学位論文要旨



No 123119
著者(漢字) 川島,朋子
著者(英字)
著者(カナ) カワシマ,トモコ
標題(和) 広範な生物種のゲノムに標的特異的に転移するバキュロウイルス介在型LINEベクターの開発
標題(洋)
報告番号 123119
報告番号 甲23119
学位授与日 2007.12.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第333号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 教授 宇恒,正志
 東京大学 客員教授 野田,博明
内容要旨 要旨を表示する

序論

トランスジェネシスは、現代の医学・生物学に不可欠な技術である。現在、主にDNA型トランスポゾンやレトロウイルスなどがベクターとして用いられているが、これらは染色体にランダムに挿入するため、「遺伝子・機能領域の破壊」や「位置効果による発現のばらつき」をもたらす危険性があり、染色体の特定位置へ遺伝子を導入する技術が必要とされている。LINE(Long Interspersed Nuclear Element) は、ほぼ全ての真核生物のゲノムに存在するレトロトランスポゾンの一種である。LINEには、ゲノム上の特定位置に転移する因子が10種類以上も発見されている。当研究室では、これらの標的特異的LINEの転移機構を調べる目的で、昆虫の核多角体ウイルスのAcNPV (Autographa californica nucleo- polyhedrovirus)を用いて、ヨトウガ由来の昆虫細胞Sf9細胞で配列特異的に転移させるシステムを開発した(図1)。私は、この系をトランスジェネシスに応用すれば、標的特異的な遺伝子導入を可能とする新たなベクターを作製できるのではないかと考えた。また、発現に用いるAcNPVは系統的に離れたヒト細胞にも感染することが示唆されているため、幅広い動物に利用できる可能性が高いと考えた。そこで、AcNPVにLINEを組み込んだ「AcNPV介在型LINE」が幅広い種の細胞で標的特異的な転移活性をもつのかを明らかにするため、複数の標的特異的LINE(SART1、R1、R2)を用いて、多様な昆虫種や魚類メダカ細胞、哺乳類ヒト細胞を材料に、AcNPV介在型LINEの広範な感染性と転移活性を解析した。

結果と考察

1 AcNPV介在型SART1/R1を用いた昆虫細胞・個体への外来遺伝子の導入

「AcNPV介在型LINE転移システム」が昆虫のトランスジェニックツールに適用できるかを調べた。ウイルス介在型の安定な転移システムが開発できれば、初期胚へのインジェクションなどが困難な非モデル昆虫での遺伝子導入が容易になると期待される。カイコのテロメア特異的LINE・SART1と28SrDNA特異的LINE・R1はSf9細胞へ転移することが確認されていたが、AcNPVにとって本来の宿主ではないカイコ幼虫においても、本転移系が応用できるのか調べる必要があった。またトランスジェニックツールとしてSART1とR1に外来配列を組み込んでも転移活性があるかを検証するため、3'非翻訳領域(3'UTR) にEGFPの発現カセットを含むAcNPV(SART1-A3 EGFP-AcNPV、R1-A3 EGFP-AcNPV)を作成し、カイコ5齢幼虫に注射した。SART1とR1は標的配列に転移するため、転移の有無はLINE内部の配列と標的配列の間のPCRで検出できる。感染72時間後に脂肪体のゲノムDNAを抽出しPCRを行った結果、特異的な転移を示すバンドが検出された。さらに転移した3'末端境界部分の配列を解析したところ、テロメア配列や28S rDNAの標的配列に正確に転移したことが確かめられた。次に組織ごとに解析を行った結果、精巣・卵巣を含む9つの組織でSART1とR1の転移を確認した(図2)。この結果は、生殖細胞を介して導入遺伝子が次世代に受け継がれる可能性を示唆する。一方、実験の過程で、高濃度のAcNPVはカイコの発生を阻害することが明らかになったため、遺伝子導入に最適なウイルスタイターや系統を検討した結果、F1トランスジェニック個体を得ることに成功した。しかし、導入した外来遺伝子の発現の有無は十分に検証できなかった。AcNPVの毒性や外来遺伝子の発現に関して今後解決すべき問題はあるが、本研究により初めて標的特異的な遺伝子導入個体の作製が示された。また、非モデル昆虫アカモンドクガの染色体にもSART1が転移したことから、カイコ以外の多様な昆虫においても、トランスジェニックツールとして利用できる可能性が示唆された。

2.メダカの28SrDNA特異的LINE (R2Ol)の昆虫細胞での転移活性

近年、節足動物から脊索動物まで広範な生物に存在することが示された、28S rDNA特異的LINE・R2の利用を考えた。標的配列が生物間で高度に保存されているので、広く利用できる可能性がある。またカイコのR2 (R2Bm)や当研究室で単離したメダカ完全長R2(R2Ol)は、転移活性を持つことが明らかになっている(谷田部ら未発表データ)。

私は、R2が実際に系統的に離れた種でも転移するのかを検証するため、R2OlのORFと3'UTR を発現するAcNPVコンストラクトを作成し、昆虫由来のSf9細胞で転移実験を行った。その結果、コントロールとして用いたR2Bmは転移したが、R2Olの転移は確認できなかった。R2OlとR2Bmでは、図3に示すように、 [N末のzinc-finger (ZF)]、[ENの活性中心]、[3'UTRの構造]など構造的な違いがある。この特徴的なドメインが転移活性の違いに関与しているのではないかと考え、一部分をR2BmからR2Ol型に置き換えたキメラR2 (図3)を作製し、転移活性を調べた。その結果、ZFとENドメインのキメラはSf9細胞でも転移したため、機能は保存されていることが示唆された。また、3'UTRのキメラコンストラクトでは、一部不正確な位置から逆転写が開始されたが転移自体は確認されたので、他の領域が原因であると考えられた。

3.VSVG型AcNPVを利用したR2の脊椎動物細胞への標的特異的転移

R2Olは昆虫細胞にも転移することから、脊椎動物全般にR2Olが利用できるのではないかと考えた。AcNPVの脊椎動物への感染と導入遺伝子の一過性の発現はいくつか報告されているが、転移システムと組み合わせた例はない。ヒト細胞で標的特異的転移が成功すれば、安全な遺伝子治療ベクターなどへの応用が期待できる。そこで、ヒト細胞への強い感染力と高発現を可能とするウイルスベクターの作製を目指すため、AcNPV外殻の修飾とプロモーターを変えた数種のEGFP-AcNPVを作製して、感染細胞のEGFPシグナルを指標に導入効率の比較を行った。その結果、水疱性口内炎ウイルス(VSV)のエンベロープGタンパク質をもち、CAGプロモーターを発現に用いるAcNPVコンストラクトが最も適しており、ヒト細胞での高発現が確かめられた。そこで、5'UTRを含む全長R2Olを発現するR2Ol-VSVG型AcNPVを作製し、感染実験を行った(図5)。感染細胞のゲノムDNAの解析結果から、感染4日後の293細胞においてR2Olの転移が確認できた。R2Olの挿入サイトの配列を詳細に調べた結果、28SrDNAの想定された標的配列に正確に転移したことが確かめられた(図5C)。以上の結果を総合すると、R2Olは昆虫、魚類、哺乳類動物の広範な細胞種で標的特異的な転移活性を保持することが明らかとなった。

全体の考察と結論

本研究から「AcNPVが広範な生物種の細胞に感染・発現する」、「LINEのR2Olが系統的に離れた種に転移する」ことが示され、この二つの組み合わせにより、標的特異的遺伝子導入を可能とする新しい遺伝的ツールを開発することができた。

