学位論文要旨



No 123140
著者(漢字) 平賀,優子
著者(英字)
著者(カナ) ヒラガ,ユウコ
標題(和) 日本の英語教授法史―文法・訳読式教授法存続の意義
標題(洋)
報告番号 123140
報告番号 甲23140
学位授与日 2008.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第785号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 斎藤,兆史
 東京大学 教授 田尻,己个夫
 東京大学 教授 山本,史郎
 東京大学 教授 菅原,克也
 和歌山大学 教授 江利川,春雄
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、江戸時代から今日に至るまでに日本において実践されてきた英語教授法の歴史的流れを追い、欧米とは異なるわが国特有の英語教授法史とはいかなるものであるのかについて明らかにしたものである。日本の英語教授法史を特徴付けているのは、欧米のGrammar‐Translation Method (G‐TM) とは異なる、わが国独自の文法・訳読式教授法の存在とその歴史的位置付けであった。

これまでのところ、日本における英語教授法について歴史的見地から著した文献は非常に少なく、またあるとしても古い文献であるために現在に至る歴史は記されていない。日本の英語教授法史研究に関するこの様な状況を鑑み、本論文においては、欧米の教授法史も参照しながら、江戸時代末期から今日に至るまでに我が国で実践された教授法をとりあげ、各教授法の説明(成立過程、背景理論、教授手順等)に加え、海外から輸入した教授法についてはどのように日本に紹介されたのか、そして日本ではそれぞれがどのように実践されうるかについて論じた。また、このような教授法の歴史が国の教育制度(教授要目や学習指導要領、検定教科書)にどのように反映されているのかについても触れている。

まず、第1章では、本論文における「教授法」とは何かについて定義付けをした。そして、ここではAnthonyモデル を参考にし、このモデルで言われるApproach(指導理念)を基にした、Methodにのみ言及し、Technique(指導法)までは考慮に入れないこととした。教授法の定義付けの後は、本論文における教授法の時期区分を行った。それは以下の通りである。

第I期第II期 第III期 第IV期第V

1809-1872-1923- 1969-2000-

文字中心時代(1)文字中心時代(2)音声重視時代言語学理論時代ポスト・メソッド時代

第2章以降は上記の区分に従って、第I期より順に教授法の歴史的流れを追った。まず、第I期(文字中心時代(1))においては漢学の伝統を受け継いだ素読・会読・訳読の方法、Thomas Prendergastによるマスタリー・システムとMarion M. Scottによるスコット・メソッドを取り上げた。日本独特の素読・会読・訳読という方法の中でも、特に訳読については、辞書的な「訳して読む」という意味以外に「単語に逐語訳をつけ、それを日本語の語順に改めて読む」という特殊な意味があることについて論じた。そして訳読というのはあくまでも文章の読解の方法であり、教授法ではないということを主張した。マスタリー・システムは宣教師Samuel R. Brownによって日本に持ち込まれたが、この時代にはめずらしく発音を重視した教授法である。音声重視という点で、当時わが国では新奇性のある教授法であったが、実はBrownはこの教授法のこういった一面のみを紹介し、形式主義であるという点を無視したため、欠点の一つである意味の軽視についてはわが国では見逃されることとなった。スコット・メソッドはお雇い外国人教師Scottが日本において提唱、実践した教授法であるが、これは文章の訳読よりも、実際に使わせてみる、つまり作文に重きが置かれた方法であり、英語の達人と呼ばれる新渡戸稲造や内村鑑三などはこの教授法により英語を習得したと言われている。

第3章では第II期(文字中心時代(2))に区分される教授法として文法・訳読式教授法、及びその基となった欧米におけるG‐TM、その反動として提唱されたFrancois Gouinによるグアン・メソッド、そしてわが国における「訳読」を批判して生まれた村田祐治の直読直解法、浦口文治のグループ・メソッドについて論じた。特に文法・訳読式教授法についてはその定義を明らかにし、これはG‐TMがわが国に持ち込まれた明治末期以降に確立した教授法であり、訳読法とは異なるということ、また短文の翻訳練習を課し言語の意味を軽視したG‐TMとも区別しなければならないということを主張した。次に挙げたグアン・メソッドは、日本にはHoward Swanによって持ち込まれたが、こちらもオリジナルのものとは少し異なっているということについて論じた。つまり、わが国では、子供の第1言語習得法をまねた、音声重視の教授法であるという点のみが強調され、母語の使用や文法教授といったこの教授法の他の特徴は無視された形で紹介されたということである。この章の最後には、直読直解法とグループ・メソッドをとりあげ、「英語を頭から訳す」「グループごとに区切って読む」といった現在でも行われている読み方の起源がここにあるという点について触れた。このうち特に村田祐治の「直読直解」という言葉については、訳読及び訳解と対比させながら詳細に説明し、この方法が今日で言われるところの「速読法」とは異なるということを強調した。

さて、続く第4章では第III期の音声重視時代に区分される教授法として、Harold E. Palmerのオーラル・メソッド、Basic Englishの概念を基にして生まれたグレイデッド・ダイレクト・メソッド(GDM)、及び Charles C. Friesのオーラル・アプローチを取り上げた。特にオーラル・メソッドとオーラル・アプローチは、検定教科書や学習指導要領にも反映されたほど、日本の英語教育に与えた影響が大きいことは明らかであるが、両者とも海外で提唱されたオリジナルのものとは少し異なり、わが国の教育環境や日本人学習者の性格、日本人教師の能力に適応するように修正されたものであった。GDMについては、吉沢美穂がその普及に貢献し、今でもGDM研究会は存続しているが、彼女は、公教育にまで浸透しなかった理由として、「教師と制度に問題がある」とし、「教授法自体に何も問題はない」と主張した。しかしながら、限られた語彙数では読解力の養成は期待できないこと、また、形式を重視した結果、意味の軽視につながる教授法であったことは否めない。

第5章では、言語学の進歩に伴いさまざまな新しい教授法が提唱された第IV期、言語学理論時代に区分される教授法として、Noam Chomskyの生成文法を基盤にした認知学習理論(CCLT)、コミュニカティブ・アプローチ、Stephan D. Krashenのナチュラル・アプローチ、酒井邦秀の100万語多読、タスクに基づく教授法(TBLT)、そしてこの時期の締めくくりとして、文法を重視し「本物の英語」を目指したFocus on Formについて論じた。日本には、上記に挙げた教授法は海外で開発されてまもなくして輸入されたが、どのように紹介・実践されたのかを見てみると、文法・訳読式教授法が成立した明治末期以降は、常に「いかにして現行の教科書を用いてそれを実践するか」が考えられてきたことが分かった。文法項目ごとに課が配列され、それぞれの課には読解のためのテキストが載っている現行の検定教科書は、その執筆の意図はいかにせよ、文法と訳読(読解)を重視する、「文法・訳読式教授法」のためのものであるといえよう。次々に提唱される新しい教授法は文法・訳読式教授法の代替として紹介されたのではなく、あくまでも文法・訳読式教授法を柱としてそれらの新しい教授法の理論をこの教授法にどのように適用できるかが考えられてきたということである。しかしながら、書き言葉の学習が中心の文法・訳読式教授法は、たとえば、話し言葉の学習が中心のCommunicative Approach、Natural Approach、TBLT等の教授法と互換性があるはずはなく、結局これらの教授法の理論と文法・訳読式教授法を折衷する試みは失敗に終わったと言える。

振り返ると、常に「音声重視⇔文字重視」、あるいは「意味重視⇔形式重視」の間で揺れ動いてきた教授法の歴史であるが、結局完璧な教授法というのはないということから、「教授法」という概念自体が疑問視されるようになり、最終章には第V期、ポスト・メソッド時代としてBalasubramanian KumaravadiveluによるPost Methodの概念を紹介した。今後は教授法そのものにすべてを求めるのではなく、教師一人一人が自分の担当するクラス、教育環境に応じた指導法を考える必要性があるという。わが国ではこういった指導法の一例として、最近注目されている金谷憲の和訳先渡し方式を取り上げた。

本論文を通してもっとも主張したいことは、これまでの、「日本では、海外の新しい教授法は輸入されるけれどもなかなかその普及に成功せず、依然文法・訳読式教授法のままである」という否定的な見方を変えるべきであるということである。なぜならば、このような見方は「19世紀末にはG‐TMは廃れ、New Methodへと移行した」(Kelly,1969 )という欧米の教授法史と比較してのものであって、日本独自の教授法史の存在を考慮していない。次々に開発される新しい教授法は、日本においては「文法・訳読式教授法を排斥するため」のものではなく、あくまでも「オールラウンドな文法・訳読式教授法にするため」のものなのである。「依然文法・訳読式教授法である」ということは非難されるべきことではない。まさにこの存在こそが日本の英語教授法史を特徴づけてきたのである。

審査要旨 要旨を表示する

平賀優子氏の論文「日本の英語教授法史-文法・訳読式教授法存続の意義」は、江戸時代末期から今日まで日本で実践されてきた英語教授法の歴史を説明し、そのなかでもとくに、従来欧米のGrammar-Translation Methodと同一視されてきた文法・訳読式教授法が日本でどのように成立し、なぜ長年の批判にもかかわらず連綿と実践されてきたのかを明らかにしようとしたものである。

著者は、本論文第1章においてまず英語教授法研究の概念を概説し、論考の対象をAnthonyモデルにおけるMethod「教授法」に限定することを明らかにしたのち、1808年から現代までの日本の英語教授法の歴史を5期に分類する。そして、第2章において、その分類による第I期「文字中心時代(1)」の教授法たる素読、会読、マスタリー・システム、スコット・メソッド、第3章において、第II期「文字中心時代(2)」を代表する欧米式のGrammar-Translation Method、文法・訳読式教授法、グアン・メソッド、直読直解法、グループ・メソッド、第4章において、第III期「音声重視時代」のオーラル・メソッド、グレイデッド・ダイレクト・メソッド、オーラル・アプローチ、さらに第5章において、第IV期「言語学理論時代」の認知学習理論、コミュニカティブ・アプローチ、ナチュラル・アプローチ、多読プログラム、タスクに基づく教授法などを、成立過程、方法論に即して詳述する。そして、文法・訳読式教授法が成立した明治末期以降の多くの教材の仕立て自体が、基本的に文法・訳読式教授法の実践を重視した形になっており、話し言葉の学習を重視する教授法が導入されてからも、その新しい教授法を文法・訳読式教授法用の教材を用いて実践することが試みられてきたと指摘する。そして第6章では、日本の英語教育が教授法中心の時代から、個々の教師の指導法を重視する「ポスト・メソッド時代」に入ったと論じる。論文全体を通じ、「19世紀末にGrammar-Translation Methodは廃れ、New Methodに移行した」という欧米の教授法観に基づいた日本の文法・訳読式教授法批判の誤解を丁寧に検証している。

一つの論文において江戸末期から現代までの英語教授法を検証するという大胆な試みのゆえに、部分的に過度の一般化がなされている、社会的背景に関する考察が弱い、第4章と第5章の教授法の解説が独創性に欠けるきらいがある、議論を教授法に限ったために、指導法として広く実践されている訳読の位置づけがなされていない、などの問題点が指摘されたものの、文法・訳読式教授法に関する議論の独創性は審査員全員の認めるところであった。とくに、Grammar-Translation Methodの教材作成者としてのOllendorffの位置づけ、および、文法項目を学んだ後にそれを含む単文を翻訳していくGrammar-Translation Methodと文法説明ののちに長い文章を訳読していく文法・訳読式教授法との差異に関する、具体的な教材の分析を伴う説明には説得力があり、日本の英語教育に多大な示唆を与えるものと判定された。

以上の審査結果により、本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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