学位論文要旨



No 123091
著者(漢字) 大友,信秀
著者(英字)
著者(カナ) オオトモ,ノブヒデ
標題(和) クレーム解釈における均等論の位置づけとその役割
標題(洋)
報告番号 123091
報告番号 甲23091
学位授与日 2007.11.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第210号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白石,忠志
 東京大学 教授 中山,信弘
 東京大学 教授 斉藤,誠
 東京大学 教授 石川,健治
 東京大学 教授 田中,信行
内容要旨 要旨を表示する

特許の権利範囲は、クレームという特許文書中に自らが権利範囲として特定することを記した部分をもとに解釈、特定される。しかし、このクレームは文字によって表現されているため、発明という物理的に形を持たないものを適切に特定することは困難である。そのため、特許権侵害の判断に際しては、クレームの文言に厳格に縛られずに行う判断手法が用いられている。そのうち、最も重要なものの一つがいわゆる均等論と呼ばれる判断手法である。

均等論は明文に規定があるわけではなく、判例によって発展した法理である。その歴史はクレーム解釈よりも古く、米国では最初の特許法が成立した1770年以後、常に考慮されてきたと言っても過言ではない。同国においては、特許保護範囲を確定する第一義的役割をクレーム解釈に譲った後も均等論が消滅することはなかった。また、ドイツにおいても1890年法以後、クレームによる保護範囲の解釈が義務づけられたにもかかわらず、ときに均等論と混同される拡張解釈の発展を見た。日本においても昭和34年改正前まではクレーム制度と均等論は密接な関係を保ちながら発展してきた。

このように長い歴史を有する法原理であることから、これまでにも均等論に関する研究は数多くなされてきた。しかし、その法的性質、適用要件はいまだ確定していない。その原因は、各国における通史的研究と比較法研究の不足にあると考えられる。したがって、米独日の各国について、通史的に考察を行った後、各国における均等論の適用要件を比較する。

米国とドイツは、特許制度創設時に一時期クレームではなく、明細書によって権利範囲を特定する時期を経験している点が共通している(米国は1870年法より前の時期。ドイツは、1877年法下における時期。)。そして、その後クレーム制度が導入された後もしばらくは、クレームの権利範囲特定機能が強力には発揮されず、権利範囲は特許文書全体から把握されていた点でも共通している。そこでは、特許の権利範囲に特許文書全体に示された技術と均等な範囲が当然含まれると考えられており、侵害の判断は均等論を中心になされていた。そのため、特許文書全体、特に実施例から発明の本質を捉えるという方法が発達した。

クレームが権利範囲確定機能を発揮しようとすればするほど、それまで原則的に適用されていた均等論との調整が困難となってきた。ドイツは、このような問題を解決するために、クレームの権利範囲確定機能を緩和させる道を選択した。これが二分説導入の目的であった。ただし、ドイツにおいては、クレームの権利範囲確定機能の緩和を極端に行ったため(一般的発明思想の導入)、そもそも均等判断という手法がなくとも権利範囲を拡張できるようになったことには注意が必要である。

米国においては、Graver Tank連邦最高裁判決が均等論についての基準を示した。しかし、そこで示されたのは均等論の存在を否定しないということと、均等判断基準である3要素一致テストのみであった。客観的に保護範囲を確定する役割を有するクレーム解釈と均等論の関係については、均等論に主観的要件を取り込むことでしか説明できなかった。

このように、ドイツがクレームの機能を緩和させることにより、拡張解釈を可能としたのに対して、米国は一見、クレームの文言解釈を原則として、これに対する例外的解決方法として生き残らせる道を選んだようにも見える。

これに対して、日本においては、クレームの機能そのものが曖昧で、大正10年法期まで一貫して、権利範囲は特許文書全体から判断されていた。そして、この場合に原則的判断手法として適用されていたのが、均等論であった。

均等論は、積極的要件だけでなく消極的要件を有する。なぜ積極的要件のみで均等は把握できないのだろうか。それは、均等というものが、特定の基準から価値中立的に広がる概念であることが原因となっている。すなわち、特許文書全体を基準として均等を把握する場合には特許文書全体を中心とした拡張が行われ、クレームを基準とする場合には、クレームを中心とした拡張が行われるからである。

