学位論文要旨



No 123162
著者(漢字) 北島,周作
著者(英字)
著者(カナ) キタジマ,シュウサク
標題(和) 行政法における主体・活動・規範
標題(洋)
報告番号 123162
報告番号 甲23162
学位授与日 2008.03.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第214号
研究科 法学政治学研究科
専攻 公法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷部,恭男
 東京大学 教授 小早川,光郎
 東京大学 教授 山本,隆司
 東京大学 教授 荒木,尚志
 東京大学 教授 川出,良枝
内容要旨 要旨を表示する

近年の制度改革により、独立行政法人制度、PFIなど、国・地方公共団体以外の法人・個人が行政活動を行う制度が急増している。本稿の目的は、そのような国・地方公共団体以外の法人・個人による行政活動の統制について、行政法理論が現在どのような理論を持っており、また今後どのように対応していくべきかを明らかにすることである。国・地方公共団体以外の法人・個人の行政活動の研究としては、従来より、いわゆる公私協働論・民営化論といった議論が行われてきた。しかし、これらの議論が主として制度設計に主眼を置いたものであったのに対して、本稿の議論は、制度の存在を前提に、法人・個人の活動の規律方法・内容を考えるものであるという点で異なる。

第一章

日本の行政法学の行政作用法の領域においては、「何をするのか」という作用の内容及び救済法における処遇に焦点が当てられてきたのであり、「誰が行うのか」という主体の要素には余り関心が払われてこなかった。これは主体の要素が無意味であるというのではなく、主体は、文法における「形式主語」のような存在であったといえる。つまり、行政法理論においては、国・地方公共団体という典型的な行政主体を念頭に置いた上で、その活動内容の統制を考えるという形がとられてきたため、主体は存在はすれども理論的に積極的な意義を持つものではなかった。この形式主語性は、活動行為者が国・地方公共団体それ自体ではない場合にはうまく機能せず、問題が発生することになるが、その問題に対応するための理論として、委任行政の理論と行政主体論が存在した。委任行政の理論は主体・権限・事務帰属の関係を判別することで、行政主体論は、国・地方公共団体と同等の処遇を受ける者を判別することで、国・地方公共団体以外の法人・個人とその活動と、典型的行政主体である国・地方公共団体との関係を明らかにし、行政法秩序の中に組み入れる役割を果たしてきたのである。しかし、委任行政の理論と行政主体論は、その内容あるいは一般性の面で問題があった。

委任行政の理論は、行政活動を行ってる法人・個人が、事務の委任を受けて自らの事務として権限を行使していると位置づける理論である。この理論は、美濃部達吉の学説に由来する理論であるが、美濃部の理論における委任行政は、かつての地方団体の事務区分理論において自治事務と区別されるところの委任事務に相当するものであって、この理論によって、事務と権限が、国・地方公共団体から当該法人や個人に移動していると説明することはできない。

行政主体論は、ある法人が国・地方公共団体と同等の処遇を受ける者であるかを判別するための理論である。この理論は、戦後登場した「国と法人格を異にするから、形式上は国の行政組織の一部ではないが、その設立の手続およびその業務の性質から見て、実質上その一部をなす」という性格を持つ政府関係法人という法人群を、公法人論を発展させることで法理論的に定義し、かつ行政主体性の判別基準を提供するものであった。この行政主体論は、その射程が政府関係法人に限定されることになり、理論の一般性という点で問題があった。一方、現在、行政主体論に対して、ガバナンス・アカウンタビリティの次元から検討するべきであるという見解が出されている。この見解は、規範を中心としてその適用条件を検討するという点で、次章で扱うイギリス学説の"functional"アプローチと類似した性格を持つものとして評価できる。

第二章

イギリスにおいては、1986年に出された画期的なデータフィン判決を契機として、いかなる団体の活動が司法審査の対象とされるのかという議論が活発化した。すなわち、ウルトラヴァイレス理論に基づく伝統的司法審査理論によれば、司法審査は議会の意思の実現であるとされていたため、議会の意思の表明である制定法の根拠があることは、司法審査対象性の必要条件であった。にもかかわらず、データフィン判決では、公的要素・権力の性質という基準により、制定法の根拠を持たない金融市場の自主規制機関を司法審査の対象であるとしたため、その後の判例学説では、データフィン判決で示された司法審査の対象範囲について様々な議論が展開されることになった。

