学位論文要旨



No 123089
著者(漢字) 黒崎,辰昭
著者(英字)
著者(カナ) クロサキ,タツアキ
標題(和) ATXN1、ATXN10 遺伝子におけるマイクロサテライトリピートの分子進化
標題(洋) Molecular evolution of microsatellite repeats in the ATXN1 and ATXN10 genes
報告番号 123089
報告番号 甲23089
学位授与日 2007.10.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5094号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 植田,信太郎
 東京大学 教授 青木,健一
 東京大学 准教授 石田,貴文
 東京大学 講師 井原,康夫
 東邦大学 教授 黒崎,久仁彦
内容要旨 要旨を表示する

マイクロサテライトリピート(1-6bpの直列反復配列)の伸長は、神経疾患、筋疾患、発生障害などこれまでに40種以上のヒトの病気に関与することが知られている。リピートの伸長はその他の突然変異と異なり、組織間、世代間でダイナミックに変化し、突然変異率が高い。またより繰り返しの多い配列の方が、少ないものよりも伸長しやすく、リピートがある一定の閾値を超えると病気を発症する。しかし一方でマイクロサテライトリピートはゲノム中に豊富に存在し、その突然変異率の高さからゲノム進化の一要因として指摘されてきた。進化的な観点からヒトとげっ歯類のリピート配列(poly-Q)の長さを比較すると、病気の原因となるリピートは正常アリルにおいても、ヒトで顕著(>2倍)に長い傾向にある。すなわちリピート病原因遺伝子内のリピート配列はヒトに至る進化の過程で急速に伸長したことが想定される。これまでヒトと霊長類数種との比較解析は例があるが、これらリピート配列獲得の進化様式を包括的に示したデータはない。本研究では霊長類進化におけるリピート配列の起源と分子進化を明らかにするため、ヒトとげっ歯類での塩基配列の差異が大きい脊髄小脳変性症1型(spinocerebellar ataxia type 1, SCA1)と脊髄小脳変性症10型(spinocerebellar ataxia type 10, SCA10)の各原因遺伝子ATXN1、ATXN10において、霊長類内におけるリピート配列の比較解析を行い、リピートの機能進化的側面を考察した。

1. ATXN1 GAGリピートの分子進化

SCA1は、主に脊髄、小脳、脳幹部の神経細胞が変性し、特異的に細胞死に至る進行性の運動失調症である。SCA1は原因遺伝子ATXN1のエキソン7に存在するCAGリピート(poly-Qをコード)が39リピート以上に過伸長することが原因となる。このCAGリピートはげっ歯類において存在しないが、正常なヒト集団においては、6-44の範囲に分布を見せる。ATXN1によりコードされるAtaxin-1タンパク質は分子内に核酸binding domainを有し、遺伝子発現の調節因子として機能する。また生理学的にはAtaxin-1は学習と記憶などの形質と関連が指摘されている。特にAtaxin-1のpoly-Qの長さはヒトの計算能力と正の相関があることから、霊長類進化におけるCAGリピートの獲得が、ヒトに特徴的な形質(知能)の進化に寄与した可能性がある。本研究ではATXN1 CAGリピート獲得の進化的起源を明らかにするため、霊長類内の各種において、リピート配列を決定した。その結果、原猿、新世界ザルのAtaxin-1オルソログでは明確なリピート構造を形成せず、グルタミンとプロリンの入り混じったモザイク状構造を形成すること、またCAGの繰り返し構造(poly-Qをコード)は旧世界ザル、類人猿、ヒト共通の遺伝的形質であることを明らかにした(図1)。さらにこれらリピートの生物種間比較から、リピート構造の長さに多様性があり、比較的リピートの長い類人猿において"Repeat Interruption (RI)"構造が配列内に出現することを明らかにした。

CAGリピートは、分子内で独特な二次構造(ヘアピン構造)を形成しやすく、DNA複製、DNA修復、組み換えの際に生じるヘアピン構造がリピートの不安定性に深く関与することが指摘されている。従ってCAGリピートやRI構造獲得の分子的背景に関する知見を得るため、DNAの二次構造予測プログラムにより、これら霊長類CAGリピートのDNAの二次構造比較を行った。その結果、類人猿、旧世界ザル、新世界ザルにおいて独特のヘアピン構造が形成され、リピートの長さ依存的にその構造が安定化することが判明した(図2)。またRIがヘアピン構造の安定化を軽減することがわかった。RIは、98%の健常なヒトアリルで保持されており、リピートが過伸長したSCA1患者においては通常存在しないことから、リピート配列の伸長を防止する役割があるとされている。従ってこれらの結果は、ATXN1 CAGリピート(poly-Q)が、霊長類進化の過程、特に広鼻猿類分岐後の共通祖先という段階で獲得され、配列の長さの多様性が増し、リピートが比較的長く伸びた数種(類人猿、ヒト)において過伸長を防ぐ機構としてRI構造を獲得するに至った進化的シナリオを提示している。