均等論の性質を解明する手掛かりになるものとして米国における逆均等の法理がある。逆均等は、特許文書を基準に均等判断をした場合にその拡張範囲がクレームの記載と矛盾を引き起こす場面を説明したものである。これは、均等論が価値中立的に行われているため、特許文書を基準とした場合には、クレームという価値に無関心であるために生じる問題である。これと同様のことは、米国特許法112条6段に従った機能的クレームの文言解釈においても生じる。機能的クレームの場合には、明細書中の実施例を基準に拡張が行われるため、基準となっていないクレームから見れば縮小されるという減少が生じうるのである。通常であれば、クレーム文言を超える方向への拡張も生じ得るが、機能的クレームの場合には、基準となっている実施例よりクレーム文言のほうがはるかに広い概念であるためそのような結果が生じないのである。

均等論には何等かの消極的要件が必要とされるが、公知技術の抗弁も審査経過禁反言もともに本来はクレーム解釈もしくは技術範囲の解釈に密接に関わるものであった。公知技術と審査経過というものの性質を検証することで、均等論をとりまく特許の権利保護範囲の解釈がクレーム解釈と均等論という性質の大きく異なるものを混在させながら発展してきたことが理解できる。

これら米国、ドイツ、日本におけるクレーム解釈及び均等論の発展経緯から明らかになったクレーム解釈及び均等論の位置づけをもとに、均等論の問題のうち解決されていない問題を検討する。

一つ目は、均等判断の基準時の問題である。この基準時は、各国の均等論がその呼び名とは関係なく、クレーム解釈と均等判断のどちらの性質を有するかで決定されることを検証する。クレーム解釈に近い性質を有する場合には出願時と親和性があり、均等判断という具体的比較方法に近い場合は侵害時となる。これに対して、現在のドイツの実務が基準時をどちらにしているのか不明な原因は、まさに、ドイツの実務がこれらの中間にあるからであることも、上記検討から明らかになる。

二つめは、均等論と公知技術との関係である。 ボールスプライン最高裁判決は、均等論の消極的要件として公知技術による抗弁を第4要件として示した。この点、公知技術を理由に均等論を制限する法理、判断法には、米国における逆均等、ドイツにおける自由技術水準の抗弁及びFormstein抗弁がある。また、日本においては、公知技術が均等範囲の制限としてのみではなく、クレームの文言範囲の制限としても働く。

公知技術がクレームの文言範囲を制限する機能を有しているのが日本に限られるのは、次の理由による。すなわち、ドイツではクレームの文言範囲に関して裁判所が判断することを許さない実務が発達したため、特許発明の範囲に公知技術が入る場合であっても、クレーム文言を最も狭く解した範囲をさらに無効としたり、これを制限するということは許されない。

三つ目は、審査経過禁反言の性質に関してである。 審査経過禁反言は、審査経過をクレーム解釈に利用できる国において発達したが、米国においては衡平法的性質を経て、現在では客観的に技術範囲を特定するために利用される。これに対して、日本における審査経過禁反言が信義則を根拠に適用されるのは、米国の法理を十分理解しなかったからだけではなく、ドイツ型の明白な制限・放棄という法理による影響をも受けていたからである。同法理は、客観的技術範囲を検討し制限する法理ではなく、客観的に明らかになった審査経過の内容を利用するものである。この際、判断対象となるのが出願人の意思とされているため、日本では信義則に準じられたものと思われる。

これら具体的な問題から明らかになったのは、均等論というものが、クレーム解釈という相対的に抽象的な権利範囲解釈手法であり、均等論は具体的実施形態を比較対象とする相対的に具体的な解釈手法であるということである。このために、それぞれが対象とするクレーム、被疑侵害対象というものの影響で判断時も異なることが明らかになり、また、各要件から逆に、各国の均等論の現在の性質が明らかになることも示した。

