学位論文要旨



No 123203
著者(漢字) 肥後,明佳
著者(英字)
著者(カナ) ヒゴ,アキヨシ
標題(和) 糸状性ラン藻Anabaena sp. PCC 7120 における乾燥・再水和耐性機構の解明
標題(洋) Elucidation of the mechanism of dehydration-rehydration tolerance in the filamentous cyanobacterium Anabaena sp. PCC 7120
報告番号 123203
報告番号 甲23203
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第802号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 佐藤,直樹
 東京大学 准教授 箸本,春樹
 東京大学 准教授 和田,元
 埼玉大学 教授 大森,正之
内容要旨 要旨を表示する

序論

水は生物にとって必須であり、乾燥状態に耐えられる生物は少ない。しかしながら極限的な乾燥状態を生き抜くことが可能な生物も広い範囲の生物界に存在する。ワムシやクマムシなどの微小な動物、復活草、植物の種子、酵母、土壌細菌などである。これらの生物が乾燥状態に耐えるための機構として、二糖類の蓄積が重要な役割を果たすと信じられている。また、乾燥に強い高等植物やコケ類は乾燥過程において代謝活動を能動的に停止し、活性酸素の発生を抑えることが重要なメカニズムであることが近年言われている。一方、耐乾性の獲得には、乾燥した細胞が水分を吸収し、代謝活動を再開する再水和過程も重要であると考えられる。停止している代謝活動を再開していく再水和過程の方が活性酸素を発生しやすく、細胞にストレスがかかりやすいという可能性も議論されており、再水和過程は単純な修復・回復過程ではないことが示唆されている。

ラン藻は水圏生物として知られているが、土壌に生息できるラン藻も存在し、非常に強い乾燥耐性を持っている。陸生ラン藻の乾燥耐性機構を解明することは土壌改善や砂漠緑化などへの応用にもつながる重要性を持つ。Nostoc commune を初めとする強い乾燥耐性能を持つ陸生ラン藻は、遺伝子操作系が現在のところ開発されていないことなどから、遺伝子レベルでの研究は遅れている。これに対してN commune に近縁なAnabaena(Nostoc) sp. PCC 7120 株は、N. commune ほど乾燥耐性能を持たないが、数日間の乾燥には十分耐えることができ、遺伝子操作が可能であることなどから、分子レベルでの解析に利用できる。そこで私はAnabaena sp.PCC 7120 を用いて乾燥耐性機構の研究を進めた。第1 章ではDNA マイクロアレイ解析によりAnabaena sp.PCC 7120 の乾燥及び再水和時の網羅的遺伝子発現の解析を行った。第2 章では再水和過程においてcAMP 信号伝達系に着目し、解析を進めた。

第1 章乾燥・再水和時における網羅的遺伝子発現解析

Anabaena sp. PCC 7120 において乾燥・再水和時各3 点ずつについてDNA マイクロアレイ解析を行った。乾燥過程では、399 個の遺伝子の発現量が少なくとも1 点において増加していた。再水和過程では769 個の遺伝子の発現量が増加していた。これらのうち292 個の遺伝子が乾燥・再水和両方の過程において共通に発現量が増加していた(Fig. 1)。これら遺伝子の多くは塩や低温ストレス時などにおいても発現量が増加する一般ストレス応答遺伝子と考えられるものであり、再水和過程においても何らかのストレスがかかっていることが示唆された。乾燥過程特異的に転写産物量が増加した遺伝子は29 個あり、そのうちの大部分は機能未知の遺伝子であった。逆に、再水和過程特異的に発現量が増加した遺伝子は259 個あり、急激かつ一過的な応答を示すものが多かった。タンパク質のフォールディングや分解、あるいはDNA の修復に関わる遺伝子など、明らかに細胞の修復に寄与すると考えられる遺伝子群の他、様々な代謝に関わる遺伝子群の発現量が増加していた。その中には、cytochrome c oxidase やNAD プールの新規合成、また、窒素欠乏時や無機炭酸欠乏時に発現が誘導される遺伝子などを含んでいた。また、RuBisCO やATP 合成、光化学系、窒素固定など細胞内の主要な代謝に関わる遺伝子群の発現量は乾燥過程において段階的に減少し、逆に再水和過程では段階的に回復していった(Fig.2)。

再水和過程で発現量が増加した転写因子をコードする遺伝子は8 つあったが、そのうち転写促進因子をコードすると考えられたのはancrpB とalr0618 の2 つであった。AnCrpB はcAMP 依存的にDNA 結合活性を示すことが既に報告されているが、Alr0618 にはcAMP 結合モチーフはない。ancrpB 破壊株では、窒素欠乏時に発現が誘導される遺伝子の誘導が起こらなかった。また、alr0618 破壊株では無機炭酸の取込に関わる遺伝子群の発現誘導が起こらなかった。

以上の結果から、乾燥・再水和過程に起こる転写産物量の変化の全体像を把握することができた。乾燥過程で発現量が増加した遺伝子の多くは再水和過程でも発現量が増加しており、これら遺伝子群は細胞の乾燥に直接応答しているわけではないことが示唆された。また、再水和過程は乾燥過程の逆の現象ではなく、乾燥過程とは違う側面を見せた。再水和過程においてはダイナミックに細胞の修復や様々な代謝に関係する遺伝子群の発現量が増加することが示され、再水和過程では、短時間のうちに様々な代謝活動が活発になることが示唆された。

第2 章cAMP による再水和過程における酸素消費活性の制御と酸化ストレスとの関係

次に再水和時の代謝活動の制御機構及び因子の同定を目指した。第1 章では推定転写因子ancrpB は再水和過程における遺伝子発現調節に寄与することを明らかにした。さらに再水和過程における代謝制御に関する理解を深めるため、第2 章ではcAMP 信号伝達系の再水和過程における役割の解明を目指した。

再水和過程においてcAMP 濃度の測定を行ったところ、3 分以内に細胞内濃度が急激に増加し、その後通常レベルまで減少した。cAMP 合成酵素遺伝子cyaC 遺伝子破壊株では再水和時のcAMP 濃度の増加が起こらなかった(Fig. 3)。そこで、再水和過程におけるcAMP 信号伝達系の役割を調べるため、遺伝子破壊株を用いて解析を進めた。

cyaC 破壊株は、再水和30 分以内において野性株に比べ、暗所での酸素消費活性が高いということが明らかとなった(Fig. 4)。そこで、cyaC 破壊株では酸化ストレスがかかっている可能性を考えて、細胞への酸化ストレスを2 つのマーカー分子により評価した。まず脂肪酸の過酸化によって生じるマロンジアルデヒド(MDA) 量を測定した(Fig. 5)。再水和直後には差が見られなかったが、30 分後には野性株に比べcyaC 破壊株ではMDA 量が高かった。酸化ストレスにより進むタンパク質のカルボニル化をOxyBlot kit (Chemicon International Inc) を用いて評価したところ、同様の結果が得られた。以上のことから、cyaC 破壊株では再水和時に酸化ストレスがかかっていることが示唆された。

cyaC 破壊株において、再水和直後においてcAMP を加えたところ、酸素消費活性が野性株程度に抑制された。さらに、cAMP を加えて再水和を行ったcyaC 破壊株ではMDA 量の増加が抑制された。cyaC 破壊株においてKCN を低濃度加え、酸素消費活性を部分的に抑制したところ、MDA 量の増加が抑制された(Table1)。以上のことからcAMP は再水和過程において酸素消費活性の制御を行い、酸化ストレスを防ぐ役割を持つことが示唆された。

乾燥時の生存率について調べたところ、ancrpB 破壊株では野性株と同程度であったが、cyaC 破壊株は野性株に比べ低下していた。また、DNA マイクロアレイ解析の結果、cAMP とAnCrpB はそれぞれ別のシグナルカスケードに属することが示唆された。

以上の結果からcAMP は再水和直後に酸素消費活性を抑制する役割を持つことが示された。さらに、呼吸活性を制御することで酸化ストレスの発生を抑制し、乾燥耐性の獲得につながることが示された。以上の結果をまとめると、素早い代謝活動の回復は再水和過程において必要であるが、全体的なバランスが重要であると結論した。

Fig. 1. 乾燥・再水和過程において発現量が変化した遺伝子の数

Fig. 2. 乾燥・再水和過程における様々な代謝活動に関わる遺伝子の発現変化

Fig. 3. 再水和過程におけるcAMP 濃度の変化。丸は野性株、三角はcyaC 破壊株、塗りつぶしは培養液全体、白抜きは細胞外のcAMP 濃度を表す。

Fig. 4. 再水和過程における酸素発生(A) 及び酸素消費活性(B) の回復。丸は野性株、三角はcyaC 破壊株を示す。

Fig. 5. 再水和過程におけるMDA 含量の変化。丸は野性株、三角はcyaC 破壊株を示す。

Table 1. 再水和直後の酸素消費活性と酸化ストレス

審査要旨 要旨を表示する

本論文「Elucidation of the mechanism of dehydration-rehydration tolerance in the filamentous cyanobacterium Anabaena sp.PCC7120」(糸状性ラン藻Anabaena sp.PCC7120における乾燥・再水和耐性機構の解明)は、2章構成として、第1章では乾燥・再水和時における網羅的遺伝子発現解析、第2章ではcAMPによる再水和過程における酸素消費活性の制御と酸化ストレスとの関係についての解析結果を報告している。

乾燥ストレスは、水と炭酸ガスを必要とする光合成反応にはもっとも生じやすいストレスであり、光合成生物は常にこれを避ける手だてを準備している。本研究では、乾燥ストレスに強い陸生ラン藻における乾燥耐性にかかわる応答機構を分子レベルで解析することを目指した。この仲間でもっとも耐性が強いNostoc communeなどがよく知られているが、分子生物学的解析には適していない。また、モデル生物としてよく知られているSynechocystis sp.PCC6803は乾燥耐性がなく、不適である。したがって、ゲノム解析が完了し、遺伝子破壊が可能で乾燥耐性をある程度保持している陸生ラン藻Anabaena sp.PCC7120をモデル生物として用い、マイクロアレイ解析や遺伝子破壊を駆使して分子生物学的研究を行った。

第1章では、乾燥ストレス時と再水和時の遺伝子発現の変化を網羅的にDNAマイクロアレイ解析によって明らかにした。乾燥過程では399個の遺伝子の発現量が明らかに増加していた。また、再水和過程では769個の遺伝子の発現量が増加していた。このうち292個の遺伝子が乾燥・再水和両方の過程において共通に発現量が増加していた。これら遺伝子の多くは塩や低温ストレス時などにおいても発現量が増加する一般ストレス応答遺伝子と考えられるものであり、再水和過程においても何らかのストレスがかかっていることが示唆している。乾燥過程特異的に転写産物量が増加した遺伝子は29個あり、そのうちの大部分は機能未知の遺伝子であった。逆に、再水和過程特異的に発現量が増加した遺伝子は259個あり、急激かつ一過的な応答を示すものが多かった。

タンパク質の再フォールディングや分解、あるいはDNAの修復に関わる遺伝子など、細胞の修復に寄与する遺伝子群や、様々な代謝に関わる遺伝子群の発現量が増加していた。その中には、cytochrome c oxidaseやNADプールの新規合成、また、窒素欠乏時や無機炭酸欠乏時に発現が誘導される遺伝子などを含んでいた。また、RuBiscoやATP合成、光化学系、窒素固定など細胞内の主要な代謝に関わる遺伝子群の発現量は乾燥過程において段階的に減少し、逆に再水和過程では段階的に回復していった。再水和過程で発現量が増加した転写因子をコードする遺伝子は8個あったが、そのうち転写促進因子をコードするのはancrpBとalr0618の2個であった。AnCrpBはcAMP依存的にDNA結合活性を示すことが既に報告されているが、Alr0618にはcAMP結合モチーフはない。ancrpB破壊株では、窒素欠乏時に発現が誘導される遺伝子の誘導が起こらなかった。また、alr0618破壊株では無機炭酸の取込に関わる遺伝子群の発現誘導が起こらなかった。以上、乾燥・再水和過程に起こる転写産物量の変化の全体像を明らかにした。乾燥過程で発現量が増加した遺伝子の多くは再水和過程でも発現量が増加しており、これら遺伝子群は細胞の乾燥に直接応答しているわけではないこと、再水和過程は乾燥過程の逆の現象ではないことが明らかになった。

第2章では、cAMPによる再水和過程における酸素消費活性の制御と酸化ストレスとの関係を解析した。再水和過程においてcAMP濃度の測定を行ったところ、3分以内に細胞内濃度が急激に増加し、その後通常レベルまで減少した。cA認合成酵素遺伝子cyaC遺伝子破壊株では再水和時のcAMP濃度の増加が起こらなかった。さらに、再水和30分以内において野性株に比べ、cyaC破壊株は暗所での酸素消費活性が高いことを見いだした。そこで、酸化ストレスを予想して、細胞での酸化ストレスの蓄積をマーカー分子により評価した。脂肪酸の過酸化によって生じるマロンジアルデヒド(MDA)量を測定したところ、再水和直後にはこの量に差が見られなかったが、30分後には野性株に比べcyaC破壊株ではMDA量が高かった。また、酸化ストレスにより促進されるタンパク質のカルボニル化を定量し、同様の結果を得た。以上のことから、cyaC破壊株では再水和時に酸化ストレスがかかっていることを示唆した。

cya破壊株において、再水和直後においてcAMPの添加によって、酸素消費活性が野性株程度に抑制された。また、再水和におけるMDA量の増加も抑制された。さらに、cyaC破壊株にKCNを低濃度加え、酸素消費活性を部分的に抑制したところ、MDA量の増加を抑制した。以上のことからcAMPは再水和過程において酸素消費活性の制御を行い、酸化ストレスを防ぐ役割を持つことが示唆された。乾燥時の生存率について調べたところ、ancrpB破壊株では野性株と同程度であったが、cyaC破壊株は野性株に比べ有意に低下していた。また、DNAマイクロアレイ解析の結果、cAMPとAnCrpBはそれぞれ別のシグナルカスケードに属することが示唆された。以上の結果からcAMPは再水和直後に酸素消費活性を抑制する役割を持つことが示された。さらに、呼吸活性を制御することで酸化ストレスの発生を抑制し、乾燥耐性の獲得につながることが示された。以上の結果をまとめると、素早い代謝活動の回復は再水和過程において必要であるが、全体的なバランスが重要であると結論した。

なお、本論文の第1章、第2章ともに、鈴木崇之、池内昌彦、大森正之との共同研究である。しかし、どちらの場合も論文提出者が主体となって研究の立案、遂行を行っており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。

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