学位論文要旨



No 123191
著者(漢字) 森田,慎一郎
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,シンイチロウ
標題(和) キャリア形成における専門性志向の研究 : 職務満足感の現状をふまえて
標題(洋)
報告番号 123191
報告番号 甲23191
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第142号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下山,晴彦
 東京大学 教授 亀口,憲治
 東京大学 教授 南風原,朝和
 東京大学 准教授 中釜,洋子
 東京大学 准教授 本田,由紀
内容要旨 要旨を表示する

<第1部 問題意識>

第1章 問題意識と本論の構成

キャリア形成(個人が就職の準備や就業活動を通して,職業に関する自らの人生を作り上げていくこと)のあり方は,平成不況を契機として転換期を迎えていると考えられる。そこで本論は,今後のキャリア形成においては,専門性(特定分野における知識や技術,もしくは,それらを身につけ職業に役立てようとする性質)が重要になるという視点から,産業界と教育界それぞれに身をおく人々の専門性に関する意識について研究する。

<第2部 キャリア形成の転換と専門性に関する理論的研究>

第2章 キャリア形成の転換と専門性への着目

本章では,「キャリア形成がどのような方向へ転換しつつあるのか。」という問題について検討した。まずキャリア形成の背景にある雇用制度の変容について整理した結果,正規従業員の枠が狭まり,その枠内での安定性も磐石ではなくなってきていること,職務に力点をおいた制度への変更が進行していることが見出され,キャリア形成が「組織からの自律と職務の重視」の方向へ転換していることが推測された。

そこでキャリア形成を,近年のキャリア形成論から検討したところ,上記の方向へ転換しつつあることが確認されると同時に,その転換のためには,専門性が重要な役割を担うことが見出された。

第3章 日本の組織における専門性追求の難しさと職務満足感の特徴

本章では,「キャリア形成においてなぜ専門性が重視されてこなかったか。」という問題について検討した。まず日本の組織においては,職務分担の曖昧さや職務配転による人材育成を背景とした弾力性に富んだ職務のあり方が特徴的であり,個人の労力は「強いられた協調」の維持に向かう傾向があったため,専門性の追求が困難であることが見出された。このことは,日本人の特徴として明らかになっている,国際比較における職務満足感(職務経験などから生じる肯定的感情)の相対的低さ,の一因として考えられた。ところが,日本の組織においては,専門性追求の困難さ等の事由により職務満足感が低くとも定着志向(長期勤続への志向)は高く,このような一見奇妙な現象が存在することがいっそう専門性追求を困難にしているようにも思われた。

そこで,会社満足感(弾力性に富んだ職務を設定する主体である組織に対する満足感)の概念を生成し,それを,旧来の職務満足感と併用することによって,この現象を説明し,かつ,これまで重視されてこなかった旧来の職務満足感の積極的機能を示すようなモデルを作成することを第3部の目的とした。

第4章 産業界と教育界における専門性への関心の高まりの現状と課題

本章では「専門性に対してどの程度関心が払われているのか。」という問題について検討した。まず産業界においては,企業の制度や政府の支援政策などに専門性への関心増が認められ,「組織内プロフェッショナル」の理論に基づく専門性を主眼としたキャリア形成の試みも行われていることが確認された。一方,教育界では,平成不況時の就職難のもとでようやく専門性への関心が高まり,専門職養成課程に関しては,学生数や養成機関が拡充傾向にあるものの,非専門職コースの学生(専門職養成課程に属さない学生)については,専門性育成の指針がほとんどないことが見出された。したがって,非専門職コースの学生における専門性の意識を探ることを第4部の目的とした。

<第3部 産業界における職務満足感に関する実証的研究>

第5章 会社満足感,旧来の職務満足感,定着志向,ポジティブな労働観の尺度作成

本章では,モデルを構成する4つの概念の尺度作成を行うことを目的とした。2002年9~11月に418名の会社員から回収した質問紙データを因子分析した結果,新たに項目を案出した会社満足感尺度については,会社の発展性などの4因子,ミネソタ式満足感尺度の項目に基づく,旧来の職務満足感尺度については,職務における裁量度などの4因子が抽出された。さらに,定着志向尺度と,旧来の職務満足感の積極的機能を示すことを目的として案出されたポジティブな労働観(労働を遂行する際には「おもしろみや楽しみ」などのポジティブな感情が生じるものであるという意識)尺度が,それぞれ作成された。

第6章 職務満足感の現状に基づくモデルの構成と検証

本章では,2つの職務満足感の下位尺度を独立変数,ポジティブな労働観と定着志向のそれぞれを従属変数とするモデルを,パス解析によって検証することを目的とした。まず理論的見地から,モデルに使用する変数を選定し,モデルを構成した。次に,第5章と同一の会社員418名から回収した質問紙データを用いて,パス解析によってモデルを検証したところ,満足しうる適合度が得られ,ポジティブな労働観は,主として旧来の職務満足感の下位尺度と関連する一方で,定着志向は,主として会社満足感の下位尺度,とりわけ会社の発展性に対する満足感と関連することが明らかになった。この結果から,旧来の職務満足感が低くとも,会社満足感が高ければ高い定着志向が維持されること,及び,専門性の追求を行いやすい環境,すなわち,旧来の職務満足感が高まりやすい環境においては,ポジティブな労働観は高まりやすいことが示唆された。

<第4部 教育界における専門性志向に関する実証的研究>

第7章 職業専門性志向尺度の作成

本章では,職業専門性志向尺度(専門性への志向の程度を測定する尺度)の作成を目的とした。2003年10~11月に国立A大学の2年生207名(非専門職コース122名,専門職養成課程85名)から回収した質問紙データに基づき,第4章で定義した専門性を特徴づける5つの概念(「利他主義」「自律性」「知識・技術の習得と発展」「資格等による権威づけ」「仕事仲間との連携」)それぞれへの志向を下位尺度とする当該尺度が作成され,第8~10章で用いることとした。

第8章 専門職養成課程の学生における専門性志向―医師の場合―

本章では,医師養成課程の学生の職業決定に影響を与える専門性志向を明らかにすることを目的とした。「人間関係への志向以外に職業決定に影響を及ぼす志向は何か。」というリサーチクエスチョンを設定し,2004年10月に国立A大学の医学部内定者の2年生96名から回収した質問紙データに基づき,重回帰分析を用いて検討した結果,職業決定に影響を及ぼすものとしては,人間関係への志向と関連の強い,仕事仲間との連携志向以外に,知識・技術の習得と発展志向が該当することが示された。

第9章 専門職養成課程の学生における専門性志向―法曹の場合―

本章では,法曹養成課程の学生の職業決定に影響を与える専門性志向を明らかにすることを目的とした。医師養成課程の学生との比較において「仕事仲間との連携志向の影響は小さく,自律性志向の影響は大きい。」「資格等による権威づけ志向の影響が認められる。」という2つの仮説を設定し,2006年10~11月に国立C大学法科大学院1~3年生193名から回収した質問紙データに基づき,重回帰分析を用いて検討した結果,いずれの仮説も支持された。第8章の結果と併せて,専門職養成課程の学生においては,職種によって職業決定に影響を与える専門性志向が異なることが示唆された。

第10章 非専門職コースの学生における専門性志向-専門職養成課程との比較を通して-

本章では,非専門職コースの学生の専門性志向を探索的に明らかにすることを目的とした。2003~2007年に回収した質問紙データをもとに,非専門職コースの学生としては,国立A大学文系学部2年生131名,私立B大学理工系学部1~2年生214名の2群,専門職養成課程の学生としては,国立A大学医学部2年生190名,国立C大学法科大学院1~3年生193名,私立D音楽大学1~2年生71名の3群の計5群を形成した。

まず,専門性志向が職業決定に及ぼす影響を比較し,非専門職コースの学生は,専門性志向のなかでも,とりわけ専門性が成り立つための制度的側面の強いものへの志向が,職業決定への影響を与えにくいことが示唆された。次に,専門性志向の高さを比較した。分散分析や判別分析の結果,非専門職コースの学生をもっとも特徴づけるのは,知識・技術の習得と発展志向の低さであることが示唆された。最後に,専門性志向を,ポジティブな労働観との関連性に注目して比較した。その結果,私大理工系学生が他の4群に比べてポジティブな労働観が低いことが示され,その一因として,私大理工系学生における利他主義志向の低さが推測された。

<第5部 結論>

第11章 総括と今後の課題

第2部では,産業界では,専門性追求の困難な状況がある一方で,専門性を主眼としたキャリア形成の試みも行われているのに対して,教育界では,非専門職コースの学生の専門性育成の指針がほとんどないことが示された。第3部では,日本の会社員においては,専門性追求が難しくとも高い定着志向が維持されうることや,専門性追求が容易になることで,ポジティブな労働観が高まる可能性のあることが示唆された。第4部では,非専門職コースの学生の専門性志向をもっとも特徴づけるのは,知識・技術の習得と発展志向の低さであることが示唆された。第5部では,非専門職コースの学生のなかでも,学歴の選抜性の低い学生における専門性育成の重要性が論じられた。

今後の課題としては,得られた知見に関して,第3部における対象者の職種や第4部における対象者の学年などによる違いについて分析することなどがあげられる。

以上

審査要旨 要旨を表示する

キャリア形成とは、「個人が、職業活動や就職活動を通して職業に関する自らの人生を作り上げていくこと」と定義される。わが国のキャリア形成のあり方は、1990年代に始まった平成不況を契機として大きく変化し始めた。具体的には、終身雇用慣行や年功序列制度を前提として会社への所属を重視するあり方から、個人の専門性を重視するあり方に移行している。そこで、本論文は、専門性を「特定分野における知識や技術、あるいはそれらを身につけ職業に役立てようとする性質」と定義した上で、産業界と教育界における専門性に関する意識調査を行い、キャリア形成における専門性の現状と展望を示すことを目的とした。論文は、問題意識を提示する第1部、文献研究によって専門性の重要性と、産業界と教育界それぞれの課題を明らかにする第2部、会社員の専門性意識を調査する第3部、学生の専門性意識を調査する第4部、知見を総合的に考察する第5部から構成される。

第1部第1章では、わが国のキャリア形成において今後専門性の重要性が高まるとの問題意識を提示した。第2部第2章でわが国の雇用制度が終身雇用慣行と年功序列制度を基調としたものから「組織からの自律」要請と職務重視の評価(成果主義)を取り入れたものへと変化しつつあることを確認し、第3章でわが国の産業界において専門性追求を困難にしている現象の分析を行い、現状把握のためには「会社満足感」と「ポジティブな労働感」の概念を導入する必要があることを示した。第4章では教育界においては専門職養成課程に属さない非専門職コース学生の専門性意識の調査が必要となることを明らかにした。

第3部では、第5章で職務満足感、会社満足感、ポジティブな労働感、定着志向の尺度を作成し、第6章でその尺度を会社員418名に実施したデータのパス解析を行った。その結果から、専門性と関連する職務満足感が低くとも会社満足感が高ければ高い定着志向が維持されていること、しかし専門性追求が容易な環境では職務満足感が高まりやすく、ポジティブな労働感も高まりやすくなる可能性があることを示した。

第4部は、第7章でプロフェッション研究に基づいて作成した専門性志向尺度を非専門職コース学生(国立大文系学生、私立大理工系学生)345名と専門職養成課程学生(医学部生、法科大学院生、音大生)454名に実施したデータを、第8,9章,10章で重回帰分析と判別分析によって検討した。その結果、非専門職コース学生では専門性志向が職業決定に影響を与えにくいこと、専門性志向の中で非専門職コース学生を最も特徴づけるのは知識・技術の習得と発展志向の低さであることを明らかにした。そして、第5部では、今後のキャリア教育においては顕在能力重視の専門性教育が必要性となることを議論した。

本論文は、キャリア形成における専門性の重要性を確認した点、職務満足感と会社満足感の尺度によって産業界における専門性追求の時代的価値を示した点、専門性志向尺度によって非専門職コース学生における専門性意識の問題点を指摘した点で特に意義が認められる。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。

UTokyo Repositoryリンク