学位論文要旨



No 123210
著者(漢字) 三輪,宏太郎
著者(英字)
著者(カナ) ミワ,コウタロウ
標題(和) 株式市場の非効率性に対する投資家のトレンド追随行為の影響の研究
標題(洋) The Influence of Investors' Trend Chasing Behavior on Stock Market Inefficiency
報告番号 123210
報告番号 甲23210
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第809号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 植田,一博
 東京大学 教授 丹羽,清
 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 准教授 清水,剛
 一橋大学 教授 三隅,隆司
内容要旨 要旨を表示する

1.背景・目的

株価の形成がどのようになされているかは、ファイナンスの分野での最大の関心事の一つである。伝統的な経済学は、経済主体である人間の合理性を前提にしている。この前提を元に、株式を含めた全ての資産は常に既存の情報を正しく反映した価格付けがなされているという効率的市場仮説が、提唱された。市場が効率的であることは、既存の情報を使用して超過収益を得ることは不可能であることを意味する。しかしながら、効率的市場仮説の提唱以来、株価の価格付けの不合理性(超過収益の機会の存在)を示す市場効率性に対する反証(アノマリー)が多数報告されている。

市場効率性に対するアノマリーが存在する原因として、新規ファンダメンタル情報に対する投資家の解釈の遅延・非合理性が注目されている。この要因により、新規情報に対応した、投資家の業績見通しの修正、価格への折り込みが即時に正しく行われず、超過収益を得る機会を生じさせている(アノマリーを発生させている)ものと考えられてきた。しかしながら、投資家の非合理性はファンダメンタル情報の解釈に関連するもの以外にも多数報告されている。代表的なものとして、投資家のトレンド追随行為が挙げられよう。これは投資家が現在の価格トレンドが未来にも継続すると考える傾向を指す。投資家の情報解釈の遅延・非合理性と異なり、トレンド追随行為の市場非効率性への影響の検証は、十分なされているとは言うには程遠い。トレンド追随行為が非効率性に実際に影響しているかを検証した研究はほとんどないのが現状である。

そこで本研究では、研究があまり進んでいないトレンド追随行為に再注目し、トレンド追随行為が実際に市場の非効率性に影響を与えている可能性について検証を試みた。また、どのような状況で、トレンド追随行為の影響が強まるかの検証も試みた。

2.検証方法

トレンド追随行為の影響の可能性を調べるには、以下の二段階の検証が必要になる。

(1)アノマリーが観測され、そのアノマリーが他の要因、特に、新規ファンダメンタル情報の解釈の遅延・非合理性では説明できない、もしくは説明できない部分があることを示す。

(2)解釈の遅延・非合理性では説明できない部分をトレンド追随行為で説明できることを示す。

本研究では、市場効率性に対するアノマリーとして、3つの代表的なテクニカル分析(移動平均線・HLチャンネル・売買活況度)の有用性に注目した。テクニカル手法は、過去の取引情報を使用し、将来の価格の動きを予想する手法である。過去の取引情報は簡単に取得することが出来るため、テクニカル分析の有用性は、市場効率性に対する強力な反証となる。3つのテクニカル分析の定義については以下の通りである。

・移動平均線手法

相場全体の動きの予測に使用される。短期の移動平均線が長期の移動平均線より上(下)の位置にあるとき買い推奨期間(売り推奨期間)と判定される。移動平均線の期間の組み合わせによって、バリエーションが存在する。

・HLチャンネル(高低線)

相場全体の動きの予測に使用される。過去ある一定期間の最高値、最安値を記録し、株価が最高値を更新したときより一定期間を買い推奨期間、最安値を更新したときより一定期間を売り推奨期間してとらえる。何日過去の最高値、最安値を見るか、何日間、買い・売り推奨期間を継続させるかによってバリエーションが存在する。

・売買活況度

売買が活況している時はリターンの持続性が強く、活況していない時は持続性が弱いと言われる。通常、過去の株価リターンと組み合わせて、個別銘柄の相対リターンの予測に使用される。

有用性の検証方法は以下のように行った。

・移動平均線手法、HLチャンネル

I買い推奨期間のとき、1単位買い、売り推奨期間のとき、1単位空売りする戦略の収益性で全てのバリエーションで評価し、ベストなバリエーションを見つける。

II元分析データのリターン系列に対しランダムシャッフルを行い、新たな価格系列を500個生成する。(ブートストラップ法)

III生成された各価格系列に対して各々ベストなバリエーションを見つける。

IV元分析データでのベストなバリエーションの収益性と、IIIでの各々のベストなバリエーションの収益性を比較。後者が前者を上回る確率(p-value)を計算し、有意水準(5%)より低ければ、手法は有意に有用であるとする。

