学位論文要旨



No 123117
著者(漢字) 山村,大樹
著者(英字)
著者(カナ) ヤマムラ,タイキ
標題(和) BES-II 検出器を用いた J/ψ中間子がバリオン-反バリオン終状態へと崩壊する事象についての研究
標題(洋) study of J/ψ Meson Decaying into Baryon-Antibaryon Fianl States with the BSE-II Detector
報告番号 123117
報告番号 甲23117
学位授与日 2007.12.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5096号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 浅井,祥仁
 東京大学 准教授 濱口,幸一
 東京大学 教授 下浦,享
 東京大学 講師 小沢,恭一郎
 東京大学 教授 小林,富雄
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、中国の高能研究所において行われたBES-II実験でのJ/φデータを用いることで、J/ψ粒子がバリオン-反バリオン対へと崩壊する事象として、J/φ→pp,Ξ-Ξ+,Σ*-Σ*+,Σ*+Σ*-の崩壊分岐比を測定した。J/ψ粒子の崩壊では、cc対消滅による3-グルーオンへの崩壊が支配的なプロセスであるが、この各々のグルーオンがクォーク-反クォーク対に分岐し、その後、3つのクォークおよび反クォークが結合することで、バリオン-反バリオンペアが生成される。本研究では、バリオンペアへの崩壊事象として、複数のモードについての崩壊分岐比を測定した。

本論文の構成は、イントロダクション(第1章)、BES-II検出器の記述(第2章)に続いて、J/φの崩壊分岐比のnormahzation factorにあたるJ/φの生成事象数(NJ/ψ)の精密測定(第3章)、そのあとで、バリオン生成プロセスとして、J/ψ→pp,Ξ-Ξ+,Σ*-Σ*+,Σ*+Σ*-の崩壊分岐比の測定を行い(第4-6章)、最後に、測定結果についての物理的考察および結論を述べた(第7-8章).以下に、これらの内容の要旨をまとめる。

(i)J/ψ→μ+μ-事象を用いたNJ/ψの決定(第3章)

BES-II実験グループでは、4-prongのハドロン事象を用いることで、NJ/ψの測定を既に行ったが、J/φ粒子のハドロン崩壊に関する理論の不定性が大きいことに起因して、NJ/φの測定誤差が4.7%と非常に大きなものになっている(NJ/ψ=(5.77±0.27)×107)。この不定性は、J/ψの崩壊分岐比の測定誤差にそのまま響いてしまうため、より精度のよいNJ/φ決定を行うべく本研究で考えたのが、J/ψ→μ+μ-事象を用いての測定である。この測定において、NJ/φは次式によって決定される:

Nμμ:セレクションで残ったイベント数

NBG:残ったバックグラウンド数

εμμ:J/ψ→μμのselection efficiency

ここでJ/φ→μ+μ-は、その崩壊分岐比が非常に良い精度で測定されているため(Br=(5.94±0.06)%:PDGvalue)、NJ/ψの精密な測定が可能となる。本論文では、2-prong事象のセレクションを行ったうえで、運動量やTOF、シャワーカウンターの情報に基づいた事象選択を行った結果、以下の測定値を得た:

BESグループとconsistentな結果が得られたうえで、その精度については、我々の方が格段によい結果となっているため、本研究でバリオン生成事象の崩壊分岐比を測定するにあたっては、NJ/φの値について、我々が得た測定値を用いることにした。

(i)バリオン生成事象の崩壊分岐比の測定(第4-6章)

J/ψ→ppの解析

J/ψ→ppのは、TOE運動量等の制限によって、他のハドロン対やレプトン対の事象の殆どを除くイベントセレクションを行った。また本モードの解析においては、崩壊分岐比を測定する前に、protonの角度分布の解析を行った。J/φ→ppのようなQCD過程の場合、崩壊後のバリオンの角度分布については、

の形になることが測定によりわかっているが、崩壊過程におけるQCDの理解が厳密でないことにより、αの値は未知数である。そこで本研究では、事象選択後のprotonの(角度分布の解析を行うことで、αの値について、α=0.7623±0.0375なる測定結果を得た。これをふまえて、当事象のモンテカルロシミュレーションを行い、そのselection effciencyを評価した。Br(J/ψ→pp)については、以下の測定結果を得た:

J/φ→pp,Ξ-Ξ+,Σ*-Σ*+,Σ*+Σ*-の解析

の各モードについては、以下のような崩壊をするイベントを解析した:

ここで上式をみるとわかるように、J/ψ→Ξ-Ξ+とJ/ψ→Σ*-Σ*+については、resonanceを構成する粒子の組み合わせも含め、全く同一の終状態になっている。したがって、Ξ-Ξ+とΣ*-Σ*+に関しては、同じセレクションのもとで、同時に解析を行った。

これらのプロセスの事象選択に際しては、バックグラウンドをなるべく小さくする方法を模索した。例えば、J/ψ→Ξ-Ξ+,Σ*-Σ*+の解析においては、J/ψ→Σ*+Σ*-が大きなバックグラウンドの1つとなる。そこでこの場合には、"pπ-π+"と"pπ+π-"の不変質量についてscatteringplotをとり、resonanceの存在がはっきりと確認できるΣ*+Σ*-イベントのみを選択的に排除するなどの工夫を施した。こうした事象選択の結果、本研究では、J/ψ→Ξ-Ξ+,Σ*-Σ*+,Σ*+Σ*-のどのモードに対しても、バリオンの不変質量分布において、はっきりとしたシグナルピークを観測することができた(図1,図2)。質量スペクトルに対しては、シグナルとバックグラウンドに関してfitting解析を行い、各シグナル事象のイベント数およびその系統誤差を評価した。各崩壊モードの崩壊分岐比の測定結果は以下のとおりであり、いずれのモードに対しても従来の測定精度を凌ぐ結果が得られた:

(ii)バックグラウンド(青)を足し合わせた関数でのフィッティングを行った。

(iii)測定結果に対する考察および結論(第7-8章)

以上の測定結果をまとめると、

統計数が多いこと、及び、J/φの生成事象数の精密測定が行えたことに起因して、どのモードに対しても、従来の精度を凌ぐ測定結果が得られた。なお、J/ψ→Σ*-Σ*+とJ/ψ→Σ*+Σ*-に関しては、その崩壊分岐比が大きく異なる場合に、強い相互作用におけるアイソスピン対称性の破れや、J/ψ→Σ*Σ*における電磁相互作用の寄与の大きさを議論することができるが、本測定結果では、測定誤差の範囲内で一致する結果が得られた。

さらに図3は、各プロセスの崩壊分岐比とバリオン質量の関係を示したものである。ここでは、本研究での測定結果のほかにも、あらゆるモードでのPDGvalueを載せた。図内の緑の曲線は、Br(J/ψ→pp)を基準にしたphase spaceのsuppression曲線であり、この図から、J/ψ粒子のバリオンペア生成事象では、その崩壊分岐比の大まかな構造が、バリオン質量のphasespaceによって説明できることがわかった。

なお、J/ψ粒子のバリオンペアへの崩壊プロセスについては、ボルツらの理論研究者により、摂動論の枠組み内でのQCD計算が試みられている。そこで本論文では、崩壊分岐比の測定結果について、彼らの理論予測との比較も行い、J/ψ→Ξ-Ξ+の崩壊分岐比がphase space曲線をやや下回っている点については、ストレンジクォーク生成に対するsuppressionによるものと解釈することができた。

我々の測定結果(赤プロット)のほか、あらゆるモードについてのPDGvalue(青プロット)も載せた。緑の曲線は、Br(J/φ→pp)を基準にしたphase spaceのsuppression曲線。

図1:J/ψ→Ξ-Ξ+,Σ*-Σ*+の解析において得られたM(pπ-π-)分布(M(pπ-π+)は、"pπ-π+"についての不変質量。):本解析では、この分布に対して、(i)Ξ-resonance(紫),(ii)Σ*-resonance(赤),(iii)バックグラウンド(青)の3つを足し合わせた関数でのフィッティングを行った。

図2:J/ψ→Σ*+Σ*-の解析において得られたM(pπ-π+)分布(M(pπ-π+)は、"pπ-π+"についての不変質量。)本解析ではこの分布に対して、(i)Σ*+resonance(赤),

図3:J/ψ粒子がバリオンペアに崩壊する事象についての崩壊分岐比とバリオン質量の関係。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章よりなる。イントロダクション(第1章)では、J/ψの崩壊過程でバリオン対が生成されるメカニズムとその物理的な意味について記されている。特にストレンジクォークが生成される機構について詳しく述べられている。BES-II検出器の記述(第2章)に続いて、第3章では、分岐比の基礎となるJ/ψの生成事象数の精密測定(精度1.7%)について述べられている。これは従来の精度(4.7%)に比べて著しく向上しており、系統誤差を制御する工夫が行われている。続く第4から6章で、各バリオン対への崩壊プロセス(pp,Ξ-Ξ+,Σ*-Σ*+,Σ*+Σ*-)の崩壊分岐比の測定と結果について詳しく記述されている。第7章で、測定結果についての物理的考察を行い、ストレンジクォーク(s)が強く抑制されることがなく、バリオンの質量の差異による差が崩壊分岐を主に決めていることが示している。8章では結論が述べられている。

J/ψ粒子は、チャーム(c)・反チャームクォークの束縛系であり、量子数はγ線と同じである。この為、cc対消滅による3-グルオンへの崩壊が主要プロセスであり、各々のグルオンがクォークー反クォーク対に分岐し、その後、クォークおよび反クォークが結合することで、バリオンー反バリオンペアが生成される。したがって、各バリオン対への崩壊分岐比を正確に測定することで、グルオンとクォーク・反クォークへの結合(QCD)を測定すること力河能になる。一つのグルオンの仮想質量が約1GeV程度であるJ/ψ崩壊を用いることで、摂動論の適用限界付近でのQCDの振る舞いを探ることが可能となる。これが本論文の目的とする所であり、ユニークな研究であると認められる。

精密な測定を行う上で、データ量と解析の質(系統誤差がよく制御されている)が重要な要素である。データ量に関しては、中国の高能研究所のBES-II実験で観測された大量のJ/ψ事象を用いることで、十分な統計が得られている。観測されたJ/ψ粒子の数を精密に評価する為、本論文ではミューオン(J/ψ→μ+μ-)を用いている。ミューオンはバックグラウンドを抑えた解析が可能であり、綿密な系統誤差の研究を行うことで、誤差(1.7%)を従来の研究より約1/3に改良している。J/ψの崩壊数は分岐比を決める規格化定数となるため、この改良が、最終結果の向上に大きく寄与している。この点がこの論文の優れた点の一つ目である。

一番簡単なバリオンは陽子(uud:uアップクォーク、dダウンクォーク)であり、陽子・反陽子に崩壊する分岐比の研究をまず第4章で行っている。陽子の選択は、飛行時間と運動量測定を用いて行っている。ミューオンへの崩壊数を測定した時の研究同様に、解析段階で様々な工夫がなされている。例えば、運動量を測定するトラッキングシステムのヒット数により運動量の分解能の差異や、モンテカルロ・シミュレーションとデータとの差異などを調べ、最終的に2.2%の精度で分岐比を測定した。上に述べた様に(J/ψ→μ+μ-)からのJ/ψ数の評価誤差を1.7%に抑えたから、この様な高い精度が得られている。

この研究の目的である、ストレンジクォークとグルオンの結合を測定するために、sクォークを一つ含むバリオン(Σ*+(uus)とΣ*-(dds))と二つ含む(Ξ-(dss))の3つの崩壊もモードの測定を5章と6章で行っている。3つの崩壊モードとも終状態は、pππであり、組み合わせの間違いで生じるバックグラウンド(combinatorial background)を抑える為、バックグラウとなる事象選択を考察している。その結果、3つ全てのモードに対しても、バリオンの不変質量分布において、はっきりとしたシグナルピークを観測することに成功している。シグナルピークは、それぞれの中間状態の物理(崩壊幅)によりいろいろな分布の形状を示すが、その特徴を上手に用いている点がこの論文の優れた点の2つ目である。バックグランドの分布の研究も、実験データでオフピークを切り出して評価を行うなど多方面から行っている。バックグランド事象数評価の系統誤差や、選択効率の評価の系統誤差を詳細に検討し、系統誤差を7%程度に抑え、確度の高い結果を得た。

この4つの測定結果は、従来の測定と無矛盾であり、上に述べた優れた2点の研究手法で、統計誤差並びに系統誤差を大きく改善している。この結果から物理的考察を深め、以下の3点の結論に至っている。

(1)J/ψ→Σ*-Σ*+とΣ*+Σ*-の崩壊分岐比の差は、アイソスピンの違いや、グルオンでなくγが寄与する電磁相互作用の干渉項の有無を検証する上で重要である。測定の結果、差異は観測されずに、uとdの違いがない興味深い結果を得ている。

(2)これらへの分岐比を陽子対への分岐比と比較することや、sクォークを2つ含む反応J/ψ→Ξ-Ξ+を調べることで、sクォークの結合について研究を行っている。sクォークへの崩壊に強い抑制が観測されず、バリオン質量による運動学的抑制効果が主であることが示した。これは、1GeV程度の領域でQCDが、u,dとsのフレーバーの区別をしないことを示す興味深い結果であり、初めに述べた本研究の目的を達している。

(3)同じ程度のバリオン質量で、sクォークの数の差異と分岐比の比較により、ストレンジク.オーク質量150MeVの結果と一致すること示している点も特筆に値する結果である。

なお、本論文は、国際共同実験グループBESでの共同研究であるが、この研究に関しては論文提出者が主体となって解析しており、また検出器製作に当たっても、論文提出者は粒子識別のための重要な検出器である飛行時間測定器の光電子増倍管のチェックや較正で大きな貢献をしている。したがって論文提出者の寄与が十分であると判断する。

審査員全員十分納得する研究結果であり、論文提出者の物理学の知識も博士(理学)をうけるに十分である。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める

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