分析にあたることを明らかにする。その際、著者は特定の産業分野に在日企業が優位性を持っような歴史的な過程が進行したと考え得ること、そして、そのような優位性の維持を、コミュニティ内の情報のあり方から説明しうるのではないかとの視点に立っことを明らかにしている。

序章ではこのような方法的な検討に加えて、戦前期の在日に関する研究による戦後の在日経済活動に関する展望が停滞的な特徴を強調しすぎていること、他方で在日の企業家に注目する研究が成功の要因を個人の資質と差別された環境に求める傾向にあることを批判し、また、現状に関する社会学的調査研究のファクトファインディングスに敬意を払いつつ、その成果を歴史的な視点で見直す必要を強調している。

以上のような研究史に対する理解と批判に基づいて、第1部においては、在日の産業構造の特徴を検討し、情報に関連するコミュニティの機能による産業構造の変化のメカニズムを論じる。

まず、第1部第1章では、在日産業の動態について在日が最も多く集住しでいる京阪神に焦点を定めて検討される。その結果、在日企業名鑑に掲載されている企業の産業分布が対象とされる地域の産業構造と比較して、特定の産業分野に偏っていること、そして、その偏りが戦後50年の時間的な経過とともに変容を遂げていることなどを明らかにした。

すなわち、終戦直後の大阪、高度成長が終了した1970年代半ばの近畿地域の在日産業の構造的な特徴は、製造業や土木工事業、屑鉄卸売業、飲食店、パチンコ産業などの幾つかの産業に集中した点に求めることができる。その後、新しく金融業や不動産業が加わり、土木工事業やパチンコ産業への集中度を一層高めながら、全般的に非製造業化が進んだこと、しかも、その過程で在日の参入や退出のスピードが速かったことも、変化の特徴点として重要である。

第2章では、京都繊維産業を取り上げ、この産業が在日の主要産業として形成され、成長していく過程でコミュニティがどのように機能したかが考察される。京都の地場産業であった繊維産業が在日の主要産業になる過程では、コミュニティは起業を実現するための具体的な手段(需要動向の情報、技術、共同経営)を提供し、在日の繊維産業への参入障壁が低められたことが重視される。これに対して、企業の成長段階では、追加的な経営資源は得意先との関係や一般金融機関との取引などを通して主として調達されることとなり、コミュニティ機能の役割は相対的に小さくなった。また、繊維産業が斜陽化すると、同産業における在日企業は、コミュニティ内から提供されたビジネヌチャンス(代表的にはパチンコ産業)に関わる情報によって、斜陽化した産業からの退出を促された。こうした条件が在日産業構造の速い変化をもたらしたと考えられている。

第3章では、パチンコ産業を取り上げ、在日が戦後どのようにこの産業に関与することになり、何故在日の主要産業になりえたのかを検討している。在日がパチンコ産業に関与する初期条件として、1950年代前半期のブーム期に景品買いなどに絡んで暴力団との関係が問題視されたことから、当該産業に対するマイナスのイメージが作られ、非在日企業の参入を抑制することになったことが指摘される。そうした社会環境のなかで、在日コミュニティには参入に有用な情報が蓄積され、これが伝播されて在日の参入が促された。

参入した在日のなかには、新規の開業のほかに、斜陽産業からの転業、あるいは多角化などのケースがみられた。こうして非在日の参入が制限されるなかで、成長産業としてのパチンコ産業への在日の激しい参入が生まれ、在日にとってもパチンコ産業の重要度が高まっていった。全国市場をもっパチンコ産業は、繊維産業のような地場産業がもつ情報生産・伝藩の地域性に制限されることなく、全国レベルで在日の主要産業となり、在日コミュニティはパチンコホールを簇生させるインキュベータ的な機能を果たしたと主張されている。

