学位論文要旨



No 123136
著者(漢字) 中條,美和
著者(英字)
著者(カナ) ナカジョウ,ミワ
標題(和) 知事の権力と支持 : 2004年熊本県知事選挙を中心として
標題(洋)
報告番号 123136
報告番号 甲23130
学位授与日 2008.02.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第211号
研究科 法学政治学研究科
専攻 政治専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 谷口,将紀
 東京大学 教授 蒲島,郁夫
 東京大学 教授 五十嵐,武士
 東京大学 教授 石川,健治
 東京大学 教授 田中,信行
内容要旨 要旨を表示する

要旨本文

本研究の大きな問題関心は、地方政治において知事はどのように権力を発揮し、それを支持しうるか、という政治の権力と参加のメカニズムを明らかにすることにある。より具体的には、熊本県知事・潮谷を知事を知事であり続けさせ、再選にいたらせたのは誰・何であるのかを探ることによって、地方政治のメカニズム解明に一定の貢献を行うことを目的としている。

質的研究の手法の1つであるフィールドワークの最大の問題は、いかにして科学性を担保するかにある。フィールドワークの利点の1つは因果関係の基本である時系列を誤ることがないという点である。第2の利点は、因果を推測しやすいという点である。実際のアクターにインタビューを行ったり、観察したりすることで、あるアクターの行動が別のアクターの行動に影響を与えているかどうかを観察しやすく、因果を推論しやすい。すなわち、因果というストーリーをフィールドワークは提供することができる。

しかしながら、フィールドワークの難しさ、客観性の担保以上に、得られた知見をいかにして科学的に論じるかにある。つまり、事例の舞台設定を明確にし、検証の段階において分析上限定条件とすることで処理する必要がある。本研究においては、対象地の特殊性を明確にすることによって、得られた観察結果をコンロトールし、既知の理論を差し引き、検証に価する仮説を導くという戦略を用いる。

先行研究から明らかになっているのは、以下の点である。第一に、地方政治の権力の所在は研究手法によって異なるが多元主義とエリート主義があること、第二、地方においては観察するべき政治対立が潜在している可能性があること、第三に、地方政治における政治参加は信頼関係の蓄積から国政レベルへの政治参加を促進すること、第四に、地方政治における新しいリーダーの選出を通して国政レベルに影響を与えること、第五に、二元代表制に対する3番目の勢力として住民運動が存在し、リーダーがそれを利用すること、第六に、日本の地方政治においては既知の事柄、議員の系列関係、ネットワークによる投票、相乗り選挙、草の根選挙が存在することである。

地方政治の研究は国政レベルに対する理論提供の場であると同時に、比較政治学的に日本政治を特徴づける要素の発見という意義をもつのである。しかしながら、地方政治の研究は地方政治という分野を築くこともなく、蓄積もされていない。解明されていない課題とは、地方レベルでいなかるアクターが何についてどのように行動しているか、諸アクターの役割認識を明らかにする研究、地方の政治のメカニズムを中央政治との関連で位置づける研究が存在していない。端的にいえば地方政治全体を俯瞰する政治過程の研究が存在しないのである。

本稿は、したがって、第3章から第6章までは、熊本県知事を中心として熊本県における政治現象の事例を述べる。第3章では、知事の権力を解体した。巨大な権力を持っているとされる知事は、前職時代のリソースがなければ、現実的に権力を持ちにくい状況におかれている。熊本県知事の潮谷義子は、女性であるというばかりか政治行政の経験が全くなかった。このような属性を持つ知事が、自民党が大多数を占める保守的な政治風土の中で権力を持ちうるとするならば、何によるのか。観察結果からは、彼女に対する支持は第一に彼女のパーソナリティに基づく支持、第二に政策とりわけ川辺川ダムに対する知事の姿勢、第三に選挙におけるバンドワゴン支持の3層で成り立っている、と結論づけた。ここから得うるインプリケーションは、いかなるポピュリズムもその本質がバンドワゴンであるならば、その下の層である政策に対する支持が失われた段階で、リーダーに対する支持は雪崩のように崩壊する、というものである。

