学位論文要旨



No 123151
著者(漢字) 魚,鎮宇
著者(英字)
著者(カナ) オ,ジンウ
標題(和) 低投入農法における耕起と施肥に対する土壌生物の反応
標題(洋) Responses of soil organisms to tillage and fertilization in the low input systems
報告番号 123151
報告番号 甲23151
学位授与日 2008.02.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3235号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 中元,朋実
 東京大学 教授 森田,茂紀
 東京大学 准教授 久保田,耕平
 東京大学 准教授 山川,隆
 東京大学 准教授 山岸,順子
内容要旨 要旨を表示する

人口増加に伴う食糧増産の必要から、現代の慣行農法はエネルギーの高投入に依存してきた。慣行農法による作物生産では、他の生態系との均衡よりも増産が優先された。頻繁な耕起は、耕地の有機物の消耗を加速し、土壌生物の生息環境を破壊した。化成肥料の乱用は農業用水の汚染をもたらした。除草剤や殺虫剤の使用は農業生態系の撹乱を招いた。

これらの問題を引き起こした慣行農法の代替法として、近年、低投入農法が導入されている。低投入農法とは、作物生産のための管理を最適化し、外部からの投入(化成肥料、耕起等)を最少にし、環境汚染を防ぐ農法である。土壌には様々な生物が存在し、有機物分解や養分供給に非常に重要な役割を果たしている。このように本来自然に備わる作用を有効に利用するのが、外部からの投入エネルギーを減らす一つの重要な方法と考えられる。低投入農法はまだ開発途上にあり、その目的の一つである農業生態系の保全についての情報は不十分である。低投入農法を定着させるには、その生態系で有用な役割を果たす土壌生物への影響を理解することが重要である。

本論文では、低投入農法の重要な要素である施肥、耕起、病虫害防除について総合的に評価することを目的に試験を行った。これらのそれぞれが土壌生物に与える影響を調べるため、微生物の呼吸速度および線虫、小型節足動物の個体数密度を調査した。施肥については、化成肥料に依存した慣行法、化成肥料の施用量を半分に減らした減化成肥料法、および有機物施用法による土壌生物の反応を比較した。耕起については、慣行耕起と土壌の表層だけを耕起する減耕起による土壌生物の反応を比較した。これらの施肥と耕起の効果は作物の根との関連が深いため、畝と畝間の土壌生物を比較することによって根の影響を調査した。また、低投入農法における病虫害防除に関連して、土壌線虫の移動に関する研究をおこなった。

第1章

施肥管理が土壌生物に与える影響を評価するために、2004年と2005年の4月から6月の間にコムギの栽培圃場において、微生物、線虫、小型節足動物を調査した。化成肥料の使用は全ての土壌生物に正の効果があった。硝酸アンモニウムの使用によって微生物SIR(基質誘導呼吸速度)と細菌食線虫の個体数密度は両年とも上昇したが、小型節足動物の個体数密度は2005年にのみ上昇した。根重が同程度である堆肥施肥区と化成肥料施肥区の比較では、堆肥施肥区で線虫と小型節足動物の個体数密度が低かった。土壌生物が根から受ける影響の程度を示す指標として、R/I値(畝間の生物量に対する根圏の生物量の比)を用いたが、根圏と畝間の土壌生物は異なる肥料の処理に同じく反応し、R/I値には処理間差が得られなかった。根重は微生物SIRと高い正の相関関係にあったが、線虫の個体数密度との間には相関は見られなかった。根は微生物と小型節足動物に影響を及ぼしたが、線虫への影響は不明と結論づけられた。

第2章

2種の耕起法(減耕起と慣行耕起)が土壌生物に与える影響について調査を行った。土壌生物の垂直分布は0-10cmおよび10-20cmの深さの土壌の間で比較し、水平分布は畝と畝間から採取した土壌の間で比較した。耕起法は有機物の垂直分布に影響を与え、減耕起区では表層の0-10cmで多く、慣行耕起区では深さによる差は見られなかった。減耕起区での有機物分布は土壌生物の分布と類似していたが、慣行耕起区では土壌生物の種類によって異なる結果が得られた。根は畝と畝間で量が異なり、土壌生物の水平分布に影響を与えた。微生物SIRは慣行耕起区の畝間に比べて畝で高く、線虫の個体数密度には減耕起、慣行耕起両区で季節変動が見られた。小型節足動物の個体数密度は、両区ともに0-10cmの深さでは畝間に比べて畝で高かった。これらの結果から、微生物は耕起法に関わらず根と土壌有機物の双方から影響を受け、線虫は減耕起区のみで有機物に影響を受けたと言える。小型節足動物の畝と畝間の個体数密度の差は根の影響によると推測される。根の影響は減耕起区の0-10cmの深さで明らかではなかったが、それは豊富な有機物により根の効果が薄れたためと考えられる。以上より、根の効果は減耕起より慣行耕起で大きくなると結論づけられる。

