学位論文要旨



No 123148
著者(漢字) 中嶋,真美
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,マミ
標題(和) 観光・開発・生活の視点によるコミュニティ・ツーリズムの「担い手」再考 : タンザニアを事例として
標題(洋)
報告番号 123148
報告番号 甲23148
学位授与日 2008.02.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3232号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 教授 山下,晋司
 北海道大学 教授 石,弘之
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、コミュニティ・ツーリズム(CBT:Community-based Tourism)を地域社会の考える「発展」過程におけるイノベーションと位置づけ、観光・開発・生活の視点からCBTを通じた観光開発の「担い手」を再検討するため、開発支援者、観光客、そして地域住民(以下、住民)の3者に着目した。各アクターの、或いはアクター間のまなざし(目線)の欠落点を指摘し、それらの融合からCBT普及展開モデルの提示により、持続可能な観光開発へ向けての提言を行うことを目的とした。

序章では、本論文の課題および内容について明示した。タンザニア(以下、TZ)で実施されるCBTは開発手法として有効と見なされつつも、地域社会を観光資源として直接活用することから、その社会・文化的影響が懸念され、生活環境や住民間の関係性に変化が生じる可能性も否定できない。とりわけサブ・サハラ・アフリカ地域では、CBTは住民参加を基盤とし、地域の内発的発展を促す独自性をもつ観光形態であることから、地域社会への影響は大きく、実態把握の必要性は今後さらに高まると考えられる。

1章では、観光の歴史を概観することを通じ、観光と開発のかかわりを理解した上で、国際観光におけるCBTの位置づけを明らかにした。特に90年代に入り「持続可能な観光」の確立が目指されるようになると、とりわけ他に収益資源がない途上国の農山村地域で、住民を主体として(住民参加型の)地域発展を目指す新たな観光形態としてCBTは定着してきた。

2章では、既存研究の議論をふまえ、本論文における分析の枠組みを提示した。CBTの発展プロセスは、採用決定までの「導入期」、事業を発展させる、或いは初期ニーズが満たされるまでの「実行期」、そして何も手を加えなければ衰退に向かう可能性を孕むため、事業の地域への定着とリノベーションが求められる「展開期」の大きく3つに分けることができる。

従来の観光の発展モデルでは欠落していた、観光商品導入以前の段階の分析を行うため、導入期においてはイノベーション決定過程を援用し、普及要素ごとの検証を行った。次に実行期においては住民の主体性やオーナーシップ、事業の有効性や持続性が重視されることから、住民参加型開発論を用い、住民の参加実態を把握し、地域社会におけるCBTの意義を明らかにした。また展開期においては、BHN(Basic Human Needs)の充足や、内発性、自立性、など相互の関連性を持つ各要素が有機的なつながりを持ちながら実現されることにより、結果的に地域の発展が促されるというプロセスが成立することから、内発的発展論を援用した。最後にCBTが地域社会を土台とする以上は、住民間のかかわり、開発支援者や観光客という外部とのかかわりを無視することはできない。これらの関係性の検証には、導入から展開の各段階に補完的な役割を担う理論として、ソーシャル・キャピタル論を用いた。

3章では、TZ政府が実施する観光開発の経緯および目的を概観した上で、実際のCBTの事例により、TZにおけるCBTの展開と位置づけを提示した。TZのCBTには主に2つの事業形態が存在する。オランダの開発支援団体SNVが導入した"Cultural Tourism Programme"と呼ばれるCBTと、個人事業主が行うCBTである。本研究ではギレシ地区(開発支援導入型)を中心事例とし、事業の問題点を浮かび上がらせるための補完事例として、イルキディンガ地区(近隣開発支援導入型)、ングルドット地区(独立事業型)、イルクロット地区(開発支援導入型・新規事業地)を紹介した。

4章では、「観光」と「開発」の各分野におけるアクターについて整理を行った。そもそも「観光開発」は観光と開発の2つの意味を含んでいる。各文脈から見た観光開発は、そのアクターの役割も目的も異なる。まず「観光」の文脈から、個別事例および相互関係に関する論考が展開される傾向にあったホスト・ゲストの二元論を整理した。次に、これまで支援-受益の関係性を中心に語られてきた「開発」の文脈から、CBTにおいては「観光のコミュニティ・アプローチ」により、今後は各アクターの参加機会の拡大とかかわりの可能性について議論を進める必要があることを示した。

