学位論文要旨



No 123130
著者(漢字) 指村,奈穂子
著者(英字)
著者(カナ) サシムラ,ナオコ
標題(和) ユビソヤナギ(Salix hukaoana)の生育環境と分布特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 123130
報告番号 甲23130
学位授与日 2008.02.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3231号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 教授 梶,幹男
 東京大学 教授 鷲谷,いづみ
 東京大学 准教授 加藤,和弘
 東京大学 客員准教授 長池,卓男
内容要旨 要旨を表示する

ユビソヤナギ(Salix hukaoana)は、1973年に群馬県湯檜曽川で発見された日本固有のヤナギ科植物で、関東から東北にかけた7河川に隔離分布し、水辺林を形成する。個体数が少ない上、その生育地では貯水ダムや砂防ダムの建設が進み、個体群維持が脅かされている。以上のような背景から本種は絶滅危惧種IB類に指定されている。

近年、水辺林群集の組成や構造の決定に作用する要因は、大地形、流域、区間、流路など空間スケールによって異なることが明らかにされつつある。すなわち、ある種が特定の場所に生育するためには、異なる空間スケールごとに、必要な生育環境をすべて満たしている必要がある。そのような視点からすると、種の保全には、空間スケールを網羅したハビタットの理解が非常に重要である。しかし、特定の種について、様々な空間スケールでのハビタットを体系立てて明らかにするアプローチは、ほとんどなされていない。

そこで本研究では、ユビソヤナギが多様な空間スケールでどのようなハビタットを持ち、どのような環境条件に適応しているかを明らかにし、本種の適切な保全・管理の方法を探ることを目的とし、空間スケールをGeomorphic province(105-6m)、Watershed(104-5m)、Segment(102-3m), Reach(101-2m), Cannel unit (100-1m)の5つに区分し、議論した。

まず、ユビソヤナギについての形態と分類、分布情報を紹介するとともに、水辺林群集に関する既往研究を空間スケールごとに概説し、本研究の目的と構成を述べた(第1章)。次いで、ユビソヤナギの生育地における生態を理解するために、湯檜曽川において、その生活史特性、実生定着過程、水辺林の構造を調査した(Segmentスケール、第2章)。さらに、その分布の理由を明らかにするため、利根川上流域において、水辺林と環境要因の関係を階層的に明らかにし、ユビソヤナギのハビタットをその中に位置づけた(Watershedスケール、第3章)。また、ユビソヤナギの隔離分布が、どのようなハビタット選択と分布特性によるものかを明らかにするために、3章までに得られた分布と環境要因の関係を外挿し、関東、東北におけるユビソヤナギの潜在生育域を推定した。さらに、これに基づく現地調査により、その確からしさを検証した(Geomorphic provinceスケール、第4章)。最後に、得られたユビソヤナギの生育特性、分布条件の統合により、時空間的な生育要因を明らかし、その保全に必要な河川管理のあり方について議論した(第5章)。第2章以降の内容は以下のとおりである。

第2章においては、ユビソヤナギの特徴を、同所的に生育するオオバヤナギ、オノエヤナギとの比較において明らかにした。その結果、ユビソヤナギの繁殖に関して、その性比に偏りはなく、着花開始サイズはオオバヤナギより小さいこと、開花や種子散布の時期はオオバヤナギ、オノエヤナギに比べ最も早く、エゾヤナギと似た特性を示すこと、種子の寿命は、他のヤナギ科植物より短いことなどを明らかにした。また、その成長特性について、到達直径はオノエヤナギより大きいがオオバヤナギより小さく、成長速度はオノエヤナギより早く、オオバヤナギと同程度であることを示した。これらから、ユビソヤナギはオオバヤナギと類似したニッチを要求するにもかかわらず、両者間の種子散布に関する生活史特性の違いに起因して、実生定着時のサイト選択の差異により共存が可能にであると推定された。また、ユビソヤナギには、オノエヤナギより、寿命や成長速度など個体の競争に関わる生活史特性において有利な特性が認められ、このような特性が種の優占度に影響を与えている可能性が示唆された。これら3種のヤナギ科樹木について、実生の消長におよぼす環境要因の影響を明らかにするため、3年間にわたり実生数の変化を追跡した。この結果、実生の定着は水位変動と密接に関係しており、発芽から日が浅い個体は、低い比高に位置するものは洪水によって流失しやすく、高い比高に位置するものは乾燥によって死亡しやすいことを明らかにした。また、水位変動の影響は種によって異なり、オオバヤナギ、ユビソヤナギ、オノエヤナギの順に乾燥や洪水撹乱に強い傾向がみられた。環境要因と実生の消長から、比高が高く粗い土性の立地にはオオバヤナギが出現しやすいこと、ユビソヤナギはオノエヤナギに比べ、比高が高く、やや粗い土性の立地でも生残が可能であることなど、3種の実生の定着する立地は少しずつ異なった。湯檜曽川は、氾濫原の比高や土性などの立地環境が多様であり、適度な水位変動が起きることによって水分条件は時間的に変化し、様々な撹乱が起きている。3種は実生定着過程の生活史特性の違いによって、時空間的な変動に対応してすみわけ、共存していると考えられた。また、湯檜曽川の水辺林の組成と構造についての調査結果から、オノエヤナギ、オオバヤナギ、ユビソヤナギ、サワグルミ、ブナが優占する5つの森林構造タイプが抽出された。オノエヤナギタイプは低位氾濫原にのみ分布し、ユビソヤナギタイプとオオバヤナギタイプは低位氾濫原と高位氾濫原に、サワグルミタイプは低位氾濫原と高位氾濫原および谷壁斜面に、ブナタイプは段丘と谷壁斜面に分布していた。ヤナギ科樹種が優占するタイプの林齢は45年以下で、その中でもオノエヤナギタイプは27年以下に限られていた。サワグルミタイプとブナタイプは88年以上であった。ユビソヤナギタイプは、河川撹乱による裸地に形成され、サワグルミ林に遷移するまでの間、存立する林分であると考えられた。これらから、湯檜曽川では、広い谷底に特有の多様な撹乱体制と立地環境の影響で、これら主要な5タイプの林分がモザイク構造を作っていることが明らかになった。

