学位論文要旨



No 123082
著者(漢字) 増原,綾子
著者(英字)
著者(カナ) マスハラ,アヤコ
標題(和) スハルト体制下における与党ゴルカルの変容とインドネシアの政治変動 : 翼賛型個人支配とその政治的移行
標題(洋)
報告番号 123082
報告番号 甲23082
学位授与日 2007.10.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第771号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,元夫
 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 恒川,惠市
 東京大学 教授 加納,啓良
 政策研究大学院大学 教授 白石,隆
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、インドネシアのスハルト体制の変容とその政治的移行について分析したものである。

比較政治学の通説において、個人支配は支配者と少数の支配グループに権力が集中し、政治的支持基盤の脆弱な、不安定な体制であると考えられてきたが、インドネシアのスハルト体制はむしろ安定した支配を長期にわたり継続することができた個人支配である。また、通説では、個人支配は軍事クーデタや国内勢力などによる政府の転覆というかたちをとって政治的に移行するとされるのに対して、スハルト体制はそのような政治的移行とはならず、穏健な改革勢力と体制内ハト派との間の合意形成によって個人支配に終止符が打たれた。本論文は通説における個人支配とスハルト体制とのこうした違いに着目し、不安定で脆弱な個人支配のみならず、安定した支配を築くことのできる個人支配も含めた、包括的な個人支配の枠組みを提示しようと試みた。「暴力・監視のレベル」と「パトロネジ分配の範囲」という2つの軸を用いて個人支配を4つのサブタイプ(孤立型、恐怖政治型、分断型、翼賛型)に類型化し、とくに、パトロネジを包括的に分配することで比較的安定した支配を築く個人支配を「翼賛型個人支配」と呼び、この分析概念を用いてインドネシア・スハルト体制の支配とその政治的移行を説明することを試みた。

1966年に権力の掌握に成功したスハルトは、国軍と華人系企業家層に依拠しつつ、政治的パトロネジ(政治・行政ポスト)と経済的パトロネジ(利権や援助、開発プロジェクト等)の分配を通じて個人支配を確立していった。広範な人事権を握って忠誠心の厚い、能力の高い人材を重要なポストに登用するとともに、1970年代においては政治・行政ポストを優先的に国軍将校に配分することによって国軍の支持を確保した。また、スハルトは数多くの財団を設立し、さまざまな経済的利権を華人企業家層に与える見返りとして、そのような企業家層から財団に多額の寄付を行わせ、財団にプールされた巨額な資金を使って、国民に広くパトロネジを分配するための資源とした。その一方で、スハルトを支持しない者やグループに対しては暴力的な抑圧策も取られ、スハルトはこのような分配と抑圧を両輪とした支配を行った。

しかしながら、1970年代においては、パトロネジは国軍と華人企業家層に優先的に分配されたため、社会からの異議申し立ては途絶えることがなかった。とくに学生運動やイスラーム勢力はスハルト政権に対する強力なカウンターエリートとなり、しばしば大規模なデモを主導したり、国会において政府の政策やスハルトに対する批判を展開した。また、プリブミ(非華人)実業家グループからは華人企業家層に経済的な利権が偏っていることに対して不満や抗議が表明された。

1980年代に入り、スハルトはこうした政府批判勢力を懐柔するために広くパトロネジを分配する政策へと転換する。スハルトの個人支配の翼賛型化はここから始まることになったが、その分配のチャネルとなったのがゴルカルである。1983年にゴルカルの新しい総裁となったスダルモノは、ゴルカル組織の整備を行うとともに、個人会員登録制と人材リクルート・システムを採用・整備し、この新しいリクルート・システムの下で、それまでゴルカルにはほとんどいなかったような社会勢力の若手エリートがゴルカルに加入するようになった。とくにイスラーム系の学生活動家やイスラーム団体所属の者、プリブミ実業家などをゴルカルの幹部としてリクルートすることは、それまでスハルト体制に批判的であった勢力を懐柔し、政府への支持者とする、あるいは少なくともそうした勢力による政権批判を和らげるという点で重要な意味を持った。ゴルカルはこうした勢力からの若手エリートを吸収する、いわば「受け皿」の役割を果たした。分配の範囲が大きく広げられ、体制内への社会勢力の吸収が進んだ結果、1980年代後半になると、スハルト政権への批判は影を潜め、体制は安定を享受することになった。

しかしながら、このような社会的エリートの加入によって、ゴルカル内部は人的構成が多元化することになる。そして、1980年代末の政治的開放によって、ゴルカル内部からは組織としての「自立」を望む声が高まるようになった。そうした「自立」は国会のゴルカル議員らが立法府としての役割を高めていこうとする営みとなって表われ、議員自らのイニシアチブを国会で発揮しようとする行動に表われたが、そうしたことを嫌ったスハルト大統領によって、ゴルカルの「自立」の試みは挫折することになった。また、それまで国軍将校が当たり前のように占めてきた中央・地方の政治・行政ポストをゴルカルのシビリアンが要求するようになり、こうしたポストをめぐって国軍とゴルカルとの間で競争が行われるようになる。地方においては地方議会の議長選や地方自治体首長選、中央においては副大統領選やゴルカル総裁選で、両者の競争は激しくなり、国軍との対抗上、ゴルカルはスハルト大統領への依存・従属を強めていく結果となった。

こうした国軍との競争と並行して、ゴルカル内部においては、新たに国軍子息会メンバーが台頭するようになる。とくに1990年代半ば以降、彼らはスハルト大統領の長女や次男との親しい関係を利用してゴルカル内で次第に影響力を拡大していく。他方で、スハルト大統領は長女を自らの後継者として考えるようになり、彼女の政治基盤としての役割をゴルカルに期待するようになる。そして、人事面で彼女に近い退役軍人や国軍子息会幹部を重要ポストに抜擢するようになった。こうした分配の偏りによって、1980年代半ばからゴルカルに加入するようになった社会勢力の若手エリートは次第にゴルカル内における影響力を低下させるようになり、ゴルカル内では大統領の親族に近いグループとこうしたグループとの間に明確な亀裂が生じていった。

いわゆる「体制内ハト派」として、1998年5月に改革勢力との連携に動いたのは、ゴルカル内で相対的にその地位を低下させていた、この社会勢力出身の国会議員らであった。彼らは、1998年3月から本格化した改革運動の主体となっていた学生活動家や知識人らと親しい関係にあり、思想的な基盤を共有し、彼らとの間で対話・連携を行いやすい立場にあった。同時に、改革勢力が主張していた立法府の復権による制度改革という提案を受け入れやすい位置にもあった。なぜなら、彼らの多くが国会議員であり、行政府に対する立法府の従属的な立場を変えるという点で、改革勢力と利害が一致していたからである。こうしたゴルカル国会議員グループは改革勢力との間で「立法府のエンパワーメントによる制度改革」で合意する。そして、こうした合意を実行する上で最大の障害であると見なされたスハルト大統領による個人支配の排除という点でも彼らは一致し、国会はスハルト大統領に対して辞任を勧告した。それまでスハルトの支配を可能にしてきた支持調達システムが溶解し、自らの支持者が改革勢力側へと流れていく中で、スハルトは穏健な改革勢力と体制内ハト派との間の合意を受け入れることに応じて大統領を辞任し、スハルト体制は終焉した。

反政府勢力や軍事クーデタなどによる政府の転覆というかたちで政治的移行が起こる傾向の強い個人支配にあって、インドネシア・スハルト体制の政治的移行は、上で述べたように、穏健な改革勢力と体制内ハト派との間の合意形成によるスハルト辞任というかたちを取った。スハルト体制が翼賛型個人支配であり、体制内にハト派として改革勢力と連携しうるグループが存在したこと、そして体制内勢力とのあらゆる対話・妥協を拒む急進的な反政府勢力がほとんどいなかったことで、体制内ハト派と穏健な改革勢力が移行過程を主導することができたからであった。そして、両者による合意が支配エリートの一掃と彼らに対する報復を伴うものではなかったことは、体制内タカ派にとって合意を受け入れやすいものとし、インドネシアにおいて反政府勢力や軍事クーデタなどのような権力闘争による政治的移行ではなく、支配者の辞任という穏健で合法的な政治的移行を実現させたのであった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、インドネシアのスハルト体制の変容とその政治的移行について分析したものである。スハルト体制のような個人支配は、比較政治学においては、社会的基盤の脆弱な不安定な体制とされ、その移行もクーデタなどによる政府の転覆という形をとることが多いとされてきたが、実際のスハルト体制は、比較的安定した支配を築き、その移行は、穏健な改革勢力と体制内ハト派の間の合意形成という形をとった。このスハルト体制の特質をその翼賛政党ゴルカルを通じて分析することが、本論文の主眼である。

第一章「スハルト体制とその政治的移行をめぐって」では、スハルト体制をめぐる従来の研究史を整理し、本論文の課題が、個人支配的なスハルト体制において、なぜ、どのようにして、穏健な改革勢力と対話し、交渉し、合意を形成しうるような体制内のハト派が出現したのかを解明する点にあることが提示されている。

第二章「個人支配をめぐる理論枠組」では、スハルト体制のようなケースも位置づけることができる、より包括的な個人支配の比較政治学上の枠組みとして、「暴力・監視のレベル」と「パトロネジ分配の範囲」という二つの軸を用いて、個人支配を「孤立型」、「恐怖政治型」、「分断型」、「翼賛型」という4つのサブタイプに類型化する作業仮説が提起されている。スハルト体制のような、暴力性が比較的低くパトロネジを包括的に分配することで安定した支配を築いた個人支配を、この「翼賛型個人支配」とし、これを分析概念としてスハルト体制の変容と移行を分析することが明らかにされている。

第三章「翼賛型個人支配としてのスハルト体制」では、「翼賛型個人支配」としてのスハルト体制の基本構造が検討されている。スハルト体制は、あらゆる重要ポストの人事権を握り、「分割して支配する」方式を用いて国軍や官僚機構をたくみに操り、自分への支持と忠誠を確保しつつ、自分以外の権力者が出現しないように監視した。そして、暴力的手段とパトロネジの分配を選択的に用いることで国民を馴化していくことに成功した。

第四章「1970年代のゴルカル」では、1970年代のスハルト体制前半期に焦点をあて、権威主義的な政界再編が強行される中で、設立されたばかりのゴルカルが自らの政治的アイデンティティを模索していく様子を描いている。組織内部では軍人が競争に明け暮れ、幹部のリクルートも進まずにいたこの時期のゴルカルの状況はスハルト体制の不安定さを反映したものであった。

第五章「ゴルカルの再編と社会的エリートのリクルート」では、1984年からスダルモノ総裁の下でゴルカルの大掛かりな組織再編が行われ、会員制と幹部のリクルート・システムが整備されて、ゴルカルが大きく膨張していったことを説明している。この膨張の過程で、それまではゴルカルにいなかったような社会的エリートが多数ゴルカルに加入するようになり、国軍と官僚から成っていたゴルカルの人的構成を大きく変えることになった。こうしたゴルカル再編の過程で、それまでスハルトに対して批判的であったイスラーム勢力や学生活動家、プリブミ実業家層がゴルカルを通じて体制内部に取り込まれるようになり、こうしたことを受けて、1980年代後半以降、スハルト体制は安定の時代を迎える。

第六章「巨大与党のジレンマ」では、ゴルカル内におけるこうした人的構成の変化が体制内にどのような政治的変化を引き起こしていったのかを分析している。1980年代末から1990年代初めの「政治的開放」の空気の中で、ゴルカル内にもスハルトや国軍に対する「自立」の機運が生じていた。それが国軍との間に政治ポストをめぐる競争を生じさせ、同時にスハルトとの間では摩擦を引き起こし、ゴルカル内部からの「自立」の試みは挫折していくことになった。

第七章「スハルト・ファミリーの台頭とゴルカル内部の亀裂」では、1990年代前半以降、ゴルカルの内部において大統領の親族に近い国軍子息会メンバーの勢力が大きく台頭し、それまで勢いのあった社会勢力からのグループと政治ポストの分配をめぐって競争が激しくなっていったことを説明している。大統領後継問題によって大統領親族と彼らに近いグループがゴルカル内の重要ポストに抜擢されるようになり、社会勢力からリクルートされたグループは相対的にその地位を低下させていく。

第八章「スハルト退陣過程における対話、連携、合意形成」では、1998年の改革運動の急速な盛り上がりの中で、このゴルカルの中で地位が低下していた社会勢力からのグループが体制内ハト派として台頭し、改革勢力と連携し合意を形成させていく政治過程を明らかにしている。彼らは、政治システムの不備、とくに立法府の政府監視機能、法律立案機能が役割を果たしていなかったことが経済危機の主要な原因であるという認識を共有し、立法府の復権を通じた制度構築による改革で一致することになる。そして、そうした改革の障害であったスハルトの支配、すなわち個人支配の排除で合意し、スハルト退陣という道筋が次第に明らかになっていった過程を示している。

終章「翼賛型個人支配の終焉」では再び比較政治学的な枠組みに戻り、「翼賛型個人支配」の終わり方について比較の視点から、インドネシアにおける移行のゲームを、合意形成による民主化へと方向付けたのは、体制内ハト派勢力と体制外改革勢力の親和性の高さと信頼関係の強さであり、同時に立法府の権限の強化による政治改革についてのアクター間の利害の一致であったこと、および、政変時の合意を民主的移行を進める上でのpactと見なしてよいこと、またこの合意が「完全な敗者」をつくらずに個人支配に終止符を打ったことがインドネシアの民主化の第一歩として重要な意味をもったことが指摘されている。

このように本論文は、スハルト体制を支える翼賛与党であったゴルカル内部に「体制内ハト派」と呼ぶべき勢力が形成されていった過程を説得的に明らかにした、ゴルカルを中心にすえた実証的な現代インドネシア政治研究という面できわめて優れた業績である。

また本論文が、政治過程の実証的な分析にとどまらず、スハルト体制を「翼賛型個人支配」ととらえ、その崩壊を説明する比較政治学的な枠組みを提示していることも、博士論文としてきわめて意欲的な試みとして評価できる。

この上で論文審査では、本論文が体制移行論としての視野の広がりという点では、軍部の動向や国際情勢との関連が十分に言及されていないなど、弱点があることが指摘された。個人支配の型によってスハルト体制の移行を説明するという本論文の方法自体に、体制移行を国際環境などから切り離して論ずるなどの問題があるのではないかという指摘もなされた。審査委員会は、こうした課題は将来に残るものの、本論文は、現代インドネシア政治の比較政治学的分析をした博士論文として、きわめて論旨明快で優れた論文であり、特にゴルカル研究としての完成度はきわめて高いと判断した。したがって、本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/19837