審査要旨 要旨を表示する

特許発明は、有体物のような具体的・物理的な存在ではなく、抽象的な存在であるため、その権利範囲をめぐり古くから争いのあったところである。

特許の権利範囲は、原則として、特許明細書中に自らがその発明に基づく権利範囲として特定することを記した部分(クレーム)をもとに判断される。しかし、このクレームは文字によって表現されているため、発明という物理的に形を持たないものを適切に特定するためには大きな困難を伴う。そのため、特許権侵害の有無の判断に際しては、クレームの文言に厳格に縛られずに行う判断手法が用いられている。そのうち、最も重要なものの一つが「均等論」と呼ばれる判断手法である。均等論は明文に規定があるわけではなく、判例によって発展した法理である。本論文は、この均等論の歴史的発展を、我が国に影響を与えたアメリカおよびドイツについて明確にし、これらを我が国と比較することで、特許権利範囲確定方法としての均等論がクレーム解釈との関係でどのような性質を有するものなのかを明らかにしようとするものである。

本論文は、第1編序論、第2編米独における権利範囲確定構造の発展、第3編均等論の性質、の3部から構成されている。

第1編「序論」では、本研究の意義と研究の方法論が述べられている。均等論は長い歴史を有する法原理であるため、これまでにも多くの研究が存在するが、これまでの研究では、各国の特許権利範囲確定方法についての歴史的な研究が不十分であった。均等論の判断基準時、公知技術との関係、審査経過禁反言の法的性質というような重要な問題が未解決であり、本論文では、それらの解決のために、各国制度をその初期から研究することの必要性が強調されている。たとえば、均等論の判断基準時に関しては、現在のアメリカでは侵害時が基準とされるが、いつからそのような基準が採用されるようになったのか、それ以前はどのような基準が採用されていたのか、変化が生じたのはなぜかといった問題を論ずることの必要性が強調されている。また、審査経過禁反言についても、そのような法理がアメリカにおいてどのように発生し、その性質がどのように変化したのか、これを生じさせる審査経過の利用方法を歴史的に検討することの必要性が強調されている。さらに、審査経過禁反言の法理を持たないドイツにおいて審査経過というものがどのような役割を担ってきたのかについても、研究の必要性が述べられている。

第2編第1章では、アメリカにおける特許の権利範囲確定方法の発展が検討されている。我が国におけるアメリカの均等論研究は、アメリカにおいて均等論の法源として最も重要と考えられているGraver Tank判決(1950)で引用されているWinans判決(1853)を起点にするものがほとんどである。それに対し、本論文においては、Winans判決以前の、1790年特許法から明細書とクレームに関する実務を検討し、1870年法によりクレームによる権利範囲確定への要請が強化されるまでの侵害判断は均等論に近似する方法で行われていたことを明らかにしている。その上で、その後のクレーム解釈の実務が均等論を一時は隅へ追いやっていたが、Graver Tank判決により均等論が衡平法的な法理として復活を遂げたこと、その後、連邦巡回区控訴裁判所の判例により均等論がクレーム解釈と並ぶ権利範囲確定のための原則的判断方法という地位を持つまでに発展したことを明かにしている。また、上記発展経緯の解明により、法的性質について争いのあった審査経過禁反言が、アメリカにおいては、Graver Tank判決により衡平法的な性質を与えられ、その後、均等論が原則化するに従って、同様に、権利範囲確定の原則的法理に落ち着いて行ったことも明らかにしている。

第2編第2章では、ドイツにおける特許の権利範囲確定方法の発展を検討している。本論文は、ドイツにおいて現行法施行前まで採用されていたいわゆる三分説、及び、それより前に採用されていた二分説の発展経緯を検討し、二分説は、さらにそれより前に採用されていたHartigの一元論からの脱却を実務が希望したために提案されたものであったことが示されている。二分説及び三分説に関しては、それらがどのような法理であったかについての研究はこれまでにも数多くなされてきたが、本論文は、二分説がどのような理由で成立したのか、また、二分説と三分説の関係がどのようなもので、どこに共通点があり、どこに差異があるのかについて、単なる外形的な比較に止まらず、その移行理由を含め、検討されている。すなわち、ドイツにおける特許制度初期には、特許範囲解釈実務が特許庁と裁判所とで別々のものになっており、これらを調整するために提案されたのが二分説であったことを明らかにしている。また、この二分説による実務の混乱を調整するために、特許を付与した際の特許庁の具体的認識(意思)というものを権利範囲の判断から切り離す必要があり、一切の審査経過を参酌しないとの判例ができあがったことも明らかにしている。