5章では、CBT普及展開のプロセスにおいて、導入期の住民の意識変化については異文化普及理論から、実行期での住民の発展観の変化については住民参加型開発論からの分析を展開した。

まず導入期においてCBTに対する住民の意識に大きな差が生じている原因には、イノベーション導入時の先行条件とされる4条件((1)個人の習慣、(2)ニーズ、(3)革新性、(4)当該社会の規範)、「知識」段階の3特性((1)社会経済的特性、(2)パーソナリティ変数、(3)コミュニケーション行動)、更に「態度」段階の5特性((1)相対的有利性、(2)両立性、(3)複雑性、(4)試行可能性、(5)観察可能性)の影響が大きいことが分かった。特に導入期においては、普及を促進するキーとなる地域社会内のチェンジ・エージェント(コーディネーター、ガイド等)の人材育成を徹底する必要があると言える。

次に実行I期において、CBTによる開発支援費(利益)が教育施設の改善へ適切に充当され、実際に諸設備の向上が見られたことにより、住民のCBTに対する信頼感が生まれ、CBTを通じた「開発」を契機とする「発展」への期待感が高まっていることが明らかになった。また実行II期における住民の「発展」観についての調査からは、個人レベルの所得の向上、学校にかかる経費の低減など経済的利益もあげられてはいるが、地域全体に役立つ利益の活用を望む声が多く、特に住民が「生活に必要な最低限の設備」つまり、長期的なインセンティブとして機能する地域公共財の確保を重視していることがわかった。

第6章では、主たるアクターとして住民と観光客に着目した。本来の開発の文脈における「住民参加」とは具体的な参加を伴う能動的資源を意味すると考えられるが、観光開発手法としてのCBTの場合、地域社会と住民は見られる対象としての受動的資源であるため、実質的な住民参加とは言いがたい。しかし観光の文脈においては、住民の存在はその土地固有の自然資源とあいまって観光資源として機能する。それにより、地域社会への帰属意識や自律的観光の実施による自立性の向上といった内発的発展に貢献する結果を生み出し、開発の文脈における成果をもたらしている。これは導入期、或いは実行期初頭では形成され難い要素である。以上から、住民はその存在自体がCBTという観光事業に不可欠、かつ大きな役割を担っていると言える。

一方で、観光客については観光開発においての新たな役割が確認された。開発実施者に限らず、観光客が自らのできる範囲で直接的・間接的な支援を行うことにより、住民と観光客との間に新たなソーシャル・キャピタルが生成されている。その点では、CBTは観光客が「開発」行為に近づき、かかわりを持つ契機となっている。CBTの普及展開において内発的発展が重要であることは事実であるが、そのまなざしの内向性は事業の衰退に繋がる恐れがある。したがって、観光開発手法としても観光商品としてもCBTを円滑に実施・展開するためには、内発的発展論のまなざしを補完する意味で、特に橋渡し型ソーシャル・キャピタルの形成が重要であると言える。

終章では、本論文の分析枠組みに基づき、各章での検証内容を総括した。観光・開発・生活のまなざしにより、CBTが地域社会の自立とその後にどう影響するのかを検証し、CBTの有効性について論じた。

CBTというシステムを活用し、今後もその持続可能性を担保するためには、これまであまり注目されず、むしろ欠落していたとも言える観光客と開発支援者の間のまなざしにも着目する必要がある。展開期において衰退に向かう可能性があるという発展モデル上で、分岐点を越えてなお発展的に機能していくためには、更なる改善を加えたイノベーションによる再生事業が必要とされる。その際には、かかわりを持つ者の責任と可能性を最大限に利用しながら、これまでに培った経験、人的資源、ネットワークを生かし住民が自立すること、そしてシナジー構築によるソーシャル・キャピタルを礎に、新たな観光或いは他の産業の可能性を模索し、新たなイノベーションを活用できる社会システムを構築することが肝要であり、CBTはそれを可能にする一つのツールとなりうる。