第3章

トウモロコシとコムギの連作圃場で、3種の施肥区(慣行区、減施肥区、有機肥料区)を設け,施肥の継続と中止による土壌生物と雑草相の変化を観察した。トウモロコシ圃場では施肥の継続によりアオゲイトウが繁茂したが、施肥の中止によりメヒシバが優占種となり雑草相の遷移が観察された。コムギ圃場では施肥の中止により殆どの種類の雑草が減少したにもかかわらず、カラスノエンドウは急速に増加した。微生物は施肥の中止により全ての施肥区で減少し、小型節足動物も一部の処理区で減少した。線虫は化成肥料の慣行区では施肥の中止により減少したが、有機肥料区では個体数密度の変化が見られなかった。これは各施肥区の外部投入への依存度を表し、有機肥料区では土壌生物の持続可能性を示唆している。

第4章

サツマイモネコブ線虫の第二期幼虫の移動を、慣行耕起と不耕起の圃場から採取した土壌のカラムを用いて調査した。接種7日後に計測した移動個体の数密度は、不耕起土壌に比べて慣行耕起土壌で高かった。コラムを6段階の乾燥密度(0.60-0.85g/cm3)の土壌で充填し幼虫の移動に与える影響を調べたところ、乾燥密度の増加とともに30μm 以上の孔隙は減少したが、これに伴い線虫の移動速度も減少した。さらに、線虫の移動と行動を40-100μmおよび60-160μmの孔隙を持つ二つの微細加工基盤で観察した。孔隙サイズが40μmから160μmに大きくなるにつれ、線虫の移動速度は減少した。微細加工基盤では、線虫は直線距離として6.7-24.1cm/日の速度で移動できると判断される。異なるサイズの孔隙で構成された通路では線虫の移動速度は一定ではなく、大きい空間では線虫の探索行動によりその移動が遅くなった。微細加工基盤では、土壌と水分条件、そして孔隙の形態の差異が線虫の移動に影響を与えたと推測される。実際の圃場では、土壌コラムを用いた実験結果のように、30μm以上の孔隙ではそのサイズに関わらず、孔隙量が増加すれば線虫の移動も容易になる可能性がある。この結果は、耕起によりサツマイモネコブ線虫の移動が容易になり感染の危険が増す可能性を示唆している。

実験を行った圃場では、施肥と耕起管理はそれぞれ13年間および6年間同じ農法で継続されてきたため、本論文の結果は長期的な管理による影響を表していると判断される。慣行農法から低投入農法への転換過程においては、土壌生物が減少しないことが望ましい。本論文では、有機物施用により高い微生物活性が観察されたが、線虫の個体数密度は低下した。ただ、植物食性線虫の個体数密度も低下したことを考慮すると望ましい結果と考えられる。慣行農法の外部投入を削減または中止するだけでは土壌生物を十分に維持することはできないと考えられる。投入なしでは生産もないとの法則は、農業生態系における土壌生物の維持についても通用する。

本研究では土壌生物に着目することで低投入農法の研究と応用に新しい展望を提示することができた。第一に、有機肥料は土壌生物の活性を維持し、化成肥料を代替することができる。本研究では、堆肥の使用により微生物の活性を高く維持することができた。第二に、土壌生物の個体数密度および活性は根圏と畝間で異なり、根と密接な関係がある。このため、根圏の土壌生物を対象とする実用的な管理技術が必要とされる。第三に、低投入農法の管理下では、土壌条件の改善など有利な面が多い。減耕起下の高い乾燥密度が植物食性線虫の移動ひいては感染を減らす可能性が示唆された。また、減耕起土壌の上層に蓄積する作物残渣は、有機物の供給源として重要である。第四に、施肥の中止により特定の雑草が繁茂する可能性があるが,雑草は土壌生物に影響を与えるためその適切な管理が重要である。さらに、施肥の中止により根粒菌と共生関係を持つマメ科雑草が増え、それに伴って微生物活性も増加する連鎖反応は、雑草を媒介とした土壌生物間の間接的なフィードバックの存在を示唆する。最後に、有機肥料は化成肥料よりも土壌生物の維持に安定性や持続性を持つ可能性が部分的に確認された。これは、この農法が長期的効果を有する可能性を示唆している。以上のように、低投入農法下の農業生態系において土壌生物は施肥や耕起による生物的構成要素および非生物的構成要素の変化に大きく影響される。

