学位論文要旨



No 123121
著者(漢字) 落丸,武彦
著者(英字)
著者(カナ) オチマル,タケヒコ
標題(和) 常緑広葉樹林の菌類相に対する環境の影響
標題(洋) Fungal flora of evergreen broad-leaved forests and their environment
報告番号 123121
報告番号 甲23121
学位授与日 2007.12.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第335号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福田,健二
 東京大学 教授 大澤,雅彦
 東京大学 教授 山田,利博
 東京大学 准教授 斎藤,馨
 東京大学 講師 松下,範久
内容要旨 要旨を表示する

常緑広葉樹林は関東地方以西の代表的な森林植生であり、関東地方では特に丘陵部や平野部において卓越する。しかし丘陵部や平野部では盛んな人間活動により小面積の島状に分断されて残存している常緑広葉樹林が多い。このようにして都市に存在する都市林は、環境・生物多様性・生態系保全を目的とした保護の対象となっており、これら人為的な環境の影響下にある都市林における動植物の生態に関する研究が行われてきた。

人為的な環境の変化が菌類に与える影響に関しては、樹木の根に共生体(菌根)を形成して樹木の成長を促進させる菌根菌について、その形成率や菌根の形態タイプ組成に、酸性降下物や窒素化合物、重金属による土壌汚染が及ぼす影響について研究が行われてきた。これらの菌根菌に関する既往研究は根圏に形成される菌根を指標としており、子実体(キノコ)を指標とした研究は少ない。しかし保全対象とされる都市林において根圏に不可逆的な損傷を与える調査を実行することは難しく、これらの樹林における菌類相の評価を継続的に行うには子実体を指標とした研究による知見が必要である。また森林生態系において有機物の分解に大きな役割を果たしている腐生菌に人為的な環境の変化が与える影響に関する研究は少ない。しかしこれらの腐生菌は子実体を形成していない状態、つまり菌糸の状態では観察されにくく、また種の同定も難しい。

そのため本研究では、都市域、郊外域、山間域と異なる立地に残存する常緑広葉樹林において、腐生菌、菌根菌の子実体を指標として菌類の群集構造と子実体形成様式に関する調査と解析を行った。さらに樹林における環境の差違が菌類群集に与える影響について考察を行った。

東京都心部から房総半島にかけて残存する、6カ所の常緑広葉樹林を調査地に設定した。これらの樹林は林冠を構成する樹主としてスダジイ(Castanopsis sieboldii)を共有した。しかし、木本相の構造は立地により影響を受け、特に都市域に残存する樹林では気温の上昇の影響を受けていると思われるシュロ(Trachycarpus fortunei)や、光環境の変化の影響を受けていると思われるアオキ(Aucuba japonica)の繁茂がみられるなど樹種構成に違いがみられた。同時に低木の現存量が増加し、亜高木層の現存量が減少するなど樹体サイズの構成にも変化がみられた。また都市域、郊外域にある樹林においては山間域の樹林に比べて落葉リターの現存量が多く、林床におけるリター堆積様式も立地によって異なる傾向が示された。さらに表層土壌の化学性に関しては郊外域の樹林において、林業樹種として用いられるスギ(Cryptomeria japonica)からの落葉リターの影響でpHが上昇する傾向を示し、都市域の樹林においては特に林縁部において窒素の蓄積が認められた。このように林間構成樹種を共有し、相似した林相を示す樹林においても、木本相、リター堆積様式、土壌化学性などには立地環境による相違がみられることが示された。

これらの調査地において、永続的コドラート法により菌類の子実体の発生状況に関する調査を行った。10m×10mの調査コドラート内において発生した子実体の種名と発生位置を記録した。さらに調査コドラートを2m×2mのサブコドラートに分割し、サブコドラート内に同じ調査地に出現した同じ種の子実体は頻度1としてまとめ、子実体の現存量の指標とした。この子実体調査は2000年夏期から2003年の秋期まで、冬期と春期を除いて月に2度の頻度で行った。さらに、環境要因として木本相、リター現存量、リター堆積様式、気温、土壌化学性に関する調査を適宜行った。子実体の発生温度条件に関する解析のために、子実体が観察された日より前20日間の気温の平均を子実体形成に関与した温度条件として仮定して調査地間、種間、あるいは分類グループ間での子実体形成温度条件の比較を行った。また子実体の分布様式に関する解析のためにマッピング法によるコロニーの解析とともに、数学的手法によって子実体分布の重なりについて解析を行った。

