学位論文要旨



No 123171
著者(漢字) 仁平,典宏
著者(英字)
著者(カナ) ニヘイ,ノリヒロ
標題(和) 「ボランティア」の意味論の変容過程と機能に関する社会学的研究 : 福祉国家の形成/再編及びネオリベラリズムとの関係に着目して
標題(洋)
報告番号 123171
報告番号 甲23171
学位授与日 2008.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第134号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 苅谷,剛彦
 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学人文社会系研究科 准教授 武川,正吾
 東京大学 客員教授 廣田,照幸
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、参加型市民社会における中心的な活動の一つとされる「ボランティア」が、現在の「ネオリベラリズム」という社会的・政治的再編の方向と、どのような関係にあるのか検討することである。

第I部では「言説」に焦点をあて、ボランティアをめぐる言説が、戦前、戦後とどういう変化をたどって現在へと至り、そこでネオリベラリズム的な言説体系とどういう関係を取り結んでいるのかについて検討した。第II部では量的・質的データから得られた「活動の諸相」を検討対象にし、「ボランティア」の意識・実践などが、ネオリベラリズム的と呼ばれる秩序と共振しているか否かについて考察した。

第I部 「ボランティア」の誕生と終焉――〈贈与のパラドックス〉の知識社会学

第I部では、「ボランティア」及びそれに先行/代替する諸言表がねざす言説/意味論の変容過程について追尾した。その際の分析枠組として、「贈与」がその瞬間「反贈与」的になってしまうという〈贈与のパラドックス〉をどのように解決・回避しているのか、そのプログラム(規準)の変遷に注目し、明治後期から現在までを分析した。

まず、明治後期の言説空間においては、「慈善」の思想財の下で、〈純粋贈与〉への接近が模索されてきた。しかし、大正期の〈社会〉概念の導入によって、〈交換〉の方向で解決する道筋が示される。そこで中心的な思想財となったのが「奉仕」という新規な言表だった。また同時に、社交=ミクロな相互行為の領野において、自分の成長などの効用を得られるという言説も成立してくる。「ボランティア」の最初の言表は、その意味論の中で登場している。しかしそれらは戦時期における、一者的なものへの〈奉公〉の意味論の中へと回収される。

戦後においては、国家と社会との区別を厳格に維持し、国家による社会の領有・介入を認めないこと(民主化要件(1))、生の保障は国家が行い、社会はその肩代わりをしないこと(民主化要件(2))という二つの要件が、戦前と異なる民主的社会の前提とされた。戦後改革期から1950年代にかけては、贈与-交換をめぐっても、二つの民主化要件を充足させることが第一の規準となり、ミクロレベルの〈贈与〉意志や善意など「人間的なるもの」に対しては、それがどのようなマクロ政治的/社会的帰結に繋がっているのかという問いが絶えず憑依していた。

1960年代に、「ボランティア」がまとまりをもった言説/実践の体系として分出していくなかで、〈自発的/強制的〉〈対称的/非対称的〉という二つの区別が、固有のコードとして成立した。またその規準として、民主化要件を参照するマクロ社会的観察と、相互行為レベルを参照するミクロ的観察が存在していた。と同時に、有象無象の贈与-交換の領域を、〈今/昔〉というコードで整序し、肯定すべきものを「今のボランティア」、否定すべきものを「昔の奉仕」と区別する慣行が生まれた。

1970年代は一つの転機となる。社会保障費の増大とボランティア政策の展開の中で、民主化要件(1)(2)が偶有化されていく。それとともに、主要な社会問題として疎外・人間性喪失という問題が首肯性をもっていく。ここにおいてボランティアが、担い手にとっての「人間性回復」「自己実現」に繋がるという、自己効用論的転回を迎えることになる。これ以降、ボランティア言説と自己準拠化した〈教育〉言説が同期化していく。この意味論の中では、〈贈与のパラドックス〉は、行為論・相互行為的なミクロの位相で解決することが、一般的になっていく。

1980年代は、その中で、「ボランティア」が〈交換〉という意味論のなかに包摂されていく。と同時に、その一方で〈政治〉の意味論が後景化していく。自己効用論的ボランティア論からは、〈疎外〉というテーマが剥落し、その代わりに、衒いなき「〈楽しさ〉のためのボランティア」論へと置換されていく。同時に、「有償ボランティア」「住民参加型福祉サービス」「時間預託型サービス」など、〈交換〉をより実体化させた境界事例が様々に生み出され、〈ボランティアである/ない〉という同定問題が先鋭化していく。

このような一連の過程を経た上で、1990年代以降、ボランティアは政策・言説のレベルで、未曾有の隆盛期を迎える。と同時に、既存の意味論的前提の剥落――「ボランティアの〈終焉〉」――が、以下の2点にわたって観察された。

第一に、「ボランティア」は、「互酬性」の思想財を獲得することによって、カテゴリーとしての汎用可能性を獲得し増殖していくが、それと同時に、「ボランティア」の境界は解体していく。これによって、無償性や自発性などをめぐって生じるボランティアの同定問題が脱臼される。つまり、境界画定の試み自体が否定され、「ボランティア」のカテゴリーが実定性をもたないものになる。

第二に、「ボランティア」という言表が、市民社会を主導する概念としての役割を終える。つまり、個人の行為に準拠し贈与性を抹消しきれない「ボランティア」は、様々な活動を包摂する上では不十分となり、「ボランティア」をも包摂する上位概念が希求されていく。その中で見出されていたのが、「非営利活動」であり「NPO」である。これは、経営論を媒介に〈交換〉の意味論に軸足を置きつつ〈贈与〉の領野をも包摂していくという意味論である。また、そこでは〈国家/市場/市民社会〉の区別は失効し、敵対性をはらんだ〈政治的なるもの〉は――〈贈与〉とともに――外部に放逐されていく。

第II部 ネオリベラリズムとの共振問題の検証――「ボランティア」の現在性分析

第II部では、現在「ボランティア」と名指されているもの――活動の諸相――に関する量的・質的データを用いながら、「ボランティア」と名指されている人々・活動の諸相の分散が、「ネオリベラリズム」と呼ばれる社会の編成とどういう関係にあるのか検討した。

(1) 共振問題の整理

はじめに、既存のボランティアと「ネオリベラリズム」との共振を批判する議論を理論的に整理し、いかなる点で共振するとされているのか、それを回避するポイントはどこかについて検討した(11章)。

それによると共振が生じる条件とされるものは、(A)「〈社会〉的制度の解体」に順機能的に接続するとき、(B)「参加の社会的格差」につながるとき、(C)「倫理-政治の道徳化」が生じ〈他者〉に対しては閉ざされるとき、(D)「セキュリティの強化」に繋がるときであった。ちなみに〈他者〉とは、彼/女の困難が自己責任の結果と表象され、また、我々に対し象徴的・直接的に危害・損害を及ぼしうると表象される人々のことである。彼/女は、通常のボランティア論の中では想定されていない存在で、共振/回避の分岐点となる。

続く12~14章では、これらを規準として共振の有無について検証作業を行った。

(2) 共振問題の検証

(A)〈社会〉的制度の解体

・公的な福祉サービス削減への寄与: JGSSデータを用いて多変量解析を行ない、「ボランティア」団体加入者の意識を分析した結果、ボランティアは、一般の人に比べ社会保障制度を擁護・支持する傾向が見いだせなかった(13章)。また、「ボランティア」や「NPO」は、他の団体(「社会運動団体」「NGO」「市民活動団体」など)より、格差拡大や規制緩和などに対して容認的である(14章5節)。

・敵対性の封殺:「ボランティア」や「NPO」は、他の団体に比べ、敵対性や運動への回路は開かれていない(14章4節)。

(B)参加の社会的格差

1970年代以降に実施された様々な調査を広範に収集・再分析し、経時的比較を行うことで、社会参加経験に階層差がどのように変化しているか検証した。その結果、経済階層が社会参加経験に与える影響はこの20年で拡大していることが明らかになった。これは学校づくりやまちづくりなどコミュニティにおける公共的な取り組みにおいて高階層の意思が強く反映される可能性が高まってきたことを意味する(12章)。

(C)道徳化される倫理-政治

(A)と同様に、JGSSデータを用いて多変量解析を行ない、〈他者〉に対する態度を検証した。その結果、「ボランティア」団体参加者は非参加者に比べて、子どもや第三世界の人などには共感的であるのに対し、同性愛者などに対しては不寛容の傾向があることが示された。これは、共感できる「弱者」に対して寛容になれる一方で、異質とされる〈他者〉に対して抑圧的になりうる危険性を示している(13章)。

(D)セキュリティの強化

(A)(C)と同様の分析の結果、「ボランティア」団体加入者は、軍事力や警察力の増強など国家に対してセキュリティを強く希求する傾向があることが示され、地域の〈他者〉に対して端的に排除で臨む活動などに動員される可能性があることが指摘された(13章)。

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以上の分析の結果、上記の点で、「共振」と観察可能な傾向が見られた。

特に重要なことは、ボランティア意識が高い人も、「自己責任」「社会的逸脱者」と表象されうる〈他者〉に対しては不寛容になりうることである。ネオリベラリズムの意味論自体が、社会的弱者に対し、「自己責任による失敗」「潜在的危険」という表象を与え〈他者〉として排除する側面を持っていることを考えると、ネオリベラリズム的秩序と共振する危険性は、このようなボランティアの解釈枠組を媒介として召喚されるということが指摘される。

その中で、ボランティアと〈他者〉との間には、ボランティア表象を媒介に〈転用〉を介した回路が開かれていたが(15章)、それは、現在、拡張と縮減の両方の可能性に開かれていることについて指摘した(結語)。

以上の知見は、参加型市民社会と「ネオリベラリズム」に関係について、重要な再考を迫るものだと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

現代の日本社会において、「ボランティア」と呼ばれる活動は、福祉や教育といった複数の分野と関連をもちつつ、「参加」や「運動」を通じて、個人と社会をつなぐ結び目の一つとみなすことができる。と同時に、「自己実現」や「生きがい」「成長」など、個人の形成が行われる場や機会ともみなされている。それでは、ボランティアと呼ばれる活動は、個人の責任や自立を重視する福祉国家のネオリベラリズム的再編が進むなかで、社会の変化とどのように関係しているのか。本論文は、言説と活動の二つの面で、ボランティアの意味づけが、ネオリベラリズム的な社会の再編とどのように共振しあっているかを、理論的、実証的に明らかにしようとした社会学的研究である。

本論文は2部よりなる。第1部では、「贈与のパラドクス」(贈与と見なされたとたんにそこに反贈与の意味が読み込まれる)を手がかりに、ボランティア言説をめぐる歴史・知識社会学的分析が行われる。1章での問題設定に続き、2~4章では、ボランティアという言表が現れる以前に、「慈善」「奉仕」「献身」といった言葉で表現された福祉領域における活動の意味の変遷が、20世紀末から1950年代までの膨大な言説資料の分析を通じて解明され、それぞれの時代に贈与のパラドクスをいかに解決しようとしたかが示される。そして、すでに奉仕をめぐる議論において、「友だちのような対等の関係」「自分の成長」「与え合い」といった現代のボランティアをめぐる言説と同型の意味づけが行われていたことが確認される。6章~10章では、ボランティアという語の出現以後、ボランティアの意味づけが、「自発性」(=非強制性)や「対称性」を特徴とし、さらには「人間性回復」や「自己実現」といった自己効用論的な展開を遂げていく過程(「贈与」から「交換」への展開)が解明される。そこでは、ボランティアが教育的価値を附与されるに至る言説の特徴も明らかにされる。

第2部(11~14章)では、既存の統計データを用いた計量的な分析により、ボランティア関係者の意識が、ネオリベラリズムと共振している可能性が、「格差」問題(12章)、道徳とセキュリティ問題(13章)、社会運動(14章)といったテーマごとに検討され、批判的な考察が加えられる。15章では野宿者援助活動のフィールドワークを通じて、ボランティアの新たな可能性について試論が展開される。そして、終章では、以上の膨大な分析結果のまとめを行った上で、教育社会学的含意と政治社会学的含意とが提出される。

生涯学習論や学校参加論など、教育の分野でも市民参加やボランティア活動が重視されるなかで、本論文は、ボランティアと呼ばれる言説・活動の分析を通じて、自発/強制、対称/非対称といった単純な二分法には回収できない、(市民)社会と個人をつなぐ、逆説的で両義的な関係を、詳細な言説分析とデータ解析、広範な文献渉猟による理論的考察を通じて明らかにした。これらの点で、今後の教育研究に重要な貢献をなすものと考えられる。以上により、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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