第II部では、在日の起業実現の条件として資金問題に注目し、民族金融機関である信用組合の役割を検討している。

第4章では、コミュニティ性を保持する民族金融機関の全国展開のあり方に注目し、まず信用組合制度に基づく金融機関の設立過程を検討している。在日コミュニティにおいては、民族団体がこれを政治的に利用しようとしたために、産業経済が未熟な段階にあったにもかかわらず、民族金融機関の全国的な設立が推進された。その結果、各都道府県別に規模の小さい2つの信用組合が南北対立を反映して設立された。そのため、民族金融機関は、地域の在日人口規模に規定された金融力の格差の大きい重層的な構造を特徴とすることになった。また、経営的に自立することが難しかった韓国系の民族金融機関では、母国からの支援金が重要な役割を果たした。

第5章は、代表的な4つの民族金融機関を取り上げ、その経営的な展開を追っている。1950年代の設立初期段階では安定的な預金獲得ができず、借用金に依存した苦しい運営を経験したことは、多くの民族金融機関と軌を一にしていたが、取り上げた4つの民族金融機関は、60年代後半以降、安定的な運営基盤として預金を確保できるようになった。

この過程で、在日の最大の集住地域である大阪ではとくに、2つの民族金融機関の競争を通して潜在的な在日を掘り起こし、コミュニティ基盤が強化される副次的な効果をもたらしたが、それがまた民族金融機関の成長を促した。

第6章では、朝鮮総連系と韓国系の民族金融機関間の競争関係に注目しながら、その競争を介して民族金融機関が在日に対してどのような金融サービスを提供したかを検討している。在日コミュニティの人口規模に規定され、その規模が小さい場合には、組合員の奪い合いとなり、預金基盤の零細性が助長されたため、これらの地域では、低金利資金の提供ができなかった。他方で、大阪のような集住地域では競争が潜在的な在日の発掘を通して市場を拡大し、地域市場内で相対的に低金利の資金を量的にも相当の規模で提供することを可能としたことが強調されている。

第7章では、在日企業の取引金融機関の構造的特徴を、歴史的変化を交えて検討している。それによると、第1に製造業と土木工事業においては一般金融機関との取引、飲食店や不動産、屑鉄卸売業などにおいては民族金融機関との取引、パチンコ産業においては両方との取引が見出された。第2に、このような産業別の特徴とともに、企業成長にともなう変化が見出され、どの産業においても特に初期段階では民族金融機関が果たす役割が大きく、成長につれて一般金融機関との取引が拡大する傾向があることを明らかにしている。このような変化は、零細な民族金融機関が企業成長に伴う資金需要の拡大に対応できなかったことによるものとされている。ただし、代表的な大規模な民族金融機関ではその制約は小さく、在日企業の資金需要拡大により長期的に対応することができたことも明らかにされている。

以上のような実証的な検討を通して明らかにされた在日産業経済の諸特徴を踏まえて、終章では、次のような先行研究への批判的な論点が提示される。

第1に、在日の産業経済が産業構造のサービス化に能動的に対応して、在日企業の活発な参入と退出を通じた産業構造の速い変化を可能にしたことが強調される。これに基づいて、先行研究の停滞論や革新的企業家の個性を強調する議論は部分的な特徴を捉えたものにすぎないと批判されている。その上で、著者は、在日コミュニティが在日企業の退出を促し、新しいビジネスチャンスを与える機能を果たし、それが在日産業構造のダイナミックな変化をもたらしたと主張している。

第2に、産業のダイナミズムを作り出した要因としては、アメリカのマイノリティ経済研究が重視している文化・情報などの資源ではなく、在日コミュニディ内に経済活動を通して新たに蓄積されていく情報などの資源の重要性が指摘されている。歴史的所産としての情報蓄積というコミュニティの機能を付加することによって、「移民集団」の経済活動を分析する視角をより豊かにすることが可能であるというのが著者の主張である。それは、新しい移民によって集団の規模が拡大することには限界がある在日経済にとって、開かれた市場に積極的に進出してマイノリティの殻を打破して発展していく可能性が、在日コミュニティの機能によって切り開かれていくとの展望を示すものである。

