学位論文要旨



No 123212
著者(漢字) 鷲田,祐一
著者(英字)
著者(カナ) ワシダ,ユウイチ
標題(和) 普及過程における情報伝播ネットワークの不均一性と価値転換現象の構造分析 : 需要側が牽引するイノベーションの可能性
標題(洋)
報告番号 123212
報告番号 甲23212
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第811号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 植田,一博
 東京大学 教授 丹羽,清
 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 准教授 清水,剛
 東京大学 教授 堀井,秀之
内容要旨 要旨を表示する

1. 全体概要

本研究の目的は,ハイテク(情報通信技術や関連商品)の一般生活者への普及過程で発生する情報伝播を,人のネットワークという視点から再検証し理解することにある.いわばネットワーク科学の手法を用いたミクロ普及学の一研究である.

90 年代以降の代表的なイノベーション事例である携帯電話やワゴン型乗用車などの商品市場では,同一カテゴリの商品の価値が,普及の途中で生活者の中から自発的に生まれた新アイデアに牽引されて大きく転換してゆく現象が発生した.携帯電話の場合は,通話主体からメールや着メロ利用主体への転換を,ワゴン型乗用車の場合は,ニッチ需要向け特殊車両からセダンを上回る主流車種へと転換した.本研究ではこれを価値転換現象と定義した.ケーススタディを参考にして,普及過程において新技術や新商品の価値が変化し,その結果,需要側が牽引する形で供給側の技術開発自体も変化するというパターンのイノベーションを想定した普及モデルを前提とし,その中での価値転換現象の発生原因や発生条件の理解に焦点を当てた.

本研究の特色は,普及学のフレームワークにネットワーク科学の手法を応用することによって,新しい知見の獲得を目指した点である.普及過程自体を現実社会に存在する一種の情報伝播システムと捉え,その構造理解を通じて,普及現象そのものへの理解を深めるというアプローチである.具体的には,生活者の新技術採用速度と実際の友人関係ネットワークを同一のサンプル調査で聴取することで,普及学で使われるユーザ層分類とネットワーク科学理論の両面から分析できるデータを取得した.

2. 三つの探求テーマ

ケーススタディをもとに,典型的な価値転換現象のプロセスを次のように仮定した.「供給側からの情報コントロールが効きにくい普及過程において,技術や商品に関する情報が生活者間の情報伝播ネットワークを伝達されるうちに変質し,その結果として新アイデアが発生する.その新アイデアが供給側にフィードバックされることで,技術開発の方向性が変化する.その後,経済学でいうネットワーク効果が発現して急速に普及が進み,技術スタンダード競争の勝敗が決定される」.このような現象が特定の条件下で発生することを構造的な視点から解明するために,以下3つの探求テーマを立て,それぞれを検証することを目指した.

テーマ1:従来の普及学・社会学・マーケティング学などにおいては,Rogers の「re-invention」論やMoore の「キャズム」論のように,普及過程での人ネットワークが不均一であることを示唆する研究が多いが,そのような普及過程の人のネットワークにおける情報伝播を実証的に検証する研究は行なわれてきていない.いっぽう,ネットワーク科学における主要な先行研究が仮定しているネットワークの均一性には疑問が持たれる.そこで普及過程を支える情報伝播ネットワークが不均一なのではないかという仮説を立て,特殊なサンプル調査で検証を試みた

テーマ2:新技術や新商品について,需要側によって新しいアイデアが付加されることで社会的価値が変化する作用は,情報伝播ネットワークのどこで多く発生するのかを,実際の人を使って情報伝播実験ネットワークを構築し,実際の商品の情報を伝播させることで,「新アイデア」発生の仕組みを考察・検証した.

テーマ3:上記のテーマ1 および2 が検証されたことを前提に,特に日米で顕著に違うイノベーション・パターンの差(アメリカでは,破壊的技術の発明によるイノベーションが重視されるのに対して,日本ではカイゼンによる追加的イノベーションが重視される)を需要側の特徴の違いから説明することを試みた.具体的には,日米の消費者社会の構造の違いによってネットワーク効果の発現タイミングが変化するのではないか,という点を消費者調査とシミュレーションで検証した.