SCA1の分子病理学的メカニズムとして、poly-Qの過伸長がAtaxin-1の分子構造を変化させ、この変異タンパク質が異常な機能を獲得し、神経細胞特異的に毒性を示すとされている。poly-QがAtaxin-1タンパク質の立体構造形成に重要であることは疑いないが、正常なAtaxin-1のpoly-Qの分子機能に関しては、不明な部分が多い。これまでAtaxin-1のpoly-Qを特異的に認識し結合する因子として、Poly-Q Binding Protein 1(PQBP-1)が知られている。PQBP-1は発生段階の中枢神経系で発現が強くみられる因子で、特に変異型Ataxin-1(82Q)と結合し、細胞死を促進させる。従って、霊長類Ataxin-1の機能進化に対するPQBP-1の関与が想定される。Ataxin-1とPQBP-1との結合に関して、これまで変異型Ataxin-1(82Q)との結合は明らかにされてはいるものの、正常型のAtaxin-1との結合、もしくはグルタミンリピートそのものとの結合は十分に解析されてはいない。従って組み換えタンパク質を発現・精製し、表面プラズモン共鳴法(SPR法)によって、これら相互作用の変化をin vitroで解析した。その結果正常型Ataxin-1とPQBP-1との間に相互作用が検出された。さらにPQBP-1は旧世界ザル型のpoly-Q(Q11)を認識して結合できるものの、新世界ザル型のモザイク配列(Q2PQ2P4Q2)とは結合できないことが判明した(図3)。これは霊長類進化、新世界ザル分岐後の共通祖先段階において、Ataxin-1の分子機能変異が起こった一つの証拠と考えられる。

2.ATXN10 ATTCTリピートの分子進化

SCA1などコード領域内のマイクロサテライトリピートに対して、非コード領域内に存在するリピート長の変異は組織間、世代間を通じてダイナミックに変化することが知られている。SCA10は、原因遺伝子ATXN10のイントロン9に存在するATTCTリピートの伸長が原因となる。健常者における繰り返し多型の範囲は10-29であるが、患者における範囲は280-4500と非常に大きく、既知のリピート病の原因としては最も大きな変異の一つである。ATXN10遺伝子と相同性のある配列はショウジョウバエや酵母においても確認されており、神経細胞の生死を制御する役割があるとされている。しかしながら、ATTCTリピートの機能的側面は全く不明である。さらにATTCTリピートの起源やその周辺のゲノム構造に関して、ヒト以外の生物種において全く分かっていない。本研究ではこの5塩基繰り返し配列の進化的な起源を明らかにするため、哺乳類における比較解析を行った。その結果、このリピートは霊長類特異的(図4)であり、また霊長類内では、原猿、新世界ザルにおいても全く存在しないことが明らかになった。一方、ヒト、旧世界ザル、類人猿の配列比較において、リピート周辺配列は高度に保存されているにもかかわらず、リピート自体の繰り返し単位や長さに多様性があることが判明した(図5)。ヒト、類人猿のリピートの方が旧世界ザルのものよりも比較的長く、旧世界ザルにおいてCTTGT、類人猿においてATTCTという、それぞれの系統特異的にT-richなリピートが観察された。さらにこのリピートがトランスポゾン配列中に存在することから(図4)、周辺のゲノム構造を決定した。その結果、リピートがちょうどLINE1とAluの境界に位置し(図5)、またAluのpoly (A) tailの3'末端側よりすぐ後に続くことから、この5塩基繰り返し配列自体、Aluのpoly (A) tailが変化したものであることが明らかになった。データーベース検索により、このAluのサブファミリーはAluS(30-50 Mya)と同定され、またこのAluがLTR型レトロトランスポゾンERVK(30-40 Mya)の挿入により二つに分断されていることから、その起源は広鼻猿類と狭鼻猿類の分岐年代(40-50 Mya)に起きたであろうAluのレトロトランスポジションであることが判明した(図6)。

本研究ではATXN1、ATXN10遺伝子におけるマイクロサテライトリピートの比較解析を行い、これらリピート配列が霊長類内各種において系統特異的な差があることを明らかにした。特にそれぞれのリピートに関して、その起源は広鼻猿類と狭鼻猿類の分岐年代前後にあることが判明し、霊長類進化におけるこれらリピートの起源が明らかになった。またどちらの遺伝子においても類人猿、ヒトにおいてより長いリピートが保持される傾向があることが判明した。すなわちこれらの遺伝子に関して、神経疾患の危険性を増大させる方向にヒトや類人猿は進化したことを意味する。これらリピート獲得に伴う機能的有意性の有無や、他のリピート病原因遺伝子における分子進化は今後さらに解明されるべき課題である。しかし少なくともこれら遺伝子において、霊長類のゲノム進化と多様性形成の一要因として、マイクロサテライトリピートが大きく貢献したことは間違いない。