第3章では、利根川上流域氾濫原において、水辺林の組成と構造を、Reachスケール、Segmentスケール、Watershedスケールの3段階でとらえ、影響を与える環境要因を複数扱うことによって、その階層性を明らかにし、利根川流域の中でユビソヤナギのハビタットを位置づけた。ユビソヤナギは、Reachスケールでは、集水域に花崗岩類が多いパッチに特異的に分布し、Segmentスケールでは、温量指数、河床勾配、集水域の第四紀溶岩に影響されて分布が決まっており、Watershedスケールでは、地質とそれに影響された地形によって限られたSub-Watershedに分布していた。ユビソヤナギの分布はいくつかの環境要因に限定されており、それ以外のハビタットは他のタイプの水辺林が占めていた。他のタイプの水辺林では、Reachスケール、Segmentスケールの両方において、温量指数と積雪深が重要であった。以上のことから、ユビソヤナギの分布を考える上で、温量指数、積雪深、集水域地質、河床勾配、河川地形が重要であると考えられた。

第4章では、東北から関東にかけて地域において、温量指数、積雪深、谷底の地形、河床勾配、集水域地質の5つの環境要因を用い、ユビソヤナギの潜在生育域を推定した。ユビソヤナギの既知生育地は、温量指数60.1~85.5、寒候期積雪深80cm以上、TPI値-3~0、河床勾配0.1%~6.3%、集水域に占める花崗岩系と第三紀層の合計地質割合7.4%~100%の範囲内に分布しており、これら閾値内に含まれるメッシュを潜在生育域とした。その結果、地域内の河川の339区間が選択され、既知生育地のほとんどはこれら区間に含まれていた。また、これらのうち54区間を踏査し、新たに7区間にユビソヤナギの生育を確認した。これにより推定の確からしさが証明された。また、ユビソヤナギの生育可能地は、温度や積雪、土性などが限られ、非常に限定的であり、個体群の維持や分布地拡大は容易ではないと推察された。

第5章では、各空間スケールの研究から得られたユビソヤナギの生育特性、分布条件を総合的に議論し、ユビソヤナギの保全に必要な事項を整理した。本研究では、空間スケールによって異なった環境要因がユビソヤナギの分布を説明するために抽出された。このことから、ある特定のスケールだけで考えると本種の重要な分布特性を見落とす可能性があるため、多スケールで検討することが極めて重要であることが示されたといえる。また、ユビソヤナギの保全にあたっては、Segmentスケールでは、撹乱レジームと立地環境の多様性を維持することが必要であることが、Watershedスケールでは、これら撹乱レジームと立地環境を維持するためには、谷底幅や河床勾配などの谷底地形を変化させるような河川管理は避ける必要があることが示されたが、ユビソヤナギの生育地は地質地形学的にもダムが建設されやすい特性を持っており、生育地は水没・消失しやすい。今後の河川管理にあたっては、それらの影響を最小限に留める努力が必要と考えられた。さらに、Geomorphic provinceスケールでは、集水域の地質といった管理不可能な環境要因が分布を要因となっていることから、現存生育地の保全が非常に重要であるといえる。また、温量指数や積雪深に対するユビソヤナギの分布幅から、本種が温暖化によって近い将来大きな影響を受ける可能性が指摘された。