審査要旨 要旨を表示する

慣行農法の代替法として低投入農法が着目されている。低投入農法とは、作物生産のための管理を最適化し、外部からの投入(化成肥料、耕起等)を最少にし、環境汚染を防ぐ農法である。土壌生物は有機物分解や養分供給に非常に重要な役割を果たしているが,その機能を有効に利用するのが、外部からの投入エネルギーを減らす一つの重要な方法と考えられる。低投入農法はまだ開発途上にあり、その目的の一つである農業生態系の保全についての情報は不十分である。低投入農法を定着させるには、その生態系で有用な役割を果たす土壌生物への影響を理解することが重要である。本論文では、低投入農法の重要な要素である施肥、耕起、病虫害防除について総合的に評価することを目的に試験を行った。

第1章では,施肥管理が土壌生物に与える影響を評価するために、コムギの栽培圃場において微生物、線虫、小型節足動物を調査した。化成肥料の使用は全ての土壌生物に正の効果があった。硝酸アンモニウムの使用によって微生物SIR(基質誘導呼吸速度)と細菌食線虫や小型節足動物の個体数密度の上昇がみられた。土壌生物が根から受ける影響の程度を示す指標として、畝間の生物量に対する根圏の生物量の比を用いたが、根圏と畝間の土壌生物は異なる肥料の処理に同じく反応し、この比には処理間差が得られなかった。根は微生物と小型節足動物に影響を及ぼしたが、線虫への影響は不明であった。

第2章では,2種の耕起法(減耕起と慣行耕起)が土壌生物に与える影響について調査を行った。土壌生物の垂直分布は0-10cmおよび10-20cmの深さの土壌の間で比較し、水平分布は畝と畝間から採取した土壌の間で比較した。耕起法は有機物の垂直分布に影響を与え、減耕起区では表層の0-10cmで多く、慣行耕起区では深さによる差は見られなかった。減耕起区での有機物分布は土壌生物の分布と類似していたが、慣行耕起区では土壌生物の種類によって異なる結果が得られた。根は畝と畝間で量が異なり土壌生物の水平分布に影響を与えた。微生物は耕起法に関わらず根と土壌有機物の双方から影響を受け、線虫は減耕起区のみで有機物に影響を受けることが明らかになった.また,根の効果は減耕起より慣行耕起で大きくなると結論づけられた。

第3章では,トウモロコシとコムギの連作圃場で、3種の施肥区(慣行区、減施肥区、有機肥料区)を設け,施肥の継続と中止による土壌生物と雑草相の変化を観察した。トウモロコシ圃場では施肥の継続によりアオゲイトウが繁茂したが、施肥の中止によりメヒシバが優占種となり雑草相の遷移が観察された。コムギ圃場では施肥の中止により殆どの種類の雑草が減少したにもかかわらず、カラスノエンドウは増加した。微生物は施肥の中止により全ての施肥区で減少し、小型節足動物も一部の処理区で減少した。線虫は化成肥料の慣行区では施肥の中止により減少したが、有機肥料区では個体数密度の変化が見られなかった。

第4章では,サツマイモネコブ線虫の第二期幼虫の移動を調査した。土壌カラム中の移動は不耕起土壌に比べて慣行耕起土壌で速かった。乾燥密度が0.60-0.85g/cm3の範囲では,乾燥密度の増加とともに30μm 以上の孔隙は減少したが、これに伴い線虫の移動速度も減少した。微細加工基盤での観察では,孔隙サイズが40μmから160μmに大きくなるにつれ、線虫の移動速度は減少した。実際の圃場では、土壌コラムを用いた実験結果のように、孔隙量が増加すれば線虫の移動も容易になる可能性がある。耕起によりサツマイモネコブ線虫の移動が容易になり感染の危険が増す可能性が示唆された。

本実験は,施肥と耕起管理をそれぞれ13年間および6年間継続した圃場で行ったものであり,結果は長期的な管理による影響を示していると判断される。慣行農法から低投入農法への転換過程においては、土壌生物が減少しないことが望ましいが,慣行農法の外部投入を削減または中止するだけでは土壌生物を十分に維持することはできないと考えられた。また,有機肥料は土壌生物の活性を維持し化成肥料を代替すること、低投入農法には土壌条件の改善など有利な面が多いこと,減耕起下の高い乾燥密度が植物食性線虫の移動ひいては感染を減らす可能性のあること,施肥の中止に際しては雑草の適切な管理が重要であること等も示された.

本論文は,持続的な作物栽培システムの構築が急務とされる中で,圃場試験を実施し,科学的な視点から代表的な環境保全型の技術の土壌生態系に与える影響を解明するとともに,作物生産の現場での実践の方向を提示したもので,学術上ならびに応用上に貢献するところが少なくない.審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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