学位論文要旨



No 123173
著者(漢字) 原田,杏子
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,キョウコ
標題(和) 専門職による相談の発展に向けた実践的研究 : 法律相談を題材として
標題(洋)
報告番号 123173
報告番号 甲23173
学位授与日 2008.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第136号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下山,晴彦
 東京大学 教授 小川,正人
 東京大学 准教授 勝野,正章
 東京大学 准教授 中釜,洋子
 東京大学 准教授 能智,正博
内容要旨 要旨を表示する

第I部 研究の展望

◆ 第1章 問題と目的

近年,利用者の自律的な意思決定を促す専門職が求められ,専門職による相談のあり方が注目されている。こうした社会的要請にもかかわらず,相談の言語的コミュニケーションを扱った先行研究では,専門知識に基づく判断という視点を取り入れたものが少ない。加えて,先行研究は理論的なものが多く,相談利用者と専門職との相互行為の中から実践的課題を探索した研究はほとんど見当たらない。

法律相談の場合,扱われる知識が複雑であるため,相談者と弁護士の相互行為の中で知識のギャップに由来する問題が顕在化しやすい。加えて,わが国で1990年代後半から注目されるようになった法律相談の領域では,実践の発展を目指した研究が求められている。専門職による相談の課題を探索するうえで,法律相談は適切な題材といえるだろう。

そこで本研究では,専門的相談を「特定の領域の専門職が行う対人的な相談の総称」と定義したうえで,その題材として法律相談を取りあげ,次の3点を目的とする。

1 日常相談との対比で法律相談を取り上げ,専門的相談がどのように遂行されるのかという特徴を明らかにする。

2 法律相談の相互行為に焦点を当て,実践現場での課題を明らかにする。

3 専門的相談を実践現場の中で発展させていく方法について検討する。

◆ 第2章 研究の構成と方法論

本論文では,1番目の目的について第II部で,2番目の目的について第III部で,3番目の目的について第IV部で,それぞれ探索していく。

本研究は,相談という言語を媒介とした相互行為を対象とし,実践の特徴や課題を探索的に調べていこうとする研究である。そこで,仮説生成型の質的研究法を採用した。

また,本研究のうち,研究2・4・5では,日本弁護士連合会法律相談センター「面接技術研究会」の協力のもと,弁護士(実践者)と筆者(研究者)が協働して研究を計画・立案し,実践活動を遂行しながら研究を進めていった。実践者との協働を通じて実践現場からの発見を形にしていったという意味で,本研究は実践型研究として位置付けられる。

第II部 日常相談との比較からみた専門的相談の特徴

◆ 第3章 研究1:日常相談はどのように遂行されるか

論文全体を通じて専門的相談をテーマとするにあたり,まず日常相談の特徴を理解する必要性から,研究1では「日常相談はどのように遂行されるか」を明らかにすることを目的とした。大学生同士の日常相談を再現して録音し,質的分析を行ったところ,日常相談における悩みのきき手の発言として,6つの発言カテゴリーが抽出された。

分析結果によれば,日常相談では悩みのきき手が自分の体験を開示したり,問題を受容するよう促したりするところに,日常相談の特徴が見出された。日常相談では,相手の悩みを自分の体験にひきつけて理解しようとしがちであること,また,必ずしも悩みの解決を目指さず,悩みを抱えて生きるのを支え励ます場合もあること,などが示唆された。

◆ 第4章 研究2:法律相談はどのように遂行されるか

研究1を踏まえて専門的相談の特徴を探るべく,研究2では「法律相談はどのように遂行されるか」を実践現場からのデータに基づいて明らかにすることを目的とした。法律相談の実践場面の会話を収録し,弁護士の発言に焦点を当てて質的分析を行ったところ,法律相談における弁護士の発言として15のカテゴリーが得られ,それらは6つの上位カテゴリーにまとめられた。

分析結果によれば,法律相談は,問題をめぐる様々な情報を相談者との間で共有し,専門的立場から判断を伝えることを中心として遂行される。加えて,かかわりの基本的態度としての共鳴,相談者の不適切な解決目標や思い込みに対する対抗,相談者の理解を促進する働きかけなどが見出された。法律相談の背景には,限られた時間内で法律的な問題を抽出し,時に相談者を誘導しながら問題解決を探っていくというプロセスが垣間見える。

相手の抱えている問題を自分の体験にひきつけて理解しようとする日常相談とは異なり,専門的相談は"問題解決"と"対人的相談"という2側面をあわせもっている。こうした特徴を考えると,相談利用者の立場を考慮した相互行為の観点が必要である(第III部へ)。

第III部 相互行為という観点からみた専門的相談の課題

◆ 第5章 研究3:相談者と弁護士の思いはいかにして食い違うか

相談者の立場を考慮して法律相談の実践的課題を明らかにする必要性から,研究3では法律相談の相互行為に焦点を当て,「相談者と弁護士の思いはいかにして食い違うか」を描き出すことを目的とした。法律相談のロールプレイ事例に対して質的分析を行った結果,次のような悪循環のプロセスが明らかになった。

本事例は,「妻と離婚したくはないが,妻に家から出ていってほしい」という相談者の希望に対し,それは法的にはかなえられないという判断を弁護士が伝えていった相談である。期待外れの判断をされた相談者は,不快感情を抱いて執拗な訴えや質問を繰り返す。ところが,相談者が熱心に訴えれば訴えるほど,弁護士は相談者に引き込まれることを警戒し,中立性という専門職アイデンティティを前面に出して,相談者の訴えから距離をとった情報収集や判断をしていく。その結果,相談者はますます期待外れの思いを強くすることとなる。このようにして,両者の思いの食い違いは相談の終了まで維持されていった。

本事例のように,専門職と相談者が異なる期待や前提をもつことは珍しくない。こうした食い違いを想定し,それに対処していくことは,専門的相談の課題であるといえよう。

◆ 第6章 研究4:法律相談の相互行為に内在する機能の抽出

"相互行為の中で達成されるべきことは何なのか"という視点で法律相談を捉える必要性から,研究4では「機能」という視点を導入し,法律相談の相互行為に内在する機能を実践現場からのデータに基づいて明らかにすることを目的とした。法律相談の実践場面の会話を収録し,機能分析の観点を取り入れて質的分析を行ったところ,法律相談の相互行為に内在する10の機能が抽出された。

相互行為が10にも及ぶ多重な機能と関連している法律相談は,コミュニケーションの混乱が生じやすい状況であるといえる。その結果,弁護士と相談者の発言意図が食い違う可能性がある。このような状況が容易に生じることは,研究3の事例を通じて指摘したとおりである。したがって,相互行為に含まれる多様な機能を専門職が自覚し,それを即時的に調整していくことが,専門的相談のもう1つの課題であるといえよう。

第IV部 事例検討会の実践的検討

◆ 第7章 専門的相談の発展に向けた事例検討会

筆者は,第III部を通じて,専門的相談の課題を次のように指摘した。

1 専門職と相談者が異なる期待や前提をもっていることを想定し,それに対処していくこと。

2 相互行為に含まれる多様な機能を専門職が自覚し,それを即時的に調整していくこと。

こうした課題に取り組むためには,専門職が自らの視点に固執することなく,時には相談者の立場を考え,時には相互行為全体を見渡したりするような,柔軟な視点をもつことが必要である。そのための有効な方法として,「事例検討会」という方法が挙げられる。

事例検討会には,(1)相談者の視点をとりやすい,(2)事例のダイナミクスを検討できる,(3)より一般的な知識や課題の発見へとつながる,(4)参加者のモチベーションを維持しやすい,という利点がある。事例検討会を継続すると,参加者1人1人はもちろん,グループそのものも発展していくことから,専門的相談の発展に役立つと考えられる。

◆ 第8章 研究5:事例検討会による実践的課題の発見

第7章の理論的検討に加えて,事例検討会を実践した経緯を踏まえ,事例検討会を通じてみえてきた実践的課題を抽出するのが,最終研究としての本章のねらいであった。特に,在職経験の浅い弁護士の相談事例に着目し,研究5では「在職経験の浅い弁護士の法律相談を検討するさいの実践的課題は何か」を抽出することを目的とした。事例検討会の記録をもとに質的分析を行ったところ,事例検討のための観点が5点にわたって抽出された。

まず,研究4の流れをくむ《相互行為の機能は適切に作用したか》という観点は,法律相談の実践的課題の1つである。特に,相談者のおかれた状況を共有していくさいには《相談者の心情面への配慮》が重視されていた。

次に,本研究で新たに抽出された実践的課題として,《相談枠組みの設定は適切か》という観点が挙げられる。この観点は,在職経験1年未満の弁護士の相談事例を検討するさいにたびたび出現しており,その内容から考えても,専門的相談の基本的かつ重要な課題であると考えられる。加えて,《事案の特徴による留意点》や《相談者の特徴による留意点》という観点も見出された。個別の事例では,事案や相談者に応じた柔軟な対応が求められるといえよう。

本研究の成果を踏まえて,筆者は,事例検討会での議論を深める素材として「事例検討シート」を提案した。

第V部 結論

◆ 第9章 総括と今後の展望

法律相談は,"問題解決"と深く結びついた特徴をもっている。そのため,相談者と弁護士の思いは食い違いかねないし,相互行為に多重な機能が含まれるという難しさがある。こうした中で,事例検討会という方法は,参加者個人の相談を発展させ,グループを発展させ,さらには研究へと結びついて社会全体を発展させる可能性をもっている。

一連の議論は,法律相談を題材としているが,他の専門的相談にも示唆を与えるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

かつて医師や弁護士といった専門職は、一段高い位置から相談者(利用者)を教え導く役割として位置づけられる傾向があった。しかし近年、専門職には、相談者の自律的な意思決定を援助する者としての役割が求められるようになり、それにともない専門職による相談のあり方が注目されてきている。そこで本論文は、弁護士による法律相談を題材として専門職が行う相談である専門的相談の特徴を明らかにし、それを望ましい形で発展させる方法について検討することを目的としたものである。論文は、研究の展望を示す第1部、専門的相談の特徴を明らかにする第2部、専門的相談の課題を質的に分析する第3部、相談の質を高める方法を検討する第4部、知見を総合的に考察する第5部から構成される。

第1部第1章で、専門的相談の先行研究では「専門知識に基づく判断という視点」と「相談者との相互作用の検討」が不十分であることを明らかにし、第2章で法律相談を題材として専門的相談の特徴、課題、発展の方法を検討するという本研究の構成を示した。

第2部では日常相談との比較による専門的相談の特徴の明確化を目的とし、第3章で日常相談18件を質的に分析し、6カテゴリーを抽出し、第4章で法律相談12件を質的に分析し、問題共有、共鳴、判断伝達、説得・対抗、理解促進、終了の上位6カテゴリーを抽出した。その結果、日常相談が相手の抱えている問題を自分に引き付けて理解するのに比較して法律相談では"問題解決"と"対人的相談"という2側面をもつことを明らかにし、専門的相談では相談者の立場を考慮した相互行為の観点が重要となることを示した。

それを受けて第3部では相互行為に注目して法律相談の実践的課題を明らかにすることを目的とし、第5章で事例研究を通して相談者の期待や前提が弁護士の思いと異なる場合に、相互行為の中で両者の食い違いが生じることを示した。第6章では、法律相談12件を質的に分析し、食い違いを補完しうる10の機能を抽出した。このように多重な機能を有する相談ではコミュニケーションの混乱が生じやすいので、専門職はそれを自覚し、即時的に調整することが必要であり、それが専門的相談の実践的課題であることを示した。

上記課題を踏まえて第4部第7章で専門的相談を発展させるためには専門職が自らの視点に固執せずに相互行為全体への視座をもつことが重要となる点を指摘し、そのために有効な手段として事例検討会の方法を解説した。第8章では、9件の事例検討会の記録の質的分析から、専門的相談の実践的課題を達成するために役立つ5つの観点を抽出し、それに基づいて事例検討シートを提案した。第5部では、結論を示し、研究の総括を行った。

本論文は、法律相談に代表される専門的相談では問題解決と対人的相談の2側面があること、専門職と相談者の相互行為に多重な機能が含まれているため食い違いが生じやすいこと、相談活動を発展させていくために事例検討会が有効であることを示した点で、また質的研究法を体系的に活用した実践的研究である点で、特に意義が認められる。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。

UTokyo Repositoryリンク