学位論文要旨



No 123206
著者(漢字) 古田,健也
著者(英字)
著者(カナ) フルタ,ケンヤ
標題(和) マイナス端方向性キネシン様タンパク質の運動性に関する研究
標題(洋) A Study on the Motility of Minus-End-Directed Kinesin-Related Proteins
報告番号 123206
報告番号 甲23206
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第805号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊島,陽子
 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 准教授 奥野,誠
 東京大学 准教授 上村,慎治
 東京大学 准教授 栗栖,源嗣
内容要旨 要旨を表示する

細胞運動や小胞輸送,細胞分裂において,モータータンパク質とそのレールとなる細胞骨格(微小管,アクチン繊維)は主要な役割を果たしている.モータータンパク質はATPを加水分解することで得られるエネルギーを用いて細胞骨格上を移動することにより,単純な三次元的拡散に依る場合と比べて圧倒的な効率で物質を輸送し,その時その場所で必要な仕事をお互いに協調しながら行っていると考えられる.このような見事なアンサンブルがどのように実現できるのかを理解するにあたって,これらの装置を構成する個々の分子がそれぞれ異なった分子特性を持ち自律的に動くことで全体の振舞いを決めていると考える視点が重要であろう.このようなボトムアップ的な視点から,私は個々の分子の特徴を調べ,さらにこれらを用いて最小限の再構成系を作製して調べることにより,ダイナミックな生命現象を起こすための条件を探求したいと考えた.

キネシン(キネシン-1)は軸索輸送を担うタンパク質として同定され,一分子で微小管上を長く連続的歩くことを特徴とする.これに続き,これまでに数多くのキネシン様タンパク質が同定されてきた.紡錘体では微小管のプラス端に移動するキネシン-5, 微小管のマイナス端に移動するキネシン-14,微小管を壊すキネシン-8と13 などが主に知られている.中でもキネシン-5とキネシン-14は紡錘体の構造を形成,維持する上で重要な役割を果たしていると考えられている.変異体の研究から,キネシン-5とキネシン-14がお互いに反対向きの力を出して「綱引き」をし,あるタイミングでキネシン-14を阻害またはその数を抑制してそのバランスを崩すことで紡錘体の伸長をよく制御された形で実現するというモデルが提案されている.これらのキネシンのそれぞれ特有の働きは,主に尾部の特別な構造によって実現されている.キネシン-5は,二つの二量体がさらに尾部で結合しホモ四量体を形成し,それぞれの二量体が別々の微小管と相互作用することで微小管と微小管をスライドさせる.一方,キネシン-14は尾部にATPに依存しない微小管結合部位をモータードメインとは別に持っており,これにより,微小管同士を架橋する活性を持っている.

本研究では,紡錘体で働くキネシン様タンパク質の中で,マイナス端に運動するものに焦点を当てた.本研究で用いたNcd とPkl1はともにキネシン-14ファミリーに属しており,Ncdは有糸分裂,減数分裂の両方に必須であるが,Pkl1は他のタンパク質と機能を共有し,その欠損変異体は致死ではない.しかしPkl1は有糸分裂期の微小管構造に影響を与え,反対向きのモーターの力と拮抗する力を出していることが変異体の研究から示唆されている.

Ncdはマイナス端モータータンパク質の中で最も良く調べられているタンパク質である.紡錘体上のNcdのturnoverを調べた研究から,Ncdが意外にも速い時間で入れ替わっていることが報告された.つまり,Ncdは従来考えられてきたように微小管同士を堅く架橋するというよりは,ダイナミックに架橋と解離を繰り返している,という描像が生まれてきている.また,一分子のNcdは,キネシン-1 と同様に二量体を形成するが,連続的に運動できないとされてきた.過去の研究ではモータードメインに焦点を当て,二量体を形成するコイルドコイル部分で切ったコンストラクトを用いていたが,私はこの点に疑問を持ち,全長に近いコンストラクトを用いてNcdが微小管上をマイナス端方向に向かって連続的に歩けることを発見した.Ncdの運動は二つの成分に分けられた.一つはATPを用いずに微小管上を一次元的に拡散する成分,もう一つは,微小管のマイナス端に向かうバイアスを生む,方向性のある並進運動の成分である.この運動は溶液中のイオン強度に強く依存しており,チューブリンの負に荷電したモチーフを除去した実験,Ncdの正に荷電したモチーフに変異を導入した実験から,これらのモチーフがお互いに相互作用することで,Ncdが微小管上につなぎとめられていることが示唆された.

一方,Pkl1も他のkinesin-14モーターと同様に連続的に運動できないと予想されたが,Ncdと同様に微小管上を一次元拡散運動しながらマイナス端方向に運動するモーターであることが分かった.Ncdと同様に低いduty ratioを持つ,つまり,ATPaseサイクルの中で微小管と強く相互作用している時間が非常に短いことも明らかになった.最高速度はNcdの半分以下であったが,意外なことに二量体のPkl1は微小管上での滞在時間が19秒と非常に長く,Ncdやキネシン-1の10倍程度に達した.さらに,ほとんどモータードメインしか含まない単量体Pkl1の運動を同様に調べた結果,その滞在時間も11秒と十分長く,微小管上の長い滞在時間を実現しているモチーフはモータードメインの中にあることが示唆された.これら結果からPkl1が微小管上に常に弱く相互作用し,微小管上に並んだPkl1が必要に応じて力を発生するような仕組みを想像することができる.

これらの一分子での運動は5 mM 酢酸カリウム存在下という非常に低いイオン強度の条件下で観察されたものであり,生理的な条件下では異なる活性を示す可能性がある.そこでNcdに関して,より生理的条件に近づけた105 mM 酢酸カリウム存在下で運動活性を調べた.その結果,Ncdは一本の微小管の上では有意なマイナス端方向への偏りが見られなかった.しかし,意外なことに,高いイオン強度の条件下でも束化した微小管上ではイオン強度の場合と同様の連続的な運動を観察することができた.この運動を再現良く観察し,束化した微小管の極性をコントロールするために,軸糸から微小管を伸長させ,これを束化したものを用いた観察系を作製した.105 mM 酢酸カリウム存在下でもNcdはこの微小管束の上を連続的に運動し,低イオン強度の場合と同様の活性を持つことが確認された.この系においては,微小管の極性が揃っていることから,この結果は少なくとも紡錘体の極に近い部分ではNcdは並行な微小管束の上を極に向かって連続的に運動できることを示唆している.細胞内では,微小管束はNcdが微小管を架橋した結果の産物であることを考慮すると,Ncdは一本の微小管よりも架橋された微小管上により多く集まることによってさらに微小管の架橋を促し,自己組織的に紡錘体を形成するのに貢献している可能性が考えられる.

束化した微小管上での運動

(A)キモグラフ.斜めに走る輝点は微小管上を一方向に動いていることを示す.(B) Axoneme(軸糸)から重合させた微小管束の顕微鏡像.

(B) Axoneme(軸糸)から重合させた微小管束の顕微鏡像.

NcdとPkl1の運動に共通するのは,その弱い運動連続性である.キネシン-1のような高い運動連続性をもつモーターは,遠くまで確実に物を輸送する必要がある場面では有利であると考えられる.しかし,細胞分裂という,平時の細胞からみれば非常に特殊な状況では,大がかりな分裂装置を再現良く形成・維持しつつ,一方で染色体を二つの娘細胞に分配するというダイナミックな仕事を正確にこなす必要がある.このような固く,かつ柔らかい装置を実現するためには,個々の分子に複雑な機構を作っておくよりも,拮抗する複数の種類の分子の数を状況に応じて増減することで,バランスの取れた状態とバランスを失ったダイナミックな状態を自律的に作り出させる方が容易であろう.このため,おそらく分裂期の細胞は,フィードバック制御が掛かりやすい運動連続性の低いモーターを好んで使うだろうと考えられる.また,このような仕事を協調して行うためには,紡錘体で力を発生する各素子と細胞骨格との相互作用の強さは強すぎず弱すぎず,適度に緩くチューンナップされていなければならない.本研究の結果から示唆された,タンパク質の協同的な相互作用による組織化という新しい視点は,マクロな分裂装置を制御する機構を理解するための端緒になると考えている.

審査要旨 要旨を表示する

細胞分裂は生物の基本的な現象であり、細胞分裂時に形成される紡錘体は倍加した染色体を正確にかつ効率よく分離するためのダイナミックでかつ巧妙な装置である。その形成と機能には、微小管自身の重合と脱重合とともに、複数種類のキネシン様タンパク質や細胞質ダイニンの微小管との相互作用が関与している。古田健也君は、紡錘体で働くキネシン様タンパク質の中でマイナス端に運動する分子に焦点を当て、1分子計測を中心とした分子の特性を明らかにすることにより、紡錘体というダイナミックなシステムの構築と機能についての新たな知見を得た。

古田君はまず第一に、マイナス端運動方向性をもつキネシン様タンパク質であるNcd分子に注目し、モータードメインとは離れたN末側の領域をもつNcd分子は、低イオン強度の条件で processive に運動することを示した。マイナス端方向性キネシンがprocessiveな運動性を示すことは、本研究で初めて明らかにされたものである。次に古田君は、微小管上の拡散運動にATPは必要なく,NcdのN末端側の正電荷と微小管のE-hook の負電荷の間の静電的相互作用に依存していることを明らかにした。このように、モータードメイン以外の部分が一分子のprocessivity に積極的に関わっていることを示したという点において、モータータンパク質の運動機構に関する新しい知見である。

さらに古田君は、より生理的なイオン強度に近い条件では,一本の微小管上では運動できないが、束になった微小管ではこの範囲のイオン強度で processive に運動できることを明らかにした。つまり、微小管の状態に応じてprocessivity をOn/Offすることができることを示したものである。また、Ncd分子自身が微小管を束化することができるので、複数分子のNcdによりフィードバック的に自己組織化を可能にしている。

古田君はこのようなNcd分子の性質を紡錘体のダイナミクスに関連させて次のように考えた。すなわち、Ncd が微小管の状況に応じたprocessivityの 制御があることと、微小管を架橋する活性を持っていることを考え合わせると、Ncdが微小管を架橋した結果、他のNcdが微小管の上でより長く運動して力を発生する、つまりモーターと細胞骨格の間に正のフィードバックがかかり、Ncdが集まり始めるとさらにNcdが集まって構造体の形成を促すような過程を含んでいる、ということである。本研究は、細胞分裂時の紡錘体のように、一過的に現われる構造体を形成し、機能させ、消滅させるという自律的でかつダイナミックな過程において、このように弱い結合を多く使って要素の数で制御するシステムが重要な意味を持つことを提示している。

以上のように、古田健也君は本論文において、マイナス端方向性キネシン様タンパク質の運動性を調べてその実態を明らかにし、分裂装置における役割についての新たな知見を得て、ダイナミックな生命現象を説明する概念を提案した。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。

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