学位論文要旨



No 123188
著者(漢字) 岩瀬,令以子
著者(英字)
著者(カナ) イワセ,レイコ
標題(和) 塾における社会化の展開過程に関する研究 : 子どもにとっての空間経験の意味
標題(洋)
報告番号 123188
報告番号 甲23188
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第139号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 恒吉,僚子
 東京大学 教授 苅谷,岡彦
 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 市川,伸一
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、現代日本における子どもの社会化の実態とその意味について、とりわけ塾という存在との関わりにおいてなされている子どもの社会化について、2つの塾での調査に基づき明らかにすることを、主たる目的とするものである。

近代以後の社会において、そこに生きる人間が採る社会的行為の一つの類型に、「目的合理的」な行為がある。そこで、そうした目的合理的な意味を持つ行為を行なう行為者というものはいかにして生み出されるのか、という問いが成立するが、これは、近代以後の社会にとって重要な「社会化」に関連する問題を、社会学的に考察する問いであるといえる。そこで本研究は、社会化という概念を、目的と手段とを合理的に関係付ける意味を持つ行為と(限定的に)みなし、その上で、そうした意味をもつ行為が、行為者によっていかにして取り上げられ定常的に組み込まれていっているのかについて、換言すれば、合目的的な意味をもつ行為の生成の過程について、考察することを中心課題とするものである。

そうした課題の設定から、本研究が考察の対象として着目したのは、塾という存在である。塾というのは、志望校への合格という特定の目標達成に向けて明瞭な手段・条件を設定する場であり、つまり合目的的な行為を促すことを、現代社会において明瞭に行なう場であると考えられるからである。そして、塾一般の中でも、とりわけそうした合目的的な志向が強いと考えられる中学受験塾を本研究では取り上げ、さらに、中学受験塾を代表する2つのタイプの塾である大手進学塾と個人の総合塾に着目した考察を行なっている。

また、研究方法としては、合目的的な意味を持つ行為の生成をあとづけるという課題に即するものとして、とりわけ明示的な行為の枠組み以外に行なわれている行為の様態やしくみ、あるいはそこに潜在する意味論理を描き出そうという目的に即するものとして、長期にわたって観察やインタビューを行ない、定常的でまとまりのある行為を抽出してその特質的な様態や構造について理解するという手続きをとることが必要となる。そこで本研究ではエスノグラフィーの手法を採用している。

このような課題に基づき、本研究で具体的に考察するのは、塾において受験という目的と手段とを合理的に関係付ける意味を持つ行為がいかにして生成されるのか、その過程について捉えるということになるが、この課題への取組みは本論部分として6章分をかけて考察を行なっている。第1章から第3章は大手進学塾を、第4章から第6章は総合塾を、それぞれ考察している。以下は、各章において設定した課題と得られた結果である。

第1章「大手進学塾における経験の構造」は、大手塾における受験準備のための授業の展開過程に迫り、教師と子どものあいだで行なわれている合目的的な行為のうちの基礎的な部分について、分析的な記述と考察を行なった章である。この章では、行為の要素、手順と方法、あるいはそうした要素の互いの関係の付け方(構造)について考察した。その結果、授業では、受験に第一義的な教科上の知識の獲得の他に、3つの要素(区画分け・出題のタイプ別理解・表記と道具への対処)から成る、個々の知識を構造化する行為、換言すれば知識を「運用していくための規則」が、主題的に行なわれていることを、明らかにしていった。

第2章「大手進学塾における子どもの行為様態」は、受験に関係付ける意味を持つ行為のうち、授業内外で一定の条件のもとで表れてくる行為要素について、分析的な記述と考察を行なった章である。とりわけ子どもの側から提起される行為について焦点を当てた。その結果、子どもが自らの視点から4つの経験要素を立ち上げて行なっている姿を捉えた。そこから、受験に向けた知識を「運用」する取り組みを支える行為、言い換えれば知識の運用を「補助する規則」が行なわれていることを、明らかにしていった。

第3章「外部との接触と対処にみる社会化経験」でも、受験につながる意味を持つ行為の生成を探求するが、ここでは考察の視野を拡げて、塾の外での経験について考察する。大手進学塾に通う子どもが、塾通いをめぐり経験することになる、塾の外での諸場面における対処行為について検討した結果、子どもが塾通いにまつわる生活全体に自らの視点から厚みを持たせ総合的に体系化する行為を行なっていること、つまり受験生活全体を「正当化する規則」が行なわれていることを、明らかにした。

次に第4章「総合塾の活動展開」は、脱伝統を図って新しく台頭してきた総合塾について、そこで設定されている理念を確認し、その上で、理念の基本的な進め方を特徴抽出的に描き出した章である。この章では、活動の中心・基礎である授業に焦点化し、そこで行われている行為の要素や手順、用いられる手法、および全体の構造を考察していった。その結果、この塾が3種類の要素・手順(既成習慣の取り去り・知識の再構成・再帰的な接続)から成る一連の行為を行なっていること、換言すれば受験向けの知識を「運用するための規則」について、独自の立場・視点から開発して行なっているということを、明らかにしていった。

第5章「新しい指針展開の子どもにとっての意味」は、そうした基礎的な部分と向かい合う子どもの側のあり方について、考察を及ぼした章である。子どもが自身の視点を反映した行為、あるいは独特なスタンスや生活習慣を立ち上げ、従来の受験観から脱した生活文化の様式を定位している様態と意味について考察していった。そこから、受験に向けた知識の運用をいっそう充実させる行為、換言すれば意味的な行為の生成を「補助するための規則」が行なわれていることを、捉えていった。

第6章「塾通いにまつわる社会化経験」は、この塾に通う子どもが経験している、外部との接触の様態とその意味を捉えた章である。子どもが接触を通じて、塾内部で定常的に行なっている行為を相対化し、その上で自己規定を図ったり集団でその規定を共有していくことによって、受験にまつわる生活全体を根拠付ける行為、即ち「正当化の規則」としての意味を持つ行為を行なっていることを、明らかにしていった。

こうして2つの(タイプの)塾を対象に考察し、各々を個別的に検討したことを通じて、受験につなげる過程が多角的な経路となっていることを見出したが、ここからさらに、こうした考察が「社会化」としてどのような理解を生むものであったのか、総合的な観点から導き出されることを、結論の章で検討した。目的と手段とを合理的に関係付ける意味を持つ行為の生成過程に見られる原理がいかなるものであるのかについて、本研究の考察から導き出されることは、以下のとおりである。

第一に、目的と手段とを合理的に関係付ける意味を持つ行為の内容・焦点は、複数にわたるものである。合理的な意味を持つ行為の生成の過程には、まず目的に向けて第一義的な手段そのものを「運用」する規則があり、そしてその背後にはそうした規則の進展を「補助」する規則があり、さらにまたそうした規則群が行なわれる過程・生活の全体を「正当化」する規則がある。こうした行為の重層性に気付くこと、そして実際に行なっていくことが、合目的的な行為の生成の過程である。そして、こうした重層的である各規則は、一つの連続したつながりの中で捉えられるものである。つまり、第一義的な要素以外の行為を、目的に向かうということの中の局面のちがいとして、(第一義的要素と同列に)理解し、検討の対象に取り込んでいく見方を提出することができた。

第二に、目的に向かうという行為の主体や方向性に関して、受動的から能動的、あるいは一方向的・固定的から双方向的・不確定的という両極の間で移行する「動態性を捉え得る枠組み」を、提出することができた。つまり、教師の行為と子どもの行為、そして定常性の高い行為と当該の場における反応や洞察に基づく行為とを、目的に向かうということの中の行為の出所のちがいとして(均等に)理解し、検討の対象に取り込んでいく見方を提出することができた。

第三に、目的と手段とを関連付ける行為の内容・焦点は、(第一の知見のとおり)複数にわたるものであり、そうした複数の個別的な行為はそれぞれ、ある特定の目的に向けた当面の過程に定常的な構造を与えるものであるが、それらが重層的にひとまとまりのものとして統合・結晶化したところにも意味を見出すことができる。即ち、結晶化したところの行為は、当面の過程に定常的な構造を与えるというだけでなく、当面の目的を離れてまた別の新規の目的に向かうという状況においても、行為者の行為を構造化・組織化するものとなりうるということ、言い換えれば、目的合理性を特徴とする社会を編成することは、複数にわたる手段的行為を統合的に習慣化したところのものであるということを、示すことができた。

審査要旨 要旨を表示する

塾は現代日本社会の多くの青少年にとって、集団的な社会化の場としての重要性が高まっている。にもかかわらず、塾の量的な実態調査や顕在的カリキュラムの社会学的研究は一部では進められてきたものの、塾内部の隠れたカリキュラムやそのもとでの社会化パターンの考察は、ブラックボックス化したままであった。本研究は、近代社会における組織の編成原理の一つとしての目的合理性を軸にして、このブラックボックスに光を当てている。塾の中でも、人格形成期の小学生を対象とし、「中学合格」という目的合理性を強く持つことを求められる中学受験塾に焦点を当て、大手進学塾と個人経営の総合塾の二種類の塾のエスノグラフィーを通して、隠れたカリキュラムとそのもとでの社会化体験の構造化を、塾の現実に即して浮かび上がらせている。

第一章では、大手進学塾での授業のエスノグラフィーを通して、塾の目的合理性が単に教科知識の提供に留まらず、問題類型に応じた戦略的行為や教科・単元によって区分けされた思考形態等の多面的な思考・行動パターンの構造化にもあらわれることが示されている。第二章では、効率的に正解を導き出すという受験で求められる行為を、塾生がどのように再定義し、いかにして教師・児童、児童・児童の相互行為のパターンが築かれているのかが示されている。第三章では、塾の外に焦点を当て、外部社会のまなざしを受けて、塾生がいかに塾と外部社会との間で「中学受験生」としてのアイデンティティを築き、行為者として塾における社会化パターンの構築に関与しているかが描かれている。第四章では、第二の事例である総合塾における中学受験クラスの考察を通して、視点を多角化させている。本事例が、進学目的の塾クラスとして大手進学塾と共通した特徴を示しながらも、進学塾に対抗的な価値に存在意義を求める中で、「学校的な指導」(例 ノートを取ることを強調する、発声練習)を学校以上に徹底している現実が示されている。

第五章は、総合塾が進学塾に対抗的な特徴を持ちながらも、受験期間際になると、より目的合理的な志向性を求められるために、通常の塾講師と児童との間の相互行為パターンが変容を余儀なくされる過程を分析している。第六章は、総合塾生と外部社会との関係が、社会化体験の構造化との関連で分析されている。最終章では、前記のタイプの異なる塾の二事例を通して、知識獲得という顕在的な側面に沿って一面的に語られがちであった塾を、隠れたカリキュラムに射程を広げて考察することによってより統合的な社会化システムとして描けることが問題提起されている。

本論文は、既存の塾研究では見逃されてきた、塾の対人レベルにまで降りた社会化過程の多面的な構造化の仕組みを現実の記述を通して浮かび上がらせ、ブラックボックス化した塾内部における隠れたカリキュラムに光を当てることに成功し、既存の塾研究と隠れたカリキュラム研究の双方に問題提起をする内容となっている。また、目的合理的志向が強い象徴的な場としての中学受験塾における隠れたカリキュラムとそのもとでの社会化システムの多面性を、エスノグラフィーによって実践場面に即して浮き彫りにし、考察することによって、組織の目的合理性をめぐるマクロな社会学理論に対して、文脈に即した視点の必要性を提起している。以上の点から、本論文は、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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