学位論文要旨



No 123175
著者(漢字) 川添,善行
著者(英字)
著者(カナ) カワゾエ,ヨシユキ
標題(和) 祭祀空間としての墓地に関する研究
標題(洋) Study on Cemetery as Ritual Space
報告番号 123175
報告番号 甲23175
学位授与日 2008.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6677号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内藤,廣
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 教授 大方,潤一郎
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 准教授 中井,祐
内容要旨 要旨を表示する

私は現代都市はすでに末期的状況にあると考えている.それはインフラや都市計画のことではなく、そこに暮らす人々の公共空間に対する無関心と無責任ゆえである.それはこれまでの都市が人々の暮らしのよりどころとなる空間を作り出してこなかったからではないかと考えている.

人々の暮らしのよりどころとなる空間がどのようなものであるか、を分析・考察することを本論文の最終的な目的とする.そのために、そうした暮らし方が色濃く反映される空間である墓地のあり方を考察してゆきたい.

この目的のために、まずは両墓制の空間論的な分析を行い、コミュニティにとって両墓制が必要であった理由を空間論的に考察する。両墓制は、祭祀と埋葬が村落空間の中で二つに分離している.その村落空間の中での立地やそれぞれの使われ方が異なることから、そのそれぞれが村落空間やコミュニティの中でどのように位置づけられているかを分析することで、墓地を構成する二つの機能の特性を明らかにする.

さらに、その祭祀と埋葬が、過去から現代、さらに近い将来という長い時間の中で、どのように展開しているのかについて、その時間的変容を整理するとともに、その背景について考察を行う.

こうした分析の中から、最終的には、人々の暮らし方が反映される墓地のあり方を考察し、さらには、人々の暮らしのよりどころとなる空間について考察を行う.

本論文は大きく、序論、第I部、第II部、第III部で構成される.

序論では、第1章で研究の目的や背景について整理した後、第2章において、墓地にまつわる論考や研究をレビューし、概念整理を行う.吉本隆明の共同幻想論やハイデガーの『存在と時間』などを援用しながら、共同体と墓地のあり方について論を展開している.吉本の『共同幻想論』は共同幻想という非常に重要な概念を提出しただけでなく、死の二つの側面を浮き彫りにしたという点からも注目に値する.それは、死の心的側面と死の生理的側面であり、さらにその心的側面は幻想にもとづく死としてしかあらわれないと指摘しているのである.この死の二つの側面は、墓地のもつ二つの役割、つまり埋葬と祭祀に対応していると考えることができる.また、柳田國男は、今生きている人々の共同体の裏返しとしての「先祖」という共同体を想定しており、共同体が祭祀を必要とし、祭祀は共同体を作り出す働きを持つ、という両面性を指摘した.

第I部においては、墓地の空間的考察、特に両墓制の村落空間論的考察を行っている.まず、第3章において、柳田國男に始まる日本民俗学の墓制研究について整理している.すでに昭和四年の「葬制の沿革について」の中で、柳田國男は両墓制の存在を指摘しており、民俗学においてもかなり古い段階からこの問題に注目している.一方で、その後の民俗学の研究においても、両墓制の起源や明確な理由を指摘することができず、いまだに多くの問題を抱えていることを明らかにする.

続く第4章では、全国の両墓制の事例の中から、瀬戸内の塩飽諸島、三重県志摩地方、福井県若狭地方の両墓制集落に注目して、実地調査を行い、図面化を行った.火葬の普及とともに、両墓制は急速に消滅しつつある.ここでは、下記の条件をもとに対象地を選定し、調査を行った.

・離島集落の場合、外部から隔絶された場所にあることが多く、地勢的に集落の領域を把握しやすい.

・山や川など明確な地勢的境界によって集落の領域が把握できるものも上記と同様である.

・離島には火葬場を設けることが困難であり、今も土葬の習慣が残っていることから、必然的に両墓制の習慣が現存する可能性が高い.

・近年の開発の影響を免れ、集落が発生し両墓制が営まれていた当時の姿を比較的よく残していること.

・離島では閉ざされた集落形態を持っていることから、古くからのコミュニティの存在を想定できる.

・漁村集落では、漁業権の問題から集落の大きさが一定に保たれやすい.

・地形的に限られた農地を持つ農村集落も同様である.

調査対象地を両墓制集落が比較的多く現存していると思われる福井県若狭地方、香川県瀬戸内地方、三重県志摩地方に絞り込み、さらに上記の条件をもとに実地での予備調査および各地の資料館でのヒアリングを行い、これら三つの地方から計22集落を対象地として選定した.

第5章では、第4章までの調査をもとに、村落空間の中における埋め墓、詣り墓の特性について分析を行い、両墓の持つ役割について考察を行った.埋め墓と詣り墓それぞれの墓地区画の使われ方の分析を通して、埋め墓内の墓地区画が山ー海の方向概念を持ち、詣り墓内の墓地区画が中心ー周縁の同心円状の空間概念を持っていることが明らかとなった.また、詣り墓においてよりも埋め墓において、より強い集落空間との対応関係があることが明らかとなった.

次に、集落内での両墓の位置に関する分析を行った.埋め墓は、場所に依拠し、村落空間全体の空間構成の序列の最下層におかれる.埋め墓の中でも、さらに厳密な場所のルール(山-海など)に従い、さらにどの場所に埋葬されるか、ということにも一定の原則がある.集落からできるだけ遠くに埋葬したいものの、運搬などの現実的な制約から一定の距離で妥協される.きわめて現実的で、場所的な原理によって規定されるシステムであることを明らかにした.一方の詣り墓は、その墓地区画の内部でも場所に依拠しない中心-周縁という原理によって構成され、村落空間の中でも村落空間の比較的近くで、村落空間全体を見渡すことのできる眺望の優れた場所に置かれる.それは集落全体を見渡すことができる、という意味で村落空間全体を視覚的に統一する働きを持っており、また、先祖を代々祀るという点からも、空間的にも時間的にも集落のまとまりを再確認するための、コミュニティのよりどころとなる場所であることを明らかにした.そして、ここでは、両墓制というのはひとつの制度ではなく、墓に関係する2つのシステムの共存だったと指摘している.その2つのシステムとは、埋葬と祭祀である.

第II部においては、過去、現在、そして近い将来の墓地を取り巻く状況を整理し、墓地について時間的な変容の中から考察を行う.まず第6章で、明治新政府の墓地政策を概観した上で、明治民法における「イエ」制度の成立とそれに付随する祖先祭祀の場としての墓地のあり方の変遷について分析を行う.穂積の提唱する祖先祭祀を個性を持つ祖先の祭祀とするならば、柳田のいう祖先はむしろ没人格的な先祖である.死者は年忌法要を重ねることによって、最終的にはその個性を失い、祖霊一般としての先祖となる.田の神などの農神や氏神となって子孫を見守る存在となるのである.柳田のいう祖先祭祀は氏神信仰のように土地とそこに暮らす家族を守る、非常に場所と密着した祖先祭祀のあり方である.穂積の提唱する祖先祭祀は、両墓制のような匿名的な祭祀のあり方を否定し、家督相続の権利としての墓地を確立した.それは現在まで続く墓地のあり方に強く影響しているが、それは皇祖崇拝にまでいたる祭祀のピラミッドを形成し、一種の政治性を帯びていることも指摘している.

第7章では、現在の墓地を取り巻く状況を、関東圏にしぼって考察している.また、墓地に関連する法規をはじめ制度的側面から、行政や社会がいかに死という問題を扱ってきたかを考察する.

第III部では、これまでの考察をもとに、人々の暮らし方が反映される墓地のあり方を考察し、さらには、人々の暮らしのよりどころとなる空間について考察を行う.第8章では、かわりつつある葬送墓制を取り上げながら、大きな変革期にある現代都市生活者の死生観の一部を明らかにしようと試みている.岩手県の一関市やその他の新しい取り組みが数年来行われてきたが、東京町田市に完成した樹木墓地の「宙」と「木立」という二つの新しい形態の墓地を取り上げている.これらは、当初跡継ぎがいない人が買うものだと考えられていた.しかし、実際は跡継ぎがいない人だけではなく、跡継ぎがいる人でさえ、購入しているケースが目立つ.これは、こうした新しい試みが、墓地の一形態になりつつあることを示しているといえるだろう.また、こうした中で、家族で同じ場所に入ること、埋葬された場所が特定できること、という根本的な願望が強く反映されていることも明らかとなった.

第9章ではこれまでの考察の中から、現代都市に欠けているものと、今後の都市のあり方に必要不可欠な概念を導きだす.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、祭祀空間としての墓地空間に着目し、体系的な調査・分析を行っている。これまで墓地に関する研究は、社会学や民俗学などの分野では行われているが、工学的な手法をもとに、その空間としての側面を体系的に行ったものはこれまでない。

本論文では、埋め墓と詣り墓を分離する両墓制に着目し、基礎データーとして各地の両墓制集落の実地調査を行い、図面化を行っている。両墓制は、近代以前には日本中に多く存在していたと考えられているが、現在では都市化・火葬化の中で急速にその姿を消しつつある。我が国では失われつつある習俗であり、資料的な価値も高い。

序論では、研究の背景、概説、分析手法の整理などが述べられている。

第I部では、現存する両墓制集落での実地調査と地図化、村落空間の領域構成に関して分析を行っている。民俗学の知見を参考に、現存する限られた両墓制集落を特定し、実地の調査を行っている。福井県若狭地方、三重県志摩地方、瀬戸内塩飽諸島から全22箇所の両墓制集落を対象とした実地調査にもとづき、集落空間のモデル化を行い、集落内における両墓の立地に関する類型化から、仮説を導き出している。

第II部では、近代以後の墓地概念の変遷とその背景を考察している。墓地をイエ制度の核と定めた明治民法の起草委員である穂積陳重の墓地観と、同時期の民俗学者である柳田國男の墓地観を比較している。この中で、墓葬に関する制度と習俗の矛盾や対立を論じ、その上でこの相克の中で移り変わってきた両墓制を取り巻く背景について考察している。

第III部では、具体的なケーススタディをもとに、墓地と都市の関係について考察を試みている。また、個人・家・共同体に対して墓地がどのような役割を果たしてゆくかについて考察がなされている。

近代以降、多くの建築家や都市計画家がユートピア的な都市像を描いてきた。しかし、いずれもその中に墓地に対するビジョンを提示したものはない。都市は一時居留地であり、生と死を購う場、人間の存在全体や尊厳を保証する場とは考えなかったからである。こうした考えに立脚した近代の都市計画は限界を露呈し、社会構造の変化の中で修正を余儀なくされつつある。人口減少と高齢化社会へと向う我が国に於いては、近代的でありながらわれわれの習俗に馴染むような新たな都市像が求められている。本論文が葬送祭祀に着目し、さらには我が国独自の両墓制に論の基軸を置いたのも、こうした背景がある。

本論文は墓地のもつ意味を空間的分析と歴史的変遷の中で解明しようとした。着想の持つ独創性、実地における膨大な調査、その分析と体系化などの総体から、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格を認められる。

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