学位論文要旨



No 123120
著者(漢字) 韓,美英
著者(英字)
著者(カナ) カン,ビエイ
標題(和) ERK MAP キナーゼによるアクチン結合タンパク質 EPLINのリン酸化およびアクチンとの相互作用の制御
標題(洋) ERK MAP kinase phosphory lates theF-actin cross-linking protein EPLIN and regulates its interaction with F-actin
報告番号 123120
報告番号 甲23120
学位授与日 2007.12.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第334号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邊,俊樹
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 准教授 仙波,憲太郎
 東京大学 准教授 川口,寧
内容要旨 要旨を表示する

MAPキナーゼ (mitogen-activated protein kinases : MAPK) は様々な細胞外刺激により活性化され、これらの特異的な基質をリン酸化することによって多くの細胞のできごとを制御している。MAPKの代表的なものとしてERK1/2 (extracellular signal-rugulated kinases 1, 2), JNK (c-Jun N-terminal kinase 1/2/3), p38 (p38α/β/υ/δ), ERK5の四つのサブファミリーがある。ERK1/2はチロシンキナーゼ受容体からのシグナルによってRas-Rafを介して活性化され、細胞の増殖および分化を制御する。ERKはSer-Pro或はThr-Proのコンセンサス配列を含む基質をリン酸化し、その標的因子としてElk-1, Sap-1などの転写因子やRSK, MAPKAPK-2 (mitogen-activated protein kinase-activated protein kinase)などのキナーゼが報告されている。活性化されたERK1/2は細胞質から核に移行し、核内基質をリン酸化することによってさまざまな生理的な過程を制御する。近年、核内における機能とは別に、ERKはMLCK (myosin light chain kinase), FAK (focal adhesion kinase), calpain, paxillinなどの因子をリン酸化することで、細胞の運動や接着を制御することが明らかにされた。

成長因子や細胞ー基質間接着などの複数の細胞外刺激は細胞運動へのシグナルを起動し、このシグナルは続いてMAPK family, protein kinase C, tyrosine kinases, Rho family small GTPasesなどのさまざまな細胞内因子によって伝達される。細胞が運動する際には、アクチン細胞骨格系のダイナミックな再構成がおこる。アクチン線維の束化および架橋の可逆的な制御は、アクチン細胞骨格系の伸張性と柔軟性の産生に重要な働きをする。したがって、細胞運動制御において、多くのアクチン束化/架橋蛋白質が機能している。

EPLIN (epithelial protein lost in neoplasm) は多くの腫瘍組織でmRNAの発現の低下が認められるタンパク質として同定された。EPLINにはαとβの2つのアイソフォームがあり、EPLIN βはN末にさらに160アミノ酸伸長した構造である。EPLINは中央にLIMドメインを有し、そのN末側とC末側に2つのアクチン結合領域が存在する。LIMドメインを介して形成した二量体が、計4つのアクチン結合部位を用いてアクチン線維を架橋し、束化することでアクチン線維を安定化させる。この機能により、EPLINはArp2/3 complexによって誘導されるアクチン線維脱重合を抑制し、またRacが制御するメンブレンラッフル形成を抑制することが報告されている。したがって、EPLIN発現の低下は細胞の運動を増加させ、転移性腫瘍の運動性を高める可能性が考えられている。我々の研究室においてERK MAPキナーゼ基質を網羅的に解析した結果、EPLIN はERKの新規基質候補として同定された。本研究においては、ERKによるEPLINリン酸化の部位を決定し、さらにEPLINリン酸化による機能制御について解析を行った。

はじめにERKが試験管内および細胞内でEPLINをリン酸化することを確認した。ERKリン酸化のコンセンサス配列内部のセリン残基をアラニン残基に変異させた変異体を用いたリン酸化実験と、リン酸化されたEPLINのLC-MS/MS解析により、EPLIN上の360, 602, 692のセリン残基がERKによる主なリン酸化部位であることを明らかにした。

EPLINはN末側とC末側に2つのアクチン結合部位を含んでいるため、アクチン線維を架橋して束化するが、これら2つのアクチン結合部位は細胞で異なる働きをする可能性がある。そこで、F-actinとの共沈実験と細胞抽出液からの免疫沈降実験を行ったところ、C末側のアクチン結合領域のF-actinとの親和性がERKによるリン酸化により低下することが判明された。N末側の結合領域および全長EPLINではこのような変化は認められなかった。C末側のアクチン結合部位のアクチン線維への親和性低下は、EPLINのアクチン線維束化活性を低下させ、アクチン線維のダナミックな再構成を促進させる可能性が考えられる。

EPLINをMCF-7細胞に発現させると細胞ストレスファイバーの数、サイズおよび強度が増加することが報告されている。そこで抗EPLIN抗体でNIH3T3細胞に対する免疫染色を行ったところ、無刺激の細胞ではEPLINはF-actinと共にストレスファイバーに局在したが、細胞をPDGF刺激するとストレスファイバーが消失し、EPLINはF-actinと共にラメリポディアやドーサルリングに移行した。また、U0126によりERK活性を抑制した細胞では、PDGF刺激時のストレスファイバーの消失が部分的に抑制され、EPLINは残存するストレスファイバーにも共局在することが分かった。

EPLINのセリン360と602番目のリン酸化部位を含むペプチドで作製した抗リン酸化抗体を用いて、PDGFで刺激したNIH3T3細胞を免疫染色した。その結果、PDGF刺激後5分からEPLINのリン酸化がラメリポディアやドーサルリングで誘導され、120分まで強いリン酸化が認められた。また、PDGFによるリン酸化はU0126により完全に抑制された。

さらに、細胞が運動する際にはF-actinの再構成が起こるので、EPLINのリン酸化による機能制御が関与する可能性を想定し、wound healingにおけるEPLINのリン酸化を検討した。コンフルエントなNIH3T3細胞をwoundingしてから6時間後に2つの抗リン酸化抗体で免疫染色したところ、360番目のセリンおよび602番目のセリンのリン酸化は、ともに細胞のleading edgeにおいて認められた。この時U0126で前処理するとhealingが部分的に抑制されると共に抗リン酸化抗体による陽性シグナルが消失したことから、これらのリン酸化はERK活性に依存していることが分かった。

以上の結果からEPLINのリン酸化とF-actinの再構成を伴う細胞の運動性の上昇に関連性が認められたので、EPLINα-GFPとそのリン酸化部位をアラニンに置換したEPLINα(S360/602/692A)-GFPをNIH3T3細胞に過剰発現し、PDGF刺激後のラッフリング形成を検討した。その結果、無刺激の細胞ではEPLINα-GFPおよびEPLINα(S360/602/692A)-GFPを過剰発現することによってストレスファイバーの形成が促進されていた。これに対してPDGF刺激後の細胞ではストレスファイバーの消失とともに、EPLINα-GFPの過剰発現によってラッフリングの形成が周囲の細胞よりさらに促進されたが、EPLINα(S360/602/692A)-GFPでは逆にストレスファイバーの消失が低下し、ラッフリングの形成も抑制された。従ってPDGF刺激によるラッフリングの形成にEPLINのリン酸化が必要であることが示唆された。

細胞運動におけるEPLINのリン酸化の必要性をさらに検討するためにBoyden-chamber assayを行った。GFPやEPLINα-GFPを発現した細胞ではPDGF添加によって運動性の強い上昇が認められたが、EPLINα(S360/602/692A)-GFPを発現した細胞ではこの運動性の上昇が有意に抑制された。

以上の結果から、EPLINはERKの新規基質であり、in vitro及びin vivoでERKによっておもに3ヶ所のセリン残基がリン酸化されることが分かった。そしてERKによるリン酸化はEPLINのC末側でのF-actinとの親和性を低下させることが分かった。さらにEPLINのリン酸化はPDGF刺激によるストレスファイバーの消失とラッフリングの形成に必要であり、細胞運動に重要であることが示唆された。EPLINはLIM ドメインを介して二量体を形成しているので、リン酸化されていない時はN末側とC末側を合わせて計4つのアクチン結合部位がF-actinと同時に結合することによってF-actinが強く束化し、ストレスファイバーの形成を促すことが予想される。これに対してリン酸化されたEPLINはC末側のアクチン結合活性が低下することによってN末側だけによるF-actinの架橋因子となり、ラッフリング領域でのダイナミックなF-actinのメッシュワークの形成に関与しているのではないかと推測している。このような非リン酸化EPLINの機能は細胞の運動に対して抑制的に機能すると考えられる。さまざまな腫瘍でEPLINの発現レベルが低下していることから、これらの細胞では運動性が亢進し、転移性を高めていることが考えられる。RNAiによるEPLINレベルの抑制や、ノックアウトマウスの解析により、こうした点にアプローチすることは今後の重要な課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、多様な細胞内シグナル伝達で中心的な役割を果たすERK/MAPキナーゼの基質を網羅的に同定し、得られた新規ERK基質のリン酸化制御を解明することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

IMACによるリン酸化タンパク質の濃縮法、及び蛍光標識二次元ディフアレンスゲル電気泳動(2D-DIGE)技術を組み合わせることにより、ERK経路に位置するリン酸化タンパク質を同定した結果、ERK1/2やRSK2などの既知のERK経路構成因子を除いた24種類は新規ERK基質候補と考えられた。二次元イムノブロットやバイオインフォマティクスによる解析結果を考慮して11種類を選択し、GST融合タンパク質を調製したところ、10種類はERKによりin vitroでリン酸化されることが判明された。この中で一番強くリン酸化されたEPLIN(epithelial protein lost in neoplasm)はアクチン架橋タンパク質の一つであり、多くのヒト癌細胞で発現レベルが低下していることが知6れていた。

EPLINのさらなる解析の結果、i)ERKはEPLINの3ヶ所のセリン残基をinvitro,invivoでリン酸化し、ii)ERKによるリン酸化はEPLINのC末端側でのアクチン結合能を低下させ、iii)静止期にストレスフアイバーに局在するEPLINはERKによるリン酸化に伴つてラツフル膜へ移行し、iv)ERKリン酸化部位のアラニン変異体を発現させると野生型のEPLINに比べてPDGF刺激によるストレスファイバーの消失、ラツフル膜形成、細胞運動性の上昇が抑制される、等が明らかとなつた。従つてERKはEPLINをリン酸化することによつてアクチン骨格系と細胞運動を制御すると考えられた。

以上、本研究ではERKIMAPキナーゼによるアクチン架橋タンパク質EPLINのリン酸化を介した細胞運動制御を明らかにし、ERKの細胞運動での研究進展の端緒となり得るものであり、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/24342