おおよそ、以上のような内容をもつ本論文は、これまで経済史的研究が乏しかった第二次世界大戦後における在日の産業経済活動について、限られた資料のていねいな利用と、ヒアリングなどの手段を駆使した資料収集に基づいて検討したものとして、これまでの研究に新たな知見を付け加えるとともに、方法的にも新たな視点を提示するという意欲に満ちた優れた作品と評価できるものである。

具体的には、第1に、産業の特化度を基準にして、これまで言説のレベルにすぎなかった在日が専ら従事している産業分野に関して、これを統計的に確認するとともに、その戦後50年を通した産業構造の変容を明らかにしたことを指摘できる。

第2に、(1)京都の繊維産業において特定工程に集中する在日の産業内分業での役割と、それ故に制約される企業成長を明らかにしたこと、(2)パチンコホールでは1950年代の第一次パチンコブーム後に在日の特化産業となった社会的背景を明らかにし、(3)ホールへの新規参入に際して在日コミュニティに蓄積される情報が経営資源として利用されていく過程を示したこと、(4)民族金融機関については政治的な背景から分裂する在日社会を基盤として零細性を余儀なくされつつも全国的な展開を見たこと、その結果、(5)提供される金融サービスは基盤とする在日コミュニティの規模に規定されて地域間の格差があったこと、(6)代表的な民族金融機関の一つである大阪興銀が積極的な営業活動によってパチンコホールなどのサービス産業分野での起業活動を支援するようになっていったことなど、そのすべてを紹介することはできないが、実証的な検討によって明らかにされた事実は極めて多い。

このような実証的な貢献は、著者が経済史の実証的な研究に求められる研究能力を十分に証明するものであるが、それ以上に本論文を特徴づけているのは、著者の問題関心の一貫性と方法的な視角の確かさとを示し得たことである。

なかでも、著者が課題の設定においてアメリカのマイノリティ経済研究に言及し、その議論に学びながら自らの方法的な視点を明確化するなどの広い視野を持ち得ていること、それ故に社会学的な実態調査などの関連領域の研究成果を積極的に取り入れた検討を試みようとしていることは、特筆に値する。その結果、本論文は単に実証的な成果をとりまとめたという以上に、そこから帰納的に導き出されるコミュニティ機能にかかわる仮説を提示するなど、これまでの研究に対する方法的な問題提起を含む内容となった。この点は、高く評価されてよいであろう。

もちろん、本論文にも残された問題があることは言うまでもない。たとえば、在日企業・産業を論ずるのであれば、特化産業としてはケミカルシューズなどの製造業が、京都の繊維産業やパチンコホールなどと並んで注目される必要があろうし、その実証的な検討を通して、本論文が提示した仮説が改めて検証され、洗練化される必要があると考えられる。また、金融機関の分析に関しても、データ処理の未熟さが見られており、あるいは、著者の業績の中で本論文には収録されなかったパチンコ機械工業史に関する研究の成果を、本論文の検討とどのように関連づけるかなども今後の課題となろう。しかし、何よりもこれからの課題として残されているのは、著者が在日のダイナミックな企業活動を支えているとするコミュニティの情報蓄積とその伝播という機能について、より具体的で説得力のある根拠を提示する努力が求められるということである。というのは、多様で豊富な実証的な成果をあげているとはいえ、それらのなかには日本の中小企業と共通する特徴ではないかとの疑問を挟むことが可能な面があり、直ちに在日の特徴と断定するのに躊躇せざるを得ない事実も含まれているからである。そうした問題が克服されることによって、明らかにされた事実が在日企業の特性であり、コミュニティの機能を示すとの著者の主張は、より堅固で説得的なものとなるであろう。

このような問題点があるとはいえ、本論文に示された実証的な研究成果と方法的な取り組みにおける意欲的な姿勢は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を十分に持っていることを明らかにしている。従って審査委員会は全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

以上

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