全調査期間を通して、132種の子実体が確認された。子実体はそれぞれの菌の基質によって5つの生活型に分類され、内訳はリター分解菌22種、木材腐朽菌39種、腐朽木材分解菌10種、腐植分解菌23種、外生菌根菌38種であった。

立地による菌類相の差違は生活型によって異なって現れ、都市林においてはリター分解菌の種多様性や現存量が増し、外生菌根菌の種多様性が低下する傾向が示された。

リター分解菌の種の豊富さはその基質となるリターの現存量と正の相関を示した。また同時に堆積リターの現存量は山間域よりも郊外域や都市域に多かった。このことから異なる立地において生じるリターの堆積様式の違いがリター分解菌の群集構造へ影響を与えている可能性が示唆された。リター分解菌はそのほとんどがキシメジ科の菌であり、主にモリノカレバタケ属(Collybia)、シロホウライタケ属(Marasmiellus)、ホウライタケ属(Marasmius)、クヌギタケ属(Mycena)に属する菌であった。これらの4属は子実体が形成された位置におけるリター堆積厚に有意な差を示し、モリノカレバタケ属とホウライタケ属の子実体は、シロホウライタケ属とクヌギタケ属の子実体よりも厚くリターが堆積する地点に形成された。またこれらの4属の菌は立地による子実体発生温度条件に有意な差を示さず、さらに属間でも有意な温度条件の差を示さなかった。これらのことから、リター分解菌の群集構造の差違は主にその樹林におけるリターの堆積様式によってもたらされており、温度条件の差違による影響は小さいと考えられる。

外生菌根菌の豊富さは外生菌根性樹種の現存量と正の相関を示した。しかし外生菌根性樹種の現存量や外生菌根菌の子実体発生頻度が立地による有意な差を示さなかったことから都市林における外生菌根菌の多様性の低下は木本相以外の影響による種の選定によってもたらされている可能性が示唆された。外生菌根菌相は主にテングタケ科(Amanitaceae)、ベニタケ科(Russulaceae)、イグチ科(Boletaceae)に属する菌から構成されていたが、都市林においてはテングタケ科の種の減少とベニタケ科、特にシロハツモドキ(Russula japonica)の著しい優占が示された。タングタケ科の子実体は9月前半から後半の短い期間に集中して形成された。しかし、この時期には都市域と山間域との気温条件の差はほとんどなかったこと、またテングタケ科とシロハツモドキの子実体形成温度条件にも有意な差がみられなかったこと、さらにこの時期において都市林ではシロハツモドキが子実体を形成していたことから、テングタケ科の種が占めるべき生態的地位が、都市林においてはシロハツモドキによって占有されている可能性が示唆される。外生菌根菌は特にベニタケ科では子実体形成温度条件が種によって有意に異なる場合が示され、特に日最低気温において種間の温度条件の差が大きかった。このことから、都市環境下においては気温の日較差が小さくなることによって外生菌根菌相が影響を受ける可能性が示唆される。

腐朽木材分解菌の群集構造に関して立地による有意な差は示されなかったが、都市林に顕著に繁茂するアオキ(Aucuba japonica)の立木位置と腐朽木材分解菌の子実体形成位置に関連が示された。アオキの立木位置と木材腐朽菌の位置には関連が示されなかったこと、またアオキの現存量が腐朽木材分解菌と木材腐朽菌の子実体分布の重なりと負の相関を示したことから、アオキによって供給される木質リターが他の樹種によって供給される木質リターとは異なる腐朽課程を経ることで、腐朽木材分解菌相へ直接的に影響を与えている可能性が示唆される。

腐植分解菌、リター分解菌、外生菌根菌の3つの生活型の菌は、林床における落葉リターの堆積環境に選好性があり、腐植分解菌はリター分解菌や外生菌根菌よりも厚くリターが堆積する地点で子実体が形成される傾向が示された。リターの堆積が厚い立地ではこれらの菌がリターの厚さに従って棲み分けることが予想されるが、リターの堆積が薄い立地ではこれらの菌が同じニッチに混在することになり、菌類の群集構造や分布様式に影響を及ぼす可能性が示唆される。

以上のように本研究においては、長期間に渡る子実体の発生状況に関する調査により、菌類相が環境の変化に応じて示す生態的特性の一端が明らかとされた。今後は菌類の生理特性に関する研究とともに、菌類の生態系の全貌がより明らかとされることが望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり,第1章は緒論,第2章は,異なる立地にある常緑広葉樹林の環境特性,第3章は常緑広葉樹林の菌類フロラ,第4章は子実体発生フェノロジーと子実体形成温度条件,第5章は子実体平面分布様式と環境要因,第6章は総合考察となっている。

