学位論文要旨



No 123098
著者(漢字) 長沼,洋一
著者(英字)
著者(カナ) ナガヌマ,ヨウイチ
標題(和) コミュニティ精神保健の観点からみた精神保健サービス利用と関連要因 : 地域疫学調査と大学コミュニティでの実践活動からの分析
標題(洋)
報告番号 123098
報告番号 甲23098
学位授与日 2007.11.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2971号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 准教授 上別府,圭子
 東京大学 准教授 中安,信夫
 東京大学 准教授 山崎,喜比古
 東京大学 准教授 佐々木,司
内容要旨 要旨を表示する

精神保健システムの地域化の進展に伴い、精神障害の発症予防と早期発見・治療のために、コミュニティ精神保健の重要性は増している。コミュニティ精神保健システムの発展のためには、有病率や精神保健サービスの利用状況、その関連要因について、コミュニティ単位での分析が必要となる。1980年代より世界各国で精神保健地域疫学調査が実施されてきた。これらの一般住民対象の調査から、精神科的診断が付される状態であっても精神保健サービスを利用していないものが多くいることが明らかになり、精神保健サービスの利用の関連要因を明らかにすることが重要課題となった。日本では地域疫学調査の手法による全国調査は行われておらず、日本の一般人口による精神保健サービスの利用状況およびその関連要因は明らかではない。また、こうした横断的疫学調査の手法ではサービス利用に関連する属性の検討は可能であるが、サービス利用に至るプロセス要因については十分に明らかにすることができない。そこで本研究は二つの研究により、精神保健サービスの関連要因を検討することを目的とする。第一に、日本において初めて本格的に実施された精神保健地域疫学調査であるWorld Mental Health Japan Survey 2002-2006(WMHJ2002-2006)に基づき、一般人口における精神保健上の問題による多様なサービス利用の実態を明らかにし、利用の有無に関連する属性要因を人口統計学的および社会経済的変数の観点から検討する。第二に、大学コミュニティにおける保健センターの精神衛生相談の利用の実態を明らかにし、利用に至るプロセス要因について、主な関係者とニーズ、利用目的の観点から検討する。これらにより、精神保健サービスの利用を促すアプローチについて示唆を得ることを目的とした。

研究1:WMHJ2002-2006における精神保健上の問題でのサービス利用状況および関連要因

対象は日本各地の11の地域から無作為に抽出された20歳以上の住民であり、回答率は55.1%であった。調査に際してはWorld Health Organization Composite International Diagnostic Interview(WHO-CIDI)を用い、訓練を受けた調査員の面接によりデータ収集を行った。本研究は、調査を担当した各大学および国立精神・神経センター精神保健研究所における倫理委員会により承認を受けて実施され、調査対象者には十分な事前の説明を行い書面による同意を得た。分析に用いられたのは、過去12カ月の診断(不安障害、気分障害、物質関連障害のいずれかのみ評価した)の有無、過去12カ月間に精神保健上の問題によるサービス機関(精神科医、精神科医以外の精神保健の専門家、一般医療、保健機関以外のサービス機関と分類し、さらにこれらのいずれかを利用している場合を何らかのサービスとした)の利用の有無、回答者の属性(性別、年齢、婚姻状態、教育期間、雇用状態、世帯収入、地域)である。これらの変数にデータのある1722人を主な分析対象者とし、地域住民の人口構成や抽出率を考慮に入れ重み付けを行い、以下の分析に用いた。(1)全対象者における診断別サービス機関別のサービス利用状況を明らかにした。(2)全対象においてサービス機関の利用に関連する要因を検討するため、サービス機関別に、サービス利用の有無を従属変数とし、属性およびいずれかの精神障害の有無を独立変数とするロジスティック回帰分析を行った。(3)一定のニーズがある群におけるサービス利用の関連要因を検討するため、いずれかの精神障害の診断のついた群を対象に、サービス機関別に、サービス利用の有無を従属変数とし、属性およびいずれかの不安障害、気分障害、物質関連障害の有無を独立変数とするロジスティック回帰分析を行った。(4)全対象を、人口10万人以上の大都市とそれ以外の地域に二分し、それぞれについてサービス機関別に、サービス利用の有無を従属変数とし、属性およびいずれかの不安障害、気分障害、物質関連障害の有無を独立変数とするロジスティック回帰分析を行った。

