学位論文要旨



No 123137
著者(漢字) 境家,史郎
著者(英字)
著者(カナ) サカイヤ,シロウ
標題(和) 現代日本政治変動のミクロ的基礎 : 日本の選挙における政治的コミュニケーションの構造と機能
標題(洋)
報告番号 123137
報告番号 甲23137
学位授与日 2008.02.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第212号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 谷口,将紀
 東京大学 教授 蒲島,郁夫
 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 教授 荒木,尚志
 東京大学 教授 川出,良枝
内容要旨 要旨を表示する

現代民主主義国における政治システム変動を理解する上で,マス―エリート間の選挙期における政治的コミュニケーション-政治エリートが公約としてどのようなメッセージを送り,有権者がどのようにそれを吸収し,またその情報がどのように有権者に作用しているのか-を明らかにすることは非常に重要な課題である。第1章で論じるように,近年の日本政治を特徴付ける「政党システムの流動化と再安定化」「保守化」「投票率の低下」「ポピュリズム」といった政治的現象は,すべて選挙時コミュニケーションの問題と深く結びついている。マクロレベルの政治変化の重要な説明変数であると見られる選挙情報の流通構造と機能について,一般的に明らかにすることが本研究の目的である。

第2章では,選挙時コミュニケーションに関する先行研究を検討し,本研究で明らかにすべき具体的課題として以下の5論点を導く。

・どのような有権者がどこからどのくらい選挙情報を得るのか?

・候補者は選挙時にどのような情報を発信しようとするのか?

・選挙情報はどのように有権者の選挙行動を変動させるのか?

・選挙情報にどのように有権者の政治意識を変動させるのか?

・以上の点に関して,近年のメディア状況の変化はどのように影響するか?

第3章では,近年の総選挙時における調査データを用いて,現代日本の選挙過程における情報の流れの構造を実証的に示す。これによって,有権者を取り巻く「情報環境」を明らかにするとともに,情報格差の構造を示す。分析の結果,第一に,日本においてはエリートの選挙区レベルでの直接的な選挙運動が有権者の情報源として相対的に重要であること,第二に,教育程度の高い人,加入団体数の多い人,候補者の個人後援会に加入している人,政治関心の高い人,強い政党支持を持つ人ほど選挙情報を総量として多く得ていること,第三に,社会経済的地位による情報格差はマスメディアを通した選挙情報によって拡大されていること,が明らかとなる。

第4章では,ゲーム理論モデルおよび候補者アンケート調査の分析を通して,候補者が選挙時にどのようなメッセージを選挙民に発信しているかという点について議論する。本研究では以上の問題を,日本政治の保守化傾向と関連付けながら論じる。1990年代後半以降,最大野党である民主党が憲法改正について積極的に議論するなど,五五年体制下では考えられないほどに政治家レベルでの保守化傾向は強まっている。同章の議論によれば,「小選挙区制+左翼政党候補の出馬+公明党の自民候補推薦」という近年の選挙競争の文脈が,有権者の選好分布とは独立に自民党,民主党候補の選挙公約の保守化を促している。すなわち近年の政治家レベルの保守化は,少なくとも有権者レベルの保守化とはある程度無関係な構造的現象であり,この傾向は公明党が自民党を支援し,社民党,共産党が小選挙区で候補者を擁立する合理的理由が存在する限り,不変であると考えられる。

第5章では,選挙キャンペーンが有権者の選挙行動に与える影響,すなわち選挙情報の短期的効果について検討する。同章では第一に,選挙期間中に有権者にいかなる変化が起きているのか時系列的に分析し,日本においてもキャンペーンによって候補者や争点に関する情報が有権者に確実に吸収されていることを示す。第二に,より多くの選挙情報に接触した人ほど投票に参加し,候補者や政策争点に関する情報まで考慮して投票を行う傾向があることが明らかとなる。

第6章では政党支持率の変動構造を選挙情報の流通量と関連させながら論じ,選挙キャンペーンの長期的効果の一端を探る。調査データ分析の結果が示唆するのは,有権者はキャンペーンから政治的情報を得て各政党に対する評価を定めており,かつ一般にある政党に対する情報をより多く持つ人ほど同党に対して支持を表明する可能性が高い,ということである。この議論を敷衍すれば,新規参入政党はもともと有権者にあまり知られていないために,既成政党よりも選挙キャンペーンによって支持率が変動する幅が大きいということになるが,これは実際に,近年の安定した自民党支持率と不安定な民主党支持率の動きをよく説明している。

第7章では,選挙情報の有権者行動に与える影響について質的側面から論じる。近年提唱されている「啓蒙仮説」によれば,キャンペーンは有権者に政治情報を提供することで,彼らの社会経済的地位など基本的な属性とより整合した政治的判断-この意味において「質の高い」判断-を促しているとされる。同仮説によれば,選挙日が近いほど有権者の投票(意図)政党は彼らの属性から予測されるものと一致していくと予想される。しかし同章の分析の結果,日本は同仮説の例外事例にあたることが示される。その原因として,日本の選挙では候補者中心キャンペーンが主流であり,かつ主要政党において所属候補者の政策位置の分散が大きいことが挙げられる。このような状況下では,有権者は選挙期間中に政党に関する情報を十分に得ることができず,それゆえキャンペーンによる政党選択行動の整合化という現象は起こりにくい。

第8章では,インターネットの普及がエリート間の情報提供力の格差や市民間の情報格差をどのように変化させるのか論じる。インターネット利用者に対する調査データを分析した結果示されることは,第一に,インターネット以外のコミュニケーション・メディアから政治情報を得ている人は,そこで得た知識を利用することによってインターネット上においてもより政治情報に接触する傾向にあるということである。社会経済的地位の高い人ほど従来型の選挙キャンペーンに接しているという第3章の結果をふまえれば,たとえデジタルデバイドが克服されたとしても,インターネットの普及は間接的に社会経済的地位による情報格差を拡大させると見ることができる。第二に,インターネット上で利用者は,支持政党の情報,選挙で比較的有力と見る政党の情報,およびインターネット外で情報が比較的豊富な政党の情報に対して主体的に接触する傾向があり,インターネット上で偶然的に接触される情報もまた比較的有力な政治勢力のものが多い。このことから,相対的に大きな既存の政治勢力の情報ほどインターネット上で比較的よく接触されていること,したがって,インターネット普及はエリート間のリソース格差を結果として拡大させる可能性が高いことが示唆される。

第9章では,日本においても米国同様,近年ワイドショーなどソフトニュース・メディアによる政治報道が増加していることを示し,それが情報流通構造をどのように変化させ,また有権者の政治的知識や意識にどのような影響を与えているか検証する。同章の分析結果によれば,第一に,一般にマスメディア接触を規定する鍵変数である政治関心や教育程度が,ソフトニュース・メディアの場合にはまったく影響を与えていない。その点でソフトニュース番組は,比較的に政治的知識の乏しい市民にまで選挙情報を提供することのできる新しいメディアであるといえる。第二に,ソフトニュース・メディアは視聴者の政治的態度を変容させていることから,有権者に対して何らかの意味ある政治情報を実際に供給していると見られる。しかしながら,ソフトニュース視聴が「正確な」政治的知識の学習に結びついているという証拠はない。

結論部である第10章では,論文全体の内容を総括し,本研究の知見から得られるインプリケーションとして,第1章で示した近年の日本政治の構造変動に関する疑問についてさらに議論する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「現代日本政治変動のミクロ的基礎-日本の選挙における政治的コミュニケーションの構造と機能-」は、マス―エリート間の選挙期における政治的コミュニケーションの構造と機能を明らかにすることを目的にしている。現代民主主義国における政治システムの変動を理解する上で、政治エリートが公約としてどのようなメッセージを送り、有権者がどのようにそれを吸収し、またその情報がどのように有権者に作用しているのか-を解明することは非常に重要な政治学の課題である。

第1章で論じるように、近年の日本政治を特徴付ける「政党システムの流動化と再安定化」「保守化」「投票率の低下」「ポピュリズム」といった政治的現象は、すべて選挙時コミュニケーションの問題と深く結びついている。マクロレベルの政治変化の重要な説明変数であると見られる選挙情報の流通構造と機能について、一般的に明らかにすることが本研究の目的である。

第2章では、選挙時コミュニケーションに関する先行研究を検討し、本研究で明らかにすべき具体的課題として以下の5論点を導く。1)どのような有権者がどこからどのくらい選挙情報を得るのか? 2)候補者は選挙時にどのような情報を発信しようとするのか? 3) 選挙情報はどのように有権者の選挙行動を変動させるのか? 4)選挙情報にどのように有権者の政治意識を変動させるのか? 5)以上の点に関して、近年のメディア状況の変化はどのように影響するか?

