学位論文要旨



No 123081
著者(漢字) 中澤,忠之
著者(英字)
著者(カナ) ナカザワ,タダユキ
標題(和) 安吾戦争後史論 モダニズム以降の表現の可能性
標題(洋)
報告番号 123081
報告番号 甲23081
学位授与日 2007.10.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第707号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学大学院総合文化研究科 教授 小森,陽一
 東京大学大学院総合文化研究科 教授 山田,宏昭
 東京大学大学院総合文化研究科 准教授 田尻,芳樹
 東京大学人文社会系研究科 准教授 野崎,歓
 島根大学法文学部 教授 武田,信明
内容要旨 要旨を表示する

本論が試みるのは、戦後の坂口安吾を分析対象とし、そこから、戦後史をとらえることである。より具体的に言えば、安吾の歴史観・歴史の見方を分析し、それを通して戦後史――とくに文学史と美術史――を記述する試みである。ただし戦後史と一口で言っても、その時代は限られている。戦争終結の1945年から安吾が他界する55年までである。

安吾には歴史を材にした作品が多くある。それは、明治開化ものやキリシタンもの、戦国史や古代史など様々な時代から材を渉猟したものであり、さらには、本格的な歴史の考察にとどまらず、小説やエッセイなど複数のジャンルにわたって歴史を材にした作品が書かれている。安吾はこの通り、歴史に対して多様なアプローチで挑んだわけだが、実はそれらに一貫して通底する歴史観がある。本論はまずそれを、安吾の歴史に関わる「原則」として摘出する(第1章)。

そしてこの「原則」を軸にして、(55年までの)戦後史の一端を読み解くことになる。ただし安吾だけが中心となるわけではない。戦後文学史の粗描を試みる本論の前半(第1章から第3章)においては、安吾(の「原則」)とともにカギを握る人物として竹内好が招聘される。

竹内は1951年に国民文学論を提唱し、文壇に論争を喚起した。当時の文壇の大勢は戦争の記憶を忘れたがっていたのだが、彼はその記憶を呼び覚ますことの必要性を訴えたのだった。侵略戦争と敗戦の記憶をリセットし、戦後を新しくやり直すことは、理解できないことはないが、実はその顔を背けたくなる部分にこそ、戦後をやり直す(戦争を反省する)可能性が蔵されているのだ、という確信が竹内にはあったのである。

そしてこの確信は安吾にもあった。彼の「原則」もまた、戦前・戦中を連続的にとらえる視線において確立されたものである。しかも彼の以上のような原則的なものの見方は、歴史記述にとどまらず、安吾が携わった様々なジャンルの作品にも適用されうるものであり、もっといえば、彼が作家のキャリアを開始した当初から彼の活動を陰に陽に駆動するものであったということを、本論は明らかにするものだ。

本論のタイトルが、通常呼びならわされている「戦後」ではなく「戦争後」となっているのは、何よりこのことにちなんだものであった。つまり、戦後と呼ばれる期間があるとすれば、それは戦争との断絶以上に、地続きのものだ――何も解決されてはいない…――ということを示す意図があってのことである。戦後日本の生い立ちを知ることは、いったん戦前・戦中からの視野も収めねばならないということ。サブタイトルの「モダニズム以降の表現の可能性」という問題も、戦前と戦後の連続性を示す重要な視角である。

安吾が作家をはじめた当時の一九三〇年代は、ちょうどモダニズムが導入・受容された時期に当たっている。モダニズムとは、表現したいものを正確に写し取ることが目指されるリアリズム志向(文学は、作家の内面であれ外の自然であれ描写対象を、言葉を手段にして写し取るべきであり、それが正確なほど美しいとされる)の既成文壇に反旗を翻し、表現手段そのものに自律した機能を見出し、美的価値を付与する運動であった。

安吾はそのようなモダニズムの価値観を積極的に受け入れながら、そこに限界をも見出していた。この姿勢が安吾に原則的なものの見方を内蔵させたのだ、というのが本論の安吾理解の前提である。

モダニズムは、既成の価値観や制度に対する反抗勢力としてのポジショニングをみずから行っていたわけだが、その彼らの価値観が自明なものになると、いつのまにか体制順応的になってしまう。かかる限界を、安吾は確かにとらえていた。

モダニズムが行った、表現したいものと表現手段の切断。それは、表現したいものなど何もないし、表現したとしても何も伝わらないという「諦観主義」を生み出し、表現手段を万能化して表現したいものを恣意的に捏造・改竄することに開き直る「修正主義」「決断主義」を生み出すことになる。そして「諦観主義」も「修正主義」もけっきょく、先の戦局下にある状況に、なんら有効な言葉を組織することはできなかった。

安吾は、モダニズム以降の、これらの傾向に対して、「カラクリ」と「シンプル」と「必要」という三原則で挑んだのである(第1章のテーマ)。「カラクリ」と「シンプル」はモダニズムのリアリズム批判の成果から練り上げたものであるが、その上さらに編み出された「必要」は、安吾のキャリアを一貫して登場するキー概念であることは彼の読者には周知の事実であり、これこそ安吾による、モダニズム以降の表現の可能性を問う概念かつ原則の一つであったのだ。

ただし安吾の「原則」は、「諦観主義」や「修正主義」的なものを否定したのではない。たとえば、伝統的な古寺であれ不必要になったら燃えてしまってもかまわないと言う安吾は、歴史の流れに諦めているようにも見えるし、開き直っているようにも見える。それらは否定したくても否定できない、モダニズム以降の前提であり、そこに限界と可能性を同時に読み込んだ安吾を、本論はおりにふれ確認することになるだろう。

安吾は、必要とされたものにこそ美が宿るというようなことをたびたび述べた。必要美とも称されるこのような美学は、モダニズムの文脈で解釈されがちだが、そう単純に解釈してはならないのである(とくに第1章と第5章)。