主な結果として(1)日本では不安障害、気分障害または物質関連障害の診断を付されながら精神科医を利用したのは10.9%、精神科医以外の精神保健の専門家を利用したのは3.3%、一般医療を利用したのは9.6%、保健以外のサービス機関を利用したのは11.2%であり、何らかのサービスを利用したのは24.2%にとどまっており、4分の3は何のサービスも利用していなかった。(2)全対象において、精神科医については、配偶者と離別したものより既婚および未婚で利用する割合が高く、大卒以上のものより高卒以下で利用する割合が低かった。また仕事に就いている者はそうでない者より利用していなかった。一般医療については、有意な関連属性はみられなかった。保健機関以外のサービス機関については、女性より男性の利用が少なく、配偶者と離別した者より既婚者で利用が少なかった。(3)いずれかの精神障害の診断のついた群では、精神科医について、年齢30-59歳の者より60歳以上の者、大卒以上の者より高卒以下の者、職に就いていない者より就業中の者、世帯収入が高収入の者より低収入の者で利用率が低かった。一般医療については関連する属性はみられなかった。保健以外のサービス機関では、配偶者と離別した者より既婚の者で利用率が低く、いずれかの気分障害や不安障害の診断のついた者でそうでない者より利用率が高かった。(4)大都市と大都市以外の地域では、精神科医の利用に際して関連する要因が異なり、大都市では大卒以上の者より高卒以下の者で利用率が低かったのに対し、大都市以外では配偶者と離別している者は既婚者や未婚者より利用率が低かった。一般医療の利用に関してはどちらの地域でも診断以外に関連する属性がみられなかった。

研究2:大学コミュニティにおける精神保健サービスの利用に至るプロセス要因の検討

対象とした大学は首都圏にある学生総数が九千人程度の私立のA大学である。A大学は文系大学であり、学生課の管轄下で保健センターとカウンセリングセンターが学生相談部門として機能している。保健センターは教職員及び学生の健康管理・健康支援を業務目的とし、定期健康診断および健康診断書の発行、内科・婦人科・精神科の校医による診療、セミナー等の健康教育、大学広報誌等による情報提供・広報活動、保健師らによる健康相談、精神保健福祉士や臨床心理士による精神衛生相談を提供している。本研究では、2003年度から2006年度までの4年間の精神衛生相談の初回利用者331人のカルテ調査に基づき、精神衛生相談の初回利用に至るまでのプロセス要因を検討した。収集したデータは、利用者の基本属性として性別、学年、ICD-10による診断分類、初回利用に至るプロセスであり、特に初回利用に至るプロセスについては情報源、初めて保健センターに接触したのは本人か関係者か、初回利用時の事情とその前後関係、精神衛生相談の利用目的について、可能な限り把握した。得られたデータに基づき、主な利用ニーズを持っていた者、利用ニーズの内容、心理的/行動上のプロセスの観点からカテゴリ・コーディングを行い、KJ法を用いて分析した。

結果、図2-1に提示したプロセスモデルが得られた。利用者の利用に至るプロセスとして、問題発生後、本人が対応の必要性を自覚し、情報収集を行い、第一次援助要請を行い、利用ニーズを明確化するプロセスが見出された。問題を増悪させる背景要因が介在するプロセスもあった。さらに、周囲の人が、本人の利用を促す利用支援的プロセスや本人への対応を協議するコンサルテーション目的の利用プロセスもみられた。また、サービス提供場所や広報のあり方で利用動向が変動することや、保健センターの業務である「復学者健診」や「既往症呼出」の際に利用を進められる者も毎年一定数みられることが明らかになった。

本研究では、日本において初めて本格的に実施された精神保健地域疫学調査WMHJ2002-2006に基づき、精神保健サービス利用状況を明らかにした。日本においては不安障害、気分障害、物質関連障害を抱えながら何のサービスも利用していない者が4分の3みられたが、サービス利用者のうちでは精神科医の利用率は比較的高かった。全対象において、精神科医を利用しにくいのは、配偶者と離別した、高卒以下、就業中の者であった。いずれかの精神障害の診断がついた者では、高卒以下、就業中、60歳以上、世帯収入が低い者で精神科医を利用しにくく、この群への介入の重要性が示唆された。一般医療については、全対象においても何らかの診断のついた者であっても関連属性が見出されず、属性による障壁はないことから、プライマリケアとして活用し連携機能を高めていくことの有用性が示唆された。大都市では精神科医を利用しにくいのは高卒未満であったが、大都市以外では配偶者と離別した者であり、精神科医の利用を促進するためには、大都市では情報提供のわかりやすさに配慮する必要があるが、大都市以外では利用を支援する社会的サポートシステムを整備する必要があるだろう。またプロセス要因を重視して精神保健サービスの利用を促進するには、対応の必要性の自覚を高めるよう働きかけること、情報提供を工夫すること、相談機関・医療機関同士の連携を深めること、本人の多様なニーズに応じる相談窓口があること、周囲の人々からの本人の利用へのはたらきかけを活用すること、周囲の人々への支援を提供すること、が重要であることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、コミュニティ精神保健の観点からみた精神保健サービスの利用要因を明らかにするため、地域精神保健疫学調査に基づく研究からサービス機関ごとに関連する属性要因を検討し、また大学コミュニティでの実践に基づき「精神衛生相談」の利用者の初回利用に至るまでのプロセス要因を検討したものであり、下記の結果を得ている。

