学位論文要旨



No 123123
著者(漢字) 加藤,陽子
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ヨウコ
標題(和) 話し言葉における引用表現の研究 : 引用標識に注目して
標題(洋)
報告番号 123123
報告番号 甲23123
学位授与日 2008.01.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第783号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 藤井,聖子
 東京大学 教授 坂原,茂
 東京大学 教授 野村,剛史
 筑波大学 教授 砂川,有里子
 大阪府立大学 教授 野田,尚史
内容要旨 要旨を表示する

1研究対象・研究目的・研究の立場

本論文は、日本語の話し言葉に現れる"引用標識「ト」「ッテ」の後に音声的な休止がある発話"を対象に、これらの話し言葉の談話における働きを考察することを目的とした。本論文では具体的に、以下の2点を研究目的として掲げた。

1)実際の話し言葉資料を分析し、そこから取り上げられた話し言葉に特有な引用表現を対象に、それぞれの談話における機能・話し言葉でこうした表現を使用する意義を明らかにする。

2)各表現を機能の観点から大きくまとめ、また、引用の機能の広がりを引用標識の多機能化という観点から捉える。こうした観察を通して、これらに共通した話し言葉における引用標識の機能を追究する。

本研究では、話し言葉の性質、使用される表現の統語・意味的特徴、また表現の使用にあたり観察される語用論的・相互作用的要素との関係に注意を払いつつ、実例の観察からその背景に存在する言語事実を考察するという帰納的立場で記述を進めた。

2本論文の構成

本論文は、計十章からなる。「話し言葉」と「引用」についてまとめた第一章、先行研究をまとめた第二章に続き、機能の点から行った五つの大きい分類について述べた第三章を置いた。この章で提示した機能による5分類とその下位用法の位置付けは、本稿の研究目的の2)の一部「各表現を機能の観点から大きくまとめ」ることに対応する部分である。そして、この第三章で提示された5分類とその下位用法について、一分類に一章をあてる形で、本稿の本論部分に当たる第四章~八章を置いた。この本論部分は、上述した研究目的の1)「それぞれの、談話における機能・話し言葉でこうした表現を使用する意義を明らかにする」に取り組み、五つの分類の下位に属する計15の用法について詳しく分析した部分である。次の第九章では、本稿で取り上げた15の用法のうち、引用標識で発話が終了する13の用法について、「引用標識の多機能化・機能拡張」の観点から分類を試みた。これは、研究目的の2)の一部である「引用の機能の広がりを引用標識の多機能化という観点から捉える」に対応する部分である。結論に当たる最終章の第十章においては、機能の観点からの分類、及び多機能化の観点からの分類をあわせ、話し言葉における引用標識の全体像を提示し、更に、こうした観察から導かれる引用標識の共通機能について論じた。本章の内容は、言わば、研究目的の2)の全体の回答として位置付けられる。最後に、本稿で取り上げた引用の諸用法と話し言葉の諸特徴との関係、文法形式と話し言葉の談話との関係について考察し、今後の研究課題と展望を述べた。

3本論文で鍵概念となる用語の規定

本論文では、鍵概念となる「話し言葉」「引用」「引用の基本型」という三つの用語について、以下のような説明や定義づけを行った。

まず、「話し言葉」であるが、これは、書き言葉と比較して、三つの特徴を持つと考えた。一つ目は、「時間限定性」である。これは、「思考を言語に置き換えるのに要する時間は短いが、生成された言語表現同士の関係を整える時間が限られている」という性質である。二つ目は、「相互作用性」である。これは、「一般的に、話し手と時空間を共有する聞き手が存在し、相互作用が生まれる」という性質である。三つ目は、「一方進行性」である。話し言葉においては、思考が音声によって表出される。この一方進行性とは、その音声が、「一方向に進む時間の経過に従って発せられた端からすぐ消えていく」という性質である。本論文では、これらの特徴を、話し言葉に引用表現が現れる動機と関係すると考え、これらの観点から、適宜それぞれの用法の使用意義を考察した。

「引用」に関しては、「引用とは、所与とみなされることばを実物提示の形で発話の場に再現することである。」と定義した。この定義の中の「所与」という性質については、「実際にそれが音声となって表現された発話の時点に先立って、その発話が既に存在しているという性質」と規定した。また、本論文では、引用するという行為は、どこかに存在するものを単に機械的に再現するという行為ではなく、「発話の場における様々な環境・条件に鑑み、最も適当な表現を引用されたことばとして選択する、話者の主体的な営みである」と捉えた。

また本論文では、第四章~八章で記述する様々な用法の基と位置付ける「引用されたことば」を持つ統語構造を、「引用の基本型」と名づけ、以下の八つ(a~d:引用標識により、

(1)a.AはBにQと言う。 (2)a.AはBにQって言う。

b.AはQと思う。 b.AはQって思う。

c.QというN c.QっていうN

d.Qとは(+コメント部) d.Qって(+コメント部)

4本論文で明らかになったこと

研究目的の1)に関しては、主に本論第四~八章の考察から、次のようなことが明らかになった。まず、引用標識「ト」「ッテ」は、話し言葉の談話の中で、単に引用部を表示するのに止まらない多様な機能を担い使用されていることである。省略により生まれ話し言葉独自の構造を持つもの、談話機能を果たすもの、話者の心的態度や認識を示すものなど、下位分類は15に上った。また、その様々な用法の背景には、時間限定性・相互作用性・一方進行性という「話し言葉」が持つ性質が、使用の動機としてそれぞれに存在していることも観察された。引用標識「ト」「ッテ」の後に休止がある発話は、単に引用の基本型の一部が欠落したのでなく、話し言葉という環境の中で情報伝達に適した短い形で、様々な独自の機能を担っていることが明らかになった。

次に、研究目的の2)に関しては、次のことが明らかになった。まず、「各表現を機能の観点から大きくまとめ」という部分に関しては、以下の(A)~(E)の五つの機能的なまとまりを持つグループ(引用の基本型とほぼ変わらない分類A、主に談話機能を持つ分類B、話者の発話時の心的態度を表す分類C、情報の種類を示しつつ伝達を行う分類D、話者の発話時の意識を表す分類E)に分け、それらを引用の基本型との関連で、図1のように関係付けた。

更に本論文では、15の下位分類のうち、発話末に位置する「ト」「ッテ」の13の下位分類を「引用標識の多機能化・機能拡張」の観点から、機能拡張のスケール上に位置付けた。

これは、研究目的2)の「引用の機能の広がりを引用標識の多機能化という観点から捉える」にあたる部分である。機能拡張をはかる基準としては、(1)主格補語の存在、(2)終助詞の後接可能性、(3)「ト」・「ッテ」の交換可能性、(4)引用部が、所与のものを再現したものであるという性質を持つか否か、の四つを採用した。この結果、13の下位分類の機能拡張の程度は一様ではなく、程度が低いものから高いものまで様々あることが明らかになった。図2は、機能拡張の程度の別と、機能のまとまりが総覧できるように一つの図内で示したものである。

分析の結果、引用標識で発話が終了する様々な用法が、大きく(1)引用の基本的な形式(構文)の一部省略により生まれたもの、(2)談話上の機能を果たすもの、(3)話者の知識を表明したり、認識や心的態度等を表示したりするもの、のようなまとまりを持って、大まかにはこの順で機能拡張の程度が高い方向へ位置付けちれることがわかった。これは、現在話し言葉の談話で使用されている引用標識が多機能であり、広がりを持って分布していることを示している。

先に図1でまとめた引用表現の機能のまとまりと、ここで4つの基準によりはかられた機能拡張の程度は、もとより異なった観点からの分類である。しかし、これら二つの観点から考察することにより、話し言葉における引用標識の全体像が捉えられると考える。

こうした観察を踏まえ、本論文では、「これら(各表現)に共通した話し言葉における引用標識の機能」(研究目的の2)に対応)として以下のことを主張した。

話し言葉の談話における引用標識の機能とは、引用部と、引用標識が持つ記号としての質の差を利用して、引用標識により境界を設定し、引用部内の情報を卓立した情報として談話の中に提示することである。

つまり本論文では、所与のことばを実物提示の形で再現した引用部(イコン記号)と、発話の時空間に結びつけられた引用標識(シンボル記号)という、引用文内部の記号としての質の差を利用しながら、談話上の境界を設定する機能(=「境界設定機能」)、及び、引用部を卓立した情報として談話中に提示する機能(=「引用部卓立機能」)が、話レ言葉における引用表現に共通した機能であると考えた。そしてこれらの機能は、言語を生成する時間が限られており、多くの場合聞き手との相互作用があり、発した後にすぐ消えていく音声記号の形で表出される「話し言葉」の環境の中で、談話の情報処理に貢献していることを述べた。

また、こうした共通の性質を持つ本稿で取り上げた様々な分類は、話し言葉の「時間限定性」「一方進行性」「相互作用性」と深く関わっており、また、談話における引用標識の観察を通して、本論文では、文法と談話の互いに影響しあう相互的な関係が見られることを示唆ーした。

図1引用表現の機能分類と分布

図2機能拡張のスケール上の各用法(機能別)の関係図

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本語の話し言葉に現れる"引用標識「ト」「ッテ」の後に音声的な休止がある発話"を対象に、これらの話し言葉の談話における働きを考察することを目的とした。本論文では具体的に、以下2点を研究目的とした。

目的1)実際の話し言葉資料を分析し、そこから取り上げられた話し言葉に特有な引用表現を対象に、それぞれの談話における機能・話し言葉でこうした表現を使用する意義を明らかにする。

目的2)各表現を機能の観点から大きくまとめ、また、引用の機能の広がりを引用標識の多機能化という観点から捉える。こうした観察を通して、これらに共通した話し言葉における引用標識の機能を追究する。

本研究では、話し言葉の性質、使用される表現の統語・意味的特徴、また表現の使用にあたり観察される語用論的・相互作用的要素との関係に注意を払いつつ、実例の観察からその背景に存在する言語事実を考察するという帰納的立場で記述を進めた。

本論文は、十章から成る。「話し言葉」と「引用」についてまとめた第一章、先行研究をまとめた第二章に続き、第三章で機能の点から行った5つの大きい分類を提示する。この章で提示した機能による5つの分類とその下位用法の位置付けは、本論文の研究目的の(2)「各表現を機能の観点から大きくまとめ」ることに対応する部分である。そして、この第三章で提示された5つの分類とその下位用法について、一分類に一章をあてる形で、本論文の本論部分に当たる第四章~八章を置く。この本論部分では、研究目的の(1)「これらの、談話における機能、発話者が話し言葉でこうした表現を使用する意義を明らかにする」を達成するべく、5つの分類の下位に属する計15の用法について詳しく分析する。次の第九章では、本論文で取り上げた15の用法のうち、引用標識で発話が終了する13の用法について、「引用標識の多機能化・機能拡張」の観点から、分類を試みた。これは、研究目的の(2)「引用の機能の広がりを引用標識の多機能化という観点から捉える」に対応する。結論に当たる最終章の第十章においては、機能の観点からの分類、及び機能拡張の観点からの分類をあわせ、話し言葉における引用標識の全体像を提示し、更に、こうした観察から導かれる引用標識の共通機能について論じている。

