学位論文要旨



No 123088
著者(漢字) 金子,健二
著者(英字)
著者(カナ) カネコ,ケンジ
標題(和) 人工鋳型ペプチドを用いたディスクリートなハロゲン架橋白金錯体への合成アプローチ
標題(洋) A synthetic approach to discrete halogen-bridged platinum complexes using artificial peptide templates
報告番号 123088
報告番号 甲23088
学位授与日 2007.10.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5093号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 長谷川,哲也
内容要旨 要旨を表示する

近年、機能性分子ワイヤーの合成を目指して、固体結晶や溶液中における擬一次元金属錯体の合成が盛んに行われている。中でも鋳型を用いた合成法は、機能性ビルディングブロックを「数」、「組成」、「配列」、「空間配置」において分布なく一義的に集積する手法として魅力的である。ペプチドなどの生体高分子は、ビルディングブロックであるアミノ酸を逐次、縮合反応により連結していくため、デザインした「長さ」、「配列」を持つ生体高分子を合成することができる。この手法は天然のビルディングブロックに限らず適用することが可能であることから、金属配位子や金属錯体などの機能性分子の精密な配列化にも有効である。また、ペプチドが形成する、特異な折りたたみ構造をモチーフとして、機能性金属錯体の空間配置をデザインすることができる。本研究は、不斉中心を持つ金属錯体型人エアミノ酸を合成し、これをペプチド鎖中に配列化することにより、金属錯体をデザインした空間配置でナノ集積化する方法論の確立を行い、新規機能性分子を創製することを目的としている。

遷移金属イオンとハロゲン化物イオンが交互に配列した擬一次元ハロゲン架橋混合原子価金属錯体は、強い電荷移動吸収や三次の非線形光学効果など、電子格子相互作用に基づく魅力的な物理化学的物性を有し、分子ワイヤーなどへの機能化が期待される。しかし、その合成方法はほとんどが結晶化を基本とするため、擬一次元鎖上の金属イオンの数や、複雑な配列構造を制御することは困難であった。そこで本研究では、側鎖に白金(II and IV)錯体を有する人工ペプチド鎖を鋳型分子として、ペプチド二重鎖内にディスクリートなハロゲン架橋混合原子価白金錯体を構築する手法の開発を目的とした(Scheme 1)。

人工鋳型ペプチド鎖のビルディングブロックとなる人工アミノ酸1は、主鎖と側鎖をそれぞれ合成し、両者を縮合するルートで合成することとした。まず、テトラエチレングリコールを出発原料として2級アミノ基を持つ主鎖を合成した。次に、Boc-L-アスパラギンから、キラルなエチレンジアミン型配位子を有するカルボン酸の側鎖を合成した。これらを縮合した後、官能基変換を経てビルディングブロック1を合成した。これを任意の数連結した人工鋳型ペプチド1a-d(CF3COOH)(2n):(n=2,3,9,10)をFmoc固相法により合成した(Scheme 2a)。この配位子上に2価のビス(エチレンジアミン)型白金錯体を導入した後、有機溶媒への可溶化のために長鎖ジアルキル型対アニオンに変換した脂溶性ペプチド白金(II)および白金(IV)錯体([1a-d(Pt(II)(en))n](RSO3)(2n) and [1a-d(Pt(IV)Br2(en))n](RSO3)(2n):(n=2,3,9,10))を合成した(R=(C(l2)H(25)OCH2)2CHO(CH2)3-)(Scheme 2b)。同定は、1H NMR,ESI-TOF MSおよび元素分析により行った。これらの2価白金錯体鎖と4価白金錯体鎖を混合することにより、指を組んだような構造を持つディスクリートなハロゲン架橋混合原子価錯体の構築を目指した。

人工ペプチド鎖を鋳型分子としたハロゲン架橋混合原子価白金錯体の最小単位になると考えられる、ペプチド二核白金(IV)錯体鎖[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4と単核白金(II)錯体[Pt(II)(en)2](RSO3)2からなるハロゲン架橋混合原子価三核錯体(Pt(IV)-Pt(II)-Pt(IV))の形成を調べるために、まずUV-vis吸収スペクトルによる滴定実験を行った。ジクロロメタン中、[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4(25μM)を[Pt(II)(en)2](RSO3)2で滴定すると、[Pt(II)(en)2](RSO3)2の増加に伴い、360と390nmの新たな吸収が増大した(Fig.1)。滴定曲線は飽和型となり、360nmにおける吸光度の変化量は収束に向かっていった。これより、ペプチド二核白金(IV)錯体鎖[1(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4と単核白金(II)錯体[Pt(II)(en)2](RSO3)2の有意な相互作用が明らかとなった。1:1錯体が形成していると仮定した時の360nmにおけるモル吸光係数は、8×103M(-1)cm(-1)unif(-1)(unit=Pt(II)-Pt(IV)の数、この組み合わせではunit=2)以上であった。この値のオーダーから、生成する錯体が電荷移動吸収帯を持つことが示唆された。