DNA型トランスポゾンでは、ショウジョウバエのP因子のようにその種でしか転移しない種特異的な転移因子とpiggyBacのように広範な生物種で転移が可能な転移因子が知られている。一方、LINEを含むレトロトランスポゾンでは種特異性や宿主因子の転移への関与はほとんど調べられていない。LINEは自身のORFに逆転写酵素とDNA切断酵素をコードしており、転移に必要な宿主因子は主に転写・翻訳やDNA修復に関連したユニバーサルな因子が想定されている。しかし、その他の宿主因子との相互作用についてはほとんど未解明である。今回、魚類由来のR2Olが昆虫とヒト細胞でも転移したため、R2Olは種特異的な宿主因子には依存しないことが示唆された。R2が節足動物から爬虫類まで幅広い生物種に存在するのはこのためかもしれない。今後R2Bmを含む他種のR2において、幅広い生物種への転移活性を調べることにより、R2全体の特徴が明らかになると考えられる。一方、本研究では導入した外来遺伝子の発現の有無を十分に検証できなかった。これは、ウィルスベクターから由来した発現か染色体導入部位からの発現かを区別できないためで、今後別の導入方法などを用いて検証しなければならない。また、遺伝子導入部位でのサイレンシング効果などを想定すると、インシュレーター配列の利用や転移標的部位の変更なども今後視野に入れておく必要があるが、技術的には容易に対応できる。以上のような改良が進めば、今回開発された標的特異的転移システムは安定で安全な汎用性の高い遺伝子導入法としておおいに期待できる。

発表論文

1)Kawashima T, Osanai M, Futahashi R, Kojima T, Fujiwara. H. A novel target specific gene delivery system combining baculovirus and sequence-specific LINEs Virus Research 2007 Jul;127(1):49-60.

図1. AcNPV介在型標的特異的LINEの転移系

3'UTRの内部に外来配列(A3プロモーターとEGFP)を組み込んだSART1、R1とR2を発現するAcNPVコンストラクトを作製し、細胞へ感染させる。この際、LINE発現用のプロモーターは昆虫ではpolyhedrin、脊椎動物ではCAGを用いた。標的特異的転移の有無は、LINE内部と標的配列の間を増幅するように設計したプライマーセットを用いてPCRで検出する。R1の末端には正確な挿入に必要な標的配列(TSD)を付加した。

図2.カイコ幼虫の組織別転移解析

M,マーカー;H,血球細胞;B,脳;T,精巣;O,卵巣;Mg,中腸;W,翅元基;F,脂肪体;As,前部絹糸腺;Mt,マルピーギ管。感染個体において、解析を行った全ての組織でSART1-A3 EGFP、R1-A3 EGFPの標的特異的転移が確認された。

図3.メダカR2(R2Ol)とカイコR2(R2Bm)のキメラコンストラクトを用いた転移実験

A,R2OlとR2Bmの構造的な相違点。B,各キメラ型R2コンストラクトの標的特異的転移を調べた結果。○, 転移;×,転移が確認できない;△,転移するが、R2側の逆転写開始位置が不正確になる。

図4.R2Olの5'UTRと昆虫細胞への転移活性

全長R2Olコンストラクト((5))を含む、上流領域の異なる5つのR2Ol-AcNPVを作製し、昆虫細胞への転移を調べた結果、R2Ol 5'UTR 88-176の領域を持つ(1)、(2)、(5)のコンストラクトでは転移を確認できた。Hisはタグ配列。ncSf9(非感染Sf9細胞)。

図5. R2Olのヒト細胞への転移

A, R2Ol野生型(WT)と逆転写酵素変異体(RT)のVSVG-AcNPVを作製し、ヒト293細胞へ感染後、R2Olの転写をノザンハイブリダイゼーションで確認した。B, (上段) 標的特異的転移検出のPCR。R2Ol WTでは転移が検出されたが、RT変異体では転移は検出されなかった。(下段) ヒトActinのPCR。NC (無処理293細胞)、medaka (メダカHdrR系統)。C, R2Ol挿入部分の配列解析の結果。標的配列に正確に転移していた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、3章から構成され、第1章はテロメア特異的LINE・SART1および28S rDNA特異的R1の組換えAcNPVを用いた昆虫細胞・個体への外来遺伝子の導入、第2章はメダカ由来の28S rDNA特異的LINE R2Ol (R2Ol)とカイコ由来のR2Bm (R2Bm)の組換えAcNPVを用いた昆虫細胞での転移活性、第3章はVSVG組換えAcNPVを利用したR2OlとR2Bmのヒト細胞での転移活性について述べられている。

第1章において、論文提出者は一般にトランスジェネシスが困難であることが知られる昆虫に着目し、新たな遺伝子導入ツールの候補として、マーカー遺伝子を導入したバキュロウイルス介在型SART1およびR1を作製し、ウイルス感染個体の染色体における転移の境界部分の塩基配列の解析から、生体の細胞においてもSART1およびR1の転移の標的特異性が維持されることを示した。さらにSART1については、非自律的な二つのウイルスの共感染によって転移のコントロールが可能で、ウイルスの構築も簡便となる、より実用的な導入系の開発に成功した。さらに、AcNPVが宿主外のカイコにも毒性を示すことを明らかにし、4系統・計3300匹以上のカイコに注射を行い、ウイルス濃度と、転移・生存の効率の関連を詳細に調べ、実際にバキュロウイルス介在型LINEを用いてトランスジェニック昆虫の作出が可能であることを示した。また、AcNPVの感染性については、鱗翅目昆虫、膜翅目昆虫や直翅目昆虫にも感染することを明らかにし、バキュロウイルス介在型LINEの転移システムが初期胚へのインジェクションなどが困難な昆虫での遺伝子導入に応用に可能となることを初めて示した。このように全く新しい遺伝子導入系を構築し、実際にその応用性を実験的に示したことは高く評価できる。

第2章では、種をこえたLINEの転移活性を調べるために、近年、新たに節足動物から爬虫類まで広範な生物に存在することが示された28S rDNA特異的LINE・R2に着目し、鱗翅目昆虫由来のSf9細胞への転移を解析した。メダカ由来のR2Olとカイコ由来のR2Bmそれぞれの重要なドメインの変異体や、キメラコンストラクトを計15種作製し、R2の構造と転移活性の関連を考察した。その結果、系統的に離れたメダカとカイコのR2の各ドメインが標的特異的に転移する際に共通の機構を維持しており、交換可能であることを初めて示した。また、R2OlはR2Bmと異なり、ORFの上流に位置する5'UTRの配列を含む全長の発現が、昆虫細胞への標的特異的転移に必須であることを明らかにした。R2Olが系統的に大きく離れた昆虫細胞へも転移した結果は、R2Olは種特有の宿主因子に依存せず、生物間で共通の因子および共通の機構によってホストの染色体に転移することを示す興味深いものである。この知見は、R2のベクターとしての汎用性と利用性の高さを示唆する。さらに論文提出者はこれまで知られていなかった、R2の5'UTRの転移促進的な機能を見出し、LINEの5'UTRの機能が個々で大きく異なることを明らかにした。

第3章では、哺乳類ヒト細胞に着目して転移実験を行った。ヒト細胞でのR2Olの発現に用いるAcNPVについて、その改変の必要性を詳細に検証し、水疱性口内炎ウイルスのエンベロープ (VSVG)の組換えAcNPVを新たに構築し、実際にヒト細胞内でのR2Olを高発現するベクターの構築に成功した。構築したR2Olの転移システムを利用して、R2Olがヒト細胞内においても28S rDNA内の標的配列に正確に転移することをホストの染色体の詳細な解析により証明している。これらの結果から、AcNPVが広範な生物種の細胞に感染・発現すること、R2Olが系統的に離れた種においても標的特異的に転移することが示され、この二つの組み合わせにより、標的特異的遺伝子導入を可能とする新しい遺伝的ツールの基礎を構築した点が高く評価される。このシステムは、ヒトの遺伝子治療や一般の動物の遺伝子導入法の従来の問題点を解決する、安定で安全な汎用性の高い遺伝子導入法に応用が可能であり、今後の実用化がおおいに期待される。

なお、本論文第1章は藤原晴彦博士、小嶋徹也博士、二橋亮博士、長内美瑞子氏、第2・3章は藤原晴彦博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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