その後数年の間に、広告基準会、競馬会、宗教団体の長、サッカー協会の活動の司法審査対象性に関する諸判決が出され、そこで様々な議論が展開されたが、それら諸判決におけるデータフィン判決の公的要素・権力の性質の基準に関する解釈は大きく二つに分けることができた。すなわち、明示の制定法の根拠は要求しないが、なんらかの形で議会の意思との関連づけを要求するものと、司法審査の対象となる帰結として適用されることになる、公法原則が適用されるべきか、司法審査手続が用いられるべきかという見地から判断するものの二つである。前者は、従来の制定法の根拠の基準の延長線上に位置するものであるが、後者は新しい流れといえた。前者の制定法の根拠の基準を出発点とするアプローチはinstitutionalアプローチ、後者の公法原則・手続等の適用の見地から対象性を考えるアプローチはfunctionalアプローチとして学説によって整理されるものである。

学説においては、判例におけるこの新しい流れを積極的に受容し、正当化する動きが見られた。この正当化の動きは、司法審査の理論的正当化の次元と内容的次元とに分けることができる。前者は、制定法の根拠の基準の基礎をなす伝統的な司法審査理論を再検討するものであるが、検討の結果、学説では、伝統的な司法審査理論は否定され、司法審査とその内容は裁判所の創造物であるという実態が理論的にも正面から受け入れられることになった。その結果、制定法の根拠は司法審査対象性の必要条件ではないとされた。後者は、従来、形式上、議会の黙示の意思として説明されてきた公法原則の内容を検討するものである。この点、コモンロー上の私法の法原則の内容及びその発展を検討した上で、裁判所の創造物としての公法原則と私法原則の内容的共通性を主張する学説、システム論の見地から、団体の活動に適用される公法原則を自省法として捉える学説が見られた。

第三章

第二章で見られたイギリスにおけるfunctionalアプローチが日本において有効であるかを考える上で、日本におけるinstitutionalアプローチにあたる国家概念を出発点とするアプローチと、functionalアプローチとの関係が検討されなくてはならない。なぜなら日本における国家概念はイギリスにおける制定法の根拠基準と異なり、理論・実定法の両面で強固に根付いているものだからである。

この点について、やはりイギリスにおける1998年人権法の議論が参考になる。1998年人権法では、人権規定に拘束される"public authority"という概念の内容について、大陸法での国家機関にあたるinstitutionalな概念である「コア"public authority"」と、人権規定が適用される性質を持った活動である"a function of public nature"を行うものという、functionalアプローチによるべき概念である「ハイブリッド"public authority"」の両方が採用されており、両者は併存しているが、政府機関による民間委託の場合のように、コア"public authority"の拡大を考える際には、人権規定に拘束されるべきかどうかというfunctionalアプローチを組み合わせたアプローチがなされている(contextualアプローチと呼ばれる)。

以上からすれば、日本において、国・地方公共団体以外の法人・個人による行政活動の統制を考える際に、いたずらに国・地方公共団体を出発点としてそれとの関連づけを考えようとすることは適切ではない。問題なのは、いかなる内容の統制がなされるかであり、その統制の内容に対して国家等の主体の属性がいかなる意味を持つかである。そして主体の属性が統制の内容に関係しない場合には関連づけを行う必要はないし、人権規定拘束性のように関係する場合にもfunctionalアプローチにより関連づけが考えられるべきである(イギリスにおけるcontextualアプローチ)。それらを見極めるためには、今後、日本の公法上の法理と私法上の法理を比較することで、公法上の法理がその内容・要件において独自性を持ったものであるのかを検討していく必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、国・地方公共団体以外の主体による行政活動をどのように法的に規律すべきかをテーマとする。これは、独立行政法人制度などに見られる行政組織の法人化、民営化、あるいは行政組織と民間の主体との協働が進む現在、学説においても実務においても広く関心を引いている問題である。本論文はこの問題に対して、従来の日本の行政法理論を根本から見直した上で、イングランドにおける近時の判例・学説を参照し、本論文にいうfunctionalアプローチを、解答の道筋として提唱するものである。

以下、本論文の優れている点を述べる。

第1に、戦前の行政法学の基礎をなしていた公法私法二元論は、主体を公法人と私人とに区別し、それぞれの主体に適用される法規範を公法・私法として区別する思考をとっていた。それに対して本論文は、個々の法規範から出発し、法規範を適用される主体の属性がどの程度の意味を持つかを個々の法規範ごとに分析・解釈する、いわば逆方向の思考としてfunctionalアプローチを打ち出している。確かに、戦前の公法私法二元論は、1950年代から批判され、既に克服されたと見られている。しかし、批判をする側の議論においては、主体の分析および位置づけが必ずしもはっきりしていなかった。この点で、主体の属性と法規範との関係を明晰に示す本論文は、公法私法二元論に対し、これまでの批判よりも根源的な反省を迫るものといえる。以上のように本論文は、現代的な問題を契機として、行政法の基礎理論の水準を引き上げる本格的な論文として、高く評価できる。

第2に、本論文は、行政主体論、委任行政理論といった、行政法学のいわば所与の前提となっているために分析することが容易でない理論を丁寧に読み解き、理論の意義と射程を厳密に画定した上で、functionalアプローチを提唱している。別の角度から言うと、大陸法の国家・社会の二元論に基づく従来の日本の行政法理論を継承することに意を払いつつ、こうした二元論を基本的にはとらないイングランド法の発想を活用する道を探っている。このように本論文は、学説史を堅実に分析すると同時に、自らの構想を豊かに展開している点で、やはり本格的な方法をとるものと評価できる。

第3に、本論文は、イングランドの司法審査制度を手際よく説明した後、国・地方公共団体以外の主体による行政活動の統制について考える上で興味深い、データフィン判決以後の諸判決、および判決に関する学説を、適切に選び取り、詳細に、しかも整然と分析している。特に、欧州人権条約を国内法化した規範としての性格と、固有国内法の性格とを併せ持つ、1998年人権法に関する判例・学説の分析は、大陸法の考え方とイングランド法の考え方との接続可能性を探る試みとして、注目される。このように本論文は、最新の行政判例の動向を的確に捉える、要を得たイングランド法研究としても、価値が大きい。

もっとも、本論文にも問題点がないではない。

第1に、本論文のいうfunctionalアプローチの意味が、やや分かりにくい。その一因は、functionalアプローチによると、主体の属性のどのような点が、どのような法規範を適用する場合に、どのように考慮されることになるかを、本論文が具体的に示していないことにある。この点については、個々の法規範の解釈・分析を重ねた後で帰納的に考えるしかない、というのがfunctionalアプローチの帰結かもしれない。そうであるとしても、本論文が考え方の方向だけでも示していれば、論旨がさらに明確になったと思われる。

第2に、本論文のテーマは、例えば、人権の私人間効力論、規制概念の変容、さらには、憲法・行政法の「欧州化」の中でイングランド法にも「国家」の概念が現れているのかといった、公法学の根本的な問題群に関わっている。しかし本論文は、そうした問題群に直接的には立ち入っていない。はじめに述べたように、本論文は既に十分根本的な問題に取り組んではいるものの、さらに派生する問題群にも挑戦していれば、論述の厚みがいっそう増したであろう。

第3に、イングランド法の考え方を日本に導入する可能性の論証が、本論文ではいささか不足している。すなわち、イングランドにおける司法審査の根拠はもともと、制定法ないし国会の意思に求められたが、functionalアプローチによる場合、司法審査の根拠は何になるのか、そして、functionalアプローチによる司法審査拡張の根拠が、日本でそのまま妥当するのか、といった問題を、もう少し踏み込んで検討することが望ましかった。

しかし、これらの問題点は、本論文を基礎にして議論が発展していく可能性の大きさを示すものであり、本論文の価値を損なうものではない。以上から、本論文は、その著者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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