第3章では、近年の総選挙時における調査データを用いて、現代日本の選挙過程における情報の流れの構造を実証的に示す。これによって、有権者を取り巻く「情報環境」を明らかにするとともに、情報格差の構造を示す。分析の結果、第一に、日本においてはエリートの選挙区レベルでの直接的な選挙運動が有権者の情報源として相対的に重要であること、第二に、教育程度の高い人、加入団体数の多い人、候補者の個人後援会に加入している人、政治関心の高い人、強い政党支持を持つ人ほど選挙情報を総量として多く得ていること、第三に、社会経済的地位による情報格差はマスメディアを通した選挙情報によって拡大されていること、が明らかとなる。

第4章では、ゲーム理論モデルおよび候補者アンケート調査の分析を通して、候補者が選挙時にどのようなメッセージを選挙民に発信しているかという点について議論する。本研究では以上の問題を、日本政治の保守化傾向と関連付けながら論じる。1990年代後半以降、最大野党である民主党が憲法改正について積極的に議論するなど、五五年体制下では考えられないほどに政治家レベルでの保守化傾向は強まっている。同章の議論によれば、「小選挙区制+左翼政党候補の出馬+公明党の自民候補推薦」という近年の選挙競争の文脈が、有権者の選好分布とは独立に自民党、民主党候補の選挙公約の保守化を促している。すなわち近年の政治家レベルの保守化は、少なくとも有権者レベルの保守化とはある程度無関係な構造的現象であり、この傾向は公明党が自民党を支援し、社民党、共産党が小選挙区で候補者を擁立する合理的理由が存在する限り、不変であると考えられる。

第5章では、選挙キャンペーンが有権者の選挙行動に与える影響、すなわち選挙情報の短期的効果について検討する。同章では第一に、選挙期間中に有権者にいかなる変化が起きているのか時系列的に分析し、日本においてもキャンペーンによって候補者や争点に関する情報が有権者に確実に吸収されていることを示す。第二に、より多くの選挙情報に接触した人ほど投票に参加し、候補者や政策争点に関する情報まで考慮して投票を行う傾向があることが明らかとなる。

第6章では政党支持率の変動構造を選挙情報の流通量と関連させながら論じ、選挙キャンペーンの長期的効果の一端を探る。調査データ分析の結果が示唆するのは、有権者はキャンペーンから政治的情報を得て各政党に対する評価を定めており、かつ一般にある政党に対する情報をより多く持つ人ほど同党に対して支持を表明する可能性が高い、ということである。この議論を敷衍すれば、新規参入政党はもともと有権者にあまり知られていないために、既成政党よりも選挙キャンペーンによって支持率が変動する幅が大きいということになるが、これは実際に、近年の安定した自民党支持率と不安定な民主党支持率の動きをよく説明している。

第7章では、選挙情報の有権者行動に与える影響について質的側面から論じる。近年提唱されている「啓蒙仮説」によれば、キャンペーンは有権者に政治情報を提供することで、彼らの社会経済的地位など基本的な属性とより整合した政治的判断-この意味において「質の高い」判断-を促しているとされる。同仮説によれば、選挙日が近いほど有権者の投票(意図)政党は彼らの属性から予測されるものと一致していくと予想される。しかし同章の分析の結果、日本は同仮説の例外事例にあたることが示される。その原因として、日本の選挙では候補者中心キャンペーンが主流であり、かつ主要政党において所属候補者の政策位置の分散が大きいことが挙げられる。このような状況下では、有権者は選挙期間中に政党に関する情報を十分に得ることができず、それゆえキャンペーンによる政党選択行動の整合化という現象は起こりにくい。

第8章では、インターネットの普及がエリート間の情報提供力の格差や市民間の情報格差をどのように変化させるのか論じる。インターネット利用者に対する調査データを分析した結果示されることは、第一に、インターネット以外のコミュニケーション・メディアから政治情報を得ている人は、そこで得た知識を利用することによってインターネット上においてもより政治情報に接触する傾向にあるということである。社会経済的地位の高い人ほど従来型の選挙キャンペーンに接しているという第3章の結果をふまえれば、たとえデジタルデバイドが克服されたとしても、インターネットの普及は間接的に社会経済的地位による情報格差を拡大させると見ることができる。第二に、インターネット上で利用者は、支持政党の情報、選挙で比較的有力と見る政党の情報、およびインターネット外で情報が比較的豊富な政党の情報に対して主体的に接触する傾向があり、インターネット上で偶然的に接触される情報もまた比較的有力な政治勢力のものが多い。このことから、相対的に大きな既存の政治勢力の情報ほどインターネット上で比較的よく接触されていること、したがって、インターネット普及はエリート間のリソース格差を結果として拡大させる可能性が高いことが示唆される。