続く第4章においては、川辺川ダム建設問題を題材とし、国営ダム問題において権限をもたない熊本県知事がいかにして、対応したかを詳述した。彼女の行ったことは、熊本県議会としては政治問題ではなかった川辺川ダム建設問題を、討論集会という手法を用いることで広く県民の前に問題を顕示し、政治問題化したことである。その上で、ダム建設を中止したいという意思をもって、建設の促進に歯止めをかけたと言ってよい。地方政治における非政治性とは、このような過大代表された保守勢力によって封じ込められているケースもあるのである。

第5章では、政治家としての知事を、国会議員選挙の応援を題材に観察した。先行研究から明らかになっているように地方レベルでは非政治性が規範とされがちであり、とりわけ首長に対する非政治性の期待は大きい。そういった背景において、政治家の経験もなく、政党とは無関係であり得るはずの潮谷が、熊本県関係国会議員の中で最も政党政治家である松岡利勝候補の選挙応援にいったことは、関係者や県民に大きな衝撃を与えた。彼女の応援理由は、相手候補への遠慮のなさ、松岡への期待、自民党県議団への気遣い、そして国政とのパイプであった。ここには、政党とは無関係である潮谷であるが、同時に国政とのパイプを持たないゆえに、県政運営上の行き詰まりを感じ、県内で最も有力である自民党政治家の応援を行ったという逆説が存在する。

第6章では、潮谷自身の再選をかけた2004年熊本県知事選を観察した。国政の政党政治家に対する選挙応援という政治行為とは反対に、潮谷は自身の選挙においては政党との距離をおくことを模索する。しかしながら、政治とは自民党である熊本において、全ての政党と等しく距離をおくことは自民党との決別をも意味し、二期目の県政運営をはるかに難しいものにする。無風選挙である以上、彼女の目的は選挙に勝つことではなく、二期目における政治的優位をいかにして獲得するか、である。したがって彼女の結論は全ての政党から推薦を得ようとしたというスタンスを示すことであった。実際の選挙活動において、女性たちが潮谷を支持し、自民党から「取り戻そう」としたのは、潮谷知事を知事たらしめているのは、「私たち」であるという動機である。そして彼女たちアマチュアの参加は、潮谷にとって、自民党に対して政治的優位性を持ちうるリソースとなるのである。

さて、本研究の対象地である熊本県そして対象者である熊本県知事の潮谷義子は以下のような特性をもつ。第一に、熊本県は「政治=自民党」と言っても過言ではないほどの保守王国である。県議会においては議席の6割以上を自民党県議団が占め、県関係国会議員はほとんどが自民党議員である。第二に、しかしながら熊本県は有力な自民党政治家を持たない。第三に、熊本県では男女の格差が依然として存在し、その傾向は政治の分野においても同じである。第四に、したがって、熊本において県知事が民間出身の女性であるということは、一種のパラドックスである。

さらに日本全体に見られる時代的背景としては、90年代後半以降、有権者のあいだでは政党支持なし層が拡大していたこと、2000年以降、公共事業に対するバッシングが存在したこと、国会では二大政党制を目指して民主党が躍進の機会をうかがっていたこと、他県の知事の例では改革派知事が存在していたこと、などが挙げられる。制度的背景としては、地方政治の二元代表制、知事選における小選挙区制、国政レベルにおける多党制、が関連するであろう。

以上から既存の理論の確認は以下の通りである。(1)市民の政治参加は市民に有効感を与えている(第6章)。(2)知事は住民参加を利用して議会(第6章)と国(第4章)に対抗する。(3)市民の参加はリーダーに権力を与える(第6章)。(4)市民団体は権力の多元性を利用してアクションを起こしうる(第4章)。(5)地方政治が国政から自律性を保つには、有権者の支持以外の強い人脈的リソースが必要である(第5章)。

これらの既知の理論に対する確認以外の観察結果から、以下の仮説の提示する。(1)男女格差の大きい地域であるほど女性知事が誕生しやすい。(2)地方における非政治性は何らかの権力が争点を表面化させないことによる。(3)地方政治における市民の可視的な参加は、リーダーに権力を与える。

最後に、地方政治の非政党性について考察を加える。本事例を通して存在するパズルは、地方政治と政党の関係である。国政における争点が地方においてそのままあてはまることはなく、なぜ地方政治においても、国政と同じ政党配置が求められるのかは大きなパラドックスであろう。地方政治の非政党性は、今後説明すべき課題である。

