学位論文要旨



No 123128
著者(漢字) 村瀬,良朗
著者(英字)
著者(カナ) ムラセ,ヨシロウ
標題(和) 日本における結核菌の分子疫学と迅速タイピング法の確立
標題(洋)
報告番号 123128
報告番号 甲23128
学位授与日 2008.01.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2974号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 鈴木,洋史
 東京大学 教授 渡辺,知保
内容要旨 要旨を表示する

1.背景と目的

科学的根拠に基づいた効果的な結核対策を実施するためには、社会の中で結核菌がどのような感染経路を経て人々へ感染しているのかを明らかにする必要がある。そのためには臨床分離された結核菌を遺伝子タイピングする必要がある。現在、この目的のために世界で標準的に用いられているのがIS6110-RFLP分析法である。IS6110-RFLP法は、ゲノム中に存在する挿入配列IS6110のコピー数と挿入位置の多様性に基づいたタイピング法であるが、以下のような欠点がある。すなわち、(1)高分子DNAを数μg要するため、約1ヶ月の結核菌培養期間が必須である、(2)実験操作が複雑であり、また感染予防のための特別な施設が必要なため、全国の検査室で実施するのが困難である、(3)研究施設間においてRFLPバンドパターンの比較や情報の共有をおこなうことが難しい、などである。

こうしたRFLP法の欠点を解決するためのタイピング法として、近年、PCRを用いた2つの迅速タイピング法が報告されている。1つは、ゲノム上に存在する43箇所のspacer配列の有無を調べるSpoligotyping法である。Spoligotyping法はRFLP法とともに欧米で広く用いられているが、日本ではSpoligotypingパターンの多様性が限られるBeijing family(北京遺伝子型)が蔓延していると考えられており、一般的には用いられていなかった。もう1つの迅速タイピング法が本研究で着目したVNTR (Variant Numbers of Tandem Repeats) 法である。VNTR法は、ゲノム中に存在するヒトミニサテライト様反復配列多型に基づいたタイピング法であるが、PCRを用いた分析法のため、喀痰などの臨床材料から迅速に実施可能であり、また、解析結果が数値で表されるため全国規模での結果の共有と比較が容易であるという特徴を持つ。VNTR法の識別力は、組み合わせる反復配列多型領域の場所( locus )と数により決定されるが、これまで日本の結核菌に対して、どのlocusを何領域分析する必要があるのか分かっていなかった。

本研究では、結核菌感染経路の解明を日本全国で実施可能とすることを目的として、各医療施設や研究施設において導入可能な迅速タイピング法の確立を目指した。

2. 従来のタイピング法を用いた日本における結核菌の分子疫学

日本国内における標準的な迅速タイピング法を確立するためには、まず、日本で分離される結核菌が既存の遺伝子タイピング法でどのようにタイピングされるかを明らかにする必要がある。本論文の前半部では、現在用いられている代表的な結核菌タイピング法(Spoligotyping法、IS6110-RFLP法、MIRU-VNTR法)を用いて、全国の都道府県で分離された結核菌325株を分析した結果について報告する。

(1) 日本で分離される結核菌遺伝子型分布の特徴

日本で分離される結核菌の遺伝的多様性を明らかにする目的で、Spoligotyping法を用いた結核菌の遺伝子型分類をおこなった。その結果、全体の73.8%という極めて高い割合でBeijing familyが存在していることが明らかとなった。これまでに韓国や中国などの極東アジア地域でBeijing familyが蔓延しているとの報告がなされていたが、本研究結果は日本においても結核症の大部分がBeijing familyによって引き起こされていることを示している。Beijing familyは病原性や多剤耐性結核との関連が指摘されており、また、その分布域を急速に世界各地へ拡大させていることから国際的にも注目されている。そのため、Beijing familyの迅速タイピング法の確立は日本国内だけでなく、その他の地域の結核対策においても重要な役割を果たすと考えられる。