第1章では,常緑広葉樹林の保護にかかわる制度の変遷,常緑広葉樹林の菌類相に関する既往研究を整理し,本研究の目的とその意義を明らかにした。常緑広葉樹林は関東地方以西の代表的な森林植生であるが,丘陵部や平野部では盛んな人間活動により小面積の島状に分断されて残存し,保護の対象となっていることが多い。これら人為的な環境の影響下にある都市林の生態系の研究としては,動植物に関する研究は数多く行われているが,菌類に関する知見は非常に少ない。そこで,本研究では、都市域、郊外域、山間域に残存する常緑広葉樹林において、腐生菌、菌根菌の子実体を4年間にわたって調査し,菌類の群集構造と子実体形成様式に環境が与える影響に関する解析を行った。

第2章では,東京都心部から房総半島にかけて残存する6カ所の常緑広葉樹林に設置した調査地における菌類子実体の発生環境を,景観,気象要因,樹林面積,樹林の木本層の種組成と林分構造などから明らかにした。これらの樹林はいずれも林冠構成種はスダジイ(Castanopsis sieboldii)であったが、都市域に残存する樹林では樹種構成の偏りやサイズ構成の変化がみられた。林床におけるリター堆積様式や表層土壌の化学性にも都市化に伴う環境の影響がみられた。

第3章においては,これらの調査地において、10m×10mの固定コドラートを設置し,3調査地で2000年夏期から2003年の秋期までの4年間,残る3調査地で2006年夏期から秋期までの1年間,月に2度の頻度で行った結果をとりまとめた。全調査期間を通して、132種の子実体が確認され,基質によって5つの生活型に分類された。内訳はリター分解菌22種、木材腐朽菌39種、腐朽木材分解菌10種、腐植分解菌23種、外生菌根菌38種であった。都市林においてはリター分解菌の種多様性や現存量が増し、外生菌根菌の種多様性が低下していることが明らかにされた。

外生菌根菌の豊富さは外生菌根性樹種の現存量と正の相関を示したが,都市林における外生菌根菌の種多様性の低下は,宿主の現存量以外の環境の影響によってもたらされている可能性が示された。外生菌根菌相は主にテングタケ科(Amanitaceae)、ベニタケ科(Russulaceae)、イグチ科(Boletaceae)に属する菌から構成されていたが、都市林においてはテングタケ科の種の減少とベニタケ科、特にシロハツモドキ(Russula japonica)の著しい優占が示された。

第4章においては,子実体発生の季節性について解析を行った。外生菌根菌の子実体形成温度条件は種ごとに有意に異なり,都市における気温上昇が外生菌根菌の子実体形成に影響を与えている可能性が示唆された。テングタケ科の子実体は9月前半から後半の短い期間に集中して形成されたが、都市林ではこの時期・気温条件においてシロハツモドキが子実体を形成していたことから、山地林でテングタケ科の種が占めていた生態的地位が、都市林においてはシロハツモドキによって置換されていることが示唆された。

第5章においては,子実体の平面分布の解析を行った。常緑広葉樹林の菌類子実体分布は,リターの堆積厚に大きな影響を受けていることが示された。腐植分解菌、リター分解菌、外生菌根菌は、林床における落葉リターの堆積環境によて棲み分けており,さらにリター分解菌は属ごとに堆積厚に選好性をもつことが示された。

木材分解菌の群集構造に関して立地による有意な差は示されなかったが、都市林に顕著に繁茂するアオキ(Aucuba japonica)の立木位置と腐朽木材分解菌の子実体形成位置に関連が示された。アオキによって供給される木質リターが他の樹種によって供給される木質リターとは異なる腐朽課程を経ることで、都市林の腐朽木材分解菌相へ直接的に影響を与えている可能性が示唆される。

以上のように本研究においては、長期間,高頻度の子実体調査により、常緑広葉樹林の菌類相の全体をある程度定量的に解明できることを示し,菌類相が環境の変化に応じて変化していることを実証した。また,菌類の生活型ごとに環境変化が菌類相の変化として現れるメカニズムの一端を明らかにした。都市化に伴う環境変化が常緑広葉樹林の菌類相に与えている上記のような影響は,本研究によって初めて明らかにされたものであり,本研究は自然環境評価の手法としての,子実体にもとづく菌類相調査法を新たに確立したものといえる。

したがって,博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/24343