学位論文要旨



No 123200
著者(漢字) 髙橋,雄介
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ユウスケ
標題(和) 行動抑制系・行動賦活系とそれらの気質次元の 不安・抑うつ症状の発生における役割
標題(洋) Behavioral Inhibition and Activation Systems and Their Roles in The Development of Anxiety and Depressive Symptoms
報告番号 123200
報告番号 甲23200
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第799号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 繁桝,算男
 東京大学 教授 里見,大作
 東京大学 教授 長谷川,壽一
 東京大学 准教授 村上,郁也
 東京大学 講師 星野,崇宏
内容要旨 要旨を表示する

現在のパーソナリティの類型論的研究には,大きく分けて2つの大きな潮流がある。そのひとつは,Allport & Odbert (1936)以来の性格記述語の因子分析的研究を基にしている系譜で,McCrae & Costa (1987)にほぼ完成を見た性格の5 因子モデルである。他方の流れとして,生物学的パーソナリティ理論がある。これは,パーソナリティの基盤と何らかの生物学的要因との対応に,人間のパーソナリティの構造的な妥当性を見出そうとするものであり,Eysenck (1963)以来の気質研究がこれに相当する。Eysenck (1963)は,人間行動を説明するためのパーソナリティ次元に生物学的な基盤を求め,神経症傾向と外向性という独立した2次元から成り立つパーソナリティの生物社会モデルを提唱した。しかし,その数年後,Gray (1970)は,「神経症傾向と外向性は,より基礎的な次元である行動抑制系(Behavioral Inhibition System; 以下BIS)と行動賦活系(Behavioral Activation System; 以下BAS)の2つの組み合わせによって表出する派生的な次元である」と述べ,Eysenckのモデルをより神経生理学的な基盤に添うような形に修正を行い,人間の気質の個人差をそれら2つのシステムによって記述する強化感受性理論(Reinforcement Sensitivity Theory; RST)を提唱した。

BISは,罰やフラストレーションを引き起こすような無報酬の条件刺激などに対する感受性で,進行中の行動を抑制し,潜在的な脅威を回避できるよう注意を喚起する機能を担うとされる。BISは特性不安の基盤を成すシステムであると考えられていて,中隔・海馬システムへ投射するセロトニン神経系との関連が想定されている。一方のBASは,報酬や罰の不在を知らせる条件刺激に対する感受性であり,目標の達成に向けて,接近的な行動を始発する機能を担うとされる。BASは衝動性の基盤を成すシステムであると考えられていて,中脳辺縁系のドーパミン作動系との関連が想定されている。

Grayの強化感受性理論は,動物の学習と動機研究を背景に,人間を対象とした研究への適用が期待されているが,測定ツールの精緻化が遅れたせいもあり,実証的なデータの蓄積が乏しいのが現状である。そこでまず,本博士論文の第1章では「そもそも気質とは何か」という点に立ち返って,気質に関するいくつかの定義のうち,中核となっていると考えられた3つの定義([1]時間的に安定的で,[2]遺伝的基盤を持ち,[3]情動プロセスと関連する)という3点についてまとめた。

Grayモデルは,当然のように気質モデルと称されるが,BISやBASがこれらの定義に適合的であるかどうか検討した研究は非常に少ない。そこで本博士論文では,第2章から第4章において,気質の3つの定義に関する基礎的な研究を行い,第4章と第5章では応用研究として,BIS・BASから見た精神病理症状の発生機序に関する研究を行った。以降,第2~5章についてより詳細に紹介する。

第2章の研究では,気質の1つめの定義である時間的安定性について検討を行った。BIS・BASの個人差は心理的特性としてどの程度安定的であるのかを検討するため,162名の大学生を対象にBIS・BAS質問紙を用いた2時点の縦断調査を実施し,観測変数の個人差分散を「特性成分(=安定的な部分)」と「状態成分(=状況依存的な部分)」に分離可能な潜在状態-特性理論に基づいた分析を行った。その結果,BIS・BASともに特性成分は約70%と推定され,これらの気質次元は相対的に特性的であることが示唆された。

次に,第3章の研究では,「気質の安定性は遺伝要因と環境要因のどちらに由来するのか?」という点に着目して検討を行った。これは,気質の1つめの定義と2つめの定義を併せた検討を行うことに他ならない。学位申請者は,修士論文において既にBIS・BASにおける遺伝の影響を示しているが,「遺伝的な影響があること」と「安定的な特性であること」は必ずしも同値ではない。発達に伴って新たな異なる遺伝要因が影響を持ち,遺伝率そのものが変化する可能性があるからである。幼少期の気質は,測定年齢時点ごとに新たな遺伝要因から影響を受けていることが示されているが,成人期における研究報告はほぼ皆無である。そこで,本研究では,2003年と2006年に,のべ448組の成人双生児ペアを対象にした縦断調査を行った。その結果,成人期の気質の安定性は遺伝由来,変容性は環境由来であり,この時期には新たな遺伝要因の解発は無く,遺伝率は一定であることが示された。このことは,成人期におけるBIS・BASは他のパーソナリティ特性と比較して遺伝的に安定的であることを示唆している。その一方で,成人期の気質の展性は,環境要因によることが初めて明らかとなった。

気質の3つめの定義は,情動プロセスとの関連であった。気質やパーソナリティに関する研究はその構造や基盤に関する研究だけでは不足であり,気質を説明変数として,何らかの従属変数を予測・説明してこそ更なる意義を有する。そこで第4章の研究では,情動プロセスの極端な結果と考えられる不安・抑うつ症状を従属変数として考え,「BISの高さは不安と抑うつの両者と関連し,BASの低さが抑うつと特異的に関連する」とする修士論文の結果に基づいて,その研究結果を「先行する気質は,後続する精神病理的な症状(=極端な情動プロセスの結果)を予測するか?」という点について検討を行うため,縦断的双生児データ解析へと拡張を行った。その結果,BIS の背後に仮定される遺伝要因は2年後の不安と抑うつの生起を予測し,BAS の背後に仮定される遺伝要因は2年後の抑うつの抑止を予測した。「先行する気質要因の遺伝分散が,後続する不安・抑うつ症状の遺伝分散を全て説明した」という結果は,修士論文で報告したモデルの生物学的妥当性とGrayの気質モデルの予測的妥当性を双生児研究によって実証的に示した初めての報告である。

第4章の研究は,気質から不安・抑うつ症状への主効果のみについて検討したものであったが,ストレスフルなライフ・イベントの経験が,調整変数として不安・抑うつ症状の発生に寄与する交互作用モデルのほうが,より正確にそれらの症状を予測できるかもしれない。行動遺伝学では「高リスクな環境を経験したほうが,遺伝的影響が増大する」という素因ストレスモデルと「高リスクな環境を経験したほうが,環境的影響が増大する」という生物生態学モデルの2つのモデルを比較検証されることがある。そこで,第5章の研究では,「ストレスフルなライフ・イベントを経験すると,気質と不安・抑うつ症状の共分散はどのように調整されるのか?」という点について,素因ストレスモデルと生物生態学的モデルのどちらが適切に説明しているか,検証を行った。2007年3~6月にかけて首都圏在住の成人双生児ペアに対して郵送法による質問紙調査を行い,608組1216名から有効な回答を得た。双生児法を用いた遺伝・環境交互作用モデルはこれまで単変量分析のみで行われてきたが,本研究では多変量へと拡張して分析を行った。その結果,ストレスフルなライフ・イベントを多く経験するほど,気質と不安・抑うつ症状の間の遺伝共分散が調整され,増大することが分かった。これらの結果は,素因ストレスモデルの可能性を支持する結果である。

本博士論文には,Grayの提唱した気質次元BISとBASを中心に据えたうえで,大きな目標が2つあった。ひとつは「気質の3つの定義に関する基礎的研究」,もうひとつは「BIS・BASから見た精神病理症状の発生機序に関する応用的研究」であった。

まず,「気質の定義に関する基礎的研究」について,潜在状態-特性モデルを適用した結果,BISとBASの特性成分は約70%と推定され,相対的に特性的であることを示唆され,時間的に安定的であることが確認された(第2章)。また,18~30歳の成人期においては,気質の安定性は遺伝由来,変容性は環境由来であることが明らかとなった(第3章)。具体的には,成人期には新たな遺伝要因の解発は無く,2点の縦断調査間において遺伝的な影響は安定しており,一方,成人期の気質の展性は環境要因に拠ることが分かった。さらに,「BIS・BASは,情動プロセスの極端な作動結果と考えられる不安や抑うつ症状を予測できるか?」という点について縦断的双生児データ解析を行い,BISの背後に仮定される遺伝的要因は,後続する不安・抑うつ症状両者の発生を予測し,BASの背後に仮定される遺伝的要因は,後続する抑うつ症状の防御を予測することが分かった(第4章)。以上3点より,BIS・BASは気質の定義に対して十分に適合的であることが確認された。パーソナリティの基盤と何らかの生物学的要因の間に構造的な妥当性を見出そうとする気質理論は,パーソナリティ心理学と神経科学とを結ぶインタフェースとして機能し得るので,今後ますます注目されていくと考えられ,中間表現型(endophenotype)として,生物学的な指標などとの関連性について更なる検討が行われていくことが期待される。

そして次に,「BIS・BASから見た精神病理症状の発生機序に関する研究」について,縦断的双生児データ解析の結果,「先行する気質要因の遺伝分散が,後続する不安・抑うつ症状の遺伝分散を全て説明する」ということが分かり(第4章),Grayの気質モデルの予測的妥当性及び遺伝的構造の妥当性を双生児研究によって初めて実証的に示すことができた(第4章)。また,「不安・抑うつ症状独自の遺伝要因は仮定されない」ことも示され(第4章),不安・抑うつ症状に関連する生物学的要因を探すのではなく,BIS・BASに関連する生物学的要因について研究を行うほうが示唆的である可能性が示された。また,新たな試みとして,多変量による遺伝・環境交互作用モデルを提案し,実証した。その結果,いずれの場合も,「ストレスフルなライフ・イベントを経験すると,BIS/BASと不安・抑うつ症状の遺伝共分散は増大する」という素因ストレスモデル的な交互作用の存在が確認された(第5章)。生物学的パーソナリティ理論や行動遺伝学的研究は,遺伝の影響だけに着目していると考えられがちである。しかし,遺伝の影響を調べるということはすなわち環境の影響について調べることに他ならず,両者の知見は常に表裏一体でなければならない。環境については具体的な示唆に欠けるというのが現状であったが,本博士論文は,「遺伝と環境の交互作用はそもそもあるのか」という問いを考えるステージから「どういった人が環境的なリスクを負っているのか」を研究するステージへと引き上げ,実際の介入・実践への示唆を与える第一歩となったものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

気質理論とは,パーソナリティの基盤と何らかの生物学的要因との対応にある種の構造性を見出そうとするものである。本博士論文は,特にGrayの提唱した気質モデルを取り上げ,前半部ではそれらが気質の定義に適合的であるかどうかを検討する研究を,後半部ではそれらの気質次元から見た精神病理症状の発生機序に関する研究をそれぞれ行ったものである。

Grayの気質モデルは,行動抑制系(Behavioral Inhibition System; BIS)と行動賦活系(Behavioral Activation System; BAS)という基本的な2次元の組み合わせによって人間の適応/不適応行動の個人差を記述する気質モデルで,強化感受性理論(Reinforcement Sensitivity Theory)と呼ばれている。Grayモデルは,動物の学習と動機研究を背景に,人間を対象とした研究への適用が期待されているものの,国内外において測定ツールの精緻化が遅れ,実証的なデータの蓄積が乏しい。そこでまず,本博士論文の第1章では「気質とは何か」という点に立ち返って,気質研究の歴史が概説され,気質に関するいくつかの定義のうち,中核となっていると考えられる3つの定義すなわち(1)時間的安定性,(2)遺伝的基盤,(3)情動プロセスとの関連という3点を中心に詳細な解説がなされている。

第2章の研究では,気質の1つめの定義である時間的安定性についての検討が行われた。ある特性の個人差がどの程度安定的であるのかを検討するためには,通常は相関係数のみが用いられるが,本研究では潜在状態-特性理論(Latent State-Trait Theory; LST)に基づいた分析が適用された。LSTは古典的テスト理論の拡張モデルとして位置付けられ,観測変数の全体分散を状態成分・特性成分・測定誤差に分割する。状態成分はその場の状況によって変動する部分,特性成分は時間的に安定した個々人の特徴であり,特性成分が大きいほど,時間的に安定していることを示す。本研究では,162名の大学生を対象に質問紙を用いた2時点の縦断調査を実施した。その結果,BIS・BASともに特性成分は約70%と推定され,これらの気質次元は時間的に安定していることが示された。BIS・BASの各気質次元の特性成分の報告は初めてであるとともに,国内においてLSTを何らかの観測変数に対して適用した事例もこれまで全く行われてこなかったため,本研究は知見の新しさとともに方法論的の効果的な適用という点も評価できる。

次に,第3章の研究では,第3章から第5章まで通じて用いられる人間行動遺伝学的方法論についての概説が行われたあと,「第2章において示された時間的安定性は遺伝要因と環境要因のどちらに由来するのか」という点に着目して検討が行われた。これは,気質の1つめの定義と2つめの定義を併せた検討である。2003年と2006年に,のべ448組の成人双生児ペアを対象にした縦断データをもとに行動遺伝解析を行った結果,成人期の気質の安定性は遺伝由来,変容性は環境由来で,この時期には新たな遺伝要因の解発は無く,遺伝率は一定であることが示された。このことは,成人期におけるBIS・BASは他のパーソナリティ特性と比較して遺伝的に安定的であることを示唆している。論文提出者は,修士論文においてBIS・BASにおける遺伝の影響を実証したが,本研究では,発達に伴って新たな異なる遺伝要因が気質に対して影響を与え,気質の遺伝率そのものを変化させる可能性について否定した。またその事実に対応して,成人期の気質の変化は環境要因によることを初めて明らかにした。

第4章の研究では,気質の3つめの定義である情動プロセスとの関連について検討が行われた。論文提出者は自身の修士論文において,「BISの高さは不安と抑うつの両者と関連し,BASの低さが抑うつと特異的に関連する」とする結果を得ており,本研究ではこの因果関係を確立するため,「時間的に先行する気質は,後続する精神病理的な症状(=極端な情動プロセスの結果)を予測するか」という点について検討するため,先の第3章と同じサンプルを対象とした縦断的双生児データ解析が行われた。その結果,BIS の背後に仮定される遺伝要因は2年後の不安と抑うつの生起を予測し,BAS の背後に仮定される遺伝要因は2年後の抑うつの抑止を予測した。「時間的に先行する気質要因の遺伝分散が,後続する不安・抑うつ症状の遺伝分散を全て説明した」という結果は,修士論文で報告したモデルの生物学的妥当性とGrayの気質モデルの予測的妥当性を双生児研究によって実証的に示した初めての報告である。

第4章の研究は,BIS・BASから不安・抑うつ症状への主効果のみについて検討したものであったが,ストレスフルなライフ・イベントの経験が,調整変数として不安・抑うつ症状の発生に寄与する交互作用モデルのほうが,より正確にそれらの症状を予測できるかもしれない。そこで,第5章の研究では,「ストレスフルなライフ・イベントを経験すると,BIS・BASと不安・抑うつ症状の共分散はどのように調整されるのか」という点について,素因ストレスモデルと生物生態学的モデルのどちらが適切に説明しているかについて検証を行った。608組1216名の双生児データを用いた多変量遺伝・環境交互作用モデル分析を行ったところ,ストレスフルなライフ・イベントを多く経験するほど,気質と不安・抑うつ症状の間の遺伝共分散が調整され,増大することが分かった。これらの結果は,素因ストレスモデルの可能性を支持する結果である。双生児法を用いた遺伝・環境交互作用モデルはこれまで単変量分析のみで行われてきたが,本研究では多変量へと拡張して分析が行われた点,そして,ストレスが素因に働きかけて不安・抑うつ症状の発生を引き起こすリスクを高めるというメカニズムを双生児研究において示した点が評価された。

第6章においては,4つの実証的研究において得られた知見をまとめた総合的考察を行い,Grayの気質モデルが中間表現型として機能している可能性を論じ,さらに,本博士論文で適用された方法論の融合的展開,行動遺伝学的研究の今後の方向性が論じられている。

本博士論文の意義は,パーソナリティ心理学・精神病理学に対して,多変量解析及び行動遺伝学的分析を効果的に適用して,重要な知見を数多く提供した点にある。具体的には,気質の特性的側面についての検証方法として潜在状態-特性理論を国内で初めて導入して検討を行った第2章の研究,BIS・BASと不安・抑うつ症状について縦断的双生児データ解析を行った第3~4章の研究,遺伝・環境交互作用について従来のモデルを拡張して行動遺伝解析を行い,新たな知見を提供した第5章の研究は,いずれもその独自性が高く評価された。また,修士課程在籍時から一貫した興味のもと,博士論文研究まで昇華させた研究の連動性,パーソナリティ・モデルの中でも今後注目を浴びるであろうGrayのモデルをいち早く取り上げた先見的着眼,今後の介入・実践研究につながり得る実証的なデータを蓄積した功績も高く評価された。さらに,第3章の研究は既に英文誌に掲載済みであると共に,論文提出者は国内外の学会において受賞歴があり,これら一連の研究成果は高い評価を得ている。

したがって,これらの成果により,本審査委員会は全員一致で博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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