図1:Ataxin-1 poly-Q配列の種間比較

図2:ATXN1のCAGへアピン構造

図3:SPR法によるPQBP-1と化学合成ペプチドとの相互作用解析

図4:哺乳類リピート周辺領域のゲノム構造の比較

図5:ヒト、類人猿、旧世界ザルにおけるリピート周辺領域の配列比較

図6:5塩基繰り返し配列の起源

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり,第1章では霊長類ATXN1遺伝子におけるマイクロサテライトリピートの多様性、第2章では霊長類進化の過程で獲得したATXN1遺伝子のマイクロサテライトリピートの機能比較、第3章ではヒトATXN10遺伝子におけるマイクロサテライトリピート獲得の進化プロセスが述べられている。

マイクロサテライトリピート(1-6塩基を単位とする直列型反復配列)の異常伸長を原因とするリピート病と呼ばれる神経疾患、筋疾患などが、これまでに40以上知られている。リピートの伸長はその他の突然変異と異なり、世代間でダイナミックに変化し、突然変異率が高い。また、繰り返し数の多い配列は少ないものよりも伸長しやすく、リピートがある一定の閾値を超えると病気を発症する。しかし一方で、マイクロサテライトリピートはゲノム中に豊富に存在し、その突然変異率の高さからゲノム進化の一要因として指摘されてきた。さらに、ヒトとマウスのリピート長を比較すると、病気の原因となるリピートは正常アリルにおいてもヒトで顕著に長い傾向にあり、正常アリルのリピート配列もヒトに至る進化の過程で急速に伸長したことが推測されている。本論文では、霊長類におけるマイクロサテライトリピート配列の起源とその進化の解明の一つとして、ヒトとマウスとの間でリピート数の差異が大きい脊髄小脳変性症1型(SCA1)と脊髄小脳変性症10型(SCA10)の各原因遺伝子 ATXN1, ATXN10 に関して、霊長類種間におけるリピート配列の比較解析を行い、マイクロサテライトリピートの分子進化学的解析がおこなわれた。

ヒトのATXN1 遺伝子は第7番エキソンにCAGの繰り返しが存在し、これによりグルタミン・リピート構造がコードされている。本論文では、原猿、新世界ザル、旧世界ザルから類人猿に至る様々な霊長類に関して ATXN1 遺伝子のゲノム構造を明らかにし、既知の霊長類以外の脊椎動物の遺伝子配列を含めた比較解析がおこなわれた。その結果、原猿、新世界ザルでは明確なリピート構造を形成しておらず、グルタミンとプロリンの入り混じったモザイク状構造を形成しているが、狭鼻猿類(旧世界ザル、類人猿、ヒト)ではグルタミン・リピート構造が存在していることを明らかにしている。また、旧世界ザルのグルタミン・リピート構造はCAGの単純な繰り返しだけで構成されているが、比較的長いリピート構造をもつ類人猿ならびにヒトにおいては、リピート構造中に他のグルタミン・コドン(CAA)あるいは他のアミノ酸残基(コドンCAT)による"Repeat Interruption"(RI)が存在することを明らかにした。また、リピートDNAの二次構造比較から、ヒト、類人猿、旧世界ザル、新世界ザルではヘアピン構造を形成すること、リピートの長さ依存的にその構造が安定化すること、RIがヘアピン構造の安定化を軽減することを明らかにした。リピートが過伸長したSCA1患者においてRIは観察されないことから、ATXN1 遺伝子のCAGリピート構造は霊長類進化の過程、特に狭鼻猿類が分岐後の共通祖先の段階で確立され、リピート長が増した類人猿、ヒトにおいて過伸長を防ぐためにRI構造を獲得したとする進化的シナリオを提示している。

次に、これら霊長類の ATXN1 遺伝子によってコードされる Ataxin-1 タンパク質の機能的多様性を、ヒト Ataxin-1 タンパク質のグルタミン・リピートを特異的に認識し結合する因子として知られているPQBP-1との相互作用から比較検討している。表面プラズモン共鳴法を用いて解析し、PQBP-1は旧世界ザル型のグルタミン・リピート構造とは結合できるものの、新世界ザル型のグルタミンとプロリンの入り混じったモザイク状構造とは結合できないことを明らかにした。これにより、霊長類進化の過程でAtaxin-1 タンパク質の機能変異が起こった一つの証拠を示した。

最後に、ヒトSCA10の原因である遺伝子 ATXN10 遺伝子・第9イントロンのATTCTリピート周辺のゲノム構造の詳細な分析によりリピート構造誕生のシナリオを、そして、原猿、新世界ザル、旧世界ザルから類人猿に至る様々な霊長類のゲノム比較によりATTCTリピート誕生のシナリオを解析した。その結果、広鼻猿類と狭鼻猿類の分岐年代(約4000-5000万年前)に起きた Alu 配列のレトロトランスポジションを起源とすること、旧世界ザルではリピートユニットとしてのCTTGTとCTGGT配列の、ヒト上科(ヒトと類人猿)ではリピートユニットとしてのATTCT配列の重複により現在の5塩基リピート構造がそれぞれ生じたことを示した。

以上,本研究は霊長類の遺伝子コード領域および非コード領域におけるマイクロサテライトリピートの起源とその進化を詳細な分析によって明解に示したものであり、学問的意義は非常に高い。なお,本論文は植田信太郎、王瀝、二ノ方文との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって,博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク