学位論文要旨



No 123196
著者(漢字) 安西,悠
著者(英字)
著者(カナ) アンザイ,ユウ
標題(和) アプタマーを用いた可逆的標識による細胞分離技術の開発
標題(洋) Development of non-destructive cell separation method using aptamer-based reversible labeling
報告番号 123196
報告番号 甲23196
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第795号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 栗栖,源嗣
 東京大学 教授 太田,邦史
 東京大学 教授 渡邊,雄一郎
 東京大学 准教授 松田,良一
 東京医科歯科大学 教授 安田,賢二
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究の背景と目的

アプタマーとは、一本鎖DNAまたはRNAから成る核酸分子であり、その高次構造により、抗体と同様に標的分子に対して親和性を有する、いわば「核酸製の抗体」のことをいう。このようなアプタマーは、タンパク質から成る抗体に対して、体内でタンパク質分解酵素の影響を受けないこと、分子量が抗体よりも十分に小さいことなどから、抗体に代わるツールとして医薬分野をはじめ様々な分野での応用が注目されている。

細胞の表現型を理解するためには、細胞を可能な限り傷害せずに識別する技術が必要である。その識別技術として、蛍光抗体を用いた免疫蛍光法が広く行われている。これは抗体が細胞表面上に存在する抗原を特異的に認識して結合するという抗原抗体反応を基礎としたものである。しかし、この抗原抗体反応では細胞を標識し識別した後に、その抗体を抗原から細胞非侵襲的に解離させるという脱標識が困難であることから、免疫蛍光法は不可逆的な標識方法であるといえる。そこで本研究では、抗体に代わる標識物としてアプタマーを用い、細胞を標識し識別した後に、適当な条件における核酸分解酵素反応によりそのアプタマーを分解することで、細胞非侵襲的に脱標識するという可逆的な細胞標識技術を確立することを目的とした(図1)。

2. 実験方法と実験結果

用いた細胞はヒト急性白血病T細胞株(CCRF-CEM細胞)、用いたアプタマーはこの細胞に結合する一本鎖DNAアプタマーである。またコントロールDNAとしては、その配列のみをランダムに並べ替えたDNAを用い、いずれもDNase freeの滅菌水を用いて溶解した。また、No DNAコントロールとしては、DNase freeの滅菌水を用いた。

(1) アプタマーを固定した磁気ビーズによる細胞分離技術の開発

第一の方法として、表面に上記アプタマーを固定した磁気ビーズを用いて細胞を磁気的に分離する方法の開発を行った。ここではアプタマーの5'末端をビオチンで修飾し、ストレプトアビジン磁気ビーズに固定する方法を用いた。このアプタマー固定磁気ビーズを用いて細胞を分離し、その後、核酸分解酵素としてBenzonaseを適用して、細胞と結合した磁気ビーズ上のアプタマーを分解することにより、細胞から磁気ビーズを解離させた(図2)。さらにそれらの細胞を培養し、その増殖能を測定した。一方で、磁気ビーズを解離した細胞を同条件で再度、同様な操作を行う第二磁気分離についても検討した。

まず磁気ビーズへのアプタマー固定量については、固定後にDNAインターカレーターであるSYBR Goldを用いてアプタマーを染色後、蛍光輝度の解析により検討した。その結果、200 pmol/mg beadsの条件で輝度が飽和したことから、以下ではこの条件で固定した磁気ビーズを用いた。続いて上記で作成したアプタマー固定磁気ビーズを、培地中で5×104個の細胞と結合させた。結合後、同培地で3回洗浄することで分離できなかった細胞を除去し、ビーズ分画に含まれる細胞数を血球計算盤で計数した。条件として温度、結合時間、細胞数に対するビーズ数について検討したところ、室温で30分間、細胞に対するビーズ数が10という条件が最も高効率で分離でき、はじめの細胞数の約60 %の細胞が分離できた。一方でコントロールDNA、No DNAコントロールの磁気ビーズではいずれも無視できる分離効率であった。

次に分離した細胞に対して、細胞から磁気ビーズを解離させるために、Benzonaseを添加し37℃で反応させた。反応時間、Benzonase濃度の検討のために、経時的サンプリングをして磁気ビーズが1個でも結合している細胞数を計数したところ、反応時間0の時点を100%として、Benzonase無添加の場合は30分後でも90 %超であったのに対し、Benzonaseを添加した場合では、30分以内に20 %以下となった(図3)。

次に、以上の操作による細胞への傷害を検討するために、Benzonase処理後の細胞増殖能を測定した。磁気ビーズが解離した細胞を回収し、培地交換を3回行うことでBenzonaseを除去して、5日間の培養を開始した。コントロールは、通常の継代培養時と同条件で調整した同数の細胞を培養し、同様にして細胞数の計数を行った。その結果、両者の増殖能に顕著な差は見られなかった。これより、上記操作は少なくとも細胞の増殖能には大きな影響を与えないことが分かった。

さらに、上記Benzonase処理後に同培地で3回洗浄して、その上清に含まれる磁気ビーズが解離した細胞に対して再度、同様な操作を行ったところ、1回目の結果とほぼ同等の結果を得た。これより、1回目の操作は、上記アプタマーが認識する標的を傷害するものでないことが示唆され、さらに、少なくとも2回の分離・解離という操作は、少なくとも細胞の増殖能には大きな影響を与えず、通常の継代培養を行ったときと同様の増殖能を示すことが分かった。

(2) 蛍光アプタマーによる細胞の標識とその脱標識技術の開発

次に第二の方法として、蛍光ラベルしたアプタマーを用いて、蛍光輝度を指標にオンチップセルソーターで細胞を分離するための技術開発を行った。ここでは5'末端をFITCで修飾したアプタマーを用いた。これを用いて細胞を標識し、その後に上記同様にBenzonaseを適用して、蛍光アプタマーを分解することで細胞を脱標識した。さらにそれらの細胞を培養し、その増殖能を測定した。一方で、脱標識した細胞を同条件で再度、同様な操作を行う第二蛍光標識についても検討した。

具体的には、まず蛍光アプタマーを、5 g/L グルコース、5 mM MgCl2、10 % FBSを添加したD-PBS中で5×104個の細胞と氷上で結合させた。4℃の同バッファーで3回洗浄後、励起波長488 nmのアルゴンレーザーを搭載した共焦点レーザー走査型顕微鏡(油浸対物レンズ100倍)で蛍光像を取得した。このとき同時に、CCDカメラを用いて位相差像も取得した。ただしこの際、オンチップセルソーターの現状に合わせ、ディッシュ基板底面からの対物レンズの焦点位置については固定することにした。本実験では、底面から7 μmだけZ軸上向きに対物レンズを固定したとき、最も多くの細胞の赤道面に焦点が合うことを確認したため、この位置に固定して観察を行った。細胞が示す蛍光輝度は画像解析ソフトを用いて求め、細胞を含む領域の総蛍光量から、細胞を含まない等面積の領域の総蛍光量を差し引き、さらにその値を、観察時に同時に取得した位相差像から求めた面積で割ることによって得た値を、その細胞の蛍光輝度とした。このときの結合条件として、結合時間、蛍光アプタマー濃度について検討したところ、結合時間30分、濃度は4 pmol/μLで蛍光輝度が飽和した。このとき、蛍光アプタマーを結合させた細胞のうち約95 %は、その蛍光輝度を指標に、コントロールDNAもしくはNo DNAコントロールを用いた場合の細胞と識別することができることがわかった(図4、5)。

次に、Benzonase(0.4 U/μL)を含む37℃の同バッファーに置換し、37 ℃で反応させ、その後に4 ℃の同バッファーで3回洗浄し、上記同様に観察した。その結果、蛍光アプタマーで標識した細胞の蛍光輝度は、1分以内にコントロールDNAおよびNo DNAコントロールを用いた場合の蛍光輝度とほぼ同等なほどまで小さくなった。一方で、Benzonase無添加の場合は、蛍光輝度に顕著な変化はなかった(図6)。

次に、以上の操作による細胞への傷害を検討するために、上記(1)と同様な方法で、Benzonase処理後の細胞増殖能を測定した。その結果、Benzonase処理をした細胞と、通常の継代培養時と同条件で調整した細胞の増殖能との間に顕著な差は見られなかった。このことから、上記(1)と同様に、Benzonase処理は、少なくとも細胞の増殖能には大きな影響を与えないことが分かった。

さらに、上記Benzonase処理後に、細胞を4 ℃の同バッファーで3回洗浄して、再度、同様な操作を行ったところ、1回目の結果とほぼ同等の結果を得た。これより、上記(1)と同様に、1回目の操作は、アプタマーが認識する標的を傷害するものでないことが示唆され、さらに、少なくとも2回の標識・脱標識という操作は、少なくとも細胞の増殖能には大きな影響を与えず、通常の継代培養を行ったときと同様の増殖能を示すことが分かった。

3. 総括

上記(1), (2)ともに、抗体に代わる標識物としてアプタマーを用いて細胞を標識し識別後、適当な条件における核酸分解酵素反応によりそのアプタマーを分解する、すなわち脱標識するという可逆的な細胞標識ができた。また核酸分解酵素処理を行った細胞は、少なくとも細胞の増殖能には大きな影響を与えず、通常の継代培養を行ったときと同様の増殖能を示すことが分かった。さらにこの可逆的な標識技術は、2回行っても同様の結果を示したことから、アプタマーが認識する標的分子を傷害するものでないことが示唆された。このことは、2回目の標識、脱標識の際、すなわち2種類目の分子を標的とする第二のアプタマーを用いることで、多段階の細胞分離ができることを示唆している。このことは、従来の抗体を用いた場合における、1回目の磁気分離に用いた磁気ビーズが解離できない限り、第二の抗体を固定した磁気ビーズを用いて磁気分離できないという問題点を克服し、特にアプタマーを用いた本研究における(1)の技術において大きな利点であると思われる。

図1 アプタマーによる細胞 標識と脱標識の概念図

図2 細胞磁気分離の概略図

図3 Benzonase処理による細胞からの アプタマー固定磁気ビーズの解離

図4 蛍光アプタマーで標識した細胞

図5 蛍光アプタマーで標識した細胞 の蛍光輝度プロファイル

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ES細胞やiPS細胞などを用いた再生医療などで重要となってくる無標識精製分化細胞の選択的回収技術について、従来の不可逆な抗体法に替わる可逆修飾標識による細胞精製法を提案するものである。そして、本研究では、実際に、核酸からなるDNAアプタマーの抗体と同様な特性に着目し、また、DNA分解酵素によって細胞に一切の損傷を与えること無く、細胞表面に一旦結合したDNAアプタマーを分解することが可能となったことを報告したものである。

第1章では、本研究の背景と目的、本論文の構成を述べている。まず、本研究の背景として、このような精製方法の開発の必要性を再生医療の観点等から議論し、さらに、機能性核酸についての分類、アプタマーの一般的性質、従来のタンパク質に対する精製法(SELEX法)、細胞に対する精製法(Cell-SELEX法)、アプタマーの特性について紹介を行い、本研究の概要について述べている。

第2章では、実際にDNAアプタマーと磁気ビーズを組み合わせて細胞を回収して、その回収後の細胞にDNA分解酵素を付加して、細胞表面に結合した磁気ビーズを除去することができたことを述べている。ここでは、実際に用いた磁気ビーズとアプタマーとの結合性能の最適化、アプタマー付き磁気ビーズによる細胞標識の量比の最適化、細胞精製後のDNA分解酵素の効率の評価、そして、DNA分解酵素の細胞への影響の検討を行っている。本研究の結果、実際に細胞を精製した後に、磁気ビーズ付きアプタマーはDNA分解酵素で除去することができ、細胞への毒性については、増殖能で見る限り問題が見られないことが述べられている。

第3章では、第2章で開発したDNAアプタマーと磁気ビーズの手法を、DNAアプタマーと蛍光色素を組み合わせた手法に発展させ、実際にどの程度の蛍光標識DNAアプタマーが細胞表面に結合し、また、結合したアプタマーがDNA分解酵素によって消化されるかを評価している。ここでは第2章では、十分に検討できなかったアプタマー自体の分解、細胞からの乖離について蛍光色素ベースでの検討がなされている。その結果、アプタマーは蛍光標識ベースで観察しても十分に除去されていることが確認されたことが述べられている。

第4章では、本研究の成果を総括し、本研究のまとめと結論、今後の展開を述べている。特に、分離法についての議論、アプタマーの性能についての議論を行い、さらに現時点ではまだ開発中の細胞表面に特異的に結合するアプタマーの選別技術の今後の開発について議論をしている。

これら本論文で述べられている研究は、これからますます重要になるES細胞塊、iPS細胞塊から分化したヘテロな細胞塊からいかに、標的細胞を精製して人体に戻すか、という問題についての解決を目指した方法論の検討である。細胞の分化を評価するために細胞表面の抗原に対して抗体に代わってアプタマーを用い、標識分離後にその標識をDNA分解酵素で完全消去できることは、従来困難であり、いまだに国内のみならず世界的に見ても実現されていない「分化細胞の人体への還元」を可能にすることを示唆しており、ES細胞、iPS細胞の再生医療への実用化のためには非常に意義のあるものと考えられる。また、本論文の内容ついて特許をすでに複数提出しており、その中で、EU特許庁のサーチレポートからは、その特許の概念そのものが特許侵害の可能性なしという回答があり、基本特許が成立する可能性も見出されている。

いずれの研究内容も単純ではあるが、原理そのものの検証であり、従来の抗体法や染色法に替わる細胞標識回収法の提案となっており、このこと自体が、その研究水準の高さを示すものと考えられる。

したがって本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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