政党政治という1つの民主的手法が、重層的な国家社会の下部においては成立するのかという問題を提起することで、民主主義は規模によって適切な手法が異なるのではないかという可能性を示唆することになる。地方政治におけるこのような政治過程の研究は、散発的ではあるが古くから民主政治の理論に応用されるべく進められてきた。社会のより小さな単位における民主主義的因果関係を、国家レベルでも適用させる目的をもって研究されてきたのである。本稿で詳述した、熊本県知事と諸アクターの関係は、よりひろく言い換えれば地方における政治リーダーと政党そして市民との関係と言うことができる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「知事の権力と支持-2004年熊本県知事選挙を中心として」は、地方政治において最も強力なアクターであるとされる知事がどのように権力を発揮し、支持を獲得するかという政治の権力と参加のメカニズムを明らかにすることにある。より具体的には、熊本県知事・潮谷義子を知事であり続けさせ、再選にいたらせたのはどのような要因であるかを探ることによって、地方政治のメカニズム解明に一定の貢献を行うことを目的としている。

対象事例である潮谷義子は、知事として特異な経歴を持つ。2001年3月の時点で、彼女は大阪府の太田房江知事に次ぐ全国2番目の女性知事であった。加えて、彼女は当時47都道府県知事のなかで3人しかいない民間出身知事の1人である。本論文は、このような自民党王国である熊本県における民間出身の女性知事というコントラストを背景に、主としてフィールドワークを通じて鮮やかに地方政治の一断面を描き出している。

本論文は、第1章で地方政治に関する先行研究をレビューし、第2章で事例の特性と研究手法を論じた後、第3章から第6章までは、知事を中心として熊本県における政治現象の事例を述べる。第3章では、潮谷知事の権力の源泉を分析する。一般的に各都道府県知事は強大な権力を持っているようにイメージされがちであるが、実際には知事就任前から培った政治的リソースがなければ権力を発揮しにくい状況におかれている。とくに潮谷の場合、知事選出馬前約1年間務めた副知事を除いて、国政または熊本県政に携わった経験が全くなかった。このような潮谷知事が、自民党が県議会の大多数を占める保守的な政治風土の中で権力を持ちうるとするならば、何によるのか。本論文は、潮谷に対する支持は、第一に彼女のパーソナリティに基づく支持、第二に政策とりわけ川辺川ダムに対する知事の姿勢に対する支持、そして第三に選挙におけるバンドワゴン支持、の3層から成り立っている、と結論づける。この点は、いかなるポピュリズムもその本質がバンドワゴンであるならば、その下層にある政策に対する支持が失われた段階で、リーダーに対する支持全体が雪崩のように崩壊する、という含意を持つ。

続く第4章においては、川辺川ダム建設問題を題材とし、国営ダム問題において直接の権限をもたない熊本県知事がいかにして対応したかを詳述する。地方政治における非政治性とは、地方議会レベルで過大代表された保守勢力によって、問題の顕在化が封じられていることに起因する場合がある。これまで熊本県議会においてはほとんど取り上げられることのなかった川辺川ダム問題を、潮谷は討論集会という手法を用いることで広く県民の前に問題を顕示し、政治問題化した。著者の分析によれば、ダム建設中止が潮谷の真意であり、こうした手法をもって、建設の促進に少なくとも歯止めをかけたのである。

第5章では、政治家としての知事を、国会議員選挙の応援を題材に観察した。先行研究から明らかになっているように地方レベルでは非政治性が規範とされがちであり、とりわけ首長に対する非政治性の期待は大きい。そういった背景において、政治家の経験もなく、政党とは無関係であり得るはずの潮谷が、熊本県選出の衆議院議員の中で、唯一中選挙区制時代から一貫して自民党に所属していた松岡利勝候補の選挙応援にいったことは、関係者や県民に大きな衝撃を与えた。著者の観察によれば、彼女の松岡応援理由は、相手候補への遠慮がないこと、松岡への期待、自民党県議団への気遣い、そして国政とのパイプであった。ここには、政党とは無関係である潮谷が、同時に国政とのパイプを持たないゆえに、県政運営上の行き詰まりを感じ、県内で最も有力である自民党政治家の応援を行ったという逆説が存在する。