3. 検証の方法と結果

テーマ1の検証:日本とスウェーデンの企業や大学内の11 個の実在する組織を対象にして,上記の普及学にネットワーク科学の手法を応用した質問紙調査を実施し,情報関連新商品・新サービスの普及過程における人のネットワークの構造を詳細に検証した.具体的には,Rogers の先行研究にならって11 組織の構成員363 名全員を新商品・新サービスの採用が早い順に6 層に分類し,かつそれぞれの組織内における実際の友人関係を全て聴取することで,普及のどの層に位置する構成員が他のどの層の人とネットワークで結ばれているのかをマッピングした.その結果,これまで均一的と仮定されてきた普及過程の情報伝播を支える人のネットワークの結びつきの強さ(リンク数)が,実際には普及過程における各層間,および層内ごとで有意に不均一であることが検証された.そして,そのような不均一な構造の中に,3 種類の情報伝播パターン(情報ハブ型・スモールワールド型・滞留型)が共存していると分析した.この3 種類の情報伝播パターンの共存は,Barabasi とWatts の両論が実際の普及過程内において共存していることを示唆していると同時に,普及学やマーケティング学におけるいくつかの重要な先行研究の発生原因も示唆している.

また,特に普及第2 層(アーリーアダプター層)における滞留型伝播,および第2 層と第3層の結びつきの弱さ,さらに第4 層以降でのクラスタ係数の高まりに伴う情報伝播パターンの大きな変化(情報ハブ型からスモールワールド型へ)などの考察は,普及過程において供給側がコントロールしにくい形の情報伝播が発生していることを示唆しており,このようなネットワーク構造の特徴によって,主に第2 層と第3 層の近辺で価値転換現象が発生している可能性が高いと分析された.

テーマ2 の検証:予備調査によって,上記同様の方法で情報関連新商品・新サービスの普及速度別に分類された26 人の生活者ネットワークを用いて,実験的な情報伝播ネットワークを構築し,そこに(近未来のイノベーション商品の候補例として)「ワンセグ」「ニンテンドーDS」「iPod」に関する情報を伝播させる実験を実施した.その結果,従来,普及学やマーケティング学では,供給側からの新技術や新商品の情報を直接的に受ける第1 層(イノベーター層)が最もイノベーティブだと考える傾向が強かったが,本実験では,第2 層が中心になって「新アイデア」が数多く発生することが発見された.

このような「新アイデア」発生現象は,テーマ1 で説明された滞留型伝播とあわせて分析すると,Rogers の「re-invention」論での分析をさらに拡張し,単に新技術を再解釈してマジョリティ層に伝播するだけではなく,技術開発の方向性そのものに影響を与える新アイデアが第2層を中心とした情報伝播ネットワーク内で発生している可能性を示唆している.このような過程を経ることで,需要側でイノベーションのきっかけが生み出され,それをもとにした需要側と供給側のコラボレーションが起こることによって,価値転換現象は実現されると推察された.

テーマ3 の検証:価値転換現象をともなう消費者社会と,それがない社会では,イノベーションのパターンが大きく異なることを,普及のシミュレーションモデルを用いて検討した.具体的には,日米の消費市場を対象に,上記と同様の情報関連新商品・新サービスについての大規模な消費者調査を実施し,その結果をシミュレーションモデルに入力することで両国の市場における情報伝播の特徴を比較分析した.その比較分析の結果をもとに,なぜ日本では普及過程の中程までカイゼンが繰り返されるコンテスタブル競争環境が存在するのに対して,アメリカでは普及の最初期でデファクトスタンダードが決定されてしまう傾向が強いのか,という,先行研究から引き継がれている課題についての考察をした.

アメリカの生活者社会(貧困層を除く)における技術普及では,初期採用者によるインフルエンサー効果があると言われ,またそれを支持する論理的背景としてArthur などが主張するネットワーク効果下における技術採用の経路依存性論や,それが引き起こす収穫逓増現象による自然独占の正当性論などがある.Arthur が使ったPolya モデルでは,価値転換現象は起こりえない.そこで本研究ではPolya モデルを改修してより市場の特徴を正確に反映できるようにした上で,日米で実施した消費者調査の結果を入力・反映させてみた.その結果,アメリカ社会(貧困層を除く)では早期採用者とそれ以外の人が社会格差において二極化しており,かつ情報ハブ的な消費者が多数存在しているため,初期採用者のみの意見によって早期にデファクトスタンダードが形成されやすいと推察された.それゆえ,アメリカでは普及最初期のユーザがその後の採用者に与えるポジティブフィードバックが非常に強く,その後の採用者からのフィードバックは弱くなるという,漸減型フィードバック構造があることが推察された.そのような環境下では,競争の初期でネットワーク効果が発生してしまうため,企業側のカイゼンを動機付ける価値転換現象が発生しにくいと推察される.いっぽう一様型フィードバックの場合は,ネットワーク効果の発生が普及の中程まで遅れ,そのような環境下では,技術競争が熾烈な場合は高い確率で価値転換現象が起こることが推察された.そして,価値転換現象に対応するために企業が積極的なカイゼン活動をすれば,日本のようなコンテスタブル市場環境が発生すると推察された.

日米のイノベーション・パターンの違いは,従来は日米の企業経営の理念の差と説明されてきたが,この研究結果によれば,2 つの国の社会構造の差によっても生じていると推察された.本研究では Arthur の先行研究の問題点を精緻化すると同時に,従来のイノベーション研究に対して,需要側からの視点でみた再解釈を可能にした.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,ハイテク(情報通信技術やその関連商品)の一般生活者への普及過程で発生する情報伝播を,人のネットワークという視点から再検証し理解することを目的にした,ミクロ普及学の研究について述べた論文である。携帯電話やワゴン型乗用車などの市場では,同一カテゴリの商品の価値が,普及途中で生活者の中から自発的に生まれた新アイデアに牽引されて大きく転換してゆく現象が発生したと考えられる。本論文ではこれを価値転換現象と定義し,その発生原因や発生条件の理解に焦点を当てた。手法的特色としては,生活者の新技術採用速度と実際の友人関係ネットワークを同一のサンプル調査で聴取することで,普及学の先行理論(採用速度順に生活者を6層に分類し,採用速度の速い順に第1層,第2層の順番に名前を付ける)にネットワーク科学の分析手法(クラスタ係数の測定など)を応用したことが挙げられる。

第1章では,ケーススタディをもとにして価値転換現象の典型的パターンを定義すると同時に,普及学,マーケティング学,イノベーション学,経済学,そしてネットワーク科学での先行研究を幅広くまとめ,価値転換現象を解明するための,本研究の中心議題を整理している。

第2章では,日本とスウェーデンの企業や大学内の11個の実在組織(363名)を対象にして,従来にない質問紙調査を実施し,情報関連新技術の普及過程における,人のネットワークの構造を詳細に検証している。その結果,これまで均一的と仮定されてきた普及過程の情報伝播ネットワークが,実際には,人の結びつきの強さの点で普及の層ごとに異なり,全体として不均一であることを指摘している。そして,その不均一構造の中に,3種類の情報伝播パターン(情報ハブ型・スモールワールド型・滞留型)が共存していると分析している。

第3章では,上記と同様の方法で技術採用速度順に分類された26人の生活者ネットワークを用いて,実験的な情報伝播環境を設定し,そこに(近未来のイノベーション商品の候補例として)「ワンセグ」「ニンテンドーDS」「iPod」に関する情報を伝播させる実験を実施した。その結果,供給側からの情報を直接的に受ける第1層よりも,第2層が中心になって新アイデアが数多く発生することが発見され,これが価値転換現象の直接的なきっかけになると分析された。第2層の特殊性に注目した先行研究は存在しているものの,新アイデアの創出が第2層を中心に行われることを実証的に分析したのは本論文が初めてであり,高く評価できる。

第4章では,価値転換現象を伴う消費者社会とそれがない社会とでは,技術の競争と普及のパターンが大きく異なることを,シミュレーションによって検討している。具体的には,日米の消費市場を対象に,上記と同様の消費者調査を実施し,その結果をモデルに入力することで両国の市場における情報伝播の特徴を比較分析している。その結果をもとに,なぜ日本では普及過程の中程まで「カイゼン」が繰り返される競争環境が存在するのに対して,アメリカでは普及の最初期で技術競争の勝敗が決定してしまう傾向が強いのか,という課題についての仮説を構築している。インターネットを通した消費者調査のため,特に米国市場の調査対象者に偏りはあるものの,日米における技術競争と技術の普及過程の違いを情報伝播の差から説明した試みは,これまでにないものとして評価できる。

最後に第5章では,これらの発見をもとに価値転換現象のプロセスを再検証し,需要側が牽引する形でイノベーションの芽が生まれる可能性を示唆した。

以上のように,本論文は,これまでなされてこなかった,1)技術の普及過程における情報伝播ネットワークが不均一であることを初めて実証的に示した点,2)新アイデアの創出に関して第2層の特殊性を初めて実証的に示した点,3)日米における技術競争と技術の普及過程の違いを情報伝播の差から説明するこれまでにない試みを行っている点,において高い独創性を有しており,ミクロ普及学を中心に,マーケティング学,イノベーション学,経済学などの関連分野に大きく貢献すると評価できる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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