第2編第3章では、我が国における特許範囲確定方法の発展につき、特許制度初期からの我が国のクレーム実務(記載方法、審判における解釈、訴訟における解釈)が実に丹念に調査され、検討されている。そして我が国におけるクレームの記載方法の変遷とクレーム解釈方法とを対比することで、クレームというものの位置づけが明らかにされている。すなわち、請求項ひとつひとつの持つ権利範囲確定機能は時代によって高まってきたものであり、昭和34年改正より前の権利範囲確定手法が、名称こそ同じ「構成要件分類説」と呼ばれるものではあるが、その後のものとは異なるものであったこと、均等という語についても昭和34年改正後に、それより前に比較して詳細な要件が検討されるようになってきたことが示されている。

第3編では、第2編で明らかにした各国における特許範囲確定方法の発展をもとに、クレームの解釈方法や均等論の各要件の特徴を比較し、これまで未解決だった問題を明らかにして、我が国における均等論の性質を論じている。均等論自体が、特許権の範囲を示す何らかの基準という役割と、特許権の範囲と被疑侵害対象とを比較する手法という役割の、双方を意味してきたことを示し、均等論は、本来的には、クレーム解釈の手法とは異なる性質のものであったのが、発展過程でクレーム解釈と混在し、とりわけ、我が国やアメリカにおいてはクレームの拡張解釈と同視され、異質なものであるとは意識されずに発展したことを示している。その上で、未解決の問題であった均等判断基準時の問題が、クレーム解釈の手法としての役割を重視するのか、比較判断方法の手法としての役割を重視するのか、によって異なることを示した。

すなわち、ドイツ型の拡張解釈は、クレームから読み取る範囲をどこまで広げることができるかというクレーム解釈の手法としてのものであるため、クレームが確定する時点である出願時もしくは特許付与時が判断基準時とされることとなる。それに対し、アメリカ型の均等論は、クレームと被疑侵害対象とを比較する手法としてのものであるため、クレームされた発明を侵害するかしないかを被疑侵害者が選択できた時点である侵害時を判断基準時とすることとなる。公知技術と均等論の関係については、ドイツではクレームの文言範囲を制限するために公知技術を参酌することは許されず、したがって、公知技術が問題となるのは拡張解釈の場面のみであること、アメリカではクレーム解釈の場面における公知技術の位置づけが、クレームや明細書、審査経過という本来的に利用される文書とされているものに対し、二次的な意味しか有さないこと、そして公知技術はクレーム解釈及び均等論のいずれにおいても重要性が低いという点が我が国との差異であること、が示されている。我が国では、これらに対して、公知技術をクレーム解釈の場面でも参酌することが許されているため、公知技術はクレーム解釈及び均等論のどちらの場面でも重要な役割を果たし得る、という点が述べられている。

審査経過禁反言の性質については、特許範囲の解釈に審査経過を利用できるかできないかによって、審査経過禁反言の存否が決定され、ドイツや英国のように、審査経過の参酌が原則として許されてこなかった国においては同法理が存在しないことを示している。その上で、我が国において審査経過禁反言が信義則を根拠に適用されているのは、技術の客観的内容を特許性との関係で明確化する働きを有するアメリカ型とは異なり、ドイツ型の明白な制限・放棄という法理による影響を受けていたからであると述べられている。ドイツにおける同法理が、本来、客観的技術範囲を検討し制限するものとして利用できないとされていた審査経過を、審査経過から客観的に明らかになった出願人の意思は技術の問題ではないとして、審査経過を利用する道を開いたことが、我が国において信義則を根拠に審査経過禁反言という考え方を考慮するという枠組みを採用する際に参考にされたものと考えられる。

以上の検討により本論文は、我が国のボールスプライン最高裁判決(平成10年)で述べられている均等論の5要件は、ドイツ型(クレーム解釈型)とアメリカ型(対象比較型)を混在させたものであることを明らかにした。このため、現在、5要件が効率的に利用されている状態にはなく、今後はどちらかの型に特化した要件の再編を検討する必要がある、と本論文は述べている。

以上が本論文の要約である。

本論文の長所として、次の諸点を挙げることができる。

第一は、アメリカ・ドイツ・日本における特許権利範囲の解釈方法につき、従来は研究対象とされてこなかった古い時代からの資料を実に丹念に渉猟したという点にある。アメリカについては、従来は余り注目されることがなかったWinans判決(1853)より前の判例を検討している。ドイツについては、二分説以前のHartigの一元論まで遡り検討している。日本については、明治期から、現行法である昭和34年法より前までの判審決、特に審決の分析を丹念に行っている。これらはいずれも、従来の研究と大きく異なる点であり、その資料的価値も高い。

第二は、以上の歴史的検討を通して、アメリカ・ドイツ・日本のいずれにおいても、従来の常識的理解とは異なる重要な歴史認識が提示されている点である。すなわち、アメリカにおいては均等判断というものがクレーム解釈よりも古い歴史をもち、むしろ1790年法から1870年法に至る当初の時期には均等判断が主流であったことを明らかにしている。また、ドイツについては、Hartigの一元論にまで遡ったうえで、その後の実務において形成されてきた二分説・三分説の意義と位置づけを示すことによって、ドイツにおける拡張解釈と均等判断が異なるものであることを明らかにしている。そのような結論を得るにあたり、アメリカの均等論とドイツの拡張解釈の関係を単に対比するなどといった表層的な比較検討をおこなうのではなく、それぞれの国における特許制度の全体に目を配り、制度全体のなかにおける位置づけに注意しながら、それぞれの国の制度におけるクレームの役割と均等判断の関係を検討した点に、本論文の意義がある。

第三は、均等論を、単に拡張解釈の道具として捉えるだけではなく、公知技術や、審査経過との関連で捉え、その結果、クレーム解釈の問題を幅広く把握している点にある。とりわけ均等判断基準時について、一般的にアメリカで採用されてきたと考えられている侵害時説は、1984年ごろからようやく採用されたものであって、もともとはむしろ発明時説や特許取得時説等から始まっていたのであるという点を明らかにした点に意味がある。また審査経過というものの各国における位置づけを明らかにすることで、アメリカにおける審査経過禁反言及びドイツにおける明白な制限・放棄という法理と権利範囲解釈の関係を明らかにした点にも意義が認められる。

以上のように本論文は、均等論及びクレーム解釈について、アメリカ・ドイツという地理的な軸と、歴史的な時間軸とを用いて、立体的に把握することに成功している。各国の法制度は、その法制度全体として機能しているのであり、その一部だけを取り出して検討・比較しても、正鵠を射た知見を得ることはできない。本論文は、この点を踏まえ、当面の検討課題である均等論の正しい像を得るために、均等論に限定されない幅広い視野から丹念な検討をおこなっている。これは日本法における今後の均等論解釈に大きな示唆を与えるものであって、高い評価に値する。

その反面、本論文にも短所は見られる。

第一に、各国の発展を時系列的に叙述した点に起因すると思われるが、アメリカ、ドイツ、日本についての歴史的研究が、各国ごとに綿密に分析されてはいるものの、各国に対する共通した問題意識がわかりやすく示されているわけではないため、各国別の通史的な印象を与えてしまっている。また、歴史的分析が中心になっていることもあり、古い時代の資料は十分に渉猟されてはいるものの、最近の資料、特にわが国の研究の引用が少ない。わが国においても、均等論を最初に認めたボールスプライン判決以降、均等論の研究も進んでいる。最近の文献の引用がさらに充実すれば、本論文は、学術的価値をもつだけではなく、実務にも裨益するものとなるであろう。

第二に、文章が生硬であり、特に外国の学説や判例の紹介については、より理解しやすい日本語とすることが期待される。本論文で引用されている資料の大半は、アメリカとドイツの古い時代の判決等であるが、やや読みにくい箇所が散見される。もう少し咀嚼したうえで、明快な日本語とすれば、より理解されやすい論文となるであろう。

以上のような短所は見られるものの、それらは長所を大きく損ねるものではない。本論文はこれまで十分におこなわれてこなかった歴史的研究を丹念に行っており、学界に裨益するところは大きいと考えられる。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

以上

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