第6章では、潮谷自身の再選をかけた2004年熊本県知事選について述べる。国政選挙における特定政党候補に対する応援とは反対に、潮谷は自身の選挙においては政党との距離をおくことを模索する。しかしながら、自民党が県議会で圧倒的多数を占める熊本県において、自民党と袂を分かつという選択肢は困難である。こうした中で二期目の県政運営における政治的優位を獲得すべく、潮谷は自民・公明両党の推薦に留まらず、全ての政党から推薦を得ることを試みた。また、政治的アマチュアの女性たちが選挙運動の中核を占めることにより、自民党に対して政治的優位性を持ちうるリソースを確保しようとした。

以上の観察を基に、本論文は地方政治研究における既知の理論を裏づけ、また先行研究には見られない新たな仮説を提示する。まず、本論文において「確認」された理論は以下の通りである。

(1)市民の政治参加は市民に有効感を与えている(第6章)。(2)知事は住民参加を利用して議会(第6章)と国(第4章)に対抗する。(3)市民の参加はリーダーに権力を与える(第6章)。(4)市民団体は権力の多元性を利用してアクションを起こしうる(第4章)。(5)地方政治が国政から自律性を保つには、有権者の支持以外の強い人脈的リソースが必要である(第5章)。

さらに、これら既知の理論では得られない知見として、本論文は以下の仮説を提示する。(1)男女格差の大きい地域であるほど女性知事が誕生しやすい。(2)地方における非政治性は何らかの権力が争点を表面化させないことによる。(3)地方政治における市民の可視的な参加は、リーダーに権力を与える。

こうした作業を通じて最後に、地方政治の非政党性が再度クローズアップされる。本論文の通奏低音と言うべきパズルは、地方政治における政党制のありかたである。国政における争点が地方政治においてそのままあてはまることは少ないにもかかわらず、なぜ地方政治においても、国政と同じ政党配置が求められるのかは大きなパラドックスであろう。地方政治の非政党性は、今後説明すべき課題である。

本論文の評価は以下の通りである。

本論文の第1の長所は、熊本県において長期間のフィールドワークを敢行した点である。これまでも日本の地方政治研究は、比較政治学的に日本政治を特徴付ける要素の発見という意義をもってきた。たとえば、国会議員・地方議員の系列関係、ソーシャル・ネットワークによる投票の研究がその一例である。ただ、地方レベルでいかなるアクターが何についてどのように行動しているか、諸アクターの役割認識を明らかにする研究、地方政治のメカニズムを中央政治との関連で位置づける研究が必ずしも十分に行われてきたとは言い難い。本論文は、こうしたテーマに果敢に切り込むものである。政治過程論における最近の論文は、ともすれば公開データの二次利用によって検証可能な「エレガント」な理論を追求する傾向にあるが、本論文はこうした向きから超然として、フィールドワークを通じて得られたオリジナルデータをひとつひとつ積み重ねて地方政治全体を俯瞰しようとした労作である。

本論文の第2の長所は地方政治を扱いながら、政治学の主要テーマである「参加と民主主義」、「権力」、「制度」の問題に迫っていることである。この手法はロバート・パットナムやロバート・ダールの研究手法に通じるものである。理論的指向を保ちながらミクロな地方政治を分析することは容易なことではない。

第3の長所は県知事の日常、川辺川ダム問題、2003年衆院選、2004年熊本県知事選など熊本県政がいきいきと描写されている。アカデミックな研究関心に根差しながらも、もっぱら二次利用データや文献に基づく政治過程分析からは決して得られない臨場感を読者に与える研究に仕上げられている。

しかし、本論文にも疑問点が無いわけではない。ケーススタディを行う際の最大の課題は、得られた知見をいかにして科学的に論じるかである。この点について、本論文は対象地の特殊性を明確にすることによって得られた観察結果をコンロトールし、そこから既知の理論を差し引き、オリジナルな仮説を導くという研究戦略を採用した。しかし、こうして得られた諸仮説の一般化可能性に関しては、政治過程に関する重厚な記述に比して些か手薄の感がある。

第2に、本論文における主要分析の準備段階において、知事の「権力」や「権限」などの概念に言及されているが、それらの区別や先行研究における用法との異同が不明確である。今後論文が公刊されるに際して課題とされるべきであろう。

しかし、これらの疑問点は本論文の価値を著しく下げるものではない。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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