学位論文要旨



No 123100
著者(漢字) 西,芳実
著者(英字)
著者(カナ) ニシ,ヨシミ
標題(和) 現代アチェ紛争の展開と構造 : ポスト・スハルト体制期における紛争と災害
標題(洋)
報告番号 123100
報告番号 甲23100
学位授与日 2007.11.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第776号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,元夫
 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 佐藤,安信
 東京大学 教授 加納,啓良
 政策研究大学院大学 教授 白石,隆
内容要旨 要旨を表示する

2004年12月のスマトラ沖地震・津波の発生を契機に30年間にわたるアチェ独立紛争は中央政府と和平合意に至った。大規模自然災害がなぜ紛争を和平に導いたのか。本稿では、アチェと外部世界とを結ぶ経路のあり方が時代によってどのように変化してきたかに注目することで、ポスト・スハルト体制期に発展した現代アチェ紛争の構造の特徴を明らかにし、スマトラ沖地震・津波がアチェ紛争の非軍事化過程に及ぼした影響を検討した。

第一部ではアチェにおける「反乱」の歴史と背景を検討した。インド洋世界と東南アジア世界の結節点であるアチェでは、外部世界とどのように繋がるかが常に重要であり続けてきた。アチェを囲い込むことでその資源を独占する動きが起こると、アチェの人々は、ときに武力を用いて経路を確保しようとした。近現代のアチェで生じたアチェ戦争やインドネシア独立戦争、ダルル・イスラム運動といった武力紛争はいずれも外部世界とアチェとの経路の確保をめざす運動として理解できる。これらの動きはアチェ特別州の設置(1959年)などインドネシアにおけるアチェの特別待遇を引き出したが、スハルト体制下で中央集権化が進められ、アチェの特別待遇は名目上のものになっていた。

このような中央政府によるアチェの囲い込みに対抗する形で、1970年代半ば、武力を用いてアチェをインドネシアから切り離そうとする運動がアチェの中から生まれた。自由アチェ運動(GAM)によるアチェ独立運動である。アチェでの天然ガス開発と時期が重なったこともあり、この運動は中央政府による囲い込みに対する人々の不満を部分的に吸収したが、アチェを別の形で囲い込むことになる考え方は人々の広い支持を得るに至らず、また、インドネシア政府の軍事的優位の前に、運動の指導層は国外に亡命した。

このように、インドネシア政府・国軍とGAMというそれぞれアチェ域外に拠点を持つ二つの武装勢力がアチェを囲い込もうとしたのが現代アチェ紛争の構造であるといえる。第二部では権威主義体制崩壊後のインドネシアにおいてアチェ独立運動を含めたアチェをめぐる諸問題に人びとが対応する過程を分析した。体制の民主化が進められる中で武力によるアチェ独立を求めるGAMが急速に勢力を拡大したことについては、アチェにおける「匿名の暴力」の横行と治安当局に対する信頼の低下を背景に、アチェとインドネシア政府を結ぶ経路の再編が十分になされなかったこと、また国際社会がアチェ問題をGAMによるアチェ独立運動と捉えて問題の解決をアチェ独立かインドネシア統一かという二者択一の問題として処理しようとしたことなどから検討した。

2003年5月には中央政府がアチェに戒厳令を発令し、アチェで活動していた人道支援団体やジャーナリストはアチェ域外に締め出され、アチェに対する囲い込みは極大化した。アチェの人々は外部世界との繋がりを制限され、武装勢力による暴力行為や略奪行為に対して行政や政治参加を通じて改善を働きかけることができず、しかも外部世界の支援や介入を求めることも困難だった。学術・文化活動を通じて外部世界と繋がる試みはあったが、GAMを支援する動きとして警戒され、状況は改善されなかった。また、インドネシア政府・国軍が「インドネシア民族」への統合を、GAMが「アチェ民族」の自決を主張したことで、アチェの人々は自らを「インドネシア民族」か「アチェ民族」のどちらかに位置づけることを迫られることになった。

第三部では2004年スマトラ沖地震・津波の発生がアチェ紛争の展開にどのような影響を及ぼしたかを検討した。アチェには救援復興活動のために世界各地から多数の支援者が訪れ、ジャーナリストや研究者も報道や調査のためにアチェを訪れた。インドネシア国軍の軍事的優位が動かしがたく、しかも住民が外部世界とのつながりによる発展を待望するなかで、GAMにはアチェの囲い込みが維持できなくなっていた。復興事業の担い手としてさまざまな勢力が出現する状況が整うなかで、GAMにとって、和平交渉に応じることは、アチェ復興の当事者として認知されるための有効な戦略だった。インドネシア政府との和平交渉の過程では、かつてGAMの支援者とみなされていた人々がGAMに合流した。外部との繋がりを重視する勢力がGAM内に増えたことが一つの流れとなって和平合意をもたらし、GAMは選挙と議会の枠組みを通じた政治参加を受け入れるに至った。津波はアチェを「紛争地」から「被災地」にかえる役割を果たし、このことがアチェの人々の求める外部世界との経路を大きく拡大することになったといえる。

アチェ紛争を非軍事化する過程で制定されたアチェ統治法は、アチェに関わる人々として「アチェに系譜をたどれる者」と「アチェに居住地を定める者」という二つの「アチェ人」を定義した。これは、アチェ紛争の進展の中で、「アチェ人」概念が排他的な集団概念として発展し、アチェの「囲い込み」を強化する働きを持つに至ったことを踏まえて、「アチェ人」を多様に設定することで「囲い込み」を避ける試みと評価することができる。

審査要旨 要旨を表示する

本審査委員会は、平成19年7月12日に論文提出者に対し、学位請求論文の内容及び専攻分野に関する学識について口頭による試験を行った。

その結果、論文提出者は博士(学術)の学位を受けるにふさわしい十分な学識を有するものと認め、審査委員全員により合格と判断した。

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