第9章では、日本においても米国同様、近年ワイドショーなどソフトニュース・メディアによる政治報道が増加していることを示し、それが情報流通構造をどのように変化させ、また有権者の政治的知識や意識にどのような影響を与えているか検証する。同章の分析結果によれば、第一に、一般にマスメディア接触を規定する鍵変数である政治関心や教育程度が、ソフトニュース・メディアの場合にはまったく影響を与えていない。その点でソフトニュース番組は、比較的に政治的知識の乏しい市民にまで選挙情報を提供することのできる新しいメディアであるといえる。第二に、ソフトニュース・メディアは視聴者の政治的態度を変容させていることから、有権者に対して何らかの意味ある政治情報を実際に供給していると見られる。しかしながら、ソフトニュース視聴が「正確な」政治的知識の学習に結びついているという証拠はない。

結論部である第10章では、論文全体の内容を総括し、本研究の知見から得られるインプリケーションとして、第1章で示した近年の日本政治の構造変動に関する疑問についてさらに議論する。

本論文に対する評価は以下の通りである。

本論文の第1の長所は、最先端のテーマで実証研究が難しいと言われている政治的コミュニケーションの研究分野に果敢に挑戦し、政治理論および日本政治に対していくつかの重要な理論的貢献を行ったことである。例えば、選挙時におけるマスメディアの利用と社会経済的地位(とくに教育程度)の関係について、もともと豊富な政治的知識を持つ人ほど選挙運動期間中にマスメディアを通じてより多くの政治情報に触れているのに対して、政治的関与の低い人は高い能動性を必要としないパーソナルルートと直接キャンペーンルートを通じて政治的情報を得ることによって、教育程度に起因する政治的情報格差を是正する、と本論文は結論づけている。この発見は、すでに投票行動論において明らかにされているわが国の投票参加の有無に対する社会経済的属性要因の中立性に理論的根拠を与えるものである。

本論文の第2の長所は、政治的コミュニケーションというミクロレベルの理論化と分析を行いながらも、常にマクロレベルでの日本政治の変動を射程に入れている点である。本論文によれば、1990年以降の日本で見られた「政党システムの流動化」、「保守化」、「投票率の低下」、「ポピュリズム」といった政治現象は、政治的コミュニケーションの問題と密接に関連している。例えば、ワイドショーをはじめとするソフトニュース番組は、政治的知識の乏しい市民にまで選挙情報を提供している一方、「正確な」政治的知識の学習には結びついていないという第9章の分析結果は、日本政治における「ポピュリズム」の有無または特質を論じる上で重要な知見と言えよう。

本論文の第3の長所は、ゲーム理論に基づき演繹的に導かれた仮説を洗練された統計的手法で分析する、EITM (Empirical Implications of Theoretical Model)と呼ばれる先端的な研究手法に挑戦している点である。これを通じて、筆者の確かな数学的能力と統計学の知識が遺憾無く発揮されている。それでいて各章の論旨はきわめて明快であり、筆者が本論文で用いた幅広い研究手法を自家薬籠中のものとしていることを窺わせる。

しかし、本論文にも改善すべき点が無いわけではない。主として米国の政治的コミュニケーション研究で展開されている様々な最先端のテーマをそれぞれ日本政治に応用しようとするアプローチは、第1・2・10章における総括にもかかわらず論文全体としてのまとまりを損なう結果をもたらしている感がある。

第2に、政治的コミュニケーション研究の延長線上で論じられる「保守化」や「ポピュリズム」といったマクロレベルの政治分析における諸概念の定義に、さらなる検討の余地がある。論文公刊時の課題とされるべきであろう。

しかし、これらの疑問点は本論文の価値を著しく下げるものではない。本論文は、現代日本政治の計量分析として高水準であることはもちろん、日本における政治的コミュニケーション論において今後スタンダード・レファレンスとなるべき業績と言える。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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