研究1:WMHJ2002-2006における精神保健上の問題でのサービス利用状況および関連要因

1.日本では不安障害、気分障害または物質関連障害の診断を付されながら精神科医を利用したのは10.9%、精神科医以外の精神保健の専門家を利用したのは3.3%、一般医療を利用したのは9.6%、保健以外のサービス機関を利用したのは11.2%であり、何らかのサービスを利用したのは24.2%にとどまっており、4分の3は何のサービスも利用していなかった。

2.全対象において、精神科医については、配偶者と離別したものより既婚および未婚で利用する割合が高く、大卒以上のものより高卒以下で利用する割合が低かった。また仕事に就いている者はそうでない者より利用していなかった。一般医療については、有意な関連属性はみられなかった。保健機関以外のサービス機関については、女性より男性の利用が少なく、配偶者と離別した者より既婚者で利用が少なかった。

3.いずれかの精神障害の診断のついた群では、精神科医について、年齢30-59歳の者より60歳以上の者、大卒以上の者より高卒以下の者、職に就いていない者より就業中の者、世帯収入が高収入の者より低収入の者で利用率が低かった。一般医療については関連する属性はみられなかった。保健以外のサービス機関では、配偶者と離別した者より既婚の者で利用率が低く、いずれかの気分障害や不安障害の診断のついた者でそうでない者より利用率が高かった。

4.大都市と大都市以外の地域では、精神科医の利用に際して関連する要因が異なり、大都市では大卒以上の者より高卒以下の者で利用率が低かったのに対し、大都市以外では配偶者と離別している者は既婚者や未婚者より利用率が低かった。一般医療の利用に関してはどちらの地域でも診断以外に関連する属性がみられなかった。

研究2:大学コミュニティにおける精神保健サービスの利用に至るプロセス要因の検討

5.利用者のサービス利用動向の概況から、サービス提供場所や広報のあり方で利用動向が変動することが明らかになった。

6.利用者の利用に至るプロセスとして、問題発生後、本人が自ら来談に至る場合には、対応の必要性を自覚し、情報収集を行い、第一次援助要請を行い、利用ニーズを明確化するプロセスが見出された。利用ニーズは健康管理に関連づけされる内容であり、相談ニーズ、診断ニーズ、治療ニーズに分けられた。問題を増悪させる背景要因が介在するプロセスもあった。

7.利用に至る別のプロセス要因としては、初回利用者が本人以外の関係者である場合のプロセスがまとめられた。本人以上に周囲の人がニーズを感じ、本人の利用を促す利用支援的プロセスがみられた。また本人への対応方針について協議するコンサルテーション目的の利用プロセスもみられた。保健センターの業務である「復学者健診」や「既往症呼出」の際に利用を進められる者も毎年一定数みられることが明らかになった。

以上,本研究は、日本の11の居住地域コミュニティにおける精神保健疫学調査と、一大学コミュニティの精神衛生相談の利用者に関する質的調査に基づき、精神保健サービスの利用に至る関連要因を属性要因およびプロセス要因について幅広く明らかにした研究である。面接法による調査のため統合失調症など主要な精神疾患のいくつかが評価されていないといった限界はあるものの、日本において本格的地域疫学調査に基づき、サービス提供機関別に精神保健上の問題によるサービス利用に関連する属性要因を人口統計学的属性だけではなく、世帯収入や就業状況といった社会経済的な要因から明らかにした研究は初めてであり、意義深いものである。また大学コミュニティにおける精神衛生相談の実践活動に基づき、精神保健サービス利用に至るプロセスについて、本人の自発来談だけではなく周囲からの働きかけに関しても整理し、新しいモデルを開発した点で独創的である。これに基づき精神保健サービスの利用を促進するためのアプローチについても、より重点的に介入すべき対象者の属性を明らかにした上で、利用に至るプロセスを考慮した介入方策について示唆を得るなど、臨床的にも有用な知見であると考えられる。以上の点をもって学位の授与に値するものと考えられる。

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