(2) 日本分離株を用いたIS6110-RFLPの識別力の検討

Beijing familyが高度に蔓延している日本において、現在の標準的な結核菌タイピング法であるIS6110-RFLPの識別力を調べた。IS6110-RFLPによる十分な識別力が期待される菌株 ( IS6110、6コピー以上 ) の割合は全体の94.2%であった。これらの菌株のうち85.3%がユニークなRFLPパターンを持つ菌株としてタイピングされた。IS6110を6コピー以上もつ菌株では、Beijing family及びその他の菌株間において識別力に大きな違いは存在せず、IS6110-RFLP法は日本の結核菌に対しても有効なタイピング法であることが改めて確認された。

本研究で用いた菌株は全国の医療機関から無作為に収集されているが、同一RFLPパターンを示す菌株群が隣県以上の比較的広域にわたり分布していた。このことは、患者同士の接触状況を反映しないRFLPクラスター形成株が全国的に存在することを示していると考えられ、感染源追跡調査等でRFLP分析を実施する際にはこうした株の影響を考慮する必要があると考えられた。

(3) 従来の迅速タイピング法とRFLP法の識別力の比較

米国疾病予防管理センター(CDC)の提案している12 MIRU-VNTRとSpoligotypingによる迅速タイピング法を日本に導入することが可能であるかを検討した。分析の結果、12 MIRU-VNTR + Spoligotypingの識別力はRFLP法と比較して大きく劣っていた (クラスター形成率: 66.8% vs. 18.5%)。その識別力は、特にBeijing familyにおいて低く、また、56株、38株といったサイズの大きな同一VNTRクラスターが形成されるという問題点も存在していた。

3. 新しい迅速タイピング法の確立

本論文の前半部において、IS6110-RFLP法は日本国内においても有効なタイピング方法であることが確認された。しかしながら、米国等で用いられている12 MIRU-VNTR + Spoligotypingは、その識別力が低く、RFLP法の代替法として日本に導入することが困難であることが示された。本論文の後半部では、Beijing familyが多数を占める日本の結核菌に対して有効なVNTR locusを評価し、組み合わせることにより、日本全国で用いることが可能な標準的VNTR法の確立を目指した。

(1) Beijing familyのタイピングに有効と考えられるVNTR locusの評価

Beijing familyに対してコピー数の多様性を示すことが報告されていたlocusを評価対象に加え、合計35 locusについて、その識別力を全国から収集された結核菌325株を用いて調べた。識別力を示すHGDI値を用いて35 locusを分類すると、16 locusは高い識別力( HGDI > 0.5 )を示し、9 locusは中程度( 0.5 > HGDI > 0.3 )であり、残りの10 locusは比較的安定( 0.3 > HGDI )なlocusと評価された。これらのうち、識別力の高い4 locus ( VNTR 3232、4120、3820、QUB-11a )については、コピー数の測定が困難な株が多く(全体の5%以上)存在したため、選択対象から除外した。

(2) VNTR locusの組み合わせの最適化

RFLP法を代替するタイピング法を確立するためには、その識別力(クラスター形成率、クラスターサイズ)がRFLP法を超えている必要がある。そこで、これらの合計31 locusの中から識別力の高い順にlocusを組み合わせ、必要なlocus数を決定した。その結果、12 locus ( 12 VNTR (JATA) )を用いることにより、その識別力がRFLP法を超えることが明らかになった。

(3) 12 VNTR (JATA)を用いた結核の同一感染源が疑われた事例の解析

12 VNTR (JATA)を用いて実際の同一感染源が疑われた菌株群(9例23株)の解析を実施したところ、すべての例においてRFLP法の結果と同様に、異なる株としてタイピングされた。このことから、12 VNTR (JATA)は実際の感染源追跡調査でも有用な方法として用いることが可能であると考えられた。

(4) 12 VNTR (JATA)とその他の主要なタイピング法の比較

12 VNTR (JATA)をこれまでに報告されている他のタイピング法と比較した。まず、従来の標準的な迅速タイピング法である12 MIRU-VNTR + Spoligotypingと比較すると、その識別力は大幅に向上していた(クラスター形成率:12.6% vs. 66.8%)。また、最近Supplyらにより提案された15 VNTR (Supply)、24 VNTR (Supply)と比較すると、より少ないlocus数にもかかわらず、12 VNTR (JATA)は15 VNTR (Supply)の識別力を上回り、24 VNTR (Supply)とほぼ同等の能力を示していた。

4. 今後の展望

本研究で得られた成果は、全国の地方衛生研究所等の関係施設へ還元され、今後、タイピング法と結果の共有がなされる予定である。結核対策は地域を越えて迅速に実施される必要があるが、12 VNTR (JATA)を活用することにより、これまで未解明であった広域における結核菌伝播の状況が明らかにされ、科学的根拠に基づいたより効果的な結核対策の実施が可能になると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はこれまで不明であった社会における結核菌感染経路の詳細な解明に重要な役割を演じると期待される迅速遺伝子タイピング法を確立するため、日本全国から集められた結核菌を用いて、まず既存の遺伝子タイピング法を評価し、続いて広域で結核菌感染経路の追跡を可能とする標準的VNTR法の確立を試みたものであり、以下にあげる結果を得ている。

1. 日本で分離される結核菌の遺伝的多様性を明らかにする目的で、Spoligotyping法を用いた結核菌の遺伝子型分類をおこなった。その結果、全体の73.8%が同一の遺伝子型であるBeijing familyで占められており、国外の国々と比較して日本で分離される結核菌の遺伝的多様性が限られていることを明らかにした。

2. IS6110-RFLP法は既存の結核菌遺伝子タイピング法として最も標準的な方法として現在まで用いられている。Beijing familyが高度に蔓延する日本において既存の標準的遺伝子タイピング法の識別力を評価する目的で、RFLP法を用いた分析を実施した。その結果、IS6110-RFLPによる十分な識別力が期待される菌株 ( IS6110、6コピー以上 ) の割合は全体の94.2%であること、RFLP法は日本で分離されるBeijing familyとnon-Beijing familyの双方に対して高い識別力を示すことを明らかにした。

3. Beijing familyが高度に蔓延する日本においてもRFLP法が有効な識別法であることが示されたが、RFLP法には、全国規模で迅速に解析結果を比較・共有することが困難であるという欠点がある。そこで、迅速な分析が可能であり、全国規模で解析結果の比較が容易なVNTR法の評価を行った。まず、米国等でRFLP法の代替法として標準的に導入されている12 MIRU-VNTR (MIRUと命名された12 locusを用いた分析法)とSpoligotypingを用いた迅速タイピング法を日本に導入することが可能であるかを検討した。分析の結果、12 MIRU-VNTR + Spoligotypingの識別力はRFLP法と比較して大きく劣っており、RFLP法の代替法として日本に導入することが困難であることを明らかにした。また、その原因として、12 MIRU-VNTR + Spoligotypingの識別力が特にBeijing familyで低いことを示した。

4. RFLP法の代替法としてVNTR法を導入するためにはBeijing familyに対する識別力を改善する必要があることが示されたので、過去の報告からBeijing familyに対して高い識別力を示すことが期待されたlocusを中心に合計35 locusを評価し、組み合わせることにより標準的VNTR法の確立を目指した。その結果、コピー数の正確な測定が容易で識別力が高い12 locus (12 VNTR (JATA))を選択して組み合わせることにより、その識別力がRFLPを超えることを示した。

5. RFLP法とVNTR法による実際の識別結果の相関性を調べる目的で、疫学調査により集団発生が疑われた事例を用いて両者による識別結果を比較した。RFLP法と12 VNTR (JATA)の識別結果はすべての事例において一致しており、実際の感染源追跡調査に12 VNTR (JATA)を導入することが有用であることを示した。

以上、本論文は、結核菌感染経路の解明に必要な結核菌遺伝子タイピング法についての研究であり、Beijing familyが高度に蔓延している地域において高い識別力を示す標準的VNTR法を確立したものである。今後、12 VNTR (JATA)を用いた遺伝子タイピングを全国的に実施することにより、広域社会における結核菌感染経路の迅速な解明に貢献すると考えられ、本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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