審査要旨 要旨を表示する

日本固有のヤナギ科植物であるユビソヤナギは、関東から東北にかけての6ヶ所の水辺林に隔離分布し、絶滅危惧種IB類に指定されており、保全が急務である。一方、水辺林群集の成立は、空間スケール毎に異なる環境要因に支配され、特定の種はそれぞれの空間スケールにおいて、適応する環境条件のすべてを満たす必要がある。そのため、ユビソヤナギの保全を考える上で、様々な空間スケールにおけるハビタットの理解が重要である。そこで本研究では、ユビソヤナギが空間スケールごとにどのようなハビタットを持ち、どのような環境条件に適応して生育しているかを明らかにすること、およびそれに基づいて本種の適切な保全・管理の方法を探ることを目的とした。

第1章では、ユビソヤナギについての形態と分類、分布情報を紹介し、水辺林群集に関する既往研究を空間スケールごとに概説し、本研究の目的と構成を述べた。

第2章では、湯檜曽川におけるユビソヤナギの生育環境を明らかにするために、その生活史特性などを調査した。その結果、ユビソヤナギはオオバヤナギと、フェノロジーや種子の寿命など種子散布などに関して大きな違いがみられ、実生定着時の異なるサイト選択により共存可能となっていること、また、オノエヤナギより、寿命や成長速度など個体競争に関わる特性においても有利性が認められ、これらが種の優占度に影響を与えている可能性が示唆された。また、オオバヤナギ、ユビソヤナギ、オノエヤナギの3種は実生定着過程の生活史特性の違いによって、氾濫原の立地環境が多様で、適度な水位変動が起きる湯檜曽川において、その時空間的な変動に対応してすみわけ、共存していると考えられた。湯檜曽川の水辺林は、オノエヤナギ、オオバヤナギ、ユビソヤナギ、サワグルミ、ブナが優占する5つの森林構造タイプに類型化され、それぞれ立地が異なった。そのうち、ユビソヤナギの優先する構造タイプは、河川撹乱による裸地に形成され、サワグルミ林に遷移するまでの間、存立すると考えられた。

第3章では、利根川上流域氾濫原において、水辺林の組成と構造を3段階の空間スケールでとらえ、影響を与える環境要因を複数扱うことによって、その階層性を明らかにし、流域中でのユビソヤナギのハビタットを位置づけた。すなわち、ユビソヤナギは、Reachスケールでは、集水域に花崗岩類が多いパッチに特異的に、Segmentスケールでは、温量指数、河床勾配、集水域の第四紀溶岩に影響されて、Watershedスケールでは、地質とそれに影響された地形によって限られたSub-Watershedに、それぞれ分布していた。以上のことから、ユビソヤナギの分布には、温量指数、積雪深、集水域地質、河床勾配、河川地形が重要であると考えられた。

第4章では、東北から関東にかけての広域において、上の5つの環境要因を用い、ユビソヤナギの潜在生育域を推定し地図化した。さらに、この推定された生育域を踏査し、ユビソヤナギの新産地の探索を行うとともに、推定の確からしさを検証した。その結果、潜在生育域として地図化したところ、339の河川区間が選択され、この中には、既知生育地のほとんどが含まれた。また、54区間を踏査した結果、8区間にユビソヤナギの生育が確認された。

以上の研究から空間スケールによって異なった環境要因がユビソヤナギの分布を説明するために抽出され、それらは直接的、間接的にユビソヤナギの分布に影響していることが明らかになった。すなわち、環境要因は空間スケールによって見え方が異なるため、多スケールで検討することが重要であることが示された。ユビソヤナギの保全にあたっては、Segmentスケールでは、撹乱レジームと立地環境の多様性を維持することが、Watershedスケールでは、これら撹乱レジームと立地環境を維持することがそれぞれ重要であり、谷底幅や河床勾配などの谷底地形を変化させるような河川管理は避ける必要があることが示された。しかし、本種の生育地は地質地形学的にもダムが建設されやすい特性を持っており、今後の河川管理にあたっては、それらの影響を最小限に留める必要がある。また、Geomorphic provinceスケールの研究から、集水域の地質など管理不可能な要因が分布制限となっており、現在存在する生育地での保全が非常に重要であることが示され、また、温量指数や積雪深に対するユビソヤナギの分布幅が明らかにされたことから、ユビソヤナギの分布は、温暖化によって近い将来大きな影響を受ける可能性が示唆しされた。

以上、本研究においては、ユビソヤナギの生活史特性、分布を規定する条件などを、多様な空間スケールにおいて描出することに成功したばかりでなく、その保全のための重要な提言を行った点において、学術上、応用上、貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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