学位論文要旨



No 123164
著者(漢字) 塚本,恭章
著者(英字)
著者(カナ) ツカモト,ヤスアキ
標題(和) 社会主義経済計算論争の史的展開 : 競合的学派の諸相
標題(洋)
報告番号 123164
報告番号 甲23164
学位授与日 2008.03.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第230号
研究科 経済学研究科
専攻 経済理論専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小幡,道昭
 東京大学 教授 柴田,徳太郎
 東京大学 教授 丸山,真人
 東京大学 准教授 石原,俊時
 北海道大学 准教授 西部,忠
内容要旨 要旨を表示する

1990年代初頭における、ソ連型集権的計画モデルの破綻とグローバル資本主義経済の到来に象徴される社会経済的諸現象は、両大戦期間に生じた「社会主義経済計算論争」を新たに再燃・推進させる動因であった。本稿は、当該論争をめぐる新古典派、オーストリア学派、マルクス学派ら競合的学派の理論的・思想的洞察の史的展開を明示的に描き出すことを主眼としている。

本稿は全4章より構成されている。

第1章「論争問題の起源と拡充」では、古典的な社会主義経済計算論争における主要な問題群が再構成されている。

オランダの経済学者N・G・ピアソンは、稀少な本源的生産手段の合理的配分とそのための尺度問題を含め、社会主義社会における価値問題の性質と意義を先駆的に定式化していた。ミーゼスは1920年代以降、静学的一般均衡理論の立場から、生産手段が共同所有化された社会主義社会における費用最小化を意味する合理的経済計算の不可能論を詳述した。自由な需給関係を通じて形成される市場価格以外の計算尺度を棄却するミーゼスの議論は、貨幣を廃棄した実物型社会主義の唱道者であったO・ノイラートとともに、労働時間に基づく単純で透明な社会関係を経済計算の基礎であると想定していたマルクスに対する根本的な批判であった。計算尺度の規定問題に加えて、社会主義共同企業においては、自己責任や技術革新に対する誘因が著しく減退するというミーゼスの洞察は、市場機構と社会主義の非両立性を含意する市場社会主義批判へと拡充化された。ハイエクは1935年以降、完全な統計的情報に基づいた多元連立方程式体系の数学的解決による、合理的経済計算の可能論を主張していたH・ディキンソンらに対して、知識問題の観点から反論を行った。それは、膨大な連立方程式体系を構成するために必要な技術的知識は、局部的・分散的そして暗黙的な諸性質を有しており、これらを収集し処理可能であると主張することは、人間知性の構造的限界を看過した設計主義的な思考様式に陥っているという批判であった。

第2章「一般均衡理論とランゲ社会主義」では、オーストリア学派に対するランゲの原理的回答と社会哲学が概観・検討されている。それはまた、第3章のドッブの議論と併せて、社会主義の合理的存立可能論の二類型をなしていた。

ランゲは、労働価値説の棄却と新古典派の一般均衡理論の支持という経済学方法論を堅持していた。そして、社会主義社会における本源的生産手段の合理的配分問題の解決のために提案されたのは、ディキンソンらの数学的解決を理論的に推し進めるべく、中央当局と各企業との間の「擬似的な」価格決定機構を組み込んだ市場社会主義モデルであった。一般均衡理論が描く完全競争モデルとその経済合理性は、社会主義社会においてこそ充足化しうるとするランゲの社会哲学は、近代経済理論の普遍的妥当性を想定し、そうした市場モデルを理念化するものであった。

晩年のランゲは、投入産出分析やサイバネティクス論を援用した、社会主義社会における巨視的で長期的な経済合理性の実現に主眼を置いていた。組織形態も、「積極的な計画化」を軸としたより集権的な社会主義モデルへと変化した。しかしマクロ経済バランスを維持する一般均衡計算価格体系の構築とそれが描く「社会経済的合理性」の貫徹を最重要視していた点で、ランゲの社会哲学は一貫していた。市場像も、静態的で均衡論的な「価格計算機」という意味では変化しておらず、オーストリア学派が提起した誘因・知識問題に対する応答も不十分であった。とはいえ、ソ連型社会主義と独占資本主義とは異なる「民主的社会主義」を志向していたランゲの議論には、依然として現代的意義を有する社会主義像が含まれていた。それらは、集権主義・官僚主義の克服、経済の民主的統制の意義、生産諸手段への有効かつ民主的な参加を通じての労働者の主体性の発揮、社会主義的所有形態や経済モデルの多様性の容認、などであった。

第3章「客観価値理論とドッブ社会主義」では、マルクス経済学の立場に基づいて展開されたドッブの社会主義経済論が概観・検討されている。

ドッブは、オーストリア学派の主観価値理論や一般均衡論学派に批判的に対峙し、古典派からマルクスの労働価値説を擁護する経済学方法論を堅持していた。階級的諸関係を捨象した限界革命以降の近代経済理論は、生産・分配問題に十分な注意を払わず、経済学の問題領域を市場における交換現象と価格問題に矮小化している。プロソビエト主義に立ったドッブの社会主義経済論は、資本主義的生産を基礎付ける階級関係と原子的な意思決定の廃絶をその出発点とし、体制としての資本主義と社会主義における経済法則の質的相違を強調していた。その機能的特質は、ランゲのような競争的市場機構の厳密な模倣とそれが描く経済合理性の実現ではなく、長期の投資・生産計画を集権的かつ戦略的に遂行しうることにあった。労働価値説の意義は、所得範疇としての利潤の源泉と性格を客観的に説明することにあるが、1930年代のドッブは、社会主義社会における価値論の役割を否認していた。ドッブの議論の多くは、スウィージーによっても共有されていた。

1960年代以降のドッブは、客観価値理論を復権したスラッファ理論を高く評価し、それを古典派からマルクスにつらなる学問的系譜の延長線上に明確に位置づけた。所得分配の理論を市場の交換理論に閉じ込めている近代の限界生産力理論に対する批判的論拠は、スラッファの議論によって更に補強された。いわゆる古典的アプローチに基づく「長期投資的合理性」の実現をめぐるドッブの諸議論においては、動態的状況における世代間の所得分配問題の自律的処理、合理的な投資尺度としての労働投入量とそれに依拠した効率的な技術選択、労働生産性の上昇に起因する剰余の増大とその誘因提供機能など、無政府的な市場機構の作用には基本的に依存しない社会主義の長期投資計画のあり方が原理的に探求されていた。そして、新古典派の限界条件ではなく、「生産の構造的諸関係」を分析的視点とするドッブの社会主義経済論は、社会的再生産を基礎付ける投入産出の客観的な技術的依存関係を焦点化したスラッファ体系を援用するものであった。それはまた、当該論争における認識枠組みと社会主義経済モデルの組み立て方それ自体を問い直すべく、客観価値理論の射程を明確に捉えようとする試みの一環をなすものでもあった。

第4章「論争の再燃と社会主義論の深化」では、古典的な社会主義経済計算論争とそれにつらなる現代の市場社会主義論争における諸学派の理論的営為を概観・検討している。

1980年代以降、現代オーストリア学派のD・ラヴォアは、ミーゼスとハイエクの議論を再生させると同時に、ランゲの市場社会主義とそれを基礎付ける静学的一般均衡理論への批判的検討を推し進めていた。新古典派の完全競争モデルが描く「静態的な資源配分・情報伝達の合理性」ではなく、市場における企業家的な対抗的競争(rivalry)過程を通じた「知識の動態的な創造・発見的合理性」を強調したラヴォアの一連の所説は、現代オーストリア学派の経済学方法論に依拠した当該論争の「代替的解釈」を打ち出すことを可能とした。それはまた、ブルスやコルナイといった東欧改革派の見解を大きく是正する触媒効果をも有していた。彼らは、経済改革の実際的帰結とラヴォアの議論を媒介として、経済計算論争の認識それ自体を改めるとともに、市場的調整と公的所有の機能的結合から成り立つ市場社会主義と決別することになった。

ラヴォアの議論は、「転換点」と同時に「分岐点」でもあった。ソ連邦崩壊以降、欧米の分析的マルクス主義者J・ローマー、宇野学派の代表的理論家である伊藤誠らによって、社会主義と市場をめぐる新たな認識営為が展開されている。ローマーは、ランゲの市場社会主義の古典的モデルに内在する理論的不備を克服すべく、「拡張」された新古典派ミクロ理論を積極的に援用したその現代的モデルの再構築に着手している。社会主義的資産市場とメインバンクの機能的結合に基づく市場社会主義モデルは、経済システムにおける革新的競争とそれを喚起するインセンティブ体系の内生的設計を原理的に推し進めるものであった。ローマーの議論は、静学的一般均衡理論に基づく厚生評価である「誘因設計的合理性」を強く支持している点で、現代オーストリア学派が提起していた社会主義批判が再現する可能性を否定しえない。とはいえ、「機会の平等主義」として再定義された社会主義理念を実現すべく、資本主義市場経済の弾力的で合理的な仕組みを社会主義的な制度機構として組み替えるという方法論それ自体は、伊藤によっても共有されている。伊藤は、新古典派とは異なる理論的枠組みであるマルクス価値論やスラッファの客観価値理論の妥当性を模索するとともに、剰余の擬似的な価格・貨幣形態(S利潤・利子、S貨幣など)とその機能的特質の原理的可能性にも論及している。それは、かつて宇野弘蔵と都留重人が明記していた、体制としての社会主義が取り組むべき基本課題に対する一定の原理的回答であり、いわば「経済原則的合理性」の社会主義的維持様式を探求するものであった。

社会主義と市場をめぐる論争問題に関与してきた「競合的学派の諸相」をより明確化すべく、今後は、価値論論争といった「複数の論争」へと射程を拡げることが必要となる。それは、体制としての社会主義を基礎付ける理論的枠組みのあり方、社会主義と市場との理論的関係をより深部から問い直すことにも寄与しうるであろう。古典的な社会主義経済計算論争と現代の市場社会主義論争は密接不可分の関係にあり、それらは依然として「継続した営み」なのである。

審査要旨 要旨を表示する

1 概要

本論文は、社会主義社会の論理的・実際的存立可能性をめぐって、オーストリア学派、一般均衡学派、マルクス学派を巻き込むかたちで展開された「社会主義計算論争」を学説史的に振り返り、ソ連型集権的計画経済の破綻と新自由主義の台頭という資本主義の現実をふまえて、この論争の今日的意義を新たに捉え返すことを主眼としている。全体は目次、本論、参照・引用文献リスト、合計135 頁(1 頁あたり40 × 42 字)からなり、本論は序および4つの章で構成されている。その概要は以下のとおりである。

「序 社会主義と市場をめぐる問題状況」では「社会主義計算論争」の来歴が概説され、ソ連崩壊以降の今日的な観点から社会主義と市場の関係を、あらためて理論的に問いなおす必要性が指摘される。本論文の中心課題は、あくまでも社会主義にとって市場となにか、社会主義は一つの経済体制として存立可能か、という点にあり、その点で狭義の「経済計算問題」だけではなく、むしろ、より一般的な「社会主義と市場をめぐる問題状況」に考察対象を広げ、諸理論・諸学派の論争史に焦点をあてるものである点に注意を促している。

第1 章「論争問題の起源と拡充」では、マルクスの将来社会像を『資本論』第1巻第1章第4節の「商品の物神的性格とその秘密」におけるアソシエーション論、『ゴータ綱領批判』における「労働証書」論などを通じて概観した後、これに対して実物単位による計算も、労働時間による計算も、いずれも必要部分と余剰部分との社会的な区別を困難にし、合理的経済計算を不可能にすると批判したピアソンの議論が、ミーゼスによる社会主義批判に大きな影響を及ぼした先駆的な議論として紹介される。次いでミーゼス自身の主張が分析整理され、「比較可能性」「相互代替性」「責任両立性」を問題視したミーゼスの社会主義批判は、「経済尺度の規定問題」と「分権化問題」を骨子とするものである点が明らかにされる。前者は静学的一般均衡理論に基づく合理的な資源配分の可否の問題であるのに対して、後者は時間の流れのなかで進む動態的な生産編成・消費決定の可否の問題である。後者は前者の陰に隠れていたが、後の論争のなかで、次第に、より重要な意味をもつものとして浮かびあがってきた。そして、この後者の問題がハイエクにより明確に意識され、情報や知識を市場抜きに中央集権的に処理することは無理があるという主張に発展していったというのである。この発展は、ランゲらとの論争を通じて、オーストリア学派が自己認識を深めた過程であり、このような学説の「史的展開」を捉えることの重要性が強調されている。このような展開は、結果からみるとはじめから、要素としてすべて揃っていたかに見えるが、論争を通じてはじめて自覚された内容であり、それ抜きには現前せぬ存在だというのである。

第2 章「一般均衡論とランゲ社会主義」では、オーストリア学派のミーゼスやハイエクによる社会主義の合理的存立不可能性論に対して、反対の立場を唱えたランゲやディキンソンの議論が検討される。ランゲはマルクスの価値論を「不完全な均衡理論」に過ぎないと見なし、ワルラスの静態的一般均衡理論を基礎に、社会主義体制の存立可能性を追求した。ランゲは「経済尺度の規定問題」に関しては、選好と代替関係の情報が与えられていれば、連立方程式を解くかたちで、「計算価格」は均衡解として求めうると反論した。このランゲの解答が、ハイエクに「分権化問題」こそ問題の核心だと自覚させ、ハイエクは批判の重心を、社会主義の「実際的不可能論」に移すことになる。これに対して、ランゲはさらにF.テーラーによる「試行錯誤」の手続きによる計算価格決定のプロセス論で応じた。これはワルラスの模索過程を中央計画当局が代行しうるという主張である。これは静態的一般均衡論による市場像の一般的実在性を強調する結果となり、ここに市場像をめぐるオーストリア学派との差違が鮮明になったという。このようなランゲ的立場の特徴を補足するため、サイバネティックスやコンピュータによる計画化の可能性を追求した後年のランゲの市場観と社会哲学にも検討が及ぼされている。ランゲは、市場を排したソ連型社会主義とも、また20世紀の独占資本主義とも訣別して、「民主主義的社会主義」を理念とし、それを市場社会主義のかたちで具体化しようと努めたというのである。このような理念は評価できるが、その市場の理解はこれに応えるには狭く一面的であったと論定されている。

第3 章「客観価値説とドッブ社会主義」では、マルクス主義の立場から社会主義計算論争の展開に関与したドッブの経済理論が検討の対象とされる。ドッブは理論的基盤を「客観価値説」としてのマルクス労働価値説におき、『資本論』第1巻の中心問題である「剰余問題」が経済理論の根本問題であるという基本的立場を貫いた点がまず確認される。この立場から、消費者選好の神聖不可侵性を原則とした固有の意味での「社会主義計算論争」は、オーストリア学派と事実上ローザンヌ学派の間の偏狭な問題設定に、社会主義と市場の問題を限定するものだと捉えていた。オーストリア学派は、市場なしで効率的な資源配分が成し遂げられるかという問題を提起するが、資本主義は周期的な恐慌による生産停止や慢性的な不況下の不完全操業のかたちで膨大な資源を浪費しており、この巨視的な動態過程が、社会主義と市場を考えるポイントだとドッブは主張する。しかし、このドッブの姿勢も、論争の過程で次のような「史的展開」をみるようになるという。ドッブは当初、(1)社会主義は整合的・戦略的な投資計画を通じて長期的投資の合理性を実現しうる点に資本主義をこえた優位性を発揮するのであり、(2)市場は計画に置き換えられるのであり、資本主義と同じ経済法則が社会主義を支配するのではない、というスタンスをとっていた。「経済尺度の規定問題」に対しては、それは中間財・資本財に関する費用の「技術計算」の問題に過ぎないと捉え、1930 年代のドッブは、資本主義の経済法則とは異なる、物質の行動様式に関する技術的な諸関係に主に焦点を当てた社会主義分析を進めていた。価値論と社会主義経済計算との、いわば<理論的切断説>でランゲの市場社会主義的な<理論的摸倣(純化)説>を批判したわけである。しかし、1950-60 年代におけるソビエト型社会主義の限界の露呈と東欧諸国の改革に触発され、(2)に関してドッブの立場は大きく転換する。ドッブはスラッファの理論を高く評価するようになり、資本主義の基礎理論としての客観価値説を社会主義経済モデルに援用する試みを探求するようになった。長期投資の計画性が、事実上官僚的な恣意に左右される経緯に反省を加え、投資の効率を比較する基準として、スラッファの「還元方程式」による価格導出方法が長期投資計画との関係で支持されるようになる。このようなかたちで、社会主義と市場をめぐるドッブの経済理論にも、社会主義経済論争は「史的展開」をもたらしたというのである。

第4 章「論争の再燃から社会主義論の深化へ」では、1980 年代以降の新自由主義の台頭とこれに続くソ連型社会主義の崩壊を契機とする「社会主義計算論争」の再燃をめぐる諸学派の理論展開が検討される。すなわち、現代オーストリア学派のラヴォア、分析的マルクス主義のローマー、そして現代マルクス派の伊藤誠に焦点が当てられることになる。

ラヴォアはミーゼスに端を発する「社会主義計算論争」に関して、新古典派による「標準的解釈」にかえて、独自の「代替的解釈」を対置した。そのポイントは、この論争を通じてオーストリア学派が人間知性の構造的限界を明確に意識するようになったという点にある。その結果、この限界を克服するものとして、情報や知識の観点から市場の意義を評価するとともに、新古典派の静態的な均衡理論を批判し「対抗的」競争過程としての動態論を確立したというのである。本論文筆者は、ラヴォアの「代替的解釈」が、貨幣の存在を重視したマルクスの市場観を同時に発掘する意味をもつものであること、しかしその動態性はミクロ的な「資源配分・情報伝達の合理性」に局限化されていることを指摘する。そのうえで、現代オーストリア学派の知見が、その意図をこえて、コルナイに私的所有制の拡大ぬきの市場社会主義の限界を自覚させ、またブルスに企業家ぬきの分権化モデルの棄却を促すといったかたちで、東欧改革派の「史的展開」を呼び起こしていった経緯に論及している。

こうした東欧改革派の撤退に対して、ローマーは、ソ連型集権的計画経済の失敗をふまえて、新たな社会主義経済モデルを構築する作業を独自に進めた。効率性という市場システムの長所と、平等という社会主義の長所を兼ねそなえた最適な経済システムがデザインでき、市場社会主義の青写真を描くことも可能であるというのである。しかしその内実は、インセンティブや情報問題を理論的に精緻化した「拡張」された新古典派ミクロ理論をベースに、新古典派経済学と市場社会主義論の共進化を想定するものであり、ランゲ以上に対抗や貨幣の特性を無視した理論に傾いていると本論文では論評されている。分析的マルクス主義を名のりながら、少なくとも市場認識においては現代オーストリア学派以上にマルクス離れをしているというのである。

これに対して、現代マルクス派からは社会主義と市場に関する独自の理論的認識が提示されているとして、伊藤誠の議論が紹介される。それは宇野弘蔵における(1)市場の外面性と、(2)経済原則と経済法則の峻別、さらにドッブの長期投資の計画性に関して都留重人が戦前に示した(3)剰余がもたらす計画的な伸縮性などを、理論的基盤とするものである。伊藤は(1)から、ソ連型集権的計画経済のみが唯一の社会主義の型ではなく、社会主義経済モデルは中期的・段階論的次元では多様性をもちうると主張する。また(2)から、社会主義では価格体系も法則からある程度離れて弾力的に「操作可能」となり、労働者が自ら賃金を決定するという宇野が労働力商品の止揚と考えた自己決定原理の余地が理論的にひきだしうるという。さらに(3)から、社会主義における価格機構の意味を再考し、剰余が生産価格と労働量の間の乖離を生むとすれば、逆に純生産物をすべて賃金に割り振るかたちで自由度を奪えば、社会主義経済における計算価格は労働時間に比例することになり、この最大賃金から社会的扶養や経済発展のための原資は再度徴収するという方式も可能であるという。このような紹介をふまえて、伊藤の「市場経済と社会主義」論は、(1)新古典派モデルに対してなお両義的であり、また(2)社会主義のmany models 論は社会主義そのもののメルクマールを曖昧にし、さらに(3)剰余を賃金化した公定価格と企業間競争の実現可能性には疑問が残ると論評している。

しかし、このような論争の再燃を振り返ってみると、広義の社会主義計算論争は、20 世紀末の歴史的な資本主義、社会主義の歴史的変容を反映し、社会主義と市場をめぐる新たな問題群に直面し、新たな「史的展開」を遂げていることがわかる。忘れられたかにみえる過去の言説が、ある時代にふたたび新たな輝きと生命力をもって蘇り、それを契機としてさまざまな認識営為が活性化される。社会主義計算論争を振り返ってみると、こうした経済学の発展のダイナミズムが鮮明となり、経済学の学問的特性を究明する学史研究の意義もあると締めくくられている。

2 評価

以上のような内容を有する本論文の積極的意義を述べれば、つぎのようになる。

第1 に、古典的な「社会主義計算論争」の背景を拡充して掘りさげることで、ソ連邦崩壊以降、中央集権的な計画経済論に代わって再び台頭してきた「市場社会主義論」の論争史として再描した点には、一定の独自性を認めることができる。「社会主義計算論争」に関しては、合衆国を中心とした新オーストリア学派の立場から、自らの市場像の彫琢されていった有意義な論争として振り返る研究がすでに進められてきたが、本論文ではこの論争を通じて社会主義的立場にたつ論者が市場に対する認識をいかに深めていったかという問題が独自に掘り下げられている。

第2 に、論争史のスコープを拡大して捉えたことで、「社会主義計算論争」ではこれまで充分検討されてきたとはいえないドッブやスウィージーの社会主義論の「史的展開」が明確にされたことである。ミーゼス・ハイエク対ランゲ・ディキンソンの古典的な論争は、理論上の計算可能性をめぐる静態的なものにせよ、実際的な計算可能性、計算能力、「知識問題」につながる動態的なものにせよ、価格を通じた産業部門編成の調整問題を中心とする論争だった。これに対して、とりわけ大戦間期においては、資本主義の限界が景気循環の激化、持続的不況や深刻な失業問題というかたちで現実化する。こうしたなかで、ケインズの経済学も台頭し、市場による調整作用の限界が産業部門相互の関係においてより、巨視的な総需要と総供給のバランス、有効需要の不足というかたちで顕現するようになる。このような状況に直面することで、長期の安定的な成長を保証し、全体として完全雇用に近い状態を実現する点に、社会主義計画経済のメリットを見いだす観点が、ドッブやスウィージーの社会主義論の核心となる。これは、狭い意味での計算論争ではないが、社会的生産の編成処理を全面的に市場に委ねることのデメリットを、成長の停滞や失業の発生に捉えることで、オーストリア学派も狭義の一般均衡論的市場社会主義派も、ともに相対化する欧米マルクス学派の両面批判として位置づけた点は、新たな観点を加える試みとして評価できる。

第3 に、古典的な社会主義計算論争に関わるなかで、ドッブたち西欧マルクス派の価値理論にも独自の「史的展開」が観察されることが明確にされている。従来、ランゲやディキンソンの社会主義可能論が、当初の連立方程式を解くかたちから、試行錯誤型の均衡解を模索するかたちに転換し、オーストリア学派の社会主義=不可能論も、計算尺度の規定問題から分権的な市場のメリット評価へと転換していったことは、ラヴォアの研究などを通じて広く知られるようになった。本論文では、論争を通じた基本的スタンスの深化を「史的展開」とよび、このような転換がオーストリア学派と均衡論的市場社会主義派との間でみられるだけではなく、これら微視的静態論として相対化し批判したドッブのうちにも、価値論は社会主義には適用できないという当初の立場から、スラッファ価値論を介して、とくに長期投資の効率性の判定などに関して社会主義にも価値論を拡張して考えてゆくようになるというかたちで、独自の「史的展開」が派生した経緯が詳らかにされている。オーストリア学派と市場社会主義的マルクス派と間における「史的展開」だけではなく、これら両者を相対化した集権的計画経済的マルクス派にもまた、「史的展開」を遂げていたことを強調した点には一定の意義を認めることができる。

第4 に、社会主義計算論争の展開を延長して、そこからソ連邦崩壊以降の市場社会主義に光を当てようとしている点も評価できる。ラヴォアの論争の再解釈、ローマーの市場社会主義などが、ミーゼス・ハイエクおよびランゲの議論をそれぞれ発展的に継承するかたちで、一端は終結したと思われた論争が新たな歴史的文脈のもとで今日再燃しているというのである。そこには、コルナイやブルスなどの東欧改革派が現実の社会主義経済運営の挫折から、分権的計画から市場経済へと、次第に立場を変えていった経緯が絡んでおり、これに価値論の意義をめぐるドッブのスタンスの変更が連動していることが指摘されている。さらに、社会主義と市場の関連を問いなおす試みとして、都留重人、宇野弘蔵などの議論を引き継ぐかたちで、剰余生産物の処分にまつわる自由度と、経済原則の意識的な遂行という点から、社会主義の可能性を探る試みも登場する。ソ連型計画経済の瓦解は、社会主義論の全般的衰退ではなく、逆にあらためて社会主義の多様性を浮き彫りにすることになり、市場経済のメリット・デメリットをめぐる広範な論争を呼び覚ます結果となったという。過去の論争史から今日の学問状況を展望しようというこのような指向性には一定の評価を与えることができる。

しかし、本論文には、疑問とすべき論点、さらに研究すべき未解決の問題も残されている。

をもつが、その内容に関する検討には充分とは言い難いところが残る。ドッブの価値論が(A)客観価値説であること、そしてそれが(B)社会的剰余の認識をもたらしたこと、さらに(C) この剰余部分の処理が経済原則によって制約されない自由度の存在を示唆することなど、一連の特徴をもつことと、(D)労働時間が長期投資計画の尺度が与えられること、との関係はかならずしも理論的に整理されているとはいえない。スラッファの「日付のある労働」の理論展開が、いかなる意味において、長期投資計画の効率性の比較測定に役にたつのか、この点に関するドッブ自身の議論には、さらに理論的に立ちいった説明が必要である。

第2に、ラヴォアによるライバル競争的な市場の評価や、ローマーによるインセンティブを重視した市場社会主義などの限界を批判したのち、積極的に今日の社会主義の可能性を説く現代マルクス学派の意義を評価しているが、その場合、「可能性の束」が示されたというだけで、その内容が未整理であり、焦点がはっきりしない。市場社会主義を積極的に支持するのか、それとも市場は必要悪であり、できれば除去し計画経済に復するべきなのか、すべて「可能性の束」をなすというのではすまない。都留重人、宇野弘蔵、伊藤誠などの諸説が、固有の社会主義計算論争を相対化する試みとして紹介されているが、市場社会主義に対して批判的な諸論者を、ただ社会主義の多様性のうちに概括されているに止まる。本論文の中心的論点であるだけに、さらに立ちいった検討が必要であろう。

第3に、伊藤誠の議論に依拠して、剰余価値を零として価値どおりの価格決定の条件を準備し、社会的再生産を「公定価格体系」で実現できるという可能性が肯定的に紹介されている。本論文は学説史的アプローチをとっていることもあり、理論的考察を自ら積極的に深化させる姿勢は全般に乏しいが、特にこのポイントに関しては、論文筆者自身による論証の解説さえもみられない。生産価格にせよ、その特殊な状況としての等労働量交換にせよ、それは一般に次の命題に帰着する。すなわち、個別資本の間に競争が展開され、利潤率が均等になる(零であるというケースも含めて)ならば、生産価格(スラッファのいる均衡価格でもよいし、特殊な条件をおけば生産価格=価値価格でもよい)による交換が結果的に支配する。しかし、この命題が真であっても、逆に、生産価格による交換が成立すれば、部門間の均衡が実現されるという命題は必ずしも成りたたない。再生産の維持は、費用価格が回収されるような価格でさえあれば、生産価格でなくても可能である。労働者が純生産物をすべて賃金としていったん受け取れば、価値価格による交換が必然的になるという論理と、それによって現実の社会主義における公定価格を基礎づけられるという主張との間に、どのような関連性があるのか、はっきりしない。伊藤誠の議論は、けっきょく、公定価格を理論的に基礎づけることで、市場社会主義に対して、それを脱却し、計画経済に復帰しうる可能性を示唆しようとしたものであろうが、本論文では概して、こうした肝心な理論内容に関して、批判や評価を回避する傾向が目立つ。

第4に、宇野弘蔵の議論に照らしあわせながら、経済原則の意識的遂行が社会主義であるという主張がなされるが、この点も、なぜそういえるのか、論文筆者の独自の考察が欠落している。社会主義においては、利子に相当するものや、特別剰余価値に相当するものを導入することなしに、市場による意図せざる結果という回り道を通さず、直接、意識的に、経済原則を実現する必要がどこにあるのか、明確に説明されているとはいえない。たしかに社会主義は、単に市場でやっていることを別の社会制度で再現することをめざすものではない。しかしそうであればなおさら、なぜ、市場に依拠する途をとらないのか、社会哲学的な基礎が掘りさげられねばならない。この点が明確にされないかぎり、市場によらない「社会主義」的なやり方も可能だ、という消極的な主張に止まる。社会主義計算論争の思想史的な吟味が、本論文の前半では克明にされながら、現代マルクス派による意識的実現論=反「市場社会主義」論の考察では、その成果が充分生かされているとはいえない。

第5に、今日の視点から社会主義と市場の関係を問いなおすという意味では、最終章のスコープは狭い範囲に押さえ込まれている。カール・ポランニー以降、分権的な社会主義を模索する流れが、社会主義計算論争において、重要な役割を占めるようになってきている。こうした観点から、さらに生産力の質を問い、環境との関わりや労働のあり方を再考する立場が、ソ連型計画経済としての社会主義の崩壊以降、さまざまなタイプの社会主義論を生みだしている。こうした動きは、<一般均衡論と社会主義>や<客観価値論(ないし剰余理論)と社会主義>という二つの軸で捉えることはむずかしい。現代の視点から学説史をふり返るという本論文の基本的な立場にたてば、こうした社会主義的諸理論との関連に論及しておく必要がある。

以上のような難点は残されているが、本論文は博士(経済学)の学位を授与するに足る研究成果を含むと審査員会は判断した。

UTokyo Repositoryリンク