本研究で明らかになったのは、以下の二点である。

第一点目は、引用標識「ト」「ッテ」が、話し言葉の談話の中で、単に引用部を表示するのに止まらない多様な機能を担いながら使用されていることである。省略により生まれ話し言葉独自の構造を持つもの、話者の心的態度や認識を示すものなど、下位分類は15に上った。また、その様々な用法の使用の背景には、「話し言葉」の「談話」が持つ性質が、動機としてそれぞれに存在していることも観察された。第二点目は、これらの様々な用法を引用標識の多機能性という観点から分析し、機能拡張のスケール上に並べた結果、機能拡張の程度が様々に異なることが観察されたことである。これは、現在話し言葉において、様々な機能拡張の程度を持つ多数の引用表現が使用されているという事実(引用の機能の広がり)を示している。また、これらは大まかに、機能拡張の進んでいないものと進んでいるものが、「引用の基本的な形式(構文)の一部省略により生まれたもの」と、「話者の認識や心的態度等を表示するもの」を両極として、ある程度の機能的な「まとまり」を持って並べられることも明らかになった。

さらに、本研究では、話し言葉の談話における引用標識の共通機能は、引用部と、引用標識が持つ記号としての質の差を利用して、「引用標識により境界を設定する」という「境界設定機能」、及び、「引用部内の情報を卓立した情報として談話の中に提示する」という「引用部卓立機能」の二つにまとめられると主張した。そしてこれらの機能は、時間的に言語を生成する時間が限られていて、多くの場合聞き手との相互作用があり、発した後にすぐ消えていく音声記号の形で表出される「話し言葉」の環境の中で、談話の情報処理に貢献していることを論じている。

話し言葉に焦点をあてて引用表現を分析した研究はまだ少なく、本研究ほど包括的かつ詳細に引用表現の機能を記述し明示した研究もこれまでに類をみない。その意味で、本研究の当該研究領域への貢献と学問的意義は非常に大きい。書き言葉とは異なる、話し言葉に特有の引用表現の使用に関する現象に着目した研究の着眼点がまず評価できる。よい現象を捉えることを出発的とし、さらに、生きた談話データの綿密な分析をとおして、談話における引用標識の機能を明らかにしており、これらの論証において提示したデータ自体が価値の高いものであるという点も高く評価できる。同時に、引用標識の機能の一つ一つを丁寧に分析し論証するに留まらず、その多機能性を、引用標識の機能の広がりとまとまりとして包括的に捉えるための体系・枠組みの提示を試みた点も、本論文の意義深い特徴である。

これらの独自性をもつ本研究は、第一に、日本語の引用標識の機能を明らかするという点で、日本語学における日本語の記述に貢献するものである。第二に、日本語の引用表現の分析をとおし、話し言葉における引用標識の機能に関する研究一般に重要な示唆を与えうる事例研究であるといえる。さらに、話者間の相互作用を伴い即時性をもつ談話場面における引用標識の使用に関する分析をとおし、「文法と談話」という重要な研究領域の深化に貢献しうる事例研究である。

とはいうものの、改善の余地や残された問題が全くないわけではない。審査では、いくつかの課題が指摘された。まず、引用標識の機能一つ一つの分析・記述とそれらの分類は堅実に行われているが、それらの広がりとまとまりを包括的に捉えるための枠組みの構築は十分であるとはいえず、今後の課題として残る。特に、機能の広がりとその多機能化の程度を分析するために用いた「引用の基本形」の決定基準と論拠が、明確に論述できているとはいえない。また、本論文では「と」「って」という引用標識を分析対象とし、それら二つの異なる形式を縦断する引用標識の機能を包括的に分類し記述することを主たる目的にしていたが、それぞれの特徴づけは試みているものの、それぞれの形式とその機能に関するより綿密な分析・記述に関しては、著者の今後の研究成果が大いに期待される。また論述面では、綿密な論述スタイルは周到な著者の研究の優れた点の現れでもあるが、一般的著書・論文としては、読者に大局がより分かりやすい論述スタイルに改善の余地がある。

しかし、これらの指摘は、本研究の根幹を左右するようなものではなく、また多くは著者の今後の継続的研究に期すべき点であり、本論文の意義深い学術的貢献をいささかも損なうものではない。

以上の理由により、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク