No | 123118 | |
著者(漢字) | 小口,和博 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | オグチ,カズヒロ | |
標題(和) | Si(100)における単一有機分子の結合とトンネル物性 | |
標題(洋) | Bonding and tunneling properties of single organic molecules on Si(100) | |
報告番号 | 123118 | |
報告番号 | 甲23118 | |
学位授与日 | 2007.12.28 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(科学) | |
学位記番号 | 博創域第332号 | |
研究科 | 新領域創成科学研究科 | |
専攻 | 物質系専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | I.序論 近年、基礎科学的、さらに将来の実用化を見据えた観点から基板上に吸着した有機分子の電気伝導特性の測定、有機分子膜の物性評価などの研究が精力的に行われている。この様な有機分子吸着系は、有機分子の持つ多彩な化学的物性、構造を利用することで、コーティング、バイオセンサー、分子エレクトロニクスへの応用が期待されている。基板に吸着した有機分子の物性を評価する場合、分子は基板と"接合"していることが必要だが、分子と基板の結合状態は完全に解明されているとはいえない。分子-基板間の結合状態は、電気伝導特性に大きく影響を及ぼすことが理論的に指摘されている。そのため物性を評価するうえで、有機分子はよく規定された結合により固定されていることが重要となる。 走査型トンネル顕微鏡(STM)に代表される局所プローブ顕微鏡技術を用いることにより、基板に吸着した単一吸着分子の物性を測定することが可能となった。トンネル伝導特性の測定は、STMを用いて基板上の有機分子を観察し、探針を有機分子上に固定してI-Vスペクトルを測定する手法が行われている。このようなトンネル伝導物性の測定において、有機分子が示すI-Vスペクトルの中に負性微分抵抗(NDR)が現れる現象は様々な系で報告され、またいくつかのモデルが提唱されてきた。最近、DattaらによってSi(100)基板上に吸着した単一有機分子のトンネル伝導特性にNDRが現れる可能性が理論的に提案された[1]。そしてHersamらはSi(100)基板上に吸着した単一のstyrene、2,2,6,6-tetramethyl-1-piperidinyloxy、cyclopenteneのトンネル伝導特性を室温で測定し、実際にNDRが観測されることを報告した[2]。一方、Wolkowらは同一の系について、トンネル伝導特性の研究を詳細に行った[3]。分子上で測定したトンネル電流は時間と共に変化し、また、トンネル伝導特性は再現性良く得られないことから、有機分子の配向変化等によりNDRが現れていると主張している。 本研究では、シリコン基板に吸着した単一有機分子が示すトンネル伝導特性を調べることを目的として実験を行った。基板にはSi(100)を用い、吸着分子には1,4-cyclohexadieneを選択した。Si(100)は、工業的に最も良く利用されている基板であり、将来的には成熟したシリコン加工技術を利用し吸着分子系を構築することが可能である。また、Si(100)(2×1)表面のダイマー列構造をテンプレートとして利用することにより、この構造を反映させて吸着分子の配向を制御できる。1,4-cyclohexadieneは、Si(100)表面のSiダイマーと環化付加反応し、化学吸着することが過去の研究により知られている[4-7]。吸着分子は、室温においても脱離、表面拡散せず、また広いバイアス範囲でのトンネル伝導特性の測定が可能である。最近、理化学研究所の加藤らによって行われた電子エネルギー損失分光(EELS)、昇温脱離法(TPD)の研究から、Si(100)上に吸着した1,4-cyclohexadieneの吸着構造は、吸着温度の違いにより3種類あることが確認された[8]。本研究では、STMを用いて良く規定された系でのトンネル伝導物性を測定することを目的とするため、STMにより1,4-cyclohexadieneの吸着構造を確認し、区別した上でトンネル伝導特性の測定を行った。 II.実験 実験は、超高真空STM(JSPM-4500A)を用いて行った。基板には、n型、p型のSi(100)を用いた。基板は超高真空チャンバー内で約600℃に通電加熱し、12時間degasを行った。清浄表面は、超高真空中(<2.0×10-8Pa)で通電加熱によりフラッシングを繰り返し調製した。基板は液体窒素により冷却することが出来る。探針にはWワイヤーを用いた。探針は超高真空内に入れた後、先端を電子刺激加熱し清浄化した。吸着分子は、購入した1,4-cyclohexadieneを用い、パルスバルブから気体分子としてチャンバー内に導入し、基板に再現性よく吸着させた。 III.結果と考察 (1)1,4-cyclohexadieneの吸着構造 過去の研究から、1,4-cyclohexadieneはSi(100)(2×1)表面のSiダイマーと環化付加反応しdi-σ結合することが報告されてきた[4-7]。最近、加藤らによって行われた研究は、Si(100)に吸着した1,4-cyclohexadieneの吸着構造が吸着温度により三種類あることを報告している[8]。それぞれの吸着温度の条件と吸着状態は以下のようである。(1)基板温度が140K以下では弱く吸着した前駆状態である。(2)この前駆状態を140K以上に加熱するとdi-σ吸着状態になる。(3)基板温度が300Kでは、少量吸着においてtetra-σ吸着状態をとり、吸着量が増えてくるとdi-σ吸着状態が共存する。 我々は始めに、80Kに冷却したn-Si(100) 基板に1,4-cyclohexadieneを少量吸着させSTMにより吸着構造観察を行った。測定の結果、分子は下部ダイマー原子(Sd)に挟まれたSiダイマー列間に吸着していることが分かった(図、1(a))。これは分光の実験を踏まえると前駆状態である可能性が高い。また、その中にごくわずかではあるがSiダイマー上に非対称な輝点が二つ現れる吸着構造(非対称ダンベル型)も観察された。 基板を加熱すると図1(a)の吸着構造の量が減り、非対称ダンベル型構造が増えた(図、1(b))。非対称ダンベル型構造はdi-σ吸着である可能性が高い。 室温で基板に吸着させると、1,4-cyclohexadieneはSiダイマー間に楕円状の輝点として現れる(図、1(c))。これは、tetra-σ構造で吸着していると考えられる。tetra-σ構造で吸着した1,4-cyclohexadieneは、基板を80Kまで冷却しても構造に変化が現れなかった。 (2)Si(100)表面にtetra-σ吸着した1,4-cyclohexadieneのトンネル伝導物性 Si(100)表面に吸着した1,4-cyclohexadieneが示す3種類の吸着構造の中で、吸着温度が300Kのときに現れるtetra-σ型吸着構造に着目し、トンネル伝導特性の測定を行った。tetra-σ型構造は基板のシリコン原子と4本のSi-C結合で安定に吸着し、最も配向変化が起こりにくい吸着構造と考えられるからである。 基板にはn-Si(100)を用いた。STM像から識別した吸着分子の上に探針を固定しトンネル伝導特性を測定した。サンプルバイアスを-10V~+10VまでスイープさせたときのI-Vスペクトルを図2に示す。サンプルバイアスが負の領域において、ショルダーが-2.2Vに、少なくとも3つのNDRが-4.1V、-6.2V、-8.2Vに観測された。一般的に、STSスペクトルにおける負のサンプルバイアス領域は、試料表面の占有状態を反映していると考えられている。そこでI-Vスペクトルと電子状態の対応を調べるため、1,4-cyclohexadieneが吸着したSi(100)の紫外光電子分光(UPS)測定を行った。UPSにより、吸着分子の占有電子状態を測定することが出来る。得られたUPSスペクトルと、負のサンプルバイアス領域のI-Vスペクトルを比較したところ、ピーク位置が相対的に一致する結果を示した。よって、I-Vスペクトルに現れるNDRは、吸着分子の占有状態に由来すると考えられる。 次に、n型、p型のSi(100)基板において、tetra-σ構造で吸着した1,4-cyclohexadieneのトンネル伝導特性を測定した (図.3)。測定したスペクトルには、n型ではサンプルバイアスが約-2.2V、p型では-1.6VにNDR的特性を観測し、正の領域にはショルダーは現れなかった。また、同一のn型、p型基板の清浄表面のSTSを測定し、フェルミエネルギーは伝導体底からそれそれ約0V、0.5Vにあると見積もった。これらのSTSスペクトルにおいて、吸着分子に由来する構造は、フェルミエネルギーを基準とするとエネルギー的に良く一致する。これは、吸着分子の分子軌道に由来する電子状態が、基板のバンドのエネルギーに対して固定されているためであると考えられる。 一般的には、走査トンネル分光(STS)測定において金属である探針のエネルギー準位は連続的であると仮定され、STSスペクトルは試料表面のフェルミエネルギーから印加されたバイアス電圧までの電子状態密度の積分値であると解釈される。しかし、試料表面の電子状態密度は負の値をとらないため、この解釈ではNDRを説明することは出来ない。そこで過去に提唱されている、探針先端の電子状態が離散化しているというモデルで解釈を行った。探針先端にはフェルミレベル近傍に高い状態密度をもつ準位が存在しており、探針側ではトンネル電流はこの準位を通じて大きく流れるとする。この場合のエネルギーダイアグラムを図4に示す。この図において、STSスペクトルはバイアス電圧が変化するに従い、サンプル表面の状態密度に応じて変化すると考えることができる。この場合、サンプル表面に分子に由来する離散化したエネルギー準位が存在していればNDRが現れることになり、UPSより得られた分子吸着表面の電子状態に対応したNDRの出現を説明することが出来る。 | |
審査要旨 | 本論文は英文で7章からなり,第1章は研究の背景と目的を簡潔に述べた序論,第2章は実験,第3章は走査トンネル顕微鏡(scanning tunneling microscopy: STM)および走査トンネル分光(scanning tunneling spectroscopy: STS)の基本原理,第4章はSi(100)c(4x2)表面における位置選択的環化付加反応,第5章はSi(100)表面における1,4-シクロヘキサジエンの吸着状態,第6章はSi(100)に吸着した単一1,4-シクロヘキサジエン分子のトンネル特性,第7章は結語である.以下,章ごとの内容をやや詳しく述べる. 第1章は,シリコン表面に吸着した有機分子の研究と,本論文の目的について述べられている.よく規定された吸着分子系を構築するために,Si(100)表面への環化付加反応が利用されている.本論文では,Si(100)表面への非対称アルケン(プロペン,2-メチルプロペン)と環状ジエン(1,4-シクロヘキサジン)の環化付加反応を,単一分子レベルで低温STM/STSを用いて研究した. 第2章では,実験に用いた装置と試料について記述されている.STM装置本体は既製品であるが,本実験を遂行するために新たに作製された補助装置について詳しく記述されている. 第3章では,STMとSTSの測定原理について,簡潔にまとめられている. 第4章では,低温Si(100)c(4x2)表面に非対称アルケン(プロペンと2-メチルプロペン)が環化付加反応したときの吸着状態を研究した.この表面ではシリコン原子が非対称ダイマーを形成しており,ダイマー内のSi原子の一つは真空側に,もう一つはバルク内部方向に変位している.前者を上部ダイマー原子(Su),後者を下部ダイマー原子(Sd)と呼ぶ.Si(100)c(4x2)表面の非対称ダイマーにプロペンを反応させると,メチル基をもつアルケンの炭素原子がSuに,2つの水素原子と結合しているアルケンの炭素原子はSdに,位置選択的に吸着することを見いだした.2-メチルプロペンを反応させたときも,同様に,2個のメチル基と結合したアルケンの炭素原子がSuに,2つの水素原子と結合したアルケンの炭素原子はSdに,位置選択的に吸着する.非対称ダイマーではSdからSuへ電荷移動が起こるので,Suは電子過剰,Sdは電子不足であることが知られている.上記の非対称アルケンの位置選択的吸着は,有機化学におけるマルコフニコフ則のアナロジーとして説明することができる.共同研究者の第一原理計算による反応中間体の解析を参考にして,カルボカチオン的な中間体を経由して環化付加反応が起こるという仮説を実証した. 第5章では,Si(100)表面における1,4-シクロヘキサジエンの吸着状態を,基板温度を変化させてSTMで研究した.80KのSi(100)c(4x2)表面に1,4-シクロヘキサジエンを吸着させると非対称ダイマーのSdサイト間に対称的な輝点が観察された.この表面を加熱すると,シリコンダイマー上に2つの輝点からなる吸着種が観測された.一方,室温のSi(100)(2x1)表面に1,4-シクロヘキサジエンを吸着させると,ダイマー列内の隣り合ったダイマーの間に輝点が観測された.過去に報告されたH.S.Katoらによる表面振動分光の結果,および,本研究における価電子帯光電子分光の結果を併せて考えると,80Kで観測された吸着種はSdサイトに1,4-シクロヘキサジエンのπ電子を供与した弱い吸着状態,それを加熱したものはdi-σ吸着状態,室温での吸着状態はtetra-σ(机型)吸着状態と結論された.π供与型吸着種は,二つのSdサイト間を行き来しているモデルと,Sdサイトの中間に位置するモデルが考えられるが,表面分光の結果から前者の可能性が高いと結論された. 第6章は,Si(100)(2x1)表面に机型吸着した1,4-シクロヘキサジエンのトンネル物性について詳細に論じている.この単一吸着分子に対してSTS測定を行うと,探針(tip)の条件に依存するが,負性微分抵抗(NDR)状の構造が電圧-電流特性(STSスペクトル)に観測された.NDR状のピークは,価電子帯光電子スペクトルにおける吸着分子の軌道由来のピーク位置に一致した.縮退型p型基板と縮退型n型基板の比較を行ったところ,フェルミレベルの差だけ,NDRピークがシフトすることがわかった.化学吸着した分子の軌道レベルはSi基板のバンドに固定されるので,NDRピークは吸着分子由来であると考えられる.対照実験により,吸着分子のコンフォメーション変化や,分解・脱離などの電子誘起反応も考えにくい.よって,吸着分子由来の状態と探針に局在した状態間の共鳴トンネル現象である可能性が高いと結論された. 第7章は,結語であり,本博士論文で解明されたことを簡潔にまとめている. なお、本論文の第4章は,長尾昌志,梅山裕史,片山哲夫,山下良之,向井孝三,吉信淳,赤木和人,常行真司,第5章と第6章は山下良之,向井孝三,吉信淳との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する. したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める. | |
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