竹内の「国民文学論」も、モダニズム以降の表現の可能性の一つとして、戦前戦中戦後を貫く視角にほかならない。彼の場合の、モダニズム以降とは日本ロマン派であったわけだが、彼もまたそこから限界と可能性をあわせ見ようとしていた。その有様を、安吾の「原則」分析の後、第2章で明らかにする。

そしてこの安吾と竹内の視角から相対的にとらえられた、戦後文壇の限界が確認される。たとえばそれは、竹内によって批判される、「政治と文学」論争など戦後のいくつかの文学論争に関わった「近代文学」グループと共産党の意向下にある人々、両者の限界だ。とはいえ、彼らのなかにもまた別の角度から照射すれば何らかの可能性があることを、本論は否定するものではない。

第3章は、安吾の「原則」が安吾の作品のなかにどのような形で具体的に機能しているかを確認する。とりわけその鮮やかな実践例は、安吾の探偵ものの一つ、『不連続殺人事件』の分析にくわえ、ほかに、歴史ものの、なかでもとくに「飛騨・高山の抹殺」の分析において明らかにしようと思う。これまでしばしば注目されてきた、安吾の信長像と武蔵像も、新たな角度から照射し直してみたい。

第4章の背景は、それまでとは一変し、美術史となる(ただし第4章の問題構成は第3章の後半から第5章の前半まで及ぶだろう)。ここでカギを握るのは、安吾とともに小林秀雄と花田清輝である。彼らの価値観・美学的態度を、論争的に交差させながら、当時の美術史の一端が粗描されるだろう。

画壇にもリアリズム論争など、当時の文学論争と構造的に同質な論争があったが、それは小林と花田の美学によって相対化されることが、本論で明らかになる。そして第5章の前半で明らかにする安吾の美学が、小林・花田と通底するものであることが確認される。安吾は必要美、小林は古典美、花田は前衛美と、三者三様の美学を展開し、ときおり牽制しあった三人なのだが、美に対する問いの立て方は非常に類似しているのである。

これもまた、モダニズム以降の問題と関連していることだ。それは安吾のタウト受容をめぐっても確認されることであり、その結実である「日本文化私観」はおりにふれ分析対象にし、とりわけ第1章と第5章で徹底的に分析した。

本論の構成は、安吾の歴史記述の原則を主軸にした文学史と、小林の美学を主軸にした美術史によって前半と後半を配分する形にしている。それにはわけがある。それは、一見相容れないように見える、歴史記述の問題と美学の問題がいくつかの様相において関連するものだからであり、第4章と第5章を通じて問われたテーマの一つであった。

最後の第6章に、本論は安吾の小説分析のための場所を割いた。これまで説明したことが安吾の小説にも適用されうるものだからである。ただし、安吾のエッセイなど他のジャンルと同じように適用されたわけではない。小説というジャンルに特有のロジックによって安吾の「原則」が起動している様を、ときに一読者としての過剰な読み込みをあえて避けずに明らかにしたつもりである。

安吾は戦後まもない時期に、戦争を背景にした小説作品を連作しているが、このように戦争にこだわった安吾の小説を「戦争小説」と名付け、安吾小説の新たな読み方を提供した。本論において、安吾の先行研究よりも特筆すべき点があるとすれば、安吾の小説分析が他のジャンルに比べて少ないなかで試みたこの第6章だという自負がある。

もう一点挙げるとすれば、安吾研究に一画期を投じた柄谷行人の、超越論的なものの見方(「文学のふるさと」など)によって安吾を一貫させる視角が、柄谷以降の様々な研究によって相対化されるなかにあって、その相対化の作業にくわわりながら、さらに別口の安吾の一貫する方法論(「原則」)を取り出したことではないかと考える。

審査要旨 要旨を表示する

中澤忠之氏の博士学位論文『安吾戦争後史論モダニズム以降の表現の可能性』は、太平洋戦争後の坂口安吾の歴史に題材を求めた作品を主な分析対象としながら、竹内好、小林秀雄、花田清輝らの批評活動とかかわらせながら、文学史と美術史を軸にしながら、1955年まで戦後史を記述しようとしたものである。

中澤氏の論文の独自性は、まず安吾の歴史観の特徴を「カラクリ」、「シンプル」、「必要」という三つの原則の中に見いだしたところにある。「カラクリ」と「シンプル」という二つの原則は、既成の価値観や制度に反抗しようとしていたモダニズムにおける、リアリズム批判から練り上げられた方法であることを明らかにしたうえで、表現しようとすることと、表現手段の切断についての安吾の思索の過程をあとづけている。また「必要」という概念が、安吾のモダニズム以降の表現の可能性を問う原則の一つであることを明らかにし、「必要」とされたものにこそ美が宿るとした安吾の具体的な作品の中に機能しているあり方を分析している。竹内好とのかかわりの中では、「政治と文学」論争などの戦後の文学論争における、安吾の独自な批評的視点が明らかにされている。また、小林秀雄と花田清輝との美術をめぐる議論をとおして、小林の主張した古典美、花田の主張した前衛美に対する、安吾の必要美の重要性をとらえ直そうとした。

論文審査の中では、文体や論理構成が、学術論文よりは批評としての傾向を強く持っていること、中心となる分析概念に十分な論理的な整合性が欠けていること、論旨の展開が冗長に流れていることなどが批判された。

しかし、坂口安吾の戦中と戦後を連続的にとらえようとする歴史認識の独自性を明らかにしたことをはじめとして、これまでの安吾研究を転換するいくつもの成果があることを認め、中澤忠之氏の論文が博士(学術)の学位にふさわしいと判断し審査委員会員により合格と判定した。

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