TZにおけるCBTはその利益が地域社会における地域公共財に資することで住民の望む「発展」の形を具現化でき、その他の支援や発展のエントリー・ポイントとして機能する可能性を持つ。もちろんCBTは短期的に効果が上げられる事業ではなく、住民が成果を実感するには時間がかかる。しかし一斉導入型の援助プロジェクトとは異なり、住民自身が個人のペースで、CBTを自らの生活に取り込み順応することにより、時間的なゆとりを持ちながら無理なく新たなイノベーションに適応していくことができる。この適応過程は決して押し付けられるものではなく、外部手法を内在化しながら自らのペースで自らが進む方向を選択する、新しい「発展」の仕方であるとも言える。

以上のような観点から、CBTは地域開発において有効に機能しうるものであり、そのためには発展段階に応じたアクターの適切な活用と相互のまなざしへの配慮が重要であると結論づけた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、タンザニアのコミュニティ・ツーリズム(CBT)を対象とし、開発・観光・生活の視点からCBTを通じた観光開発の「担い手」のあり方を再検討することを目的としたものである。

序章では、CBTが住民参加を基盤とし、地域の内発的発展を促す独自性をもつ観光形態であり、開発手法として有効と見なされつつも、その社会・文化的影響が懸念されており、実態把握の必要性が今後さらに高まることを指摘し、上述の研究課題と方法を提示した。

第I部は理論編である。まず1章では、観光の歴史や形態を整理し、観光と開発のかかわりを理解したうえで、国際観光におけるCBTが途上国の農山村地域で住民を主体として地域発展を目指す新たな観光形態であることが明らかにされた。2章は本論文の分析枠組みの提示である。従来の観光発展モデルの限界を踏まえ、CBTの発展プロセスを導入期・実行期・展開期に分類した。そして、それぞれの時期の分析視角として異文化普及理論・住民参加型開発論・内発的発展論を援用し、さらに各段階に補完的な役割を担うものとしてソーシャルキャピタル(SC)論を用いるという概念枠組みを提示した。また、観光の担い手の分析には「観光のまなざし」論および「ホスト・ゲスト」論を用いることとした。

第II部は実態編である。3章では、タンザニアのCBTには主に開発支援導入型、独立事業型の2つの事業形態が存在することを指摘したうえで、オランダのNGO支援によるギレシ地区(開発支援導入型)を中心事例とし、補完事例として3事例を取り上げて実態分析を行った。そして、4章ではCBT導入期の住民の意識変化及び実行期の住民の発展観の変化について分析した。導入期においては普及促進の鍵となる地域社会内のチェンジ・エージェントの人材育成を徹底する必要があることが示された。また、実行期においては住民の信頼感の醸成によりCBTを契機とする発展への期待感が向上しており、特に長期的なインセンティブとして機能する地域公共財の確保を重視していることを明らかにした。

第III部は提言編である。5章では、主要アクターである住民と観光客に着目して担い手の再考を試みた。まず、住民は観光資源としても機能することからその存在自体がCBTに不可欠な役割を担っていることを示した。そして、CBTは観光客が開発行為にかかわりを持つ契機となっていることから、CBTを円滑に実施・展開するためには観光客を含んだ形の橋渡し型SCを形成することが重要であることを指摘した。

終章では、観光・開発・生活の視点から、CBTの地域社会の自立への影響を検証し、CBTの有効性について次のように論じた。(1)CBTの持続可能性を担保するためには、従来欠落していた観光客・開発支援者間のまなざしにも着目する必要がある。(2)今後のCBT発展のためには、かかわる者の責任と可能性を利用し、住民が自立し、SCを礎に観光或いは他の産業の可能性を模索し、新たな社会システムを構築することが肝要である。(3)CBTは住民の望む発展を具現化でき、他の支援や発展のエントリー・ポイントとして機能し得る。もちろん、即時効果を有するものではないが、住民自身が外部手法を内在化しながら自らのペースで自らが進む方向を選択することができるという点で、新しい発展の仕方であると言える。(4)したがって、CBTは地域開発において有効に機能しうるものであり、そのためには発展段階に応じたアクターの適切な活用と相互のまなざしへの配慮が重要である。

以上のように、本論文は開発支援者・観光客・地域住民という異なるアクターに着目したという方法論上の独創性を有するともに、CBT普及展開モデルの提示により持続可能な観光開発へ向けて提言を行っている点で、学術上および政策上の貢献が大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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