学位論文要旨



No 123199
著者(漢字) 鈴木,郁郎
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,イクロウ
標題(和) 1細胞ベース神経回路網の構成的培養技術と多点長期計測技術の開発
標題(洋) Development of constructive cultivation method for single-cell-based neuronal network formation and its multi-site long-term recording
報告番号 123199
報告番号 甲23199
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第798号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 栗栖,源嗣
 東京大学 教授 村田,昌之
 東京大学 教授 里見,大作
 東京大学 教授 神保,泰彦
 東京医科歯科大学 教授 安田,賢二
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

生命システムは、システム全体の構成に基づく、要素間の情報伝達とそのダイナミクスの中で機能を実現している。脳における記憶・学習といった生命システムの高次機能も、基本素子である神経細胞(要素)が複雑に結合した神経回路(全体)の中での相互作用(情報伝達)とその相互作用で生まれる回路システムのダイナミックな活動で実現されているであろう。神経細胞間での情報伝達の実体はシナプス伝達が主となる。シナプス機能の解析は現在までの多くの神経科学分野の研究により、その分子機構は詳細にわかってきた。しかしながら、分子機構が部分的にわかっても、要素(神経細胞)間の情報伝達のされ方による神経回路システムの挙動としての理解は、未だにほとんど進んでいない。その原因は、すでに複雑に構成されているサンプルを対象にした計測であるため、どの細胞とどの細胞で情報伝達があったのかなど、細胞間の情報伝達を詳細に解析することに限界があるためである。そこで本研究は、情報伝達を把握できる簡単な神経回路モデルを人為的に作ってシステムの挙動に潜むロジックを探りたいという動機のもと、それを実験的に実現するために、1細胞単位で細胞配置、結合関係、異種細胞の組み合わせを制御した神経回路モデルの構築技術と、構成的に構築した回路を長期間1細胞単位で計測できる計測技術の開発を目的とした。

2.神経回路網の1細胞ベース構成的培養技術の開発

神経細胞間の情報伝達(スパイク伝播)を把握した1細胞ベースの神経回路モデルを構築するためには、1細胞単位で回路の構成(細胞数、結合関係、異種細胞の組み合わせ)を制御して培養できる技術が必要であり、また情報伝達の方向の制御が重要である。1細胞ベースの培養技術として、培養中にマイクロ構造を作製できるアガロースマイクロ加工技術を使って課題に取り組んだ。細胞は、培養初期に最初に長く伸びる突起が軸索になることが知られているRat海馬初代培養細胞(E18)を用いた。図1-Aはマイクロチャンバに配置した神経細胞が1方向に作製したマイクロチャンネルに1本長く突起を伸ばしている様子である。この最初に伸ばした突起が軸索であるかを確認するために、1方向に伸ばした後、追加加工により2番目に伸びる突起を逆方向に伸展させ免疫染色した(図1-B)。その結果、最初に伸ばした突起が軸索であることがわかった。これにより、軸索の方向性を制御した1細胞単位の培養ができることがわかり、培養中にマイクロ構造を追加加工すれば、図1-Cのように段階的に突起の伸長方向を制御した1細胞単位の神経回路モデルの構築が可能になった。次に、軸索の方向性を制御して構築した神経回路の機能をホールセル・ダブルパッチクランプ法を用いて調べた。プレニューロンに活動電位を発生させた時は、ポストニューロンに興奮性後シナプス電流(EPSC)が観察されたが、ポストニューロンに活動電位を発生させた時は、プレニューロンにEPSCは観察されなかった。この結果により、軸索の方向性を制御した回路の機能的な確認ができた。また、神経細胞の興奮性ニューロンとGABAニューロン(抑制性)を識別して配置できれば、モデル系の構築や電気活動を解析する上で有用である。そこで、GABAニューロンに特異的に発現しているグルタミン酸脱炭酸酵素(glutamate acid decarboxylase)にGFPラベルされたGAD-67 GFP-knock in mouse(群馬大学 柳川先生ご提供)を用いた。その結果、GABAニューロンと興奮性ニューロンを選択的に配置した回路の構築ができるようになった(図1-D)。これらの結果より、従来まで難しかった軸索の伸長方向と細胞種を制御した1細胞単位の構成的神経回路モデルの構築を実現した。

3.神経回路網の多点長期計測技術の開発

構築した神経回路活動を1細胞単位で長期間計測するための計測技術として、細胞外記録である多電極アレイ基板と計測システムの開発を行い、アガロースマイクロ構造と多電極アレイを組み合わせることで電極上に構築した神経回路の活動を非侵襲的に長期間追えるようにした。これにより、構築した神経回路に沿った活動電位の伝播を検出することができた。また、培養中にマイクロ構造を追加加工できることを使って、培養中に新たな結合を人為的に作れば、電気的結合を作れることがわかった。この結果から、同一サンプルを対象としたパターンの違いに依存した応答を差分計測できることが示唆された。

続いて、構築したネットワーク活動が外部刺激に対して履歴応答性を示すかを調べた。特定の電極にテタヌス刺激(高頻度電気刺激)を与え、テタヌス前後の単発刺激に対する回路応答を計測した結果、刺激に対する活動の遅れ時間、burst時間、活動の再現性において、テタヌス前後で活動の変化が観察され、その変化が少なくとも6時間は保持されていた様子が観察された(図2)。これらの結果により、構成パターンや刺激の入れ方に応じた神経回路の活動変化とその履歴現象を計測できる可能性が示唆された。しかし、マイクロチャンネル内の突起の混在や白金黒上の細胞が可視化できない等の問題があり1細胞単位の厳密な解析には至らなかった。

3.孤立1・2神経細胞の自発発火計測

既存の電極では、電極上の細胞が可視化できないという問題があったため、白金黒付を薄くして光学計測可能な電極基板を作製した。この電極を使って、まずは1細胞単独での自発活動特性を調べた。活動が記録されたサンプルの多くは、培養2週間前後から、自発活動が観察された。自発発火パターンを解析した結果、3つの活動パターンが現在までに出てきた。計測されたサンプルの8割以上で観察された多数のspikeが一度に発火(burst)する神経細胞(図3-A)、single spikeで5Hz程度の高頻度発火を示す神経細胞(図3-B)、burst とsingle spikeが混在している神経細胞(図3-C)の3つである。その発火パターンの性質は、計測期間中保たれていたことから、1神経細胞は固有の自発発火パターンを持っていることがわかった。次に、2神経細胞系にすることによる影響を調べた。Burst する神経細胞とsingle スパイクで高頻度発火する神経細胞の共培養した系で計測した結果、burst神経細胞の発火によって高頻度で発火する神経細胞が誘発応答を受ける様子が観察された。この結果により、1細胞の発火で他の細胞を発火させることが可能であることがわかった。また、誘発を受けることによって、自発活動のリズムが乱され、時間と共に元のリズムに戻って行く現象(コミニティエフェクト)が観察された。この結果により、1細胞単位で構成的に回路を構築することによって、細胞数や発火パターンの組み合わせに依存した神経回路システムの挙動を評価してゆくことが可能になった。

4.おわりに

本研究は、細胞間の情報伝達を把握できる1細胞単位の神経回路モデルを作って、その回路活動に潜むルールを構成的に理解したいという動機のもと開始した。本論文の意義は、1細胞単位で細胞間の情報伝達を把握できる回路モデルの構築と1細胞単位での長期活動計測を実現にしたことで、神経回路モデル動態を1細胞単位で構成的理解してゆくことを実際に可能にしたことである。

図1 神経回路網の1細胞ベース構成的培養

A:1方向に作製したマイクロチャンネルに伸長した軸索。B: (a)突起の伸長方向を段階的に制御した培養写真。(b)免疫染色像(赤:Synapsin1,緑:Map2)。C:突起の伸長方向を段階的に制御した1細胞ベース神経回路の構築。D:GABAニューロンを選択的に配置制御して構築した回路。

図2 テタヌス刺激による活動の変化と保持

A:培養15日目の位相差像と蛍光像(緑:Map2)。E1電極にテタヌス刺激を入れた。B:(a)テタヌス前の刺激誘発応答。(b) テタヌス後30分。(c)テタヌス後6時間。(d)テタヌス後

図3 1神経細胞の自発活動

A:Burst発火をする神経細胞。B:single spike で高頻度発火する神経細胞。C:Burst発火とsingle spikeが混在した発火を示す神経細胞。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、1細胞単位での神経細胞集団ネットワークを構成的に構築する新しいオンチップ細胞培養計測手法と神経1細胞単位での電位計測を可能とする多電極システムを用い、1細胞からの神経細胞ネットワークの再構成によって、孤立神経細胞の特性の評価、2細胞系での伝達特性の評価、テタヌス刺激による細胞ネットワークの応答の履歴現象の観察、薬剤に対する応答の違いから、「組織モデル」となるオンチップ細胞ネットワークの構築を目指した一連の研究を報告したものである。

第1章では、本研究の背景と目的、本論文の構成を述べている。まず、本研究の背景として、脳の機能の理解のためには、要素(細胞)と全体(神経回路)との関係を、従来の分析的アプローチに加えて、構成的アプローチによって要素の必要性、ネットワークの最小構成の意義を理解することの必要性について述べている。

第2章では、神経細胞ネットワークを構成的に構築するために開発したアガロース微細加工技術を用いた1細胞単位での神経ネットワーク回路構成技術を述べている。ここでは、アガロース加工技術を利用した一連の1細胞単位での細胞数、結合関係、異種細胞の組み合わせ技術についての方法論の紹介と、これらの手法を用いた研究成果をまとめているが、特に、軸索と樹状突起の成長特性の違いを利用して、初めて神経突起の結合方向制御を可能としたことが報告されている。また、パッチクランプ法を用いて、2細胞の結合の方向性が制御されていることが確認されている。

第3章では、第2章で開発した細胞配置制御技術を64チャンネル多電極計測システムと組み合わせて、神経細胞1細胞単位での長期培養計測技術の開発について述べている。実際に、多電極チップの各電極上に細胞が配置されるようにアガロース層が加工されたチップを利用して、ここで神経細胞の1次元配置細胞ネットワークの電気的計測が確認されている。ここで直線的に構築した神経細胞8細胞ネットワークについて、テタヌス刺激を与えたところ、30分後に神経細胞間の結合の活性化と再現性の確認ができ、24時間後にこの情報の消失を確認することができたことが報告されている。

第4章では、第3章で問題となった、電極が不透明電極であることを改善して、透明電極を用いて計測する技術の開発について述べている。ここでは、実際に走査型電子顕微鏡を用いて1細胞サイズの電極の表面の状態を確認し、電極のパターン、表面修飾などを改善する方法などについて実験をして、その結果を議論している。また、神経細胞1細胞から伸長した神経突起中を伝搬する電気信号を多点で実時間計測する技術の開発についても成功したことが報告されている。

第5章では、第4章までで開発した1細胞レベルでの神経細胞の電気的特性を計測できるシステムを用いて、孤立神経細胞1細胞の発火特性の計測技術について述べている。孤立神経細胞1細胞で長期計測したところ、発火パターンベースで3つの種類の存在を確認することができ、また、2細胞ネットワークを構築した時の、2細胞の発火特性の変化についても計測し、集団化によって2つの細胞の特性が平均化されるのではなく、各細胞が持っている機能のうち、より影響力が強い特性が支配をすること、さらに、2細胞となることで、その特性がより安定して顕著に見えることが確認されたことが報告されている。さらに薬剤を加えたことによる、神経応答の変化を、孤立1細胞レベル、2細胞ネットワークレベルで比較計測することにも成功しており、これは従来の複雑な機能解析をより要素レベルで理解することを可能とすることが報告されている。

第6章では、本研究の成果を総括し、本研究のまとめと結論、今後の展望を述べている。本研究の主題である、神経細胞1細胞からの構成的神経ネットワークの構築について、達成事項のまとめと、これらの現状での課題、そしてその解決法についての議論が述べられている。

これら本論文で述べられている研究成果は、従来困難であり、いまだに国内のみならず世界的に見ても実現されていない「神経細胞の神経突起レベルでの方向性制御、1細胞レベルでの空間配置技術を用いた神経ネットワークの構成的構築と、その機能の長期培養計測」という課題を、全くのゼロから5年間で実現したものであり、特に、神経細胞を単独で1細胞だけ孤立化し電極上で長期培養計測した、電気的発火特性ベースでの細胞の違いの発見や、わずか8細胞のネットワークで最小記憶モデルの構築に成功したことなど、すべてが世界的に前例が無く、特記に値するものと考えられる。また、このような基礎研究の成果を薬物効果の検証に用いる応用研究も独創的であり、将来の動物実験に代わるモデル臓器、組織の構築の可能性を示唆するものであり、大きな意義があるものと理解される。

いずれの研究内容も従来の細胞培養技術では実現できないソフトマテリアルを用いた段階的リアルタイム微細加工技術と、その応用に関して世界で初めて成功したものであり、オリジナルである。また、この空間配置の制御技術を用いて行った細胞の空間パターンと細胞集団との関係に関する研究は、新たな生物学の研究手法を提案するものであり、このこと自体が、その研究水準の高さを示すものと考えられる。

したがって本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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