以上の分析をTOPIX(日本市場の動きを代表)、S&P500指数(米国市場の動きを代表)、NASDAQ100指数(米国新興市場の動きを代表)に適用した

・売買活況度

I売買活況度を基に銘柄を分類する。

II各売買活況度グループ内でリターンリバーサル戦略(過去のリターンが低かった銘柄を買い、過去のリターンが高かった銘柄を売る戦略)を適用する。

III低売買活況度内での収益性と高売買活況度グループ内での収益性を比較し前者が後者より有意に高ければ、売買活況度が有用であるとする。

以上の分析を日本株(東証一部上場株)、米国株(NYSE、AMEX、NASDAQ上場株)で行った。

検証したテクニカル手法の有用性が新規情報解釈の遅延・非合理性で説明できるか否かの検証は、本研究では以下に説明する方法で試みた。

先行研究が注目した新規情報解釈の遅延・非合理性による価格の非効率的な挙動は、新規ファンダメンタル情報に対する投資家の(非合理的な)会社の業績見通しの更新に従って発生すると考えられる。これに対して、トレンド追随行為のドライビングフォースの一つとして考えられる投資家の代表性バイアス は、情報の不確実性が高いと(情報が少ないと)強くなることから、新規情報に対応した会社業績見通しの更新のタイミング以外でも、トレンド追随行為は非効率性へ影響を与えるものと考えうる。従って、各手法、以下の様な方法で、新規情報解釈の遅延・非合理性で説明できるか否かの評価を試みた。

・移動平均手法、HLチャンネル

アナリストの予想修正数で、分析期間を業績見通し修正の多い期間、少ない期間に2分割し、各期間で、手法の有用性を検証した。もし、業績見通し修正の多い期間で手法の有意な有用性が認められず、業績見通し修正の少ない期間で手法の有意な有用性が認められれば、手法の有用性は、業績見通し修正の少ない状況下で時に高いことを意味し、手法の有用性は、新規情報解釈の遅延・非合理性では説明できないことを意味する。

・売買活況度

重大な業績見通しの修正のある銘柄群、ない銘柄群の分離を、アナリストの予想修正の有無、銘柄推奨度変更度の有無で検証した 。もし、重大な業績見通しの修正のない銘柄に分析対象を限定しても、有用性が低下しなければ、重大な業績見通しの修正のない状況下でも有用性は高いことを示唆し、この現象は有用性は新規情報解釈の遅延・非合理性では説明できないことを意味する。

最後に、人工市場モデルによるシミュレーションによって、業績見通しの修正の無い条件下でのテクニカル分析の有用性を、投資家のトレンド追随行為によって説明できるか否かの検証を行った。

以上の検証で、業績見通しの修正の少ない(ない)状態下での手法の有用性が認められ、かつ、投資家のトレンド追随行為を組み込んだモデルが、それら状況下での手法の有用性を説明できれば、トレンド追随行為が実際に市場の非効率性を高めていることを示せよう。

さらに本研究では、実データの分析に関して、日本市場、米国市場などの複数の分析対象で行った。これにより、トレンド追随行為の影響は、どのような状況で強くなるかの解明も試みた。

3.結果・結論

移動平均線、HLチャンネルの有用性を分析した結果、以下の結果が得られた。

・TOPIX(日本市場)、NASDAQ100(米国新興市場)においては、両手法の有用性が認められた。

・業績見通しの修正が多い期間では有意な有用性が認めず、業績見通しの修正が少ない期間では有意な有用性が認められた。

これより両テクニカル手法において、情報の解釈の遅延・非合理性では説明できない、業績見通しの修正が少ない期間での有意な有用性が確認された。

売買活況度の有用性を分析した結果、以下の結果が得られた。

・日本株・米国株ともに有用であった。

重大な業績見通しの更新の無い銘柄に限定しようとも、有用性は変わらなかった。

これより、売買活況度においても、新規情報の解釈の遅延・非合理性では説明されない、業績見通しの更新の無い状況での有用性が認められた。

また、シミュレーションの結果より、投資家のトレンド追随行為を組み込んだモデルが、業績見通しの更新のない(少ない)状況下での3手法の有用性を再現できることが分かった。

業績見通しの更新のない状態でのテクニカル分析の有用性が認められ、そして、そのような有用性が投資家のトレンド追随行為で説明できた。本論文では、業績見通しの更新のない状態でのテクニカル分析の有用性を説明する要因として、トレンド追随行為以外に、株式の非同期売買、ポートフォリオインシュランス、超過収益のボラティリティの時間変動性、株価のベーストレンド、制度的要因(特に情報公開ルール)などの考察を行った。その結果、これら手法は有用性の説明要因となる可能性は低いと結論付けられた。以上の検証と考察から、トレンド追随行為が非効率性への影響している可能性が高いと言える。

また、どのような状況で、非効率性に対するトレンド追随行為の影響が強くなるかについては以下のことが分かった。日米での検証の結果、移動平均線、HLチャンネルにおいて分析対象によって有用性の差が見られた。有用性が見られなかった指数(S&P500)は、指数構成銘柄の時価総額が、他の分析対象(TOPIX、NASDAQ100)より高いことが分かった 。これより、構成銘柄の時価総額が小さい方が、有用性が高いと理解できる。この傾向は、業績見通しの更新が少ない状況で見られ、逆に多い期間では見られなかった。業績見通しの更新が少ない状況での手法の有用性はトレンド追随行為が強く関連していると考えられるため、これら結果は、トレンド追随行為による市場の非効率性への影響が、時価総額の小さい分析対象で強く現れることを示唆していると考えられよう。