次に、この相互作用をより詳細に調べるために、1H NMRを用いた滴定実験を行った。293Kで重ジクロロメタン中、ペプチド二核白金(IV)錯体鎖[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4に対して0.5当量の単核白金(II)錯体[Pt(II)(en)2](RSO3)2([[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4]=5mM,[[Pt(II)(en)2](RSO3)2]=2.5mM)を加えると、[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4のエチレンジアミンのCH2のシグナルが高磁場シフトした。また、相互作用していない原料のシグナルは観測されなかった。これより、NMRのタイムスケールよりも速い相互作用が明らかとなった。さらに、このスペクトル変化は、1当量以上加えても収束しなかったことから、5mMという高濃度条件下でも定量的に相互作用しないことが分かった。一方、単核白金(II)錯体[Pt(II)(en)2](RSO3)2のエチレンジアミンのCH2のシグナルは、低磁場シフトすることが分かった。これより、Pt(II)錯体とPt(IV)錯体の金属中心を介した有意な相互作用が示された。

見かけの結合定数は、1H NMRとUV-vis滴定実験を比較すると、構成錯体の濃度と共に変化したことから、濃度に依存した長鎖ジアルキル型対アニオンの自己会合が、Pt(IV)錯体とPt(II)錯体により形成した新たな錯体の安定性に影響を及ぼしていることが示唆された。

最後に、ペプチド二核白金(IV)錯体鎖[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4と単核白金(II)錯体[Pt(II)(en)2](RSO3)2から生成する錯体の化学量論比を調べるために、質量分析を行った。[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4:[Pt(II)(en)2](RSO3)2=1:1の試料のESI-TOFマススペクトル測定により、1:1錯体([1a(Pt(IV)Br2(en))2・Pt(II)(en)2・(RSO3)4](2+))のシグナルが、m/z=2064,48に観測された(Fig.2)。この結果から、ペプチド二核白金(IV)錯体鎖[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4単核白金(II)錯体[Pt(II)(en)2](RSO3)2を挟み込んだ1:1錯体である、混合原子価白金三核錯体(Pt(IV)-Pt(II)-Pt(IV))が溶液中で形成していることが示された。

より多数の白金錯体からなる構成錯体間においても同様のUV-vis吸収スペクトル変化が観測されたことから、より多数の白金錯体を有するペプチド間の二重鎖構造からなるディスクリートな混合原子価白金錯体の形成が示唆された。

以上のように、筆者は、任意の数の2価白金錯体と4価白金錯体を側鎖に有するペプチド錯体を新たにデザイン・合成し、これらを溶液中で混合することにより、指を組んだような構造を持つディスクリートなハロゲン架橋混合原子価白金錯体の構築を目指した。結果として、1H NMRとUV-visの滴定実験、およびEDI-TOFマススペクトルにより、ペプチド二核白金(IV)錯体鎖[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4と単核白金(II)錯体[Pt(II)(en)2](RSO3)2の有意な相互作用が観測された。また、マススペクトルから1:1で結合した混合原子価白金三核錯体(Pt(IV)-Pt(II)-Pt(IV))の形成が明らかとなった。これより、人工鋳型合成ペプチドを用いたディスクリートなハロゲン架橋混合原子価白金錯体の一般的な合成法への手がかりを見出した。本合成法の確立により、金属ワイヤーの固体物理的なバンド構造の形成における分子論的な解析や、外部刺激(光、磁場、酸化還元)による擬一次元鎖の電子構造制御など、金属イオンの数や配列に依存した新規物性や機能の創製が期待され、ナノテクノロジーにおける基礎研究の更なる発展が期待される。

Scheme 1.ペブチドをテンプレートとしたディスクリートなハロゲン架橋混合原子価白金錯体の合成アプローチ.

Scheme 2.(a)人工鋳型ペプチドの合成,(b)ペプチド白金錯体の合成.

Fig.1 UV-vis吸収スペクトルを用いた[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4の[Pt(II)(en)2](RSO3)2による滴定実験(in CH2Cl2 at 293 K (/=1)).[[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4]=25μM.[[Pt(II)(en)2](RSO3)2]=0.0, 5.0, 10, 15, 20, 25, 38, 50, 75 and 100μM. Inset; 360nmにおける滴定

Fig.2 [1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4:[Pt(II)(en)2](RSO3)2=1:1

審査要旨 要旨を表示する

近年、機能性分子ワイヤーの創製を目指して、固体結晶や溶液中における擬一次元金属錯体の合成が盛んに行われている。中でも鋳型を用いた合成法は、機能性ビルディングブロックを「数」、「組成」、「配列」、「空間配置」を制御して集積する手法として有用である。段階的合成によりアミノ酸を合目的的に連結できるペプチドは、人工鋳型分子として有用であり、機能中心となる金属錯体などを精密に集積することができる。本研究は、人工ペプチドを鋳型として金属イオンの数や配列を精密制御した擬一次元ハロゲン架橋混合原子価白金錯体を合成する手法の開発を目的とした。その鋳型ペプチドのビルディングブロックとして、側鎖にエチレンジアミン型配位子を有する人工アミノ酸1が新たに設計・合成され、次に定まった数の人工アミノ酸1を連結した人工ペプチドおよびそれらの二価白金錯体鎖と四価白金錯体鎖が合成された。これらの二価白金錯体鎖と四価白金錯体鎖を混合することにより、定まった数の白金イオンを有する、ハロゲン架橋型の混合原子価多核白金錯体の形成が確認された。

本論文は全5章か成り、第1章では、本研究の目的、背景が詳述されている。第2章では、ビルディングブロックとなる人工アミノ酸1、人工鋳型ペプチド鎖、およびペプチドを鋳型としたハロゲン架橋混合原子価錯体の分子設計について述べられている。人工アミノ酸1は、光学活性を有するエチレンジアミン型配位子を側鎖に導入し、ハロゲン架橋混合原子価白金錯体を構成する白金錯体を側鎖に持つように設計された。また、人工アミノ酸1をペプチド結合で連結した時に配位子間距離が約11Åとなるように、スペーサーとして主鎖にオリゴエーテルユニットが導入された。これより誘導されたビス(エチレンジアミン)型白金(II)錯体鎖と白金(IV)錯体鎖を混合することにより、ペプチドニ重鎖内に指を組んだような構造からなるハロゲン架橋混合原子価白金錯体(Pt(II)-Pt(IV):5.5Å)が形成されることが期待された。

第3章では、鋳型ペプチド鎖のビルディングブロックとなる人工アミノ酸1、人工鋳型ペプチド鎖、およびその白金錯体の合成について報告されている。側鎖にエチレンジアミン型配位子を有する人工アミノ酸1は、テトラエチレングリコールから誘導した主鎖とBoc-L-アスパラギンから得た側鎖を縮合し、官能基変換を経るルートで合成された。次いで、定まった数6=2,3,9,10)の人工アミノ酸1を連結した人工ペプチドがFmoc固相法により合成された。[Pt(II)Br2(en)]との錯体形成反応により、定まった数のビス(エチレンジアミン)型白金(II)錯体を側鎖に持つ水溶性ペプチド錯体を合成した後、脂溶性を示す対アニオンからなる二価白金錯体鎖[1a-d(Pt(II)(en))n](RSO3)2n:(n=2,3,9,10)と四価白金錯体鎖[1a-d(Pt(IV)Br2(en))n](RSO3)2n:(n=2,3,9,10)へ誘導した(R=(C12H25OCH2)2CHO(CH2)(3-))。

第4章では、人工ペプチドを鋳型としたディスクリートなハロゲン架橋混合原子価錯体の合成を目的として、各種滴定実験および質量分析により、合成した新規白金(IIandIV)錯体間の相互作用を観測している。例えば、ペプチドを鋳型としたハロゲン架橋混合原子価白金錯体の最小単位である、ペプチドニ核白金(IV)錯体鎖[1a(Pt(IV)Br2(en))2](RSO3)4と単核白金(II)錯体[Pt(II)(en)2](RSO3)2からなるハロゲン架橋混合原子価三核錯体(Pt(IV)-Pt(II)-Pt(IV))の形成について、UV-vis,1H NMR,質量分析により解析が行われた。UV-vis滴定実験では、両錯体間の有意な相互作用が明らかとなり、電荷移動吸収に帰属されると考えられる吸収帯をもつ錯体の形成が示された。また、1H NMR滴定実験では、エチレンジアミンのメチレンプロトンシグナルの挙動から、金属中心を介した有効な相互作用が示された。さらに、ESI-TOF MS測定から、1:1の混合原子価三核錯体(Pt(IV)-Pt(II)-Pt(IV))の形成を示す結果が得られた。これらの実験から、人工ペプチドを鋳型として、混合原子価白金三核錯体(Pt(IV)-Pt(II)-Pt(IV))が形成されることが明らかとなった。また、より多数の白金錯体からなる構成錯体間においても同様のUV-vis吸収スペクトル変化が観測され、同様の二重鎖構造からなるディスクリートな混合原子価白金錯体の形成が示唆された。第5章では、本論文の総括、および、今後の研究展望が述べられている。

以上のように、本論文では、独自に設計・合成した新規人工アミノ酸1を用いて、定まった数の白金イオンを有するハロゲン架橋混合原子価多核白金錯体の合成法が開発された。溶液中のディスクリートなハロゲン架橋混合原子価錯体の一般性の高い合成法は前例がなく、また本研究成果により、白金イオンの数と物性の相関を明らかにするための手法が示され、機能性金属ワイヤーの構築に関する重要な知見が得られた。

よって、これらの研究成果は理学の発展に大いに貢献するものであり、博士(理学)取得を目的とする学術研究として十分な意義を有する。

なお、本論文の2-4章は、田中健太郎氏、渡邊祐介氏、塩谷光彦氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析および考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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