学位論文要旨



No 123084
著者(漢字) 菅,原光
著者(英字)
著者(カナ) スガワラ,ヒカル
標題(和) 西周における法と秩序 : 秩序観における伝統と近代
標題(洋)
報告番号 123084
報告番号 甲23084
学位授与日 2007.10.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第773号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 酒井,哲哉
 東京大学 教授 松原,隆一郎
 東京大学 教授 森,政稔
 東京大学 教授 黒住,眞
 立教大学 教授 松田,宏一郎
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、西周研究の論文であり、西周を中心的考察対象とした政治思想史の研究論文である。これまでの西周研究は、あくまでも特定の翻訳語や「軍人勅諭」の成立過程を実証することを目的としたような個別研究が主であり、西周の思想をテーマとするものは極めて少なかった。西洋思想の紹介者として概説的に扱われる他には、思想家としての西周が本格的に関心を持たれたことはなく、政治思想史の研究対象として捉えられることも極めて稀であった。

それは、一方では〈啓蒙的知識人〉と評される西周が、他方では「軍人勅諭」の基になった「勅諭稿」を著したという事実に関係している。政治的にも軍事的にも最大限に利用され、その後の日本における軍国主義化の進行に大きな影響を与えた「軍人勅諭」の草案を起草したという事実は、西周が「軍国主義の創始者」というイメージで捉えられかねないということにもつながった。代表的な〈啓蒙思想家〉として評価しようとしても、「軍人勅諭」起草者としての側面を想起すれば、それは二律背反に陥るように思われてきたのである。従って、概説的な西周研究においては、「軍人勅諭」起草者としての側面には一言も触れることなく、〈啓蒙思想家〉としての側面のみを評価するという形が一般的であった。西周が「軍人勅諭」の起草者であるということは、西周研究史上、扱いに困る事実だったのである。西に関する先行研究の多くは、明六社での活動など、所謂〈啓蒙思想家〉としての側面を強調し評価するものであり、このような研究意図にとって、「軍人勅諭」起草者としての側面は〈啓蒙思想家〉から逸脱した〈軍国主義者〉のように見え、出来る限り無視したい側面であったと言えよう。

しかし、〈啓蒙思想家〉としての側面のみを取り上げるということは、西周の思想のうちの一部分だけを取り上げるということである。昭和期の暴走する軍国主義の源流としてイメージされかねない側面を無視しようとするこのような研究手法はしかし、いわば〈産湯と一緒に赤子を捨てる〉ようなものでもあった。そのことによって抜け落ちてしまったのは、西周の思想のうちの政治思想的な側面である。

これに対し本論文は、所謂〈啓蒙思想家〉としての側面だけでも、「軍人勅諭」起草者としての側面だけでもなく、両者を共に取り上げて西周の政治思想の総体を明らかにしようとつとめた。軍事社会論の中にも、あるいはその中にこそ、西の政治思想の重要な一端が表現されており、従来の研究はこの点を無視してきたからこそ西周の中に政治思想的な側面を見出すことができなかったという理解が本論の出発点でもある。従来から取り上げられてきた〈啓蒙思想〉としての側面に加え、軍事社会論をも考察の俎上に載せることによって、その政治思想史的側面を明らかにすることが本稿の課題であった。

西の政治思想を読み解くためにはその軍事社会論をも加味して考察する必要があるという理解のもとに、第一章では、軍事社会論の基礎的な読解を試みた。具体的には、軍事社会論を著す時に西が直面していた時代状況、社会的背景を検討することが課題であった。そのことを確認する中で、同時代的な問題状況の中で西の発想を理解した。

第二章は、西が考えていた秩序イメージ、秩序形成の方法を明らかにすることを課題とした。西が理想視していた秩序イメージが慣習法的法システムであったことを明らかにした上で、慣習法的法システムの利点を最大限に取り入れた形で成文法的システムを作り上げようとした西の法秩序論を考察した。

それはつまり、法とは何なのか、法はどのようにして秩序を形成するのかということを、西がどう捉えていたかを検討する作業であった。西によれば、秩序が最も強固に保たれる状況とは、秩序が秩序として意識されずして守られている状況であり、それは秩序や法が完全に内面化されている状況である。西は、慣習法的システムが十全に機能している社会を、まさにそのような社会として捉えていた。そのため西は、慣習法を成文法以上に高く評価していた。しかし、明治維新直後という時代状況の中では、超長期的スパンで自然に慣習法が形成されていくのに任せるという形で秩序形成を考えるわけにはいかなかった。そこで西は、慣習法の利点を最大限に取り入れた形で成文法を作り上げ、それによって秩序を自然な形で形成し維持しようと考えていたのである。西はそのことを「政畧論」などの平常社会論によっては論じきることができなかった。その問題を論じたのは、「従命」という概念の必要性を訴える軍事社会論であった。「従命」という概念を論じる西の意図を、平常社会における法の内面化という問題、言い換えれば法を守るという無意識的な習慣という問題を軍事社会論の中で論じようとしたものとして考察を加えた。つまり、西の軍事社会論を平常社会にも適応できる規律の問題を論じたものとして検討を加えたが、そこで考察した問題は、言わば、自由な平常社会においてさえ必要な、法秩序形成のための規律という問題であった。

第三章は、秩序を作り出すべき「法」は、そもそもどのようにして形成されるものとして理解されていたかに関する考察であった。西は、被治者の側の自発的な順法を引き出すために、〈仁政〉という概念とも結びつき得る形で理解された立法の原理として「功利主義」を捉えていた。これもまた法秩序の形成に関わる問題であった。

具体的には、顕教としての、〈民〉のために書かれた「人世三宝説」だけではなく、密教としての、〈君子〉のために書かれた忘れられた著作、『利学』を加味して捉え直すことにより、西の「功利主義」思想を立法の原理を提示する〈君子の哲学〉の側面を持つ思想として検討を加えた。従来の研究では、西の「功利主義」思想は、専ら西洋の「功利主義」思想の影響下に成立したものとして理解されてきたが、本論では、西が「功利主義」思想を理解するにあたって素地となった儒学的な発想を重視している。西は「功利主義」を儒学において極めて否定的な意味しか持ち得ない「功利」の主義として捉えたのではなく、「利学」や「利を大本とするの説」という言葉で認識し、あくまでも理想的な哲学として捉えていた。本論ではそれを〈君子の哲学〉と表現している。だからこそ西は、各人の利益追求の肯定としてだけではなく、立法の原理として「功利主義」を捉え得たのである。このような読解は、「人世三宝説」のみによっては不可能であり、あくまでも『利学』の読解によって初めて可能になる解釈である。西の「功利主義」思想は、民向けの消極的功利原理を説いた「人世三宝説」と君子向けの積極的功利原理を説いた『利学』とによって二段階の構成を持つものとして成立していたのである。より多くの構成員が自発的に参加するような秩序の構築に直結する形で「法」を立てることが〈君子〉の課題であるとするこのような議論は、第二章で論じた慣習法的利点を最大限に発揮できるように立法をするという発想にもつながるものであった。

第四章は、「知」によって順法を担保する発想を提示した議論として西の「宗教」論を読解する試みであった。各人の徹底的な自己利益追求は、一定のルールがない中ではかえって自己利益を阻害することにもなりかねず、だからこそ、自己利益をより十全に追求し尽くすためには競争当事者全てがお互いにルールを順守し合う方が得であるという理屈は、その理屈を理解し得る思考能力があって始めて意味を持つ。西の「宗教」論はまさに、思考能力という点に焦点を定めることによって、この課題に応えている部分があった。

国民個々人を自由な私益追求主体として捉える「功利主義」的発想は、従来の伝統思想が有していた道徳維持機能や民を啓発する機能を掘り崩すものでもあった。法治という原則だけでは、私益追及のために脱法的な手段を用いる人々が出現することを阻止し得ないのである。そのような弊害の発生は、法治を採用するためには甘受しなければならないということを西は十分に認識していた。「功利主義」的発想、法治という原則だけでは解決し得ないこのような問題を、西は「宗教」を論じる中で解こうと試みていたのである。西は順法という問題を、民の内面から発する道徳心、倫理意識によって成立するものとしてではなく、むしろ無意識的に法や秩序に従う習慣の問題として捉えるべきであると考えていたが、しかし、人はそういった習慣をどうやって身に付けていくのだろうか。西は十分な形ではその問題を論じきることはできなかったが、その「宗教」論は、少なくともこの 問題に接近しようと努力した議論として読むことが可能であることを提示した。

以上のように本論は、軍事社会論の議論をも平常社会の原理を語ったものとして捉え直すことにより、〈啓蒙思想家〉と評されてきた側面と〈軍国主義の創始者〉と評されてきた側面とを結び付けて理解することを試みた。明治前期という時代は、平常社会における秩序形成以上に、軍事社会における秩序形成という問題こそが喫緊の課題として認識されていた。良し悪しの問題を抜きにして、旧慣に基づく秩序を持っていた平常社会とは異なり、秩序そのものがなかった軍事社会にはじめて秩序を形成することの方が、誰の目にも見えやすい、より優先されるべき課題だったのである。しかし同時に、西は平常社会における旧慣を見直し、旧慣に基づく秩序を一掃したところに、新たな成文法を意図的に作りあげ、それによって新たな秩序を形成しようとしていた。新たに秩序を求めるという点において、軍事社会と平常社会とは、同じ課題を抱えていたとも言える。軍事社会の規律を論じる西は、かつて旧慣によって維持されていた平常社会の秩序を参照していたし、平常社会における新たな秩序を形成するための方法、新たな秩序を形成するために必要な規律をいかにして作り上げるかという課題をも同時に引き受けながら論じていたのである。

つまり、西が抱えていた課題は、第一にこれまでの平常社会において実現されてきた程度の規律や秩序を軍事社会においても実現させようとする課題であり、第二に平常社会において、かつて存在していた旧慣に基づく秩序に代えて、新たに制定されるべき法に基づく新たな秩序をいかにして実現し、それを定着させていくのかという二つの課題であった。その意味で、西における軍事社会論と平常社会論は、秩序という共有の課題を抱えていたのである。

以上のような考察を通じ、本論は、これまで政治思想家としては捉えられてこなかった西周を政治思想家として捉え直し、その政治思想の総体の解明につとめた。

審査要旨 要旨を表示する

提出論文は、いわゆる明治啓蒙期を代表する思想家であった西周の政治思想を扱った研究である。明治初年の思想界において西周は福沢諭吉と双璧をなす存在であったにも拘らず、従来の西研究は翻訳語の成立史や「軍人勅諭」の起草過程など特定の局面を分析したものが多く、その思想の全体像の解明は福沢の場合と比べて著しく遅れていた。これに対して本論文は、表題のように、西周の法と秩序に関する議論を中心にしながら、西の多様な活動を貫く思考態度を抽出することで研究史上の空白を埋めたものである。提出論文の構成及び要旨は、以下の通りである。

「序 2つの西周――<啓蒙思想家>と<軍国主義の創始者>」は、西周に関する研究史を検討したうえで、本論の構成を説明している。西は<啓蒙的知識人>と称される一方で、「軍人勅諭」の起草者であることに伴う<軍国主義の創始者>という印象が払拭できず、このことがこれまで西の政治思想の全体像を解明する際に躓きの石となってきたことを指摘する。しかしながら、西の軍事社会論は実は裏返しの平常社会論という側面を有しており、このような角度から軍事社会論を含む西の議論を再検討することで、従来の分裂した西周像を克服する可能性が示唆される。

「第一章『平常社会』論としての軍事社会論」では、序を受けて、軍事社会論を西が著したときの時代状況や社会背景を押さえ、軍事社会論の基礎的読解を行うことで第二章以下の導入としている。西は確かに「軍人勅諭」を起草したが、それは官僚としての立場上要請に応じてなされた作業であり、西自身軍事の専門家ではないことは明確に認識していた。さらに、「軍人勅諭」が起草された頃の社会状況は、軍紀の乱れや軍人による犯罪が顕在化しており、無秩序な軍隊を法律や規律によって統制し市民社会を脅かさないように軍隊を再構成することが必要であった。従って、西が軍事社会論を展開したときに念頭に置かれていたものは、後に「軍人勅諭」が解釈された文脈とはかなり異なるものであり、西は軍事社会論を展開することで裏から平常社会論を展開していたのである。著者はさらに、西の統帥権に関する議論を分析し、西南戦争に象徴されるような薩派参議と軍隊内の無規律が連動した政治不安を解消するために、「太政官によることのない兵権」の樹立の必要性が統帥権論の背景にあったことを指摘し、西における三権分立論の位置をあわせて論じている。

「第二章法秩序論」は、平常社会論と軍事社会論を貫く西の秩序像と秩序形成の方法を論じている。ここでは「政畧論」や「兵家徳行」を中心的素材としながら、西において理想とされた法秩序が慣習法にあったこと、しかし明治維新という革命的状況直後に秩序形成の課題を担った西には、長期間かけた自然な慣習形成による法秩序は期待できず、慣習法の利点を最大限取り入れた形での成文法に頼らざるをえなかったことが指摘される。そのうえで、法の内面化や規律化を担保する方法を、西が軍事社会論のなかで「従命」という概念を提示することで論じようとしていたことが描かれている。

「第三章<君子の哲学>としての『功利主義』」は、従来の研究でほとんど本格的に扱われることのなかったJ.S.Mill, Utilitarianism の西による漢訳『利学』を縦横無尽に参照しながら、法秩序の形成に関わる問題として西の功利主義理解を論じている。従来西の功利主義が論じられる時、専ら参照されていたのは通俗書である『人生三宝説』であったが、著者は、西の功利主義は<民>に向けて消極的功利主義原理を説いた『人生三宝説』と、<君子>に向けて積極的功利主義原理を説いた『利学』という重層的構成を持っており、西が「功利主義」は、否定的用語ともなる「功利」の主義としてではなく、規範を成立させる根拠についての哲学として捉えていたことを明快に指摘している。

「第四章宗教の再構成――西周における啓蒙の戦略――」は、「知」によって順法を担保する発想を示したものとして西の「宗教」論を再解釈したものである。各人の徹底的な自己利益の追求は場合によっては却って自己利益を阻害することがあるが故に、競争当事者間で一定のルールを順守することが得であるという理屈が成り立つためには、その理屈を理解する思考能力が必要である。著者は、西の「宗教」論を、このような順法を担保する知的能力の涵養という観点から読解し、法秩序論を補完するものとして位置づけている。

「おわりに 法治社会における道徳の行方」は、「道徳の強制」を避けようとした西周が、それにも拘らず、あるいはそうであるが故に抱え込んだ、法治社会における道徳というアポリアの所在を示すことで、西の取り組んだ問題の重要性を総括的に論じている。

以上が提出論文の要旨であるが、本論文は次のような点で評価することができる。第一に、本論文は現時点で最も本格的な西周の政治思想に関する研究である。序で触れられているように、従来の西周研究は翻訳語の成立史や「軍人勅諭」に関する政治史研究が大半であり、明治啓蒙の思想家として扱われる場合でも、私益の肯定という功利主義の表面的な性格のみが評価されるにとどまっていた。これに対して本論文は、これまでほとんど利用されてこなかった『利学』を読み解き、西の功利主義の重層的な構造を明らかにしたうえで、それをより広い法秩序論の文脈に位置づけることで西の思想の全体像を明晰に描き出している。また副題の法秩序観における伝統と近代という主題についても、単に伝統思想を一枚岩的に捉えるのではなく、儒学のみならず兵学、法家、仏教など様々な要素の複合体であることを押さえたうえで、西における伝統思想の継承と読み替えを論じているのは、論文に奥行きを与えている。

第二に、西周の多面的な著述活動を踏まえながらも、単なる伝記的事実の解明ではなく、西の提示した課題を政治理論の問題として捉えようとした姿勢が挙げられる。従来、私益の端的な肯定という視点のみから評価されていた西の功利主義を、法や規律に対する考え方と関連した秩序観として捉えより広い理論的問題を提示したこと、そして法や規律の内面的定着化の問題として宗教、知性、心理という次元の問題にまで踏み込んで、西の思想を再構成したことは、本論文の特色として評価できる。

第三に、西周の置かれた歴史的文脈を十分踏まえつつも、現代の倫理思想につながる問題を提示した点が指摘できる。これまでの日本政治思想史研究において、功利主義は強い関心を集めてきたとは言い難いが、本論文の結びの部分で示唆されているように、現代日本社会において、功利主義的な秩序観を前提にしたとき法秩序における道徳はいかなる位置を占めるのかという問題は、実は極めて重要な問題である。この意味で提出論文は、歴史に内在しつつ現代的課題を提示したものとして評価することができよう。

だが、提出論文にはいくつかの弱点と思われる個所も存在する。第一に、著者の提起する西における倫理の心理的基礎付けという主題は、より広い歴史的文脈を考慮に置くことでさらに発展させ得るのではないか。本論文では西の視圏にあったイギリスの倫理思想には注意を払っているが、同時代の他の西欧諸国の倫理思想の展開には、必ずしも考察が届いているとはいえない。またそもそも神学や超越的契機を欠く傾向も生じた日本において倫理の心理的基礎付けという問題系がどのような展開をたどるのか、という問題群も今後の課題には成り得るであろう。

第二に、本論文は「軍人勅諭」起草時の社会的背景などの叙述に示されるように、総じて西周の同時代の状況は精確に把握されているが、より長期の日本思想史の展開について著者がどのような理解を示しているのかやや不鮮明な箇所も存在する。例えば、西の統帥権や三権分立理解を論ずる際に傍証として援用される穂積八束の憲法論・天皇論はどの程度まで西の法秩序観と同質なものと扱い得るのか、というような疑問は残るように思われる。

しかしながら、これらの点は本論文の学術的価値をいささかも損なうものではない。総じて、本論文は、この数十年間研究の途絶えていた観のあった西周研究を高水準で再生した研究であり、学界に対して多大な貢献をしたものと認めることができる。以上の点から審査委員会は、本論文の提出者は、博士(学術)の学位を授与されるのにふさわしいと判断する。

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