以上、結果をまとめると以下のことがわかった。第一に、検証したテクニカル手法は、業績予想の更新が無いタイミングでも有用になる。第二に、そのようなテクニカル手法の有用性が、トレンド追随行為によって有用になる。第三に、業績予想の更新が無いタイミングでの有用性は、時価総額の小さい対象で顕著である。このことから、トレンド追随行為は、市場の非効率性を引き起こしている可能性が高く、かつ、その影響は時価総額の小さい対象で顕著となっている可能性が高い、という結論が得られた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,計量経済学的なデータ分析と人工市場モデルによるシミュレーションを用いて,心理実験で報告されている投資家のトレンド追随行為が,実際の株式市場における非合理的な価格形成に影響を与えている可能性を示すことを目的とした論文である。ここで非合理的な価格形成とは,価格に影響する情報が即座にあるいは正しく価格に織り込まれないことを意味する。

これまで,株価形成が合理的でない理由として,投資家の非合理的な投資行動,特に投資家が会社の業績情報を解釈する際の非合理性が注目されてきた。しかしながら,それ以外の要因,特に過去の価格トレンドへの追随行為が非合理的な株価形成を引き起こしている可能性を示した研究は皆無と言って良い。

第1章では,まず,上述した研究の背景と目的を説明している。株価形成に対するトレンド追随行為の影響を株価の実データより直接評価することは難しい上に,評価を行う際に,他の要因,特に業績情報の解釈における非合理性の影響を排除する必要がある。この2つの問題に対処するため,本論文では,以下のような方法を提示している。すなわち,最初に,株価の実データの計量経済学的な分析によって,業績情報解釈のない状況下でも非合理的な株価形成が行われているかどうかを検証した。次に,トレンド追随行為を行うエージェントを組み込んだ人工市場モデルを構築し,本モデルが実データより観測された非合理な株価形成を説明できることを示した。

第2章では,株価の実データの計量経済学的な分析について説明している。本論文では,株価形成が合理的かどうかの検証を,3つの代表的なテクニカル分析手法(移動平均線手法,HLチャンネル,売買活況度)の有効性の検証を通して行った。合理的な価格形成がなされた場合,入手可能な情報を利用しても超過収益をあげることはできない。これに対して,過去の株価・出来高の履歴を情報として利用することで超過収益をあげることを狙ったテクニカル分析手法の有効性が示されれば,株価が全ての情報を織り込んではいないことになり,株価形成は合理的ではないことを意味することになる。日米のいくつかの市場の日次データを用いて,これらテクニカル分析手法の有効性を検証した結果,その有効性が確認され,かつ業績情報解釈がない状況下で高い有効性が認められた。このことは,これら手法の有効性が業績情報解釈の要因では説明できないことを意味する。本章で提案された検証方法と分析結果は,これまでの計量経済学でなされていない独自のものであると同時に,今後の研究において参照されることが期待されるもので,高く評価できる。

業績情報解釈に依存しない要因として,資金の流出入に起因するポジションのリスク調整のための売買の影響も考えられるものの,資金の流出入は偶発的に起こるため,これは株価形成の非合理性を生む主要因になるとは考えにくい。したがって,本論文では最有力の要因として投資家のトレンド追随行為に注目することを述べている。それを受けて,本論文では,トレンド追随行為を行うエージェントを組み込んだ人工市場モデルを構築し,第2章で検討したテクニカル分析手法の有効性を本モデルが説明できるかどうかを調べている。第3章では本モデルの詳細が,第4章では本モデルを用いたシミュレーションの結果が述べられている。その結果,トレンド追随行為によって,第2章で検討した3つのテクニカル分析手法の有効性が高まることが明らかとなった。第5章では,他の要因(株式の非同期売買,超過収益のボラティリティの時間変動性,ポートフォリオインシュアランス,株価のベーストレンド,情報公開ルールなどの制度的要因)が,3つのテクニカル分析手法の有効性を説明できるどうかについて考察を行っている。その結果,いずれの要因もこれら手法の有効性を説明する十分な要因とはならないことを述べている。

第6章では,以上の結果をまとめ,投資家のトレンド追随行為が非合理的な株価形成を引き起こす一要因である可能性が高いと結論づけている。

以上のように,本論文は,これまでなされてこなかった,1)業績情報解釈のない状況下でのテクニカル分析手法の有効性を検証する方法を提案し,実際に検証を行っている点,2)計量経済学的なデータ分析と人工市場モデルによるシミュレーションを組み合わせることで,トレンド追随行為が株価形成に影響を与える可能性を初めて示した点,において高い独創性を有しており,行動経済学,金融